襲撃(2)
「そんな、酷いじゃない。人を化け物みたいにさ。君達が付けてくれた枯人って名前も気に入ってるんだよ? 人語を解する枯族で枯人……いいじゃないか。解らないことをそのままにせず、解る情報だけで名前を付ける。うん、合理的で君達らしい命名法だ」
ペラペラと躍り出る少年の言葉を追いながら、漸く理解した。全て、私の勘違いだったのだ。
車椅子の少女も、仕込み刀の男も、敵じゃなかった。彼らは何かしらの理由で此処に入り込んだ『部外者』で、襲撃者の逃亡に際し、それを追っていたということだ。
そして、軍服に扮してこの施設に紛れていた襲撃者は、今まさに私の手を握っている。あろうことか、自分のことを枯人と称して。
タロンが此処に来させたくないわけだ。心を案じても、身を案じても、今の私に枯人は危険すぎる……という考えが手に取るようにわかる。
確かに危険だという自覚はある。どうなってしまうのかという不安と心配もある。だが、それと同じくらい、チャンスに感じてしまう。
私は技術士官だから、復讐は間接的にしか成らないものとばかり思っていた。だが、今目の前にいるのであれば……。
「手が届くところに居るなら私でも!」
「ちょ、ちょっと何なにッ!?」
握られた手を引き、体制を崩した枯人の首に突き立てる為のナイフを持ち直す。先程まで使っていた物とは別物だ。
二本目のナイフ。刃の部分に聖樹の樹液があしわれた特別製だ。第一班と第五特殊班との共同兵器開発で排出された廃棄物を利用して作った物だ。無論、そんなことを個人で行うことはこの施設の規則でも法でも禁止されているが、そんなことをしてでも枯族に対抗する為の武器を作りたかったのは、国の緊急時に際し自衛の力を得たかったからだ。
……ずっとそう思っていた。しかし、本当はどうだ。私はずっと、この手で枯族を屠れる機会を伺っていたんじゃないのか?
脳裏に浮かぶ知らない私に戸惑いながら、細い首筋目掛け、ナイフを振り下ろす。枯人はこっちを非力な少女と侮っているのか、この状況でも余裕な表情だ。大丈夫、いけるッ!
「──ひっどいなぁ。僕はまだ、何一つだって君には危害を加えてないってのに。まぁ、別に効かないからいいんだけどさ」
「なッ!? どうして」
私の謎の自信は、そこで朽ち果てる。
突き立てたナイフは、皮膚に当たった途端に止まり、どれほど力を加えようと、それ以降進もうとしない。
「あ、でも痛いね。これ、セフィロトの樹液を塗りこんでいるのか。やっぱり人族の作るものは面白いね」
枯人はいとも簡単に私の手からナイフを奪い取り、刃を観察する。これが……枯人と人族の違いとでもいうのか。
「その娘から手を離せ!」
車椅子の少女からの怒号。
目を瞑る間も無く、巨大な氷が目の前を通って飛翔する。
「……無粋だなぁ。人が人を褒めているところじゃないか」
氷塊は、枯人の皮膚に触れた瞬間に停止し、地面に落ちる。明らかな異常だ。
「黙れ、人外。貴様らは破壊することしか知らぬ獣よ」
詠唱の時間はなかったはず……詠唱省略の使い手はお嬢様の方だったのか。
「僕が獣ねぇ。じゃあ君は差し詰め、人にも獣にもなれない半獣ってところかい?」
「……貴様ッ!」
燕尾服の男は、聞き流せないとでも言いたげな目で、枯人を睨みつけた。
「おっと、これは怒るんだね。でも、そんなに嫌なら、執事である君は、人が嫌がることを言おうとする主人を止めるべきだったんじゃないの?」
「私の剣が貴様の首を刎ねていないのは、ひとえにエリアス様の赦しを得ていないからだと知れ。いざとなれば貴様などッ!」
「なら、試してみるかい?」
枯人は、わざとらしく首筋を見せ、トントンとそこを叩いてみせる。
「辞めろ、コルヴィ。全て挑発だ、乗れば奴の掌の上だ」
燕尾服の男は、既のところで仕込み刀を下ろした。
