ギガルトル・ティタン
エヌス廃墟地帯中央部。
「おや、なかなかに悪運が強い……。いや、それとも私の運が無いのか。確かに、覚者の私に運という確率の要素すら備われば、それはもはや全知全能ですからね」
射出された刃は、英雄の胸に突き刺さる……予定であった。
だが、英雄の姿は未だそこに顕在であった。
「馬鹿を言うな。今際の際の底力を運などという不確実なものと一緒にするな。私を仕留められなかった……それが貴様の等身大の実力だ!」
崩れ落ちたギガルトルは、即座に身体を全力で捻った。重い身体を無理くりに動かし、難を逃れたのだ。九死に一生を得たというには、もう少しだけ得たものが多い。
「理解さえすれば、そう難しい話じゃない。剣の重量を上げ、体勢を崩したところでグラン・バディの重量を下げて、混乱する私の手元からくすねたのだろう。手品師というのは例えでは無かったか」
パチパチと、拍手の音が鳴る。
「見事見事。獣にしては目を見張る観察力です。いや、あるいは獣だからこその食いつきとも取れますか。何せ、『弱い獣ほどよく吠える』。人族由来にしてはよく出来た言葉です」
枯人は、ギガルトルの看破を歯牙にもかけずに嗤った。余裕綽綽、青白い顔にそう書かれている。
「そうかもしれんな。だが、弱き獣にも相手を殺すだけの牙が備えられているッ!」
ギガルトルは、近くに落ちている廃材を向け、突撃する。
対する枯人は、臨戦態勢に応じない。ただ、何事もないように佇んでいる。棒立ちだ。
だが、それでも弱き獣の牙は届かなかった。
「クソッ、今度は俺の身体かッ!」
二、三歩足を動かしたところでギガルトルの足は止まる。そして、重力に圧し負けるように徐々に地面に近づき、ひれ伏す形で屈服した。
「どれだけ足掻こうと無駄ですよ。私の『質量変換』からは逃れられない。魔力を込めた物であれば、その持ち主の意向には関係なく、質量を変化出来るのです。そして、それは物体の部分適応も可能なのですよ。どうです? 自分の足ですら支えられない二十倍の重さの身体を得た気分は」
「……えらく余裕だな。自ら能力を話すなど。それとも、貴様らの中での行儀作法なのか?」
枯人はニマリと口に弧を描く。青黒い唇が強調する。
「いえいえ。ただの趣味ですよ。人族相手にはタネをバラし、殺す前に一縷の希望を握らせ、手折る。これに勝る愉悦はありません」
口を紡ぐギガルトルを見下しながら、枯人は「それに」と言葉を続ける。
「余裕というのは完璧で、安定した覚者にのみ許される権能です。そして、私はクリフォト様より命を受けた枯柱……その権能を行使出来る限られた生物です。与えられし権能は、使わねば。こういうのを、人界では『持てる者の義務』と呼ぶのでしょう?」
「そんなノブリス・オブリージュがあってたまるか。貴様のそれは義務ではなく、権利の乱用だ」
ギガルトルは這いずり、身体と喉を震わせる。人同士の戦いでは正に無双の活躍だった英雄も、こうなってしまえば木偶の坊。
それが、種族の違いによるものなのか、老衰の如何によるものなのか、将又その両者なのかは解りかねるが、二人の力量の差は歴然だった。
「おや、そうですか。アドラメレクの勧めで少しは人族について触れてはみましたが、やはりどうも扱いづらい。だから無駄だと言ったのです。どちらにせよ、滅ぶ種族の滅ぶ文化に違いはないというのに……」
枯人は、目を瞑ってゆっくりと首を振るった。
「人族が滅ぶことなどあり得ない……。貴様らが考える以上に、人間は意地汚く、しつこい生き物だ」
「知的格差の大きいこの会話で、全てを解って貰えるなど考えてはいません。力を持たねば見えぬ景色があるというのは世の摂理です。ただ、もう少し端的に申し上げるなら──」
