隣人(2019q)
お隣、韓国との関係が悪化するニュースが流れます。まあ、隣国との関係が悪いのはココだけの話ではありません。世界の各地で見受けられます。国家間ばかりか、近隣住民とのトラブルも珍しいことではありませんね。身近な存在だからこそ良好な関係を維持するのは難しい、ということになるのでしょうか。近隣トラブルの元凶となる人物や、それを上手く仲裁できない人、遠目に見ている人などには隣国との関係改善は出来ないでしょうね。却って拗らせたりします。これを解決できる人とは、どんな人物なのでしょう?
そんなことを考えながら書いたお話です。
ラストがどっち付かずになったのは、こうした問題を話し合いで解決するのは困難で、結局は腕力を使うことになるのでは、という懸念があったからかもしれません……
●登場人物
■ラルサー(50代)ISA:国際宇宙進出機構 火星進出事業局 局長
◇サリ(20代)学生。火星探査反対派の集会に参加
□ダムル(20代)サリの幼なじみ。ISA就職希望者
□ヴグロン(40代)科学雑誌の記者。
プロローグ
「教授、すみません。ちょっと見て欲しいのですが……」
学生の一人が躊躇しながら言う。
光学・電波望遠鏡を用いた観測はマイナーな科目だ。大部分の研究観測は既に終わり、目新しいものはない。野心的に観測を続けている人もいるが、予算の確保に頭を痛めているのが実状だ。地球からの悪影響を遮断するために月の裏側に設置された観測機器も主立った目的を終え、設備の維持を細々と続けている状況だった。機能検査を兼ね、二年二ヵ月の会合周期で地球に接近する火星表面の定期観測を行っていたが、型通りの作業になっている。その定期観測で得られた最新データは世界の研究機関や企業、大学に提供して僅かではあるが運用資金の足しにしていた。
「火星の表面に奇妙なモノがあるのですが……」
「奇妙なモノ?」
教授室の大きな机から学生を見上げた。
「ええ、人工物だと思います」
彼は不安げな顔をする。
「人工物?」
教授は眉を顰めた。半世紀前の悲惨な失敗後、火星有人探査は実施されていない。火星に人工物を送り込む計画も影を潜めている。新たな人工物などあるはずはない。
「かなり大きなモノなんです」
「大きい……」
教授は口にこそしなかったが、その眼差しには疑念が表れていた。データ処理の過程で、何かとんでもない間違いをしたのだろうか。ただ、彼は優秀な学生だ。初歩的なミスをするとは思えない。他の学生がマリネリス峡谷やオリンポス山などの火星特有の荒々しい地形を選ぶのに対し、彼はがらんとした平原を選び、手間が掛かるデータ処理をコツコツと地道に取り組んでいた。
「見せてくれないか」
教授は壁際に置かれたコンピューターを指さす。学生は一つ頷き、コンピューターの前に座ると学内のネットワークを介して彼が作成した画像を呼び出す。教授は学生の背後で目を細めた。広大な平原に幾何学的な模様が見える。何をどう間違うと、こうなるのか?
「これが人工物……なのか」
「数種の観測データが、ここに何かあると示しています。これはそうしたデータを集約処理した映像です」
「大きさは?」と尋ねる。
「一番幅の広いところで三〇〇メートルほどあります」
「三〇〇メートル……」
教授は低く唸り、顔を歪めた。観測データに何かの不具合があるのなら、それを報告する義務がある。厄介だ。
「ここの座標を教えてくれないかな。私も生データを見てみよう。少し待ってくれないか、話しはそれからだ」
それに学生は無言で頷く。面倒を掛けることになったと恐縮していた。
一
広いスタジオの中に大きな円形テーブルが設置されている。ラルサーは名札が置かれた席に座り、一息ついた。
世の中に散在する問題を一つ取り上げ、有識者による討論を行うこの番組は世界各地に配信されている。ラルサーも何度か観たことはあったが、その番組に自分が出ることになるとは思ってもいなかった。緊張、というより戸惑っている。
全ての席に出演者が座った。年配の司会者が口火を切る。
「今日、取り上げるテーマは、火星です。視聴者の皆様も、昨今の火星の状況、将来の展望について話しをすることがあるでしょう。ただ、このテーマについては憶測が多い。事実が少ないのが実状です。従いまして、まずは事の経緯を明確にしたいと思います。こちらでまとめた資料映像をご覧ください」
スタジオの各所に設置されたビューアーに、それが映し出された。ナレーターが解説する。
『火星表面に人工物が発見されたのは一〇年前です。分析が行われ、何らかの建造物であるという見方が支持されました。その後、観測が続けられましたが、その建造物は確実に大きく広がっています。最新のデータでは、一番広い場所で一キロメートルを越しています』
そのナレーションに沿った映像が流れる。この場にいる人たちにとっては馴染みの映像だ。目新しいものはない。
『これが地球製の建造物でないことは明らかです。そうした行為には大量の物資を火星へ送り込まなくてはなりませんが、そのような動きは一切ありませんでした。あれは地球人が造った物ではありません。私たちは、そのための技術や経済力を持ち合わせていません……。では、どこの誰が何の目的で火星にあのような大きな建造物を造ったのでしょうか?』