「そうかい。まぁ、それも一つの選択だ。僕はそれを尊重するよ」
「何が尊重だ。お前は人をおちょくって、どんな反応をするかを見て面白がってるだけだろ」
ようやっと握られた手を振り払えた。ナイフは奪われたままだが。
「そうだよ。でもそんなこと、君達だってよくすることでしょ? 僕だけが悪いみたいな言い草はやめてほしいね」
得意げな顔で言い放つ。一方的に解った気になっている顔だ、反吐が出る。 ただでさえ聞くに耐えないのに、枯人は「それに」と言葉を続ける。
「全部が全部面白いなんて思ってないよ。僕としてはさ、さっさと攻撃をしてもらった方が手っ取り早くて楽なんだよね。ほら、全部駄目なら諦めて卓上に着く気にもなるでしょ? それでも、君達の選択が僕のやってほしかったことじゃなかったとしても、嫌な思いもせず受け入れてるんだよ? これを相手への尊重とせずに何とするのさ。理解しようと寄り添って、こんなにも譲歩してるのに」
何なんだ、この違和感は。
コイツは、人間が当たり前のようにこなしていることに、それらしい言葉を貼り付けて偉いことかのように話してくる。吐き気を催す悪行だ。
「そんなのは──」
否定の意を唱えようとしたときだった。
「そんなものは、理解でも寄り添いでもない。尊重なんてのは、もっての外だ。人にすら成れない紛い物の私にでも解る」
驚いた、自分の言おうとしたことを車椅子の少女が全て代弁してくれた。
「そうやって、決めつけて否定する君達よりはよっぽど尊重してると思うけどね」
だが、届かない。どんな言葉もどんな攻撃も、奴に触れた途端、勢いを止めてそこで停止する。
「でもまぁ、僕はそんな君たちとでも手を取り合えると心から思っているよ。啀み合ったって何にもならないし、何より戦いは嫌いだしね」
「あれだけ暴れ散らして、戦いが嫌いってのは、通らないんじゃねぇの?」
聞き覚えのある少し高めで厚みのある声。いつもなら、面倒だと感じるこの声も、この状況下なら鼓舞に聞こえる。
膠着した戦場に風が吹き込む。一際面積の小さな魔鎧……いや、あれは胸当てと腰当てと腕当てだな。鎧と呼べるほど、重く頑丈な代物ではない。
「待たせたな、セクレト少尉。よく堪えた」
枯人に向かい、一閃。やはり、皮膚より奥に刃は通らないが、それを予測しているかの如く、次の左手が奴の頬を掠める。
本当なら直撃のコースだったが、奴が顔を逸らしたのだ。その反応速度は目を見張るが、それよりも今は気になることがある。
「……避けた? 剣や魔法ですら皮膚で防いだコイツが……ってえッ!?」
地に着いた足が浮く。細く、それでいて力強い腕が私の体を腹部を起点にして支えていた。所謂、片手担ぎというやつだ。
「分析してる場合じゃねぇよ、とっとと逃げるんだよ。嬢ちゃん達と違ってお前は歴とした非戦闘員だろうが!」
抱えられながら、頭を小突かれる。拳はしっかりと硬い。統一戦争から前線に立ち、魔道具を使ってきた年季の入った拳だ。
「ですが……」
「お前を怪我させたらあの堅物に怒られんだよ、ここは受け入れて帰ってくれや。後のことはハイド・アウト第三班長のこの俺に任せてな」
そう言いながら、戦線を離れていく。
口調も身体も熱いのに、いつも行動だけは冷静なんだよなぁ、この人は。
「フリスク大尉……。では、あの堅物は無事なんですね?」
「あの鬼がこんな小僧一人にやられると思うか?」
「そうなれば、幾分か楽ができそうですが、想像できませんね……」
「だろ? で、どうだ。次の曲がり角から走れそうか?」
「大丈夫です、怪我とかは無いですし。そういう貴方は大丈夫なんですか? その身体で」
「……あの上司にして、お前有りだな。嫌なとこ突きやがる。黙って格好つけさせろってんだよ」
足が地に着く。曲がり角に到着したのだ。
