05 深海 著 風物詩(菖蒲) 『ねこま憑き』
一つ下の条にお住いの若君が、ねこま憑きにならはった。
という噂が舎人から舞い込んだもので、うちの姫さまは本日、ころころ笑い転げはっております。
畳台に扇をバシバシ、何ともはしたないご様子にて、乳母さまも、女中のうちも、呆れ顔。せやけどまあ、いたしかたございません。姫さまは齢十七、箸が転げても笑ってまうお年頃なのです。
「五郎さまったら、ほんに、いとをかしいわ。こないだ一家総出で鬼退治しはったとかしないとか、えらいムキになって、うそぶいてはりましたけど。もしかして、お仕事失敗しはったん? きゃははは!」
五郎という幼名であらした若君は、うちの姫さまより三つ年下。
今をときめく新興の貴族、武家と称するお家の五男坊。
元服しはって、左京一条に住まう姫さまの父君にお仕えし始めるやいなや、姫さまの熱心な求婚者とあいなり、丸一年になろうかというところです。
最近の若者よろしく、姫さまを射止めんと、まあこつこつ、色々がんばってはります。実に初々しいというか、いじらしいというか、なんとも心苦しうて邪険にできへんというか、まあとりあえず、にっこり愛想笑いを浮かべて、ひらひら手を振って励ましている、今日この頃でございます。
「ねこま憑きってことはもしかしてほら、耳がねこ耳になってはるとか? 手が肉球つきのもっふもふになってはるとか? ふふふふ……ぷぷぷぷ!」
「姫さま、笑いすぎですやろ」
「だって、あの五郎さまがねこまになるやなんて、なにそれ、お茶吹いてまうやないの」
「まあ、たしかに……」
「きっとねえ、いとうつくしい、白いねこまなんやわ。もふもふで、ふわふわで、いとおかしいイキモノになってるんやわー」
「はあ、白のねこまですか」
「ええ、きっときっと、この世で一番うつくしいものになってるにちがいないわ」
五郎さまは、そのご容姿といいい、御振る舞いといい、およそ勇猛な武人には程遠い。
肌は白くて、ひょろひょろの細身。女顔のおちょぼ口。美少年というより、美少女。うちの姫さまより、はるかに美少女。普通に歩いていても、なぜかいきなりすっ転ぶ。虫は嫌いださわれないと、長い棒でトンボをつつく。街を歩けば、のら犬やのらねこを必ず拾ってくる――
こんな有様で、将来、朝敵を撃つ勇猛な将軍になれますのやろか。ご本人はサカノウエのなにがしやらいう、神話に出てくる大将軍にあこがれていて、いつか護国の英雄になってみせると、姫さまにいつも、のたもうてはるのですが。いやはや、無理ですやろなあ。
「五郎さまったら、街の見回りのときにいつも、ねこを拾ってきはるもんやから……きっとそのせいやわ。それで、けったいなメスねこに懸想されはったんやわ。ほんに、お気の毒。ぷぷぷぷ」
姫さまは扇をひろげて、くすくすにんまり。
五郎さまは許嫁でも何でもあらしまへん御方にて、姫さまは露ほども恋心をお持ちではないのですが。しかも姫さまを入内させると、父君さまがこの上もない嫁ぎ先をお決めにならはりましたので、姫さまは、公達や武士らとのお遊びを極力控えるようにならはったのですが……
今日ばかりは、ずいぶんと興を引かれたようです。きらきらとその茶色い瞳を輝かせ、まるで恋煩ひにどっぷり浸かっていはる乙女のごとくに、かくおっしゃったのでございました。
「ねえ佳紫子、ねこま憑きの五郎さまに会いたいわ。今すぐ会いたいわ。はよう呼んできてちょうだい」
普段なら、ほぼほぼ毎日朝一番に、五郎さまから文が届くのでございますが……
本日は昼を過ぎましても、まだ届いておりまへん。
やはり噂は、本当なのやろか。五郎さまは、ねこ耳を生やしてしまいはって、お家に籠って、悩んではるのやろうか。こんな姿では、姫さまに求婚できないと、もふもふな頭を抱えてはるのやろか。そないなことを考えつつ、うちは舎人をちょいと呼びつけ、命じました。
「忙しいとこ悪いんやけれど。源家の五郎様のご様子、見てきてくれまへんか」
手土産に、落雁をひと箱。表向きは、毎日の文やお伺いのお礼を届けるという、ごくごく自然な用向き。待つこと一刻、陽が傾き始めた昼下がり、舎人は実に神妙な顔をして戻ってまいりました。
「お噂はやはり、本当のようで。五郎さまのお部屋から、いとかなしひ、ネコの鳴き声がいたします。か細く、今にも息が詰まりそうな異様な声でして。部屋にはぐるりと、魔よけのためのものらしき、注連縄が……」
あらまあ。ということは姫さまの推測通り?
