03 奄美剣星 著 野望 『恋太郎侍』
挿図/Ⓒ 奄美剣星「恋太郎侍」
尚南王国。
「僕は意味のない争いは嫌いでして、刀を鞘に収めて欲しいのです」
「抜けよ、女みてえな面しやがって、二本の刀は飾りか? この国に渡って来たってことは戦を求めてきたんだろが?」
「ご婦人方には優しくしたほうがいいのではと」
「許して欲しけりゃ、俺の股をくぐりな」
入り江のマングローブが途切れたところに河口があり、褐色に濁った川を遡って行くと大きな港町・羅斗府があり、そこに浪人一千五百名が暮らす日本街があった。
木造平屋の町屋が建ち並ぶ通りで、巨漢に凄まれた青年は言われるままに男の股倉をくぐった。
「では娘さん、気を付けて」
現地の娘だった。言葉は通じない。だが彼女は場の空気で若い侍の言わんとするところを理解した。娘が駆けて行った先に侍女がいた。きっと良家の娘なのだろう。
股くぐりを終えた青年が立ち上がって埃を払っていると、巨漢が言って顎をしゃくった。すると配下の男たちが女たちの腕をつかんだ。
「あんな上玉、誰が黙って返すかよ」
「大義がない。男にこういうことをさせたら、こちらの言い分を通すのが筋かと……」
再び凄んだ巨漢ではあったが、次の瞬間、泡を吹いてつんのめった。……ひょろっとした青年が、男の股間を刀の柄で衝いたのだ。
―― 一部始終を拝見いたした!――
街の一角に濠一重を巡らした町の重鎮・納屋九兵衛の屋敷があり、先ほどの若侍が部屋に通された。
「恋川遼太郎? 略して恋太郎でいいかい?」
「別に略せずとも姓を呼び捨てにしても差しつかえありませんけど」
「渾名がつけば親密度が増すってもんだ。早速だが、貴殿、ウチの組に入ってもらうよ。どうせ、どこの組に入るか決めてないんだろう? ならうちに入りな。飯と寝床は保障してやる。初任給は年棒五貫、働き次第で適宜昇給って条件だ」
銅銭一枚で一文、千枚で一貫。やもめ男一人が食える年収だ。五貫あれば十分に家族を養える。
「さっきの親爺、さぞや痛かっただろう……貴殿があんな手を使うとは想定外」
「あの時点であの人は、僕が股をくぐれば貴女に絡むのを止めるという約束をした。けれども侍の約束を破った。ということは僕に何をされてもいいというわけで」
――奇貨置くべし――
上手くいけば大儲け、駄目でもたった五貫の損。……切子の瓶を手にした九兵衛は赤い酒を若侍・恋太郎のグラスに注いでやった。
「今から五十年ばかし昔、大陸の西端から船できた列強国が数丁の鉄砲を日ノ本にもたらしたんだが、日ノ本は戦国の世で、諸侯はたちまち鉄砲をコビー生産し帝国以上の数を保有した。これで列強はドンビキして日本征服を諦めた。そして今や日ノ本は曲がりなりにも統一された。それで手柄を取り損ねた侍どもは大陸南岸諸国に続々と渡って来た。貴殿もその一人だな」
九兵衛は誓紙に署名をした恋太郎を板の間で博打をやっている配下の男たち二十名に紹介した。
「新入りを紹介する。恋太郎君だ。仲良くしてやってくれ」
こうして恋太郎は納屋家に雇われた。
日本人町で邸宅を構える組頭たちは、交易商であると同時に傭兵の口入屋でもあった。「株式会社」のようなものを作って定期的に交易船を送り、無事に戻ってきたら大儲けだ。日本の武器甲冑、そして浪人たちは商品になった。
常時二十名を身辺に置いて、荷揚げを手伝わせているが、一度事が起これば、臨時に二百名を雇って戦場に馳せ参じる。そういう組が日本人町には四組あった。
*
しばらくして。
王家が日本人町の町衆に命じて四組八百名の兵を出させ、進攻してきた隣接する帝国軍と対峙した。敵味方双方五千ずつだ。王侯貴族層は象に乗り、それ以外は徒士となった。恋太郎も徒士として敵に対峙した。