「俺を誰だと思ってんだよ。十五から魔道具を振るってきた狂犬だぜ? そこらの一兵卒とは鍛え方が違ぇんだよ」
「本当の狂犬は自分のことを……いえ、無粋ですね。私が貴方に言うべきことは二つだけでした」
「助けていただき、ありがとうございました。死なないで下さい」
「……二つ目は、自分にも言えるようになることだな」
そう言い捨て、フリスク大尉は駆け出す。私はそれとは違う方向に走り出す。
「貴方も、それなりに嫌なとこを突くんじゃないですか」
変な感じがして、口元を触るとそれは弧を描いていた。復讐も、奴という脅威をも何もかもほっぽり出して、逃げ出したというのに場違いも甚だしい。だが、案外こんな私も嫌いじゃない。
「セクレト少尉! 避けろ!」
反射的に右にサイドステップ。私の右足があった位置にナイフが通過し、背筋が凍る。
「ありゃ、外したか。面白いと思ったんだけどな、チェーンナイフ」
走りを止めずに、後ろを振り向く。姿は見えないが、声が聞こえる距離に奴はいる。
嘘だろ? 魔力で底上げされたフリスク大尉の駆け足がこんなに簡単に詰められたのか?
それに、すぐ背後は曲がり角だ。無視界で攻撃を放ち、私が避けなければ当たっていた。何もかも、想像の外側だ。
ジャラジャラと、何か重く硬い物が引きずられるような音が聞こえる。まるで、黒鉄の蛇が地面を這うよう……あれ。この音、昔何処かで聞いたような。
「いいか、セクレト。碇ってのは、漁をする場所に降ろして船を留まらせる道具だ。人生でも、勝機があればこそ、どっしりと構える方が良いこともあるんだぜ?」
昔、父さんから言われた言葉だった。何故、今こんなことを……。いや、待て。
まさか、まさか、まさか。
走る心音が、更に早まるのを感じる。逃げなくてはならないのに、顔が前に戻らない。確認しなければならないことができたのだ。
曲がり角から人影が見える。だが、それは枯人のものじゃなかった。
「……驚いた、本当に進んでないじゃねぇか! あの男はアンタ自身よりもちゃんとアンタのことを見てくれてるみたいだな」
燕尾服の男だ。どうも、私に逃げてほしかったみたいだが、今の私ににその願いは届かない。昔から、気になったことは確かめずにはいられない質なのだ。
「コルヴィッ! 無駄口を叩くな! 今奴が狙っているのはその少女なのだぞッ!」
「は、はいッ! ……ったく、俺がわざわざガキの守りを名乗り出てやったんだ。ほら、行くぞ! もう奴は目と鼻の先だ!」
私の手を引こうと差し出された手を振り払う。燕尾服の男は、それに対して目を尖らせた。
「行けない…‥奴が持ってる物をこの目で見るまではッ!」
「何を馬鹿なことをッ! さっきはあのオッサンに言われて納得してたじゃねぇか!」
「行けない理由が出来たのッ!」
「なら、ここで死ぬんだな?」
何も言い返せない。だって、これは理屈じゃない。だから、論理的な返答などしようがない。ただ、真っ直ぐに男の目を見ることしかできない。
男は「はぁ」と溜息を溢す。そして、頭を横に振った後、口を開いた。
「一目見たら帰るぞ。そもそも戦えない奴が此処に居たら迷惑なんだからな」
黙ってこくりと頷く。
固唾を飲み、獣が現れるのを待つ。尻尾を出すのに、そう時間は掛からなかった。
「あれ? 逃げてるかと思えば、待ってくれたんだね。ようやく僕と話す気になったのかな……それとも別の理由とか?」
金属でできた爬虫類。その姿を見た瞬間、私は確信した。
「……その鎖、何処で?」
「あぁ。やっぱり君、良いところに目を付けるね。益々お話がしたいね」
「いいから、答えろッ!」
「これはね、彼らにとっては海に沈める碇で、僕にとっては罪を縛る鎖なんだよね」
枯人は待ってましたと言わんばかりに捲し立てる。