その問い掛けに対する答えは用意されていない。映像とナレーションは、あっさりと次のシーンへ切り替わった。
『様々な国際機関において、火星の状況についてどう対処するかを協議しましたが、いずれも動静を見守るという結論になります。それは実質的な対応手段がない、ということの裏返しでしょう。ただ、自重を求めていましたが、火星に向けてメッセージを送る団体が現れます。それは友好的なメッセージでしたが、火星からの応答は確認されていません。理解できなかったのか、関心がないのか、無視したのか……』
『私たちは火星に対し、どのような対応をとればよいのでしょうか。どのような手段があるのでしょうか』
その言葉を残し、資料映像は終了した。司会者が口を開く。
「憶測になってしまうでしょうが、どこの誰、という点について避けて通ることはできないでしょう。あれを造ったのは誰でしょうか」
その司会者の問い掛けに即座に答える者はいなかった。目を背けたり、顔を歪めたり、苦笑いを浮かべる者もいた。
「どう思います? 火星人ですか」
司会者の視線が一人の男性に向いていた。仕方なく話し始める。
「過去はともかく、現在の火星に土着生物がいないのは確かでしょう。何の目的かはわかりませんが、巨大な建物を造るような知性生物がいるとは思えませんね。まあ、太古に火星を打ち捨てた知性種が戻ってきた可能性があるかもしれませんが、個人的には非常に小さいと思います」
「火星人ではない……。そうなると異星人ですか」
「そう考えるのが妥当でしょう。その場合、少なくとも光年単位の距離がある星から来た、と考えるべきでしょうね。光を超える速度で移動する科学を獲得しているかもしれません。そうなると私たちとの科学力の差は歴然としています。太刀打ちできないでしょう」
「だとすると、木の上で果実を囓るサルと変わりない」
とパネリストの一人が言う。
「ええ、そう思います。地球から発したメッセージに答えようとしないのも当然のことでしょう。サルの遠吠えと同じです」
「サル、ですか……」
と年配の司会者が苦笑いをする。真顔に戻した。
「火星にできた建造物を便宜的に‘街’と呼びたいと思います。造った者の正体はわかりませんが、何者かがあの街で暮らしているのでしょう……。その目的は不明。巷には様々な憶測が飛び交っています。その憶測を一つひとつ拾い上げ、検証することに大した意味はないでしょう。しかし、だからといって、そうした憶測を無視するわけにもいきません。こういう場合、人は悪い事態を考えるものですが、気になるのは異星人の侵略説ですね」
それにパネリストの一人が応じた。
「地球侵略の前線基地だという説、ですか」
「ええ、我々の科学力では火星に手が届かない。それを承知し、火星に巨大な基地を造る。時間を掛けて……。準備が整ったら、地球に攻め込む……」
「何の目的で地球に攻め込むのか。そこに大きな疑問がありますね。そんな手間を掛け、この星を侵略して何の意味があるのか」
そう発言したパネリストは、さっぱりわからないというジェスチャーをする。それを見て別の男が発言した。
「人類が認知していない価値が、この星にあるのかもしれない。それを手に入れようとしている。手間を惜しむことなく、慎重に……」
「邪魔な人類を抹殺して?」
「侵略に対して地球人は何らかの抵抗をするでしょう。そうなると容赦なく排除するかもしれませんね。人類はこれまでに、自身の生活を豊かにするために数多くの生き物を殺してきた。絶滅に追い込んだ。今度は立場が違う。謎の生命体が彼らの暮らしを豊かにするために邪魔な下等生物である人類を駆除する。皮肉、ですね」
「そんなことがあるのでしょうか。根拠のない憶測です」
パネリストが一斉に意見を言い始める。司会者が片手をあげて場を制した。
「根拠のない憶測ですが、その可能性を考えると背筋が寒くなりますね」
「まずは、相手の正体、目的を明らかにすべきでしょう」
そう発言したパネリストに司会者は頷く。
「ISA(国際宇宙進出機構)から来られた火星進出事業局の局長さんは、まだ発言がないようですが、正体や目的を探ることについてどのように対処しますか。探査機を火星に送る計画があるようですが……」
パネリスト全員の視線がラルサーに集まった。反射的に身じろぎし、咳払いをしてから言葉を発した。
「ISAも……、確証ある情報を得る必要があると考えます。ええ、火星探査機の打ち上げ計画が現在進行中です」
「無人探査機、ですか」
「ええ、最初は無人機になります」
「有人探査も計画している?」
「いずれは、そうなるでしょう。ただ、人を火星に送ることには慎重になります」
「半世紀前の失敗を引き摺っているからですか」
「それも、あります……」
人類は火星に到達した。
ただ、火星有人探査が苛酷なミッションであることは否めない。犠牲が伴う。それでも最初の有人探査は幸運に恵まれていたのだろう。一名が何とか生還した。
新たな対策を施し、万全を期して出発した二次遠征は、火星に到着する前に四名全員が命を落とすことになった。些細なミスが致命的な故障を引き起こした。その結果、火星進出は世論の厳しい意見を浴びることになる。
人類は火星に到達した。既に目的は達成している。大金を投じ、危険をはらんだ火星ミッションを続けることにどれ程の意味があるのか?