枯人はグラン・バディを地面に倒れるギガルトルに向けた。
「──もっと踊ってから、死んでください」
枯人の人差し指が引き金に掛かった瞬間、戦場が動く。這いずることしか出来なかったギガルトルの脚が動いたのだ。
普段の訓練や長きに渡る経験の中でも味わったことのない荷重。それでも英雄は打ち勝てた。欠かさぬ鍛錬と、経験の上に積み重なった確かな実力と、心の強さがそれを可能にさせたのだ。
「ぬぉぉお!」
地面を蹴り、枯人に肉薄……その後衝突した。重量を二十倍にまで上げられたその身体はもはや、砲弾とも呼ぶべき質量兵器だ。
その直撃を許した枯人の身体は体勢を崩す──はずだった。
「……危ない危ない。やるに事欠いて、体当たりとは。正に獣だ。確かに、今の貴方の身体でぶつかられれば、ダメージは大きいでしょう。その相手が質量を操る本人でもなけらばね」
直撃の瞬間、ギガルトルの身体の質量を減らし、衝撃を抑えたのだ。『質量変換』と称されたこの魔法は、戦場の常識を嘲け笑うほどの自由さを誇っていた。
しかし、これで終わる英雄ではない。
「ようやっと、貴様に拳が届く!」
放たれたパンチは、真っすぐに枯人の顔を射貫く。無論、衝撃を最小限に抑えられた攻撃だが、確かに命中した。それが今は大きかった。
「私の顔に触れただと……ただの人族風情が!」
血管が浮き出るほどの激高。青白い肌に熱が籠る。考えなしに放たれた右足は、ギガルトルの巨体を簡単に吹き飛ばす。
だが、それと同時に枯人も体勢を崩した。
「何ですッ!?」
枯人はその禍々しい身体から緑色の体液を空中に撒き散らす。
「もらったッ!」
「第七魔鎧小隊、並びに第九小隊。ライトハウスの緊急要請に応じ、馳せ参じました!」
禍々しい黒色の鎧を纏う兵士と、光沢のある鋼色の金属鎧を纏う茶髪の兵士。枯人は、ギガルトルに夢中になるあまり、二人の接近に気付かなかった。
直撃の寸前で質量を減らしてはいるが、完全に勢いを殺すに至らず、右肩と左腕近くに浅い傷を負っている。
反撃を許す前に、二人の兵士はバックステップで距離を取った。
「応援に駆けつけてみれば、統一戦争の英雄の救助とは……光栄ですッ!」
「んなこと言ってる場合かよ。その英雄様は今さっき吹き飛ばされ、今の今切り捨てるはずだった敵はまだ立ったまま……つうか、魔鎧を着た俺の一撃をいなすたぁ、ナニモンだぁ?」
二人の兵士は剣を構えながら、周りを見渡し、現状把握に努める。
対する枯人は傷口を見て唖然としていた。
「私が……こんな塵芥どもに……三つも傷を……? ありえ……ない」
枯人の身体が震える。その異様な雰囲気に、二人の胸はざわつきを起こしていた。
「ありえない。有り得ない。在り得ない。アリエナイッ!」
黒かった筈の枯人の瞳は、紅く煌々と輝き、整えられていた髪の毛は逆立っていた。
「この凡俗如きがぁぁ!」
瞬間、二人の兵士は勢いよく地面に突きつけられる。
「「ガハッ!」」
質量が動いたのは鎧。二人は、身に着ける物の重さを操作され、状況も掴めないまま血反吐を吐く。
「ならんッ! そいつを相手にしては──クッ。遅かったか……」
再び持ち場に戻り、増援の二人が地面に叩きつけられる絶望に目を瞑る英雄。そして、自暴自棄になり、力を振り回す枯人。地面と廃材が犇めく非情な光景がそこに繰り広げられていた。
「貴様らは近づくなッ! 奴は質量変化の魔法を使う! 鎧を纏う者は不利だ!」
先に突撃した二人の様子を見て、木陰から援護の機会を伺う人影に向けての言葉だった。その影は、第七魔鎧小隊と第九小隊の兵士たちに違いなく、彼らは否応なく英雄の言葉に頷くしかなかった。
