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03. 最後の未練

 クリフォードと別れ、寝室に戻る。

 扉を開けると目の前に、机の上にあったはずの本や筆記具が浮いていた。


「イヤッ、心霊現象ッ」


 思わず身を竦め、口元を抑えた。

 すると、機嫌のよさそうなカデルがふわりと姿を見せた。

 彼が指を振ると、それに応えるように小物が舞う。


「見ろ、フローレンス! ちょっとだが、触れずに物を動かせるようになったぞ!」

「驚かすな!」


 腹の底から声が出た。

 私は溜息をついた。


「私、ちゃんと伝えてきたわよ! 心残りが減って、なんで強くなってるのよ」

「しかし、やることはまだまだ残ってるからな。それ次第かもしれん」


 扉にもたれかかったまま、腕を組む。私は口を尖らせた。


「次は何?」

「父上と母上に手紙を渡したい。口述筆記を頼む」


 どうやら、練習してある程度は物を動かせるようになったものの、長文を書けるほど精密ではないらしい。


 私は再び羽ペンを取ると、先を洋墨に浸けた。

 彼の言葉に耳を傾け、清書して写す。

 出来上がったのは、契約書のように細かい謝罪の文だった。


 本当にひどい内容だった。私は呆れて肩を竦めた。


「……本気でこれを渡すつもり?」

「何が駄目だ」

「自分のことは忘れてほしいとか、不出来な息子で申し訳ないとかって……本当に伝えたいことはそれでいいの?」


 まるで「そうするべきだ」という信仰に縛られた言葉は、虚飾のように褪せていた。

 きつく尋ねると、彼は困ったように言葉を詰まらせた。


「何を、言えばいいのか分からない」


 赤い瞳が怯えた魚のように泳いでいた。


「────だって、俺たちは、主君と騎士だった!」


 きっと、その戸惑いは、選ばれたものにだけ与えられる呪いと祝福に似ている。

 カデルは左の手で顔を覆い、呻くように呟いた。


「だが、確かに俺は二人を家族として愛していたし、先にいなくなって……悪いと思っている」

「そういうときは……」


 私はソファの高い背もたれに、頭を預けた。


「『ありがとう』と『ごめんなさい』でいいんじゃない?」


 しばらく、静寂だけが部屋に満ちていた。

 カデルはぽつりと言った。


「そうか。それでいいのか」

「うん。それでいいの」


 すると、彼はペンと新しい紙を自分のほうに引き寄せた。


「自分で書く。時間はかかるかもしれないが」

「ゆっくり待つわよ。もう、時間は幾らだってあるの……」


 それから彼は何度も失敗しながら、しかし決して諦めることなく、一晩をかけてたった二言を書いた。


 私は途中で眠ってしまったらしく、気がつくと朝だった。肩にはブランケットがかけられていた。

 カデルの姿は見えず、机の上に完成した手紙だけが残っていた。


***


 午後、再び姿を現したカデルは、仰々しく口を開いた。


「フローレンス。これが最後の頼みになる」

「何でも言いなさいよ」


 ここまで来たら犯罪以外のことは何でもやるつもりだ。彼には思い残すことなく死者の楽園に向かってもらわなくてはいけない。

 カデルは言った。


「机の引き出しの中にな、入れっぱなしなんだ」

「入れ……何を?」

「かまきりの卵」

「馬鹿!!!!」


 思わず胸倉に掴みかかる。当然、通り抜けてしまった。

 同じく無意味なことは分かっているが、苛立ちまぎれに右手を何度も振って、彼の頬をはたく真似だけする。


「えっ、それ一番最初に言いなさいよ! 意味分かんない! 何で!?」

「重要性は低いと思って」

「緊急性が高いわ!」


 考え得る最悪の未来が脳裏を巡り、こめかみが痛くなってきた。

 自分の眉間を摘まんでみるが、何の解決にもならない。


「私、今、初めてあなたと結婚したことを後悔しているわ。もし、あなたが生きて帰ってきていたとしても、きっと私たち、上手くやっていけなかったと思う」

「そんなにか」


 しょぼくれるカデルを突き抜け、私は真っ直ぐ彼の寝室に向かう。


「ここ三日くらい、ものすごーく、素敵なお天気だったわね。真っ先に言ってくれれば、まだ寒かったのよ……」


 部屋は静かなものだった。

 問題の机は窓際に置かれ、春の陽気に照らされていた。

 私は三度ほど手を伸ばしては引っ込め、とうとう堪らなくなって後ずさった。

 小さな机を睨みつける。


「心の準備がしたいわ。壁は抜けられるでしょ。先に覗いて」

「分かった」


 流石に悪いと思っているのか、カデルは文句も溢さずに私の言うことを聞いた。

 顔の半分が机の中に埋まっているのを見ながら、私は恐る恐る尋ねる。


「……間に合った?」

「…………」


 カデルは曖昧な顔を浮かべ何も言わなかった。


 その机は窓から放り投げた。そのまま自然に還ってもらうことにする。

 疲れに襲われた私は窓辺に手を突き、肩で息を吐いた。


「……とにかく、これであなたの言う未練は全部片づけたわ」

「ああ。そのはずだ」


 彼が現世に姿を見せるのは、死んでも死にきれない思い残しがあるからだ。

 すべてけりをつけた今となっては、化けて出る理由はなくなったはずだった。

 しかし、そう言うカデルの様子に変化はなかった。


「消えないわね」

「うむ」


 二人して思考を巡らせるが、これという解決策は浮かばない。

 こういうときは、一度問題から離れてみるのも手かもしれない。私はそう提案することにした。


「考えてみたんだけど、未練って多分、具体的なものじゃないのよ。無意識にまだ引っかかっていることがあるのかも。少し時間を置いて、思い出さないか待ってみましょう」

「同意だな」

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