以来半世紀、火星有人探査は封印され、人類は地球の周囲と月を主体に宇宙進出を行ってきた。
「あれから半世紀の時が流れています。宇宙船の設計、製造技術も格段に進歩しています。安全性は比べものになりません」
「いえ、二次遠征隊の失敗は宇宙船の問題ではないでしょう。搭乗する人間の問題です。閉鎖された狭い空間に何ヶ月も閉じ込められていると、人は誰もが小さなミスを起こしてしまう。間違ったことを正しいと思い込んでしまう。人には遠すぎるんですよ、火星は……」
「長期睡眠の採用を検討しています」
「大丈夫なんですか。あれは、まだ研究段階でしょう。船が火星に到着しても目を覚まさない、その懸念が拭いきれません」
ラルサーは顔を顰めた。その通りだ。沈黙するISAの局長を見てパネリストがざわついた。司会者が口を開く。
「ちょっと待ってください。今、この場では火星有人探査の議論は早すぎます。無人機の話に戻しましょう。出発予定はいつですか」
と言い、ラルサーに視線を投げた。
「まだ設計段階です。火星との会合周期で、早くて三周期後の出発になるでしょう」
またしても、ざわつく。
「遅いですね。そんなに待たないといけないのですか」
「現時点で、加盟各国の了承が得られていません。中には火星に出向くことに、非常に慎重な国もあります」
「及び腰だな。進んだ文明との接触を怖れているんだ」
「その気持ちは理解できますね。安易にちょっかいを出したら大きな実害を被ることになってしまう。そんな心配は尽きない」
「確かに。しかし、遠くから見ているだけでは何もわからない。どこかで近付く必要がある。その意味で、最初の接触として無人機を送ることは妥当なのでしょう。人が乗り込んで行くより……」
「向こうも無人機の接近に気付くでしょうね。危険はなく、友好的であることを示したいですね」
「何か、気持ちが和むような音楽を無線で流せばいい」
「どうでしょうね。人類にとって心地良い音楽であっても、彼らには耳障りな不快な音なのかもしれません」
「向こうから接触してこないことが問題ですよ。引っ越ししてきたら、隣近所に挨拶するのが礼儀でしょう」
「礼儀、ですか。でも都会に住む若者などは、隣の部屋の住人の顔すら知らないという状況ですよ。礼儀だ、常識だと、こちらの習慣を振りかざすのはトラブルの元でしょうね」
「私たちの日常でも、隣人との関係が悪くなることは珍しくない。むしろ、近隣だからこそトラブルの種が散らばっている。国家間でも、隣接した国との関係が悪化し、争いになることも少なくない。やはり、正体のわからない異星人との接触は慎重になるべきです」
「慎重になりすぎて何もしない、というのも問題です。最初の試みとして無人機を送ることは妥当でしょうね。ただ、挑発行為に勘違いされることがないように受動的な観測にとどめ、電波や観測用のレーダー波などは使わないようにすべきでしょうね」
「でもそれでは、月面から観測するのと変わりないように思えます。わざわざ無人機を送ることはないでしょう」
「いえ、火星周回軌道の近距離からなら建造物の細部まで観測できます。何か新しい発見があるはずです。それに継続的な観測を続けることができ、何らかの動きが掴めるかもしれません……」
ラルサーは発言を控え、討論の内容に耳を傾けていた。多少の混乱があるものの、これが一般的、常識的な意見になるのだろう。ラルサーは溜め息混じりの大きな息をした。
火星に出現した広大な人工物。何者が何のために造ったのか?