「申し訳……ございません……ギガルトル……大佐」
金髪の兵士──第九小隊長は、地面に顔を擦りつけながら謝罪の意を伝えた。
「構わん。お前たちは奴に隙を作ってくれた」
ギガルトルは痛む傷を隠しながら、そう返す。
「英雄殿……奴は俺が……」
黒い鎧を纏う黒髪の兵士──第七魔鎧小隊長は、何とか立ち上がろうと腕を振るわせながらそう告げる。
「死に急ぐな、馬鹿者が。魔鎧小隊長ということは、ブリー君の管轄だろう。彼の部下を犬死にさせるわけにはいかん」
ギガルトルは震える脚を力ませながら、そう返した。
「今から数十秒後、奴の意識を俺だけに向けさせる。その隙に一度引き、部下に指示を伝えた上でお前たちもそれに従え」
「指示……ですか」
「『此処を囲い、奴の退路を絶て』。奴は俺が、此処で殺す。もし俺がやられた時は……」
ギガルトルの声は尻すぼみになっていく。それを気に入らないと割って入ったのが小隊長の二人だった。
「止めろ……そんな例え話、必要ないだろ」
「そう……です。この国を統一した英雄が、一騎打ちで遅れを取るわけがない」
先ほどまで追い詰められ、吹き飛ばされていた老兵士に告げる言葉とは思えない。だが、それでも人に希望を与えてしまうのが、英雄という生き物なのだ。
「……そうだな。ならば、もう言葉は不要だな?」
二人は苦しそうに、それでいて笑顔で頷いた。
ギガルトルは、目にも終えぬ早さで前進する。縮地にも見紛うその速度は、理性を欠いた枯人の目で捉えることは出来なかった。
「返してもらうぞ! あの娘の作った俺の武器を!」
半暴走状態の化け物は、今まで気に入っていた武器すら手放し、廃材や枯族の死体など、あらゆるものの質量を無差別に増減させている。
しかし、目で見えぬ物に魔力を込めることなど不可能。ギガルトルは竜巻の中を潜り抜け、即座にその中心へと潜り込み、グラン・バディを拾い上げた。
「取ったッ!」
再び枯人に肉薄したギガルトルは、他の何にも気を取ることなく、枯人の腹部を突き刺した。
先ほどとは違い、ドス黒い液体が地面に垂れていく。
「痛い……これは、痛み。そうか、忘れていた。これはクリフォト様から賜った痛みだ」
逆立った髪が元に戻り、紅い瞳も黒を取り戻す。枯人は自分の腹部に刺さる剣を歯牙にも掛けず、ギガルトルに蹴りを入れた。
しかし、英雄の身体は吹き飛ばず、二、三歩後ずさった程度に留まった。
「仕切り直しです。人族を滅することは簡単ですが、貴方は大切な物を思い出させてくれた。ここから先は対等な決闘でいきましょう。互いに全身全霊。剣と魔法、双方の得意で勝敗を決めましょう」
そう言って、腹部に刺さったグラン・バディを引き抜き、ギガルトルに手渡した。
「ようやっと、考えが透けてきた。貴様は自分より劣る人族を見下し、その間にある差を自分だけが持つ優位性だと思い込み、その積み重ねによって、「安定で完璧な自分」を創り出した。だから、見下す対象である筈の私を、対等である状況下で殺すことでしか自分を保てない。この剣が何よりの証拠だ」
「……いいでしょう、今の私は気分が良い。人族の戯言にも耳を貸しましょう」
「だったら、その余興に少しだけ付き合うとしよう。俺と貴様の因縁も、これまで枯族がやってきた愚行も、互いの立場や権利も、全て洗い流して真っさらな状況で『対等な決闘』としよう」
ギガルトルは一歩進み、地面に刀身の先を突き刺した。
「戦場に人知れず咲いた造花。似合もしない花弁を付けられたという一点では俺たちは共通している」
「何を……?」
枯人は首を傾げるが、話の腰を折ろうとはしない。
