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04. 良くない噂

 カデルが消えないまま、三日が経った。


 私たちはそれぞれの思うように行動して、話すことも減っていった。とはいえ、それは彼が生きていた頃も同じことだから、元に戻ったとしか言えない。


 これで、この城から出ていくという私の目標はまた遠のいた訳だ。

 もうすぐ、空いた王太子の座を埋めるための話し合いが行われる。それまでにはすべてに片をつけなければならないだろう。


 その頃にはちらほらと、カデルの死を悼む手紙が届くようになっていた。私が返事を書いていると、扉を叩く音がして侍女が顔を覗かせた。


「フローレンスさま! 今はお急ぎですか?」

「いいえ。何かあった?」


 ペンを置きつつ振り向くと、籠を抱えた侍女は慌ただしく答えた。


「今度の晩餐会に使う調度品の刺繍がどうにも間に合わなくて。女手を集めているんです」

「分かったわ。手伝いましょう」


 立ち上がりざまに裁縫箱を掴む。どうせ手紙が出せるのは明日の朝だ。終わってから書くことにする。

 先を行く侍女は、縫い糸を詰めた箱を抱えて小走りに進む。それについて廊下を進むと、確かに大部屋に女たちが集まっていた。


「新しく人を呼んできたわよ!」

「あら、奥さま! 助かります」


 別の侍女が針を片手に顔をほころばせる。みんなが少しずつ詰めて、長椅子に隙間を作ってくれた。

 私は腰を下ろしながら部屋を見渡した。部屋の中には城に詰める騎士の奥方から下働きのメイドまで、見慣れた顔が集まっていたが、一人、予想外の人物が隅に座っていた。

 その赤みがかった茶髪は、この辺りでは滅多に見かけない色だ。


「ねえ、そこにいるのって……」


 隣の婦人の肩をつついて尋ねると、別の侍女が誇らしげに答えた。


「お気づきになりましたか。ノーリントンのヴィクトリア王女その人であります」


 それは、カデルの指輪を届けにきた敵軍の女騎士だった。

 今はもう鎧も脱いで、シンプルなシャツに身を包んでいる。こうして見ると随分若い。私と同じくらいか、少し下くらいだろうか。能力で戦場に立ったというよりは、軍の士気を上げるために立たされたのだろう。


「一応、捕虜よね、その人」

「生来のご身分と若さまの遺品を届けてくださったことを考慮し、賓客として遇しております! つまり平均すると私たちと同じくらいの立場ですよね」


 身分の高い捕虜を丁寧に扱うのは珍しい話ではない。そういった捕虜であれば、高い身代金を支払ってもらえるからだ。

 今回はそれに加えてカデルとの件もあり、城の女たちは彼女のことを悪く思ってはいないらしい。

 ヴィクトリアはふいと顔を逸らして言った。


「まあ、タダ飯食らいでいるのも悪いし働くのは構わない」

「みんながそれでいいならいいけど……そんなに猶予がないの?」


 私は一番気になっていたことを尋ねた。

 晩餐会の仕度は城の女主人である王妃が仕切っている。少なくとも無理な進行をさせる人ではないし、実際に前々から準備は進めていたはずだ。


「次の晩餐会は、立太子に向けての諸侯同士での話し合いだったわよね」


 すると、侍女は辺りを窺ってから、小さな声で私に囁いた。


「それが、今になって急にリファール家が参加することになったんですよ」


 招待客はある程度決まっていたが、新たに参上する家が増えたのだ。

 それで紋章入りの垂れ幕を新調したり、小物を増やしたりする必要が出てきたらしい。

 あまりに急な話で、てんやわんやという訳だ。


「奥さまもご存じありませんでしたか」

「そうね。王妃さまも知らないことが私に伝わるとも思えないけれど」


 侍女は手際よく針を進めながら文句を垂らす。


「それにしても、若さまの葬儀にさえ顔も出さなかったのに、あの家は何を考えているのかしら」


 すると、別の侍女が横目に見ながら囁いた。


「リファールの当主には陛下の従姉にあたる方が嫁がれているから、息子を後継者にさせたいのかも」


 城に籠ってばかりの女たちは噂好きだ。しかし、あまり滅多なことは言うものではない。

 私はそっと窘めた。


「まさかね。話し合いと言っても、出来レースでしょう? カデルとまったく同じ血を引くクリフがいるのだから、彼に決まっておしまいよ」


 すると、侍女は小さく首を振った。


「でも、男衆はそうは思ってないみたいなんです」

「あの人たちは、何よりも強かったカデルさまの代わりを求めているんですよ」

「それで、そのリファール家から養子をもらって、世継ぎに立てたらどうかって話になってるみたいで」


 どうやら、彼女たちに聞かれているとも知らず、騎士たちはどこかで密談でもしているようだ。


「リファール家の若君は才気に溢れた素晴らしい騎士と聞いています。既に、いくつも功を立てているとか。それに比べるとクリフォードさまは、どうにも不甲斐ないと思われているようで……」


