04 深海 著 アジザイ(生物)『嫉妬』
庭にしとしと、雨が降っておりますんで、本日、舞のお稽古は延期です。
うちがそう申し上げますと、姫さまは、ぶっくりふくれっ面にならはりました。
姫さまは来週、弘徽殿の御方にお呼ばれしておりまして、そこで舞を披露したいと、ありていにいえば、弘徽殿の御方に見せつけたいと、思し召してはったからです。
「せやけど、ざんざん降りの雨ですから。お庭にはどうにも、出られまへん」
帝よりいただきましたお屋敷のお庭は、それはそれは広くて、お池の前に広い石畳がございます。そこが格好の稽古場となっておりますが、屋根のない所にて、舞の練習は無理というもの。
気を紛らわせるために、貝合わせでもいたしましょう。そうお誘いしましたが、姫さまはふくれっ面のまま。なんとしても、「こっきー」の度肝を抜かせてやるのだと仰せになるのでした。
「こっきー?」
「弘徽殿の御方なんて、なんか堅苦しくって。あちらさまも、気軽に呼んでねっておっしゃって、それじゃあって、お互いに愛称をつけあった結果なんやけどー」
姫様は目玉をくるくる、愛嬌たっぷりに上をむいて、ばっさばっさと扇子をお降りにならはりました。
「はぁ。ではこっきーの御方は、我が姫のことは、どうお呼びにならはってるのですか?」
「ふじちゃんて呼んでいいって、いいましたわ」
「ふじちゃん……それってここが、藤壺と呼ばれている所ゆえですか」
「もちろんそうでーす」
後宮には七つのご殿と五つの舎がございまして、入内なさった姫君は、そのうちのどれかにお住まいにならはります。
弘徽殿の御方はその呼び名の通り、弘徽殿にお住まいの姫君にて、うちの姫さまよりも数年早く入内なさった、女御さまでございます。
なれども、うちの姫さまの方が後見の力が強く、家格が上。入内されてほどなく姫さまは中宮に昇られて、先輩である弘徽殿の御方よりも、はるかに身分が上のお妃さまとならはりました。同じ女御のご身分であられた数か月間は、あちらさまはそれはそれは、偉そうにしてはりました。藤壺と呼ばれるこの飛香殿は、かつては女御の住まいではなかったとか、格が低い邸だとか。まあ色々仰ってはりましたが、今はまるで、子犬のような尻尾の振りようでございます。
それで姫さまも調子に乗ってはりまして、ことあるごとに、あちらさまに招待させては、お菓子を食べまくるわ、芸事を自慢げに披露するわ、やりたい放題なのでございます。
とても親しき友達なのだと、単にきゃぴきゃぴの女子会してるだけやと、姫さまは仰せなのですが。正真正銘ほんとうに仲がよろしいのかは、はなはだ疑問の間柄でございます。
「あ。よしこ、うたがってるわね? その貌」
「そりゃそうですわ、姫さまは最近わがまま放題、あちらさまにしてみれば、うざいのひとことでございますやろ」
「そんなことあらしまへんわ。こっきーは、うちにとって、ほんとにほんとのともだちですわ」
だっていろいろ相談されるんですものと、姫さまは、畳の台座の上で胸を張られました。
「よしこ、もしかして、うちのこと誤解してまへんか? うちはあちらさまの御菓子をたんと食べさしてもろてますが、ちゃんとお礼の品を、届けさしてます」
「はあ、まあ、たしかに」
「貝合わせの会でも歌詠みの会でも、事前にお勉強会開いて、なかよう学んでますし」
「はぁ、まあ、たしかに。ふたり示し合わせて、根回し三昧してますね」
「それにおたがいに、恋愛相談しあってます」
「え」
「これで親友じゃないとか、ありえまへんでしょ?」
「ええまあ、たしかに、ありえまへん、が……」
恋愛相談?
