40. ノアだけが知る性別
「気を付けて······疲れたら直ぐに休むんだぞ?いや、疲れる前に休息をこまめに「分かっております。御子が危険になるような事はしませんので」
心配そうに見送るノアと、それを苦笑いしながらあしらうフィリス。
彼女の身体を支えながらゆっくりと歩き、城下町についたライラは口を開いた。
「奥様、今日はどこに行かれるのですか?」
「必要になる衣服などが欲しいのよ。そんなに遠くには行かないから大丈夫よ」
「ですが······御子の衣服であれば······公爵家でももう準備が進められておりますよ?それにまだ性別が分かりませんし······」
「いえ、子供のではないわ。私の、よ?」
ニコニコと笑いながら少し庶民向けの衣服店に入っていくフィリスを見ながら、ライラは首を傾げる。
そして彼女の後を追いかけた。
◆
「お、奥様?何故、こんなに購入するかお伺いしても?」
フィリスの購入した大量の手提げを持ったライラは、ベンチに腰かけて休憩をする彼女を見た。
「?そうね······貴女は、私と旦那様が契約結婚であることを知っているのよね?今朝のボルマン医師の感じだと、本当にもうすぐ契約が終わるのだと思うわ?」
「······契約結婚であったという事は存じ上げておりますが······それはもう既に無くなっているのでは······?」
「なくなる?契約が無くなったりはしないわ?私が子を産めば契約が達成するの。そうしたら、私は自由の身!まあ、離縁になる、とも言うわね······」
「······なるほど······」
ライラは自嘲気味に笑うフィリスを見た。
楽しみという表情をしてはいるが、悲しみという負の感情が瞳に宿っている。
フィリス自身もよく分かっていないだろうが、二人は互いに想い合っていながらもすれ違っているのだ。このままでは会話不足のまま、せっかく通じ合った二人の気持ちが離れてしまうのでは······とライラは心配する。
「公爵家の皆にはとてもお世話になっていたし、私も寂しくなるわ」
そう、最近フィリスは公爵家の使用人たちととても良好な関係を築いていた。
実際、今では公爵家にいる誰もがフィリスが公爵夫人としてずっと邸にいると思っている。
ノアだってその為に護衛やメイドを雇い入れようと考えているわけで······。
「奥様は······ノア様の事がお嫌いですか······?公爵夫人になるのが嫌······なのですか?」
「······いえ、嫌いとかそういうわけではないわ。ただ、私はそういう対象ではないのよ。さっきから言っている通り、ただの契約なの。だから、後は、やはり貴女にお願いするわ」
ライラはフィリスの美しい横顔に釘付けになった。
夕焼けのような優しい赤茶色の髪の毛に、燃えるような赤い瞳。
最近一緒にいる事になって分かった彼女の良い所は沢山ある。とても明るく、使用人が行うような雑用も自ら進んで行ったりするほど。花や野菜の知識に富んでいて庭師と共に菜園を作ったりしているし。
何より、貴族令嬢だったとは思えない程に偏見がない。周りを蔑んだりせずに、皆平等に扱ってくれる彼女に公爵家の使用人たちはフィリスをとても慕っていた。
きっと、これが母の言っていた『仕えたいと思った方に仕えなさい』という事。
けれど、ふふっと笑った彼女の顔は儚げで、すぐに散ってなくなってしまいそうで、ライラは声を振り絞る。
「奥様、私は奥様に公爵夫人となってノア様と公爵家を支えて頂きたいのですが······」
ライラ含め使用人たちは何故ノアが彼女に惹かれ、彼女を妻にと望んだのか分かった気がしていた。
そんな公爵夫人に仕えられるのはライラにとっては夢だったのだから。もしフィリスがノアを受け入れ、公爵夫人として邸に留まってくれるなら、前公爵夫人をずっと支えてきた実の母の様に、自分も彼女を支えたいとそう思った。
「ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいのだけれど、貴女と彼の今後を考えれば、私の契約は終わらせた方が良いと思うわ」
「奥様。奥様は勘違いしていらっしゃると思います。私は公爵家で育ち、この家に仕えてきたメイドです。今の公爵家で、ノア様は私の仕えるべき主人である、それ以上にはなりえません。
それにノア様は、もう奥様を離さないと思います」
確かにライラはノアには特別な想いを持っていた。でも、それは”恋”ではない。”恋”なんかであってはいけない。だからライラはこの想いに名前を付けた。
それは”憧れ”。
ノアはフィリスの仕えるべき主人であり、幼馴染で、何でもできる”憧れ”の人なのだ。
フィリスからの答えはなかったが、ライラはフィリスへの想いを直接伝えるようにとノアに進言しようと心に決めた。
幼馴染である自分だけが、公爵家当主であるノアルファスに忠告をしてこの二人の拗れた恋を治すことができるのだから。
◆
公爵邸へ帰った後、ノアに今日の出来事を共有しようとしたライラは、執務室前の廊下で話をしているボルマン医師とノアルファスを見て咄嗟に身を隠した。
そして聞こえた内容に衝撃を受ける。
「そうだ、ボルマン医師。性別は分かったのか?」
「はい。倅が先日ギプロスで購入した魔道具と、レオン様特製の”魔力がなくても魔道具に魔力を通せる機械”を使って一応確認は致しました」
ボルマン医師が丸い機械を手にしていて、ライラは息を呑んだ。
『出産前に性別が分かる機械があるなんて······いや、レオン様程の奇才なら有り得る話だけれど』と驚きつつも、その興味は早速、性別に移りライラは耳を澄ませる。
「そうか、それでどうだった?」
「ですが、公爵様。その魔道具が正しく作用しているかは定かではありません。レオン様にも一応確認を取った方がいいかと思います······」
「そうだな。レオンが帰ってきたら聞いてみよう。だが、今のお前の見解だとどうだったんだ?」
ギロりとノアに視線を向けられ、ボルマン医師は表情を硬くする。
「ええと······奥様には······お伝えしなくていいのですか?」
「今は俺だけが知っていればいい事だ。フィリスにも、誰にも言う必要はない」
『えぇええ······何故!?』と、ライラは緊迫した様子の二人を盗み見た。
もしかしたら、サプライズにしたいのかもしれないけれど······隠す必要なんてない筈なのに。
そこまで考えたライラは一つの答えにたどり着いた。
性別が男であれば、跡継ぎができた事でフィリスは本格的に離縁を決意してしまう。
けれど、もし女ならどうだろうか?
『女児では跡継ぎにはならないから、契約は達成されてはいない!』等と契約延長を言い出したり······する。ノアルファスなら······やりかねない······というか、絶対やるだろう。
「こ、公爵様······レオン様への確認は······?」
「いいから」
「ですが······間違っている可能性もありますよ······?」
「それでも良いと言ったろう。諄いぞ、早く教えろ」
「それは······私がみる限りでは······でした······」
「······っふ、そう、かっ······」
ライラにはその性別だけが聞こえなかった。だが、自分だけ性別を聞いて、ニンマリと笑みを浮かべたノアの顔が、とても嬉しそうで、ライラは目を見張る。
跡継ぎができたという意味で男児だったから喜んでいた······?それとも······逆かしら?
ライラはボルマン医師が立ち去るのを待って、直ぐに執務室に入っていったノアを追いかけた。
早く、奥様が契約を終えて公爵家を出る準備を裏で着々と進めていると報告しなければ。
ノアが妻を急に失い、”時すでに遅し”などという事態になる前に。
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あと数話ですが、お付き合い下さいませ。明日からはラストスパートに向かって時間が飛びます!よろしくお願い致します。




