手を差し伸べる瞬発力たるや裏拳の如し
四限目の数学残り十分弱。あと少しでランチタイム、という希望と倦怠感が渦巻く教室をコッコッコッとチョークのこすれる音がさらにかき回す。時折ボキャッとチョークの折れる音に全員イラっとくる。注目されたいお子様が黒板を爪で引っ掻く五パーセントくらいの不快感に、オッサン数学教師お前何年黒板使ってんだよ、て。
「じゃあこの問題はー、笠原」
「え……?」
前から二列目、廊下側から三列目に座る私の隣りの席の笠原さんが小さく情けない悲鳴を上げた。なに?
「あれっ……?」
さらに反対側に座るボケガワラが筆入れを覗いて困惑声。ピンときましたよピンと。脳細胞は灰色だが集合体がクルミサイズと父に絶賛された私の洞察力に震えて踊れ?
「全員動かないでっ! 騒ぐなっ!」
「ビっ、くりしたぁ。誰も動いてないし騒がしいのはキミだけだけどな高梨」
「午前十一時四二分、現場確保」
「あれっ、先生無視ですか?」
私は身体ごと振り返ってクラスメートの注目を集めた。振り返る時のスカートのヒラヒラ感ってなんかプリンセス面したくならない? ふんぞり返って全員を見下ろしながら軽くあごをしゃくって隣りを示す。
「ボケガワラの蛍光ペン盗難という痛ましい事件が発生しました」
「ボケガワラ? え、西田ってそんなあだ名なの?」
「俺初めて聞きました」
「高梨ヒドくない? 西田に恨みでもあるの?」
「いいえ、私が殺意を抱くのは日本のどこかに生息する、小鳥が遊ぶと書いてタカナシと読むオシャレ気取りのクソヤローくらいですよ」
「あの大統領の日本車嫌いに並ぶ逆恨みだね」
「あらツッコミが冴えますこと、ナンクロメガネのくせに」
「わりとすごいなキミ、ぼくナンバークロスワードしないしメガネもかけてないのに」
あだ名に正しい理由を求めるほうがおかしいでしょ。
「四限目が始まってしばらくのあたり、ボケガワラが脱力したクマの描かれた蛍光ペンを使っていたのはこの目で見ました。つまり……、犯人はこのクラスにいます」
「クラスというか西田の席の前後左右、なんならキミが一番怪しいけどね。というか盗難と決まってはないんだから騒ぐのはどうかと。今は授業に集中してあとで━━」
「つまり先生は窃盗なんて他愛のない犯罪はスルーしろと? ナンクロメガネがこんなにアウトローだとは意外にアナーキーだったんですねビックリあとでつぶやこ炎上しろ教育委員━━」
「事件を解決しますよ最優先に決まってるじゃないですか」
SNSバンザイ。
「えっと、高梨さん? なんか大事にされて居心地悪いけど収拾つくの?」
「ボケガワラはおとなしく見てなさい。かの世界一有名な探偵がこんなことを言っていた気がする」
「気がする時点で胡散臭いね」
「失敗したらバックレよーぜワトソン君」
「ダウト」
有名税よ。知らんけど。
「オイなに下らんことで騒いでんだよぉ」
「黙れマザコンヤンキー未だにご両親のことをパパママ呼びしてるってバラすわよ」
「ちょ、え、なに、はぁ? 呼んでねーし、本当だとしたらバラすわよじゃなくバラしてんじゃねーか」
冤罪ミサイルがどうとか怒鳴るバカは無視。一般生徒にイキるしか能のないなんちゃってヤンキーなんて圧倒的言葉の暴力による先制攻撃で社会的に潰しときゃいいのよ。
「まずは状況を整理しましょう。授業が始まるころ、ボケガワラは蛍光ペンを使っていた。十一時二十分ごろ、ボケガワラは指名されて黒板へ。盗まれるとしたら……、この……、あ、た……」
「どうした高梨?」
「かの世界一有名な探偵がこんなことを言っていた気がする」
「そろそろ怖くなってきたんですけど」
「どんなに突拍子もないことに思えたとしても、可能性を全て潰して最後に残ったものが答えだよワトソン君」
「あぁ、それは言ってた気がする」
「そもそも私はどうしてボケガワラの蛍光ペンに脱力したクマが描かれているなんて特徴まで知っているのかしら?」
「うわぁちょっと待って怖い怖い」
「そうですね私も初めてスライダーを投げれた時くらい鳥肌が立ちました」
「例えの引き出し壊れてる?」
「信じられない。いや信じたくないけどコレが答えね」
私は自分の筆入れを開けてみた。脱力したクマ、そこにいたのか。
「ボケガワラが当てられて席を立った時に落としたペンを私が拾い、戻ってきたら渡すつもりでド忘れしてました。不可抗力の借りパクゴメンなさいボケガワラ」
「俺としてはそのあだ名を訂正して謝って欲しいんだけど」
「それはイヤ」
「イヤなのか」
キーンコーンとチャイムが鳴り、クラスメートの悲鳴と時間を返せって怒号がハモった。十分の茶番くらい笑って受け流しなさいよしょーもないクラスね。
「高梨さん、その、ありがとう」
放課後、下駄箱で笹原さんにお礼を言われた。
「何が? おっと急がなきゃ。んじゃまた明日ー」
後ろ手にヒラヒラ振ってさっさと離れる。
詳しい事情は知らないし興味もないけど当てられて困る何かがあったんでしょ。
とっさに助けたんだから最後までカッコつけさせなさいよ、ったく。