「鬼退治のせいではないようです。のらねこをたくさん拾ってきはったのが、原因のようです」
ふむふむ、そっちの方でしたか。
「どこぞに腕の良い祈祷師はいはらへんかと、ご当主がバタバタしてはりました」
報告を終えると、舎人はうちにどさりと、文を渡してまいりました。
諸所の公達がしたためた、姫さま宛のものです。ついでに他の殿方の家にも回ってきたようですね。ええ、これもあれもそれも。
あ。えっと、これは……
右大臣の若君からきたもんは、うち宛てですね。これはまあその、寝る前にちらっと、目を通しておきましょう。さあ、姫様に報告です。
「なんですって? 家にお籠りしてはるの?」
「姫さま、笑い事ではあらしまへんようです。まこと、五郎さまはお困りのようで。笑い声をたてるんは、不謹慎ですわ」
「えええ……なんやのそれ。五郎さまに、会えないなんて」
姫さまは、たちまちションボリ。なれども、うちの女主人は転んだままではあらしまへん。すぐにキッと顔を上げて、それじゃあお見舞いの品を送ってほしいと、うちに命じてきはりました。
「あたくしの文とたくさんのお菓子を、我が家お抱えの絵師に持たせて」
「絵師に? ちょ……姫さま、それは……」
「絵師はねえ、絵師ですって名乗らせてはだめ。うちで雇った、超一流の祈祷師ってことにしてちょうだい」
「ひーめーさーまー」
「お、鬼やわ……」
部屋の隅でお香を焚いてはった乳母さまが、あちゃあと両手で顔を覆ってはります。まったくもう。うちの姫さまはほんに、容赦ないというかえげつないというか、いといわけないというか。いやほんま、こん御方は――
「ひとでなしー」
「なんとでも言うたらよろしいわ。とにかくあたくしの言うとおりにして。でないと、右大臣の若君がおまえにご執心なこと、お父さまにばらしますわ」
「う」
「ふふふふ。お父さまが知ったら、おまえもまつりごとのための、あわれな駒になりますわ。ふふふふっ」
右大臣の若君は、なぜかうちにご執心。決して悪い御方ではないのやけれど、うちは乳母さまといっしょに長年、姫様の面倒を見てきましたもので……姫さまのいない生活なんて、まったく想像できしまへん。ましてや、姫さまの父君に、いいように利用されるなんぞ、冗談ではございまへん。
入内なさる姫さまを万敵から守りたい。それが我が天命。うちは心からそう信じております。それを阻まれるのは、遺憾以外のなにものでもない……。
ゆえにうちは恨めしげに、姫さまにぼやきました。
「ひとでなしー」
それからぶつぶつと文句を垂れ流しつつ、うちは仕方なく、姫さまの御家が抱えてはる絵師の中で、一番の腕を持ってはる御方に白羽の矢を立てました。
それは賀茂という名の方で、姫さまの父君のためにしばしば、いとうるわしい天体の図などを、色鮮やかに描いてはるのです。
事情を話しますと、賀茂さまはニコニコ顔でよろしいですよと、姫さまの思し召しを呑んでくれはりました。
「ほんに、申し訳ございまへん。どうかよろしう、お頼もうします」
うちは、筆と紙を抱えて颯爽と御殿を出ていく賀茂さまの背中に、深く礼をして両手を合わせました。
それから三日後。
ぴいちく雀が歌う早朝、賀茂さまは意気揚々と、左京一条にある御殿に戻ってきはりました。小脇に抱えるは、大きな紙の巻物。おそるおそる訊ねれば、首尾は上々。しかも若君は、元通りとのこと。
「まあでは、祈祷師さまが、五郎さまのところに来はったのですね」
「いやいや、この私が、除霊させていただきました」
「は?」
賀茂さまはにっこり。そうして、姫様のお部屋に行かれまして、垂れ下がる御簾の真ん前で、持ってきはった巻物を広げてみせました。
「ふわあああ。もう、まだ眠いったら……あら、絵師さま? 五郎さまのところから、帰ってきたのね! よく見せて。まあ! これが――」
「はい。これが、源の五郎さまにとり憑いていた、ねこまにて」
「わああああ! いとうつくしい! うつくしいわ! まっしろでふわふわでもふもふ!」