「残念だった。あれは、大きく丈夫で、沈めるには勿体ない船だったからね。この大陸を攻める時だった。交渉に応じず攻撃してきたものだから、こっちとしてもやるしかなかったんだ。でも、本当にそうだったのかを今でも考えるんだよね。もっと解り合う方法があったんじゃないかってね。だから、この鎖を使い続けることで、戒めとしてるんだよ。それに、道具に罪は無いしね」
こいつの口調は軽い、ペラペラだ。とても本心で言っている言葉とは思えない。だが、それを詰めるよりも今は──
「──真っ黒の船体に月の模様の帆を並べた超大型船。お前が見たのはそんな船じゃないのかッ!」
枯人は薄気味悪い笑みを浮かべて頷く。
「よく知ってるね。あの船は人族では結構有名な漁船だったのかな?」
溢れ出そうな怒号を胸に留める為に息を飲む。
「……そりゃあ、知ってるさ。誰よりも知ってる」
やっぱり無理だ。これは、抑えようとして引っ込む物じゃない。
「月光丸は、私と家族の思い出が詰まった船なんだからなァッッ!!!」
吐き出した想いは、想像していた数十倍の声量として放たれる。
見つけた。ようやっと、この長く苦しい戦いに決着を付けられる。
「えと……ってことは、君はあの船に乗ってた奴らの娘で、僕は君の親の仇ってことになるのかな?」
「そうだ。お前がどれだけ人との寄り添いを目指しても、解り合うことなどできない。お前が犯してきた罪はそんな鎖で縛れる物じゃない」
「これは手厳しいね。じゃあ今すぐ敵討ちと行くかい? 僕はそれでも構わないよ」
いけしゃあしゃあと。だが、睨みも謗りも腕っぷしも奴には届かない。だとすれば。
「コルヴィッ! 私を抱えて走れ!」
「おい、その呼び名は……ってそれより、どっちに走るんだよッ!」
「あっちだよッ!」
指差し、叫ぶ。そして、ポケットから小包を取り出した。出てきたのは、真ん中に割れ目のある白い球だった。
「タロン、私はアンタの発想力とそれを可能にする知識だけは認めてるんだからッ!」
向き合う枯人に、握る球を投げつけ、踵を返す。
そう、私が指差したのは枯人がいるのとは逆。つまりは逃げ道だった。
「あれ? ちょっと、逃げるの? 仇はいいの?」
「仇を討つために、一旦引いてやるんだよ。ま、それも全部お前がそれを喰らった上でフリスク大尉と大魔法使いを相手取る事ができたらの話だけどなッ!」
コルヴィが私を抱えると同時に捨て台詞。逃げる背後に白煙が舞う。
我ながらなんたる三流ムーブ。だが、此処で倒せないのなら、次の機会を伺うしかない。私は、殺すまで死ねない相手と相対してしまったのだから。
「ちょ! なんなのコレッ。すごく不快なんだけど……っていうか、動けないしッ」
悶える枯人の声が段々と小さくなっていく。
どうやら、私は賭けに勝ったらしい。やはり、タロンの発明は信じるに値する物だった。
「勝機があればこそ、どっしりと構える方が良いこともある……」
亡き父の言葉を反芻する。折角思い出したのだ、今は信じてみることにしたのだ。
「おい、逃亡中に満足気な顔してることにはもう突っ込まねぇが、全部貸しだからな。この命令を受けてるのも、さっきの呼び方も」
コルヴィの顔は見えないが、それほど怒っている声色ではなかったのが印象的だった。
「僕の名前は、アドラメレク・ルピナシオスだ! いずれ必ず君を見つけ、会いに行くことを約束するよ!」
枯人はケホケホと咳き込みながら叫んだ。初めて奴の必至そうな声を聞けた気がする。
恋人同士の別れなら、あるいはロマンチックな言葉かもしれないが、相手が枯人ならば別も別。
「あぁ、私だって必ず見つけてやるさ。お前の最期の瞬間を見る為に……」
硬く強いこの決意を忘れぬよう、片手に握り込みながら、コルヴィに担がれてその場を後にした。
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