って、お二人の良人たる御方は、内裏におわす主上なのですが。
お二人は主上の寵をえんと競い合う仲であるはずなのですが。
「れんあいそうだん。そないなことまでしてはるとは」
「まあありていにいえば、帝に送る文の文面を、一緒に考えるって感じで」
ひとりで考えるのはマジめんどいからと、姫さまはぺろりと舌を出されました。
「はあ。うちだけでなく、こっきー様にもご助力願っているというわけですか」
「よしこが考える文面は、ばばくさいのよね」
臆面もなくおっしゃる姫さまに、うちはウっと怯みました。
「こっきーは年も近いし、かさねの好みも似てるし。それに結構文才があるの」
「そ、そうなんですか」
姫さまがお生まれあそばしたころから、うちはお仕えしておりますもので。このとき年甲斐もなく、姫様がこっきー様をたよりにしてはるというこの事実に、胸が痛くなりました。
いと醜い、なんとも狂おしいものが、じわじわぐるぐる、うちの胸中にうずまいたのでございます。
「ひまだから、今から弘徽殿にでかけようかしらー」
姫さまったら、しまいには、そううそぶく始末。ご迷惑ですよとおいさめしても、姫さまはにこにこ、外のお天気とは真逆のお貌にて、はやく輿の準備をしろと、おっしゃるのでございました。
「ああもう。先ぶれもなしに、いきなりおしかけるなど」
「大丈夫。あたくしと、こっきーの仲やものー」
お供はいらぬと姫様は、さっそくうきうきと輿を出させて、お出かけにならはりました。
うちは深いため息をつきながら、雨に濡れた格子を降ろしました。
湿けて蒸し暑いからと、姫さまが開けておくよう命じたものです。
閉じる間際、広いお庭に植わっている花々が、ちらりとうちの目に入ってまいりました。
あやめにつつじに、それから。
「あずさあい……」
舞のおけいこ場となっております石畳を囲むように、まんなかが真っ青な安治左井の花が,たくさん咲き誇っておりました。
「こよいのうちに、よひらのいろよ、かわるがよい」
まるで呪言のように、うちはぶつぶつ、つぶやきまして。それから、不機嫌を紛らわせるために、硯と筆を出しました。
姫さまが、うちの望み通りに、こっきー様への執心をお失くしあそばしますように。
あずさあいの花のごとくに、その心が色変わりされますように。
よひらというのは、あずさあいの花の周りについているものにて、花びらのようなものが四枚ついているのですが、それが時々、蒼から白に、変わったりするのでございます。
そのよひらを、宵の夜にかけた呟き。そんな、ぽろっと吐露してしまった、どうにも情けない怨念を、どこかに押しやるべく。うちはがむしゃらに、なにかを書き連ねたいと思ったのでした。
「書き出しは……」
ああそうだ。
先日起きました、ねこまな騒動でも、記しましょう。
あれは入内前に姫さまが手に入れた、白いねこまが封じられた掛け軸が、発端となったのでございますが。
おかげで姫さまはあわや、離縁される危機にまで陥りかけたのでございますが。
その顛末は……
―—「よしこさま。失礼をいたします」
あら。
もうひとつの中宮殿から文が参ったと、女房たちがバタバタ。うちの書斎に走ってきまして、さし出してまいりました。
七殿五舎。
主上のお妃さまは皆、そこへお住いのはずなのですが。
実はたったひとり、諸事情あって、内裏の外にお住まいの御方がおられるのです。しかも、我が姫さまと同等の位をお持ちの、皇后さまが……
急いで、中を改めなくては。
うちは持ちかけた筆をおいて、枝にはさまれた文を受け取りました。
夏の練香の匂いが、文からふわりと漂ってまいります。
難癖なご要望とか、果たし状の類でなければよいのですが……。
黒い雨空のように、気が重くなる、今日この頃なのでございました。
―「嫉妬」 了―