驚いたことに、それは姫さまが想像した通りのものでした。
賀茂さまが示した巻物には、白いねこ耳の、いたいけな、びしょうね――いや、美少女が描かれていました。煌めく大きな瞳から、今にも涙があふれそうです。なんとも心苦しいのですが、そのからだのもふもふ具合、手の肉球のぷりぷりとした質感、優美でしなやかそうな尻尾……
それはなんとも、なんとも、顔をほころばせて、身もだえしてしまうようなものでございました。
姫様は御簾越しにじいっとそれを眺めまして、はあっと、感嘆のため息。顔は歓喜に満ち、いとうるわしい桜色に染まりました。
「こんなにも、うつくしいものだったのね!」
「御意。まずは菖蒲の束を部屋にぐるりと置きまして、その厄払いの香気で、五郎さまに憑いているねこまを弱らせました。そして五郎さまから出ていかねば、このまま菖蒲湯にどっぷり漬けてやると脅しまして、この逃げ場所を提示したのでございます」
「逃げ場所……」
「すなわちこの、霊意を注ぎつつ漉きました霊紙に移してやろうと、取引をもちかけたのです。この紙は式神に使うものでございまして、もののけや御魂を封じ込めることができるのです」
「シキガミ?」
「式神とは、ちょっとしたお使いをしてくれる使い魔のことでございます。まあとにかく、菖蒲攻めをしながら、この特別に作られました紙に、ねこまを描き移した次第にございます」
え? ということは……
「賀茂さまって……祈祷師さま、であられるので?」
うちがぽかんと口を開けますと。賀茂さまは、柔らかに苦笑しはりました。
「祈祷師ではございません。この賀茂保憲、陰陽道に通ずる者。すなわち、陰陽師にございます」
知らずのことではありましたが、こうして五郎さまは、姫さまのおかげで、ねこま憑きからご回復されました。そんなわけで若き武人はほどなく、姫さまのもとへと息せききって、やって来はりました。
「姫さまの文に、私はとても励まされました!『どうかお元気になって』と……なんという優しいお言葉! この五郎、感動に打ち震えましてございます!」
美少年――いやどうみても美少女にしか見えへん五郎さまは、きらきら目を輝かせて、サンゴだのヒスイだのといった、いともめずらしい石の装飾品を、お礼にと、姫さまに差し上げました。
「ふがいない私のために……本当に本当に、ありがとう存じます!」
五郎さまは子犬のようにいとうつくしく、そのコハクのような瞳をうるませて、姫さまになんども頭を下げました。
姫さまに対する恋心は、わだつみの底よりも深く、熱くなったのは疑いございませんでしたが……姫さまはつんとすまして、言ったものです。まるで、子供をたしなめる母のように。
「五郎さま、これからはむやみやたらに、犬やねこを拾ってはいけません。よろしいですね?」
「はいっ、身命にかけまして、姫さまの仰るとおりに、いたしますっ」
姫さまの背後には、白いモフモフが描かれたアレが、掛け軸となりまして飾られていたのでございますが。
まあでも、うちが、御簾のすきまをびっちり締めておきましたので。ええ、五郎さまからは全然、見えませんでした。姫さまが口に当てた扇の中で、ぺろりと舌を出されていたのも。ええ、もちろん見えませんでしたとも。
それからほどなく、姫さまは入内しはりました。
御所へ行く姫さまの牛車を、五郎さまは涙をこらえながら、とてもご立派に警護しはったのでした。
たくさんの嫁入り道具の中には、あの白いねこまの掛け軸もございました。姫さまが手ずから黒い漆塗りの箱に入れまして、後宮へお持ちにならはったのです。ねこまを封じた掛け軸はそれほどに、姫さまのお気に入りの一品となっておりました。
ですが……
それがのちのち、異様でいとも面妖な、ねこまな騒動を引き起こすことになるのでございます。
その顛末は……
あら、灯りの油が切れてしまいましたわ。
今宵の回顧は、これまでにさしてもらいます。
それでは、また。
かしこ
わたしの文を待ってくだはる、あなたへ
佳紫子
――ねこま憑き・了――