「恋太郎君、知っての通り、戦場じゃあ兵数が互角であれば、滅多に戦闘は起こらない。ただ敵に威勢を見せつければいい」
「九兵衛さん、つまり我々はカカシですね?」
「まっ、そういうことだ」
ところがだ。その日に限って敵勢が動いた。
*
狼煙台や砦がいくつも築かれた国境の丘陵地帯。そこが枝葉状に開析して谷底平野となったところに集落があり、住民が焼畑にしている地域が戦場だ。住民はすでに避難している。
密林がぽっかりと開けた空地に、敵味方ともに横列陣形をとっていたのだが、敵勢は両翼にいた戦象六十頭を先陣とする敵の隊伍が地鳴りをたてて猛進し、味方の戦象隊を駆逐。さらに背後に回ろうとしていた。
――裏崩れだあ!――
味方勢は、横列陣形の両翼がもぎ取られたことで戦意を喪失。最前線部隊を置き去りにして、後方にいた主力部隊が我先にと逃げ出したのだ。このように後陣が先陣を置き去りにして陣形崩壊をすることを「裏崩れ」と呼ぶ。王国軍の「裏崩れ」によって日本人傭兵隊は最前線に取り残された。
組頭の九兵衛がバツの悪そうな顔をした。
「恋太郎君、この国に流れてきて早々に負け戦とは不運だな」
帝国軍はU字陣形に変化して、取り残されていた王国軍を半包囲していた。戦象部隊が背後に回り込めば包囲陣形が完成する。そうなれば王国軍は壊滅するのを待つしかない。そうならぬためには、敵U字陣形の蓋がされる前に脱出することだ。
「前方の敵は捨て置け、後ろの敵を斬りまくって逃げるんだよ」
日本人傭兵隊は畠山長春を名乗る町衆の長が束ねていた。相当の場数を踏んでいて、難易度の高い撤退の仕方も心得ている。
一介の徒士ながら、細身の恋太郎の武技は目覚ましかった。これには畠山も目を見開いて、近くにいた組頭の九兵衛に言った。
――花鳥流壱ノ型「胡蝶蘭」――
「白刃に血糊がついていない。奴は人を斬っているというより、まるで舞っているかのようだ!」
密林の撤退路は「旧王道」といい、四半世紀ほど前の革命で滅びた前王朝の旧王都・泰安府と往時の主要城市を結んだ廃道だ。そこを畠山以下四百名日本人傭兵隊が落ち延びて行く。ところどころに石造の廃城、廃寺、それに川の浅瀬には岩を削った仏の彫像が点在していた。
虎口は脱した。あとは日本人町にたどり着けばいい。だが南国ゆえに放置された道は瞬く間に密林に戻ってしまう。密林を空腹で前進して体力を消耗したところで、蚊を媒介してマラリア菌が襲いかかり、戦闘開始時に八百名いた兵士は二百にまで減っていた。一同が死を覚悟したとき、大きな葉に包んだ飯食事が運ばれてきた。
同じ巨木にもたれかかっていた長春と九兵衛が話をしているのを恋太郎は聞いた。
「『旧王道』沿線城市にゃあ、前王朝ゆかりの人々が密かに戻って来て廃墟を利用して村を起こしひっそりと暮らしているって噂を聞いたことがある。これは運が向いてきたな。俺たちを捨て駒にして置き去りにした『王国』の奴らに一泡吹かしてやれるってもんだ」
このとき恋太郎は、戦象の輿に彼が王国上陸をしたときに出会った娘を眩しく見上げた。
――あのときの!――
数か月後、日本町の長・畠山長春は旧王国と誓紙を交わし新王国に反旗を翻した。同じころ腹心の納屋九兵衛が恋太郎を養子に迎えた。恋川遼太郎は一隊の将となり、納屋恋太郎九兵衛と名を検めた。
――旧王国王女を担ぎ上げ、反乱を起こした侍たちの『野望』はなるか!――
だが逢瀬の場にいた若侍は惚れた娘の膝枕で夢うつつで、それ以上の野心を持ち合わせた風がない。
「レンサマ、アナタノクニノコトバデ、ワタシニナマエ、ツケテ」
「言葉が上手になったね。雫って名前はどう?」
旧王道沿いの廃寺仏像が二人を見下ろし優しく微笑んでいた。
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