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とある聖母の罪深い秘密

作者: 三明

レイヴェンブライトには聖母がいる。夫を早くに亡くして未亡人となった彼女は、あらゆる慈善事業への援助を惜しまなかった。いつも穏やかに優しく微笑む彼女が胸に秘めている、これは過去の秘密のお話。

 レイヴェンブライトの白鴉。そう呼ばれていた令嬢が、私の母だった。この世の奇跡のような美貌と、それに見合う品格を持ち合わせた夜会の花。鴉の羽が黒いことなど、五つの子供でも知っている。王族でさえも求婚をしてもおかしくないとさえ信じられていた故に、この国で王族を象徴する鴉にあえて、あり得ざる白をつけてまで呼ばれていたのだ。

 そんな母から産まれた令嬢が、母に似た美貌の持ち主であると期待されるのはある意味当然ではあったのだが。生憎私は、髪の色も、瞳の色も母にそっくりだった代わりに、垂れ目がちな瞳の形も、少し低い鼻も、何より人よりやや太りやすい体質も、どちらかと言うと父に似ていた。そのことに不満に思ったことは一度もなかったのだが、ある日事件が起きた。


 従兄弟のフェリックスとエドゥアルドに、自らの容姿を揶揄された時。私はひどく驚いていた。傷ついて涙を溢すことを期待しているような意地悪さの奥に、欲の気配を見つけてしまったのは不運だったのか幸運だったのか。あの時はその欲の名前を言語化するにはあまりにも幼く、しかしはっきりと確信していた。なるほど、この2人はどうやら私のことを手に入れたいらしい。好きな子にちょっかいをかけて、少しでも構ってもらおうとする幼さは可愛らしいと言えなくもないが、私にとってはとんだ迷惑でしかない。故に先手を切る必要性があると策を練った。駄犬には躾が必要なように。この無礼者たちに思い知らせる必要があったので。


 揶揄われた後に、眉を下げて、泣くのを我慢したまま淑女であることを保とうと笑みを浮かべる。とびきり優雅に礼をした後、顔を隠して走り去れば、間違いなくフェリックスとエドゥアルドは私が泣いていると確信しただろう。幾度も繰り返し揶揄われるたびに走り去る、を繰り返し従兄弟たちがそれぞれ別々に私に追いつくように細工する。その時涙の一つでも溢せないと困るので、ドレスの下でぎゅうと太ももを抓ったり等それこそ涙ぐましい努力で、目尻に涙を浮かばせて如何にも哀れっぽく見上げて見せた。

 ──それが罠であるとも気付かない彼らに、頭の芯から思い知らせる。自分の言葉で涙をこぼす少女よりも、自分にだけそっとはにかんで、礼を言って貰う方が、意地悪で得られるいっときの感心よりもより甘露であることを。


 それぞれ別々に吹き込んだ言葉が麻薬のように彼らを酔わせ、結果2人が取っ組み合いの喧嘩をする羽目になった時、私は流石に青ざめた。他の誰もきっとこれは私が仕組んだことだとは思いもしないだろうが、唯一母だけは気付くだろう。私が仕組んだこと、と言うよりは、私が致命的に引き際を誤ったことに。

 結局騒ぎを聞きつけたエドゥアルドの父が大きな雷を落とし、どうしてこのようなことになったのかと問い詰めても。小さな紳士2人は、いっぱしの騎士気取りか、或いはプライドのせいか私を巡って喧嘩をしたことには口を割らなかった。よくある子供の喧嘩、と片付けられ、レディの前で喧嘩などするものではないと怯えていると誤解した叔父が私を抱えて高い高いなんてもので下手くそに慰めようとしている時も、ずっとどう母に説明したものかと私は顔を曇らせていた。


「下手を打ちましたね、レイナ」


 レイヴェンブライトの白鴉と讃えられた通りの美しい完璧な笑みを浮かべて、そう静かに母は告げた。この微笑みを一番間近で見たのは父についでは私で、それでいて、より観察しているのは私だとも思う。有無を言わせない圧が嫋やかな微笑みの後ろに潜み、眉の上げ下げ一つでも人を操ることに長けた者の笑みだ。


