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05. 昼下がりの植物園で

 晩餐会を三日後に控え、いよいよ城内の緊張が高まってきた。


 人々が気にしているのはいったいこの国がどうなるのかということだけで、私のことを気にする人は減っていた。私は、これ幸いと、城を出るための仕度をひとりでに進めていた。

 昼下がり、声を掛けられるまでは。


「フローレンス」

「……クリフ」


 ミルクや卵を届けに来る牧場の少年に、馬を借りられないかと尋ね終わった矢先のことだった。

 クリフォードは少し不安げに微笑んだ。


「大したことじゃないんだ、ただ……その、調子はどうかなと思って」


 人と私的な会話をするのは久しぶりで、私も頬の強張りが和らいだ。


「まあまあね。色々立て込んでいるけど、今のところは順調」

「それはよかった」


 礼をして去っていく少年の後姿を目で追いながら、クリフォードは声を潜めて言った。


「……もし、よかったらの話だけど、このあと少しお茶でもどうかな。場所は……中庭の植物園で」


 彼の神妙な態度は、改まって言いたいことがあると告げていた。

 私は誘いを受けることにした。


「……いいわよ。丁度、上等な茶葉を頂いたところなの。持っていくわ」


 この返事にクリフォードも安心したようだった。


「嬉しいよ。先に行って待ってる」


 そう言うと彼は踵を返して戻っていった。


 茶葉を取りに一度部屋に戻ると、カデルは窓際に腰かけ、お気に入りの詩人が書いた叙事詩の新作を読んでいるところだった。これも、もしかしたら、重要な未練なのかもしれない。

 カデルは顔を上げ、再び出て行こうとする私に向かって首を傾げた。


「またどこかに行くのか?」

「クリフにお茶へ誘われたの」


 正直に答えると、彼は少し顎をさすって考えていた。


「そうなのか? 前にあいつと何かあったと言っていなかったか」

「大丈夫よ。悪いことにはならないわ」


 私は頭を振った。

 きっとクリフォードは、有耶無耶になっていた、城を出る話について片をつけたいのだろう。それが分かっていれば冷静に話ができるはずだ。


「それもそうだな。あいつはいいやつだ」


 カデルはくつくつと笑って頷いた。


 植物園は城の隅にある。長らくクリフォードが管理を任されていて、丁寧な世話が行き届いている。

 入口で待っていたクリフォードと並んで歩きながら、私は辺りを見渡した。


「前に見たときより、随分賑やかになった」

「このところ研究が好調なんだ」


 クリフォードの足取りも心なしか軽い。余程、草花に囲まれているのが楽しいのだろう。


 そうしてしばらく歩いていると、丁度花の咲き始めた区画に、椅子と机が用意されていた。横ではメイドが茶器の準備をしている。彼女に茶葉を渡すと、私はゆったりと席に着いた。

 クリフォードは近場の花に触れ、様子を少し見てから同じように席に座った。

 私はそう言えば、と彼の仕事を思い出した。


「やっているのは植物の交配だったかしら」


 幼い頃から学問にのめり込んでいたという彼は、兄とは違う形で国のために働いているのだと王妃が仰っていた。両者の母親としては、一見すると温室に引きこもってばかりの本の虫が兄嫁の目にどう映るか心配だったようで、嫁いですぐの頃は何かと説明をしてくれたものだ。


 確かめるために問うと、カデルは花火のように表情を明るくした。


「そう、特に、麦の改良についてだよ。あとは果樹も少し。実験に協力してくれる村が見つかったんだ。今の課題は耐病性と耐貧養性で────」


 静かに聞いていると、彼ははたと止まり、恥ずかしげに俯く。


「水を向けられると好き勝手まくしたてるのは僕のよくない癖だな」


 私は否と返した。


「面白いから続けて?」

「ごめん、じゃあこれだけ言わせて。……叶えば、この国が戦争する理由を半分減らせる」


 クリフォードの目に映る光は夢見る少年のそれだった。

 目の前に置かれた茶に口をつけ、私は目を伏せた。


「それってサイコーな響きよね。とりわけ、戦地で夫を亡くした未亡人にとっては」

「……だけど、勇気ある騎士にとっては嫌な言葉かも」

「あなたの仕事を理解できないような騎士は……多分、ロバを渡しても気づかず乗るわね」

「そうだといいけど!」


 彼は冗談めかして言ってはいたが、その事実を本当に恐れているようだった。

 私は刺繍会のときの噂話をぼんやりと思い出していた。


 少しの沈黙を経て、彼は思い切ったように切り出した。


「この間はごめん。……すごく、失礼なことを言った」


 私もすぐに、ずっと思っていたことを伝えた。


「こちらこそ、ごめんなさい。私も冷静じゃなくて、あなたにつらく当たってしまった」


 しかし、彼は首を振って、柔らかく言った。


「それは、仕方のないことだよ。君は夫を亡くしたんだ」


 彼のその穏やかな言葉は私の胸の深いところをえぐるようだった。

 私は縋るように声を漏らした。


「あなたの兄でもあった。いいえ、あなたのほうが、ずっと彼を知っているのよ」


 私は喉の奥が熱くなって、咄嗟に、ふいと顔を背けてしまった。


「どうしてそんなに優しいの」

「……見せたいものがあるんだ」


 彼はふと立ち上がり、一つの小さな植木鉢を持ってきた。

 青みがかった白い花弁が、星形になって揺れている。


 私にとっては懐かしい花だった。


「これは……ミコホシ? でも、どうしてあなたが……」

「君の故郷の花だよね。ずっと昔に、君が教えてくれた」


 この花は、私が育った雪国の、限られた草原にしか咲かない。当然、この国ではあり得るはずもない光景だった。


「どうにか、この国の気候でも花を咲かせるところまで辿り着けたよ。約束の花畑にはまだまだ遠いけどね」


 約束。その言葉に、私は大切な記憶を思い出した。

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