遠く離れた地球からそれを見詰め、気を揉む。真相を明らかにしたい、しかし迂闊に手を出すと大火傷をするかもしれない……
ラルサーは国際宇宙進出機構火星進出事業局の局長として火星探査計画に対する加盟各国の承認を取り付けなくてはならない。知性異星人との接触が推測される状況で、地球人類の代表としての行動が求められる。厄介だ。現状は、残念ながら一枚岩とはいえず、紛糾が予測されている。それをどう切り抜けて計画の承認を得るか、頭の痛い問題だった。
二
駅ビルにある喫茶店は広い造りでゆったりできた。利用客も多い。そこに二〇代前半の一組の男女が向かい合って座り、楽しそうに話しを続けている。
恋人ではない。二人は幼なじみだ。故郷から遠く離れたこの地で、同郷の顔見知りがいることは何かと心強い。時々会ってお茶を飲みながらあれこれ話し、気を紛らわすことにしていた。
近況を伝えるたわいない話を終え、サリは真顔になった。
「この間、集会に参加したわ」
「集会?」
ダムルは目を細め、コーヒーを一口啜った。
「火星調査反対派の集会よ。友だちに誘われたの」
サリの言い訳じみた言葉に、ダムルは眉間の皺を深くする。
「どうだった?」と尋ねた。
「異様な雰囲気ね。奇妙な熱気があったわ。ああいった集会やデモに行ったことはなかったのよ。初めてだったの」
「熱気、か……。中には暴徒化する連中もいるからな」
「そうね。それが怖いわ」
「それで、火星調査には反対なのか」
「別に反対でも賛成でもないわ。正直、関心を持っていなかったの。だって憶測ばかりで話の信憑性が低いでしょ。友だちとの付き合いで仕方なく行ったのよ」
「仕方なく、か……」
ダムルは不満げな顔をした。彼がISA(国際宇宙進出機構)への就職を希望していることはサリも知っていた。だからこそ、この件を隠し立てすることを嫌った。
「次に集会があったら、行くのか?」
そう聞かれ、サリは微笑む。
「どうやって断るか、知恵を絞らないといけないわね」
「そのほうがいい。付き合いで行っている間に、のめり込んでしまうかもしれないからね。過激派なんぞに与したら大ごとだ」
「そんなことしないわよ。だいたい、火星調査にあれほど反対する気持ちが理解できないの。なぜかわかる?」
「その点については、同じだよ。理解できない。もしかすると、火星に対して大した興味はなく、日常生活で鬱積した気持ちをぶつける場を求めているのかもしれないね。大声で叫び、大人数で街を練り歩くことでスッキリするんだろう。どうだった?」
「私? 付き合いで行ったのよ。いつまでこんなことを続けるのだろう、早く帰りたいと思ってたわ」
「懲りたわけだ」
「そうね、懲りたわ……」と顔を顰める。
「いろんな人がいて、いろんなことを言うの。そもそも火星って私たちのものなの? 勝手に妙な建物を造るな! と叫んでいる人がいたわ」
ダムルが笑う。
「半世紀前に人類が火星に足跡を残したのは事実だからね。自分たちのほうが先にツバを付けた、と言う人がいる。でもそれで、星全体の所有権があると主張するのは無理があるね。横暴だ」
「じゃあ、どこかの星の誰かが火星に住み着いても、私たちは何も言えないの?」
「ダメだ、という理由がないな……」
「理由がない……」サリがその言葉を真似るように言った。
「何かの取り決めがあるわけじゃないからね。それに地球の人たちだって同じようなものだ」
「同じ? 何が?」
「火星に移住しようという計画は昔からあるからね。生き物がいないのだから行って住み着いても構わない……。そう考えている」
「それって本気なの? 冗談だと思ってるわ」
「冗談?」
「だって砂と岩しかないのでしょ。空気もないわ。そんなところに住みたいだなんて冗談としか思えないわ」
「火星に空気はあるよ。薄いけどね」
「呼吸は無理でしょ。だったら月と同じよ。月に移住しようという話もあるようだけど、実現していない。行ってみたい、という気持ちはわからないことはないけど、住むのは別ね。イヤだわ」
ダムルは顰めっ面で頷いた。月に定住しろ、と言われたら難色を示すだろう。その時、こんな顔をするはずだ。
「……本当に火星に住みたいのかしら?」
思案顔をしたサリが言う。
「地球のほうが快適だと思うわ。住みやすいでしょ」
「彼らにとって地球環境が快適とは限らない」
「でも、ちゃんと空気があるし、水や草木、動物もいるわ」
「密閉した施設内で暮らすことになるから、どこであっても同じだよ」
「空気があるのに?」