 確かに、クリフォードは学者気質で剣を取らない。武勲を求める騎士たちにしてみれば、戦場に出ない人物を王と立てるのは不服なのかもしれない。しかし、本来ならば彼はそうして陰から兄を支えていればよかったはずなのだ。

 私は糸を結びながら目を伏せた。


「あなたたちはどっちがいいと思うの?」


 侍女はいきり立って答えた。


「そりゃあもちろん、クリフォードさまです! 心遣いの優れたお方ですし、何より我々は、王妃さまと奥さまにお仕えしておりますから!」


 それから、侍女は声を抑えて続けた。


「それに、ここだけの話ですが……変な噂もあるんです」

「変な噂?」

「そのリファールの若君とファロスの姫君に婚姻の話が持ち上がっているそうで……でも、これって変ですよね? だって、若君が王位を継いで、姫とご結婚なさったら」

「……ファロスがこちらの内政に口出しできるようになるわね」


 ファロスは長年に渡りこの国と関係を悪くしている、海を挟んだ隣の大国だ。今は戦争をしていないが、もしノーリントンその他との戦況が悪化すればすぐにでも介入してくるだろう。

 それが、もしこの国の継承権を持つ家と結ばれれば、状況はより悪くなる。


「すごく怪しいじゃないですか! だから私は幼い頃から存じ上げるクリフォードさまに王になっていただきたいですし、この家の奥さまは奥さまのままでいてほしいんです!」

「それは……」


 私が返事をする前に、部屋の反対から大きな声に遮られた。


「あらまあ、あなた、へたっぴねえ!」

「うぐ……」


 驚いた全員が注目する。

 それは老婦人とヴィクトリアだった。

 ヴィクトリアが仕上げたらしい布を手に取り、婦人が呆れたように声を上げた。


「これが鷹の紋章に見えて? せいぜいアヒルか七面鳥かってところよ」

「う、うるさいな!」


 老婦人は少し耳が遠く、声が大きい。その所為で、自分の裁縫が不出来なことを大部屋の全員に広められてしまったヴィクトリアは、顔を赤くして布をひったくった。

 老婦人は驚いて目を丸くしたあと、ヴィクトリアに別の布を押し付けた。


「刺繡が苦手ならクロスの端を縫っておいて頂戴な」

「うん……」


 力なく頷き、縫い針に持ち変えたヴィクトリアだったが、よく見れば糸を通すのにも苦労しているようだった。

 私は糸通しを手に立ち上がり、彼女に歩み寄った。隣に腰かけ、道具を差し出す。


「これ使っていいわよ」

「何だこれ」

「こう使うの」


 初めこそ怪訝そうな顔をしていたが、目の前で使ってみせてから貸すと、彼女はすぐに使い方を覚えた。

 それで私は、彼女はそもそも裁縫をよく知らないのだと気がついた。私は既に端を縫ったクロスを手に取り、拡げて指した。


「この縫い目は分かる?」

「……自信はない」

「なら、一緒にやりましょう」


 三針ほどゆっくり進めてみせてから、今度は手順の一つずつを彼女と同時に進めていく。


「そう、まず裏に針を刺して……」


 一つの端が終わるまで、そうして一緒に縫っていく。

 ヴィクトリアは私の手元を何度も見ていたが、そのうち自分の針に集中して熱心に進め始めた。

 最後、慣れない手つきで糸を留める。ぱあっと顔が明るくなった。


「できた!」

「きれいね。これで、ほつれなくなるの」


 私はそう言い、元の席に戻ろうと立ち上がる。


「ありがとう!」


 ヴィクトリアは慌てて後を追うように腰を上げ、嬉しそうにそう言った。

 私は小さく手を振って離れた。

 席に戻ると、一尾始終を見ていたらしい侍女が顔を突き出した。


「教えるの上手いんですねえ」

「彼女に学ぶ気があるからよ。私は手段を教えるだけだもの」

「いやあ、それが難しいんですよう。奥さまが手芸教室でも開いたら国中の淑女が集まると思いますけどねえ」


 すると別の侍女が割って入る。


「コート・マナーの講座とか」

「それいいかも!」


 侍女たちはあれがいいこれがいいと盛り上がり始め、私は肩を竦めた。


「勝手に言うわね……」


 しかし、これで彼女たちの不安が紛れるなら悪くはない。

 私は侍女たちに向かい、語りかけた。


「とにかく、これで何とか晩餐会には間に合いそうね。気にかかることはあるけれど、あとは陛下たちを信じましょう」

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