「しかし、花の種類が違った。俺に咲いたのは伝説で貴様に咲いたのは怪異譚だ。背負うものの量が違う……だが、今貴様の目の前にいるのは、対立統一戦争の英雄でなければ、人類存亡を賭けた戦をするものではない。ただの兵士、ギガルトル・ティタンだ」
「死を望む物は戦地を穢す。それが英雄ならば尚更だろう。だが、此処にいるのがただの兵士なら、その責任を問われるのはこの俺だけ……我が死に場所を此処に見つけたりッ!」
「冗長ですね。文を作るのは苦手のようで」
鼻で嗤う枯人の前で、ギガルトルは笑みを溢す。
「違いない。こういうのは、俺の領分じゃない。アイツの得意だった」
「アイツ……ですか?」
「妻だよ、数年前に戦争で失ったがね」
敵同士で憎むべき相手同士だというのに、二人は戦場で言葉を交わす。互いに、絶対に分かり合えない相手だと解っているからだ。何も言っても心に留まらぬなら、何を言っても無意味だが、それ故に話せることがあったのかもしれない。
「個で完成しないから群れることを選び、喪失を得る……本当に歯痒い生き物です」
「そうだな。だが、その歯痒さが今からお貴様を殺すのだ」
フンと一声。枯人はギガルトルに向き直る。
「クリフォト様より出し第九之枯柱。与えられし殻の名は、不安定。リリオス・ダリアンティーナ。それが貴方を殺す者の名です」
「ただの兵士、ギガルトルティタン。貴様を殺す凡人の名だ」
枯人は腕を、ギガルトルは剣を構える。
──開戦と終戦は一瞬で、それも同時に訪れた。
「やはり、人族は無力で不甲斐なく、安定しない。何も救えず、何者にも救えない生き物です」
地面に這うのはギガルトルだ。視界に入った状態から、魔法の効果範囲外に出ることも、避けることも、人族には不可能だった。
「最期はこれで、終わらせてあげますよ」
枯人は、空しく地面に捨てられたグラン・バディを拾いあげ、悲しそうに嗤っていた。
「あぁ……そうだな。人間は貴様らと違って非力で無力だ。そして、完璧でない」
力の抜ける、弱弱しい声だった。
「完璧でないと自覚を? ならば何故完璧な私に抗ったのです?」
「完璧じゃないことは……悪いことではないからだッ!」
「なにッ!?」
敗者を見下す枯人の元に、小さな何かが飛翔する。枯人は反射神経でグラン・バディを盾にした。飛翔した何かは、剣のホルダー近くに当たり、少しだけ火花を散らして落下した。
「小型の刃物……? その重量の身体で動けたことには驚きましたが、最期の悪足掻きにしては小さすぎましたね。この威力では、私の皮を貫くことも出来ません。残念ですが、ここまでのようです」
枯人は再度、ギガルトルの心臓にグラン・バディの刃を向ける。
「……いつ何時でも余裕を忘れなかった貴様だ。最期は必ずその武器を取ると思っていた。まぁ、当たり所については運だったがな」
「ん? 死の前の戯言ですか、哀れです。今すぐに、奥様のところへ連れて行ってあげますよ」
引き金を引こうとした枯人は、ある違和感に気が付いた。何やら剣が震えている。それに、ジリジリと異音が聞こえる。
しかし、枯人は気にすることなく、引き金を引いた……引いてしまった。
バァン!!
爆音が響き、辺りに衝撃が走る。砂埃と煙が治まった後に現れたのは、刃が身体に突き刺さった人影で──それは二人の影だった。
一人は地面に伏し、一人は膝から崩れて自分に刺さる刃を見て震えていた。
「バカな馬鹿なバカな馬鹿なッ! この、覚者たる枯柱の私が……」
「完成された物ほど……つまらない物はない……」
両者沈黙。一帯には大量の枯族の死体と、ただ一人の兵士の亡骸だけが残っていた。
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