「彼らの呼吸……、彼らが呼吸するとして、適した成分であるかは疑問だね。別な星の環境が地球と全く同じになることはないはずだ。どこかが違い、そんなのを吸い込むことが身体にいいとはいえないね。大変なことになるかも……。それに、この星に土着した細菌やウイルスがウヨウヨと浮遊している。呼吸以前に肌を露出しただけで酷いことになるかもしれない。外に出るときは気密服を着用しないといけないね」
その話を聞き、サリはぎこちなく頷く。
「それだと、どこも同じね。地球に固執する必要はないわ……」
「なぜ、火星に街を造ったのか? 結局はソコへ行き着く」
「そうね……。ねえ、火星に無人機を送ることって、どれくらい危険なことなの?」
「どれくらい……。どうだろう。一つは、向こうの正体がわからないことを怖れているんだろう。変にちょっかいを出して怒鳴り込まれたら厄介だ。そんなことを気にしているんじゃないかな」
「火星から怒鳴り込んでくるの?」
「そんなこと、わからないよ。わからないから不安になってしまい、火星調査をやめようと声をあげる……。そういう心境なんだろうな」
「火星のあの街を造ったのは遠くの星から来た異星人なんでしょ」
「そう考える人が多いね。真相はわからないけど……」
「あの街って、地球に攻め込むための前線基地だという人がいたわ。侵略ね。集会でもソレを大声で叫んでいる人がいた。心配性なのね」
「そうだね。でも、最悪の事態を考えることは大切だと思う。火星からの侵略を想定して各国は軍事的な協力を締結している。もしもの時は人類が一つになって侵略者に立ち向かうことになる」
「人類が一つになるなんて、可能なのかしら。ずっと揉めてきたのに……」
「異星人の侵略なら、一つになれるだろう」
「そうかしら。異星人を撃退した後、また内輪揉めするのね」
「そうなるのかな。できれば、そこで一歩、進化して欲しいね。それができれば、このドタバタにも意味が出てくる」
「誰かが、密かに地球へ来ているといってたわ」
「その手の話は溢れているね。空に何か光るものを見たら、すぐに火星からの襲来だと騒ぐ」
「じゃあ、まだ来ていないの?」
「そんなこと、わからないよ。わからないから騒ぎ立てるんだ。そうだろ」
サリはふ~んと頷きながらミルクティーを口にした。話をかえる。
「無人機の次は有人調査になるの?」
「無人機の調査結果によるだろうが、いずれは人が行くことになると思う。半世紀ぶりの火星進出だ」
「半世紀ぶり……。あなたも火星に行きたいのね」
ダムルはビクリと顎を引き、目を丸くした。
「どうだろう……」と自問する。
「一番の懸念は、距離と時間だな。九ヶ月間も狭い宇宙船の中に閉じこもっていないと火星には行けない。これは苦痛だね。我慢できるとは思えない。月面までの距離が一つの限界だよ。火星行きは遠慮するね」
「あら、残念ね」
「簡単なことじゃないよ。孤立に耐える訓練や試験があるけど、それは地上や周回軌道など地球の存在を感じることができる場所でやる。でも、実際に火星を目指すと日々故郷の星が遠ざかっていく……。寂しさ、不安、孤独、虚無……。そんなネガティブな気持ちが次々と忍び寄ってくる。どこかで割り切ることができないと精神的なダメージが酷くなる……」
「半世紀前の火星探査の失敗は、それが原因なの?」
それにダムルが頷く。
「些細なことから地球管制に不信感を抱く。そっちは現場の状況を知らない、ってね。そこから小さな過ちを犯し、それが大きな問題を引き起こしてしまう……。結果、全員が死ぬような事故になる」
「それが、現場を知らない人たちの公式見解なの?」
サリの指摘にダムルは顔を歪めた。
「そうなるね……」と視線を外す。
「それじゃ、月で働くことを望んでいるの?」
「ああ、可能ならね」
「可能?」
「ISAに就職できたとしても、宇宙に出られるとは限らない。大半の人は地上勤務になる。宇宙が身近になり月面で働く人たちの映像を見ることも珍しくないけど、宇宙に出ている人の数は、せいぜい五〇人だ。それが実状だよ」
「そうなの。もっと多いと思ってた。なぜ?」
「宇宙に出て月面に行っても、長期的、大々的に取り組むことが見いだせない……。ということじゃないかな。わざわざ宇宙に出て何をするのか? だよ」
「移住は? 地球の人口は増え続けているわ。このままだと溢れてしまう」
「地球以外で居住に適した場所なんてないからね。気密した施設を造り、その閉ざされた場所で暮らすしかない。休日に海や山で寛ぐことなんてできないしね。結局、暮らすなら地球が一番なんだよ。当然だけどね。それに人口増加への対処は別にあると思うな。増えたからといって宇宙に移住するというのは安易な発想だよ。お金も掛かる。この星で暮らしていくのに適切な人の数というのを真剣に考える必要があるね。その時期にきているんじゃないかな」
そのダムルの話に、サリは眉を顰めた。反対、賛成、ではなく、厄介な事柄だと思う。話が大きすぎる。