「まあ、言われるまでもなくその顔を見れば自分でも上手くいかなかったことは理解しているようですが。ええ、母はよぉく知っていますよ。自分でもそう思った時に人からそれを指摘されるのは屈辱でしょうとも」


 手招きされて膝の上に乗れば、ぎゅうと抱き締められる。甘い花の香りと大きくなりましたね、と溢される本当に嬉しそうな声。抱きしめられて母の顔はよく見えないが、声色からしても微笑んでいるのはよくわかる。


「貴女が原因であることを悟らせるように動いているようでは、まだ甘い。そして、争いが表立って騒ぎになるようでは、まだ犬の躾は成功しているとは言えません」


 きちんと手綱を引けないのであれば、犬を持とうと考えてはいけませんよ、とそう優しく告げた後、膝から下りるように促される。名残惜しく思いつつも、思っていたよりは叱られなかったことに、より反省を強くした。次は、うまくやる。そう固く決心して。



 私の婚約者になったのはエドゥアルドだった。年々向けられる好意の熱量は増す一方で、かつて私を泣かせたことを悔いてはあらゆることでそれを償いたがっていた。償っては、私に許すと微笑まれたがる彼はよく懐いた犬のように従順だ。婚約を経て結婚するまでには、エドゥアルドが愛妻家であることは、誰もが知る事実として広まっていた。

 私に褒めてもらいたい一心で出世を繰り返し、王族の覚えもめでたく、この結婚生活はなんの陰りもないはずだった。

 

 嵐の夜。ごうごうざあざあと耳につく雨音は重い頭痛を誘う。些細な音ですら気に触るほどに痛む頭をおさえながら、私は珍しく自分の言葉を取り繕えていなかった。普段ならば言わない言葉ばかりがするりするりと零れ落ちていく。哀れなエドゥアルドは、逐一八つ当たりでしかない言葉を拾い上げては、こちらの体調を案じていた。そうなるように躾けたと言っても過言ではないくせに、その態度が気に入らず、私はさらに致命的に間違いを重ねた。そう、間違えたのだ。


「まあ、旦那様。それでは私が死ねと言えば喜んで命を捨てるとでもおっしゃるの?」


 軽い気持ちでの言葉だった。深く考えて言葉にしていたなら、そもそもここまで直球に試すようなことは口にしない。それでも大真面目にエドゥアルドはこちらをまっすぐ見て、微笑んだ。


「ああ、レイナ。それが貴女の望みならば、喜んで」


 とろりと嬉しそうに、酩酊したように、声に混じる愉悦。思わず私は自らの肌をさすった。恐怖さえ覚えるほどに、本当に命じれば死ぬつもりであるとそう思わせる程度にはその笑みには迫力があった。──頭痛は相変わらず酷く、感情を波立たせる。そう言われたことに確かに私は心のどこかで喜んでしまったことを誤魔化すように。


「……今夜は旦那様のお顔なんてみたくはありません」

「ああ、では。俺は今夜は出かけるとしよう」


それが、私と旦那様の最期の会話だった。家から出る途中の事故。嵐で倒れた木に潰されて、あっけなく。御者は軽い怪我で済んで、馬でさえ無傷で済んだというのに。旦那様だけが、もう二度と帰らぬ人となった。


 世継ぎさえ産まれていないというのに。あれだけ愛していると言っていたのに。あの後味の悪いやりとりだけを残して、死を持って私の永遠を掴み取った男に、感じたのは悔しさだったのか。


 泣きながら笑う私に従者たちは悲しみで気が触れたとかと、痛ましげな顔で、かわるがわる慰めを口にする。脳裏に浮かんだのは、母の叱責。握れていると信じていた手綱はぷつりと切れて、私はおそらく愛していたであろう犬を、失った。そのくせ、きっちりと最期まで私の願いを叶えて去った、あの男は、きっと死んでもなおあのとびきり幸せそうな顔で、私に褒めて欲しいと強請るのだろう。まったく、本当に、本当に


「……もう。どうしようもなく、お可愛らしい方」

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