「でも、宇宙に出るのが夢なんでしょ」
「そうだよ。住む気はないけど、一度は出てみたいね。月に行ってみたい。そう思わない?」
「思わないわ。さっき、あなたが言っていたでしょ。月にあるのは砂と岩だけ。空気すらないのよ。行ってもやることがないわ。退屈よ、楽しくない……。やっぱり、行くなら南海のリゾートね」と微笑む。
それを聞き、ダムルは肩を落とし小さな溜め息をついた。
「火星に行く意味は? どうしてみんな、こんなに騒ぐの?」
ダムルは顔を顰めつつ口を開いた。しかし、言葉を発する前に呆れ顔のサリが話す。
「わかってるわ。不安なんでしょ。私たちよりずっと進んだ文明を持つ異星人が地球を乗っ取るんじゃないかと心配している。それって、どの程度、心配なの?」
「どうだろう……。深刻に受け取っている人もいるみたいだね」
「取り越し苦労、でしょ」
「そうかもしれないけど……。そうしたことを明らかにしようと無人調査機を火星に送ろうとしている」
「その調査が、相手の機嫌を損ねるかもしれない。それも心配なんでしょ?」
「そうだね。そんなこと言い出すと切りが無いよ」
「焦れったいわね。やっぱり、誰かが行って白黒はっきりさせるのが一番ね。あなた、行ってよ」
サリの投げ遣りな言葉に、ダムルは苦笑いをする。
二人には、それぞれ姉がいた。その姉が幼稚舎に通う頃、親が仲良くなり、家族ぐるみの付き合いをするようになった。サリより一つ年下のダムルは口うるさい姉が三人に増えたような気分になり反発する時期もあったが、快活で面倒見のよいサリには何かと世話になってきた。実の姉より頼りになると思っている。
「弟のようなあなたが火星に行けば、私も、自慢話ができるでしょ」
そう言い、サリは微笑んだ。
三
ISA(国際宇宙進出機構)火星進出事業局の局長室はこぢんまりとした造りだったが、整理整頓され掃除も行き届いていた。ラルサー局長の几帳面な性格が表れている。科学雑誌の記者であるヴグロンが取材の冒頭でその点を指摘すると、彼は、この部屋にいることが少ないからですよ、と笑った。
局長が十分な時間を割き科学雑誌の単独取材に応じることなど、ないはずだ。
それが、上手い具合に対応してもらえたのは、無人火星調査機の打ち上げが急遽中止になり、最終段階のスケジュールが全てキャンセルになったからだろう。ぽっかりと空き時間ができたからだ。取材に応じてもらえたことは喜ばしいことだが、火星調査機の打ち上げ準備が順調に進んでいただけに、残念に思う。
公式発表では、大型機材を緊急に宇宙へ運ばなくてはならなくなり、火星調査機を打ち上げる予定だったロケットを使用することになった、というのが打ち上げ中止の理由だ。緊急事態への対応は事前の了承事項に組み込まれているため、従うしかない。ただ、どういった機材がどこの宇宙施設で必要なのか。その緊急性はどの程度なのか、などの詳細情報は公表されていなかった。
些か疑念が湧く。
政治的な駆け引きがあったのではないか。それがマスコミの総意になっていた。
ISAは数多くの国の協力によって運営されている。今以て、火星への調査に慎重になり無人機を送ることに反対するグループがあるのは確かだ。ISAは数多くの宇宙進出事業を抱えており、一部に折り合いがつかないものもある。より重要な計画に難色を示す勢力の協力を得るために懸念がある火星調査を延期することで手を打ったのではないか? 大型機材の緊急打ち上げは、単なるカモフラージュではないのか……
火星調査機打ち上げ中止を受けたラルサー局長の記者会見では、その点を繰り返し問い質したが納得のいく答えを得られなかった。ヴグロンもそこを明らかにしたいと思うが、事前に送った質問項目のリストからそれらが削除され送り返されていた。
残念ではあるが、単独取材の機会を手放すわけにはいかない。今後の取材の足掛かりにしたいという思惑もあった。取材は、無難な質問に終始していた。
「無人調査機は既に完成してますからね。スッポリ収まる容器に入れ、空気を抜いて真空状態にし、二年ほど保管することになります」
「真空保存、ですか……」
「ええ」とラルサーは小さく頷く。
「新たな機能を組み込む予定はありませんか」
「ないですね。完成後に新しい機材を組み込むことは非常に厄介ですからね。簡単ではありません」
その答えに、今度はヴグロンが頷いた。
「この次の会合のタイミングで打ち上げるわけですね?」
「その予定です」
「……」
直前で延期という事態は、ISAとしても繰り返したくはないだろう。この二年の間に根回しを進めることになるはずだ。
「……次は、予定通り打ち上がり火星に向かうことを期待します」
「ええ、そうですね。私もそれを願います……」
そう言い、ラルサーは思案顔を見せた。
一度ケチが付いた調査機が無事に火星へ到着し、価値ある成果をもたらすことになるのだろうか? ヴグロンは眉間に深く刻まれる皺を意識して伸ばす。思考を切り替えたその時、根本となる素朴な疑問が口を吐いた。
「あれは、一体、何でしょうか?」
「あれ?」ラルサーは予想がついたが、あえて尋ねた。
「火星表面の建造物ですよ。敷地の広がりは止まったみたいですね」
「そうですね。でも、ちょっとした街ぐらいの面積があります」
「一〇〇万人規模ですか」
「面積だけで地球の都市と比較するなら、そう考えることもできますね」
「そんな大きな施設を造って、平和的に定住するつもりなのか。それとも、本丸へ攻め込むための拠点なのか……」
ラルサーは、その推測に顔を顰めた。口を固く閉じる。
「大抵の人は、こういう場合、悪いことを考えるようですね……」とヴグロンが言う。
「良い方には考えない。もっとも、火星は住む場所としては殺風景すぎると思いますから、仕方ないのでしょう」
「殺風景、ですか……。科学雑誌の記者さんなら、いろいろな話を耳にするのでしょうね。ちなみに、一番好ましいのは、どういう話ですか」
ラルサーが微笑みながらそう言うと、ヴグロンは直ぐさま頷いた。
「個人的に、お気に入りなのは、お節介な異星人の話ですね」
「お節介?」
ヴグロンはテーブルの上のぬるくなったコーヒーを一口飲んでから話しを始める。
「人類はアポロ月面着陸の後、半世紀以上月面に新たな足跡を残すことができませんでした。ですから、火星遠征の大失敗の後、一世紀は火星に出向くことはできないだろうという悲観的な考えがあります。一つ確かなのは、地球に住む多くの人たちの関心は、火星や月ではなく、日々の暮らしのことでしょうね。どうすれば豊かに暮らすことができるのか……」
「まあ、それは大切な問題でしょう」
「そうですね。豊かさを求めるあまり宇宙へ出る機会を潰している。この星の上で資源を食い潰し、環境を破壊し、数多くの生物を絶滅に追いやる。やがて人類も住めなくなるときが訪れる。その時になり慌てて宇宙へ出ることができるのか? 宇宙に出て暮らすには長い時間を掛けて準備をしなくてはなりません。今の私たちは、それができていません。そうしたことはISAで働いていると直面する問題ではないですか。月に行って何をする? そんなことより景気を良くしてくれ、税金を安くしてくれ、暮らしを豊かにしてくれ……」
そう言うヴグロンは大げさな困り顔をする。それを見てラルサーはニヤニヤと笑った。
「なるほど、そこでお節介な異星人の登場ですね。火星の建物は地球人類が存続するための移住施設、ですか」
「大規模な保護施設でしょうね。彼らは、地球人類にとって危うい時代が間近に迫っている、と感じているのかもしれません。当の本人は、それに気付くことなく、目を背け、一時期の栄華を満喫している。このままでは、この星から出ることができず、自らの愚行によって滅んでいく……」
ラルサーは深刻な表情を見せた。低く唸る。
「愚行、ですか。好ましいシナリオとは言えませんね」
「そうですね。でも、侵略の意思はありません」
「侵略の意思、なし……」
「私たちの身の回りでも同様のことがあります。自然保護に留意した結果、一部の動物の数が増えすぎた。人々の生活に被害も出る。そうなると害獣として駆除する。一方で動物愛護の観点から、そうした行為を非難する人たちがいます。火星の保護施設も異星人の総意というよりは、一部のお節介な集団が行ったことかもしれませんね」
ヴグロンは言葉を止め、ラルサーの反応をみた。彼は渋い表情をする。
「それはそれで深刻ですね。その集団が動物愛護に傾倒しているのか、駆除する側なのか、それによって大きく違ってきます……」
ヴグロンは微笑んだ。ISA火星進出局の局長が、こうした憶測話に乗ってくることはなかったはずだ。実務に差し障ると考えているのだろう。その態度が変わったのは、火星調査機の打ち上げが延期され、ビッシリ並んでいたスケジュールが全てキャンセルとなり気が抜けたのかもしれない。やはり、それなりのショックがあったはずだ。
「地球の生物全体をみれば、人類が駆除対象になるのは、ある意味当然のことでしょう」
「確かに。身勝手で遣りたい放題ですからね……」とヴグロンも同意する。
「好ましい憶測話は、難しい。どうしても悪い事を考えてしまう」
「そうですね……」
ヴグロンは視線を落とした。ここからどういった話に繋げるのが適切なのか、素早く思案を巡らせた。ところが、ヴグロンが口を開く前にラルサーが話しを始める。
「宇宙進出に関わっていると、なぜ宇宙に出るのか? どうして手間暇掛けて他の星に移住しなくてはいけないのか? などと問い掛けを受けることがあります。正直、困りますね。そこに山があるから的な言い分を受け入れてくれると有り難いのですが……」
ヴグロンは、彼が何を言おうとしているのか掴めなかった。それが顔に出る。ラルサーは構わす話しを続けた。
「それを考えていると、生物の進化を想像しますね。太古、海で生まれた生物が進化を重ね陸へと這い上がる……などと簡単に言いますが、そんな容易いことではないのは確かです。なぜ、海の生物は陸に上がったのでしょうか。生存競争に破れたからといって環境が全く違う陸へ直ぐに上がることはできません。どうやって身体を適応させたのでしょう? そんなことができるなら海で生き抜くことができたのではないかと思ってしまいます」
「わざわざ陸に上がらないといけない理由ですか」
「納得できる答えがない」
「何が言いたいんです? もしかして、何らかの外圧があった、と考えているのですか」
「飛躍が過ぎますね。でも、さっきの話を聞いていて、ふと、そんなことを考えました。宇宙への進出に外部の支援が必要になるなら、陸棲に移る際にも外部の手助けがあったのではないか。そうなると折に触れ、この星の生物の進化に介入してきたのかもしれませんね」
ラルサーは笑みを浮かべながらそう話した。
「それだけじゃなく、生命の誕生そのものにも関わっているかもしれませんね。この星は、銀河の端にあります。星が密集する中心部では、もっと早い時期により複雑な生命進化があったかもしれませんからね」
とヴグロンは真顔で応じる。それを見てラルサーは声をあげて笑った。
「壮大な憶測話、ですね」
エピローグ
巨大表示板のカウントダウン数値が刻々と減るのを目にし、ダムルの興奮は徐々に高まっていた。ISAに就職し、今回、大型ロケットの打ち上げを間近で見る幸運に恵まれた。その先端部には火星へ送る無人調査機が搭載されている。
広いロケット打ち上げ場の端にある観覧施設は階段状のスタンドで、入場制限がある。招待された人や許可を受けた人だけが入れる特等席だ。一般には、更に離れた場所にある草原が無料開放されている。そこの見晴らしも悪くはないが、やはり、より近い場所で打ち上げを見たいものだ。迫力が違う。
ロケットの打ち上げは珍しいものではない。それでも今日のスタンドは人で溢れていた。スタンドの最上部には大きな望遠レンズを付けたカメラが何台も並んでいる。それもこれも、打ち上げが火星へ向かう無人調査機だからだろう。この調査機によって火星表面に造られた建造物の正体を多少なりとも明らかにできる。憶測ではなく事実の一端が解明されるのだ。
賑わうスタンドの中で、ダムルは先ほどから気になることがあった。
数メートル離れた場所にいる年配の男性だ。どこかで見た記憶があったが、どこの誰だったか思い出せない。そこへ一人の中年男性が人を掻き分けるようにして歩いてきた。身につけている許可証から報道関係者だとわかる。彼は、思い出せない年配の男性に歩み寄り挨拶を交わした。
そこで記憶が繋がった。
定年退職したISA火星進出事業局のラルサー前局長だ。テレビに出ているのを観たことがある。
二回の火星調査機打ち上げ延期がなければ、局長として見送ることができたはずだ。残念に違いない。ご苦労があったのだろうが、それを感じさせない笑顔で報道関係者と会話をしている。今回の打ち上げ実施を喜んでいるように見えた。
結局、火星に出現した謎の建造物、大きな街ほどもある人工物を調べないわけにはいかない、ということだろう。スムーズに事が運ばなかったのは、それを政治的に利用しようとする一派がいたからだ。世界の数多くの国が参加する巨大組織では避けられない話になる。上手く折り合いをつけ、進めなくてはならない。その難しさの一端をダムルも感じていた。
打ち上げ時刻が迫ってきた。
この火星調査を受け、人を火星に送り込む日がくるのだろうか?
人々の火星への関心は低かった。危険を冒し、長い時間を掛けて火星に出向いても目の色を変えて飛び付くようなお宝など、無い。行く価値のない場所になる。その無関心を打ち壊したのが、あの巨大建造物だ。その点は感謝しなくてはいけない。
一分を切る。
スタンドの人たちは総立ちとなり発射台を見詰めた。
刻々と、その時が迫る。
3…、2…、1…、ゼロ!
閃光。白煙。
大型ロケットが空へと昇っていく。歓声。
遅れて轟音が届き、スタンドの歓喜は更に高まった。
青い大空に一筋の煙を残して宇宙を目指すロケット。それを見上げながらダムルは願った。
火星有人調査に名乗りをあげるのは無理だ。しかし、その計画に微力ではあるが協力したい、関わりたい……