01 奄美剣星 著 スリリング 『ヒスカラ王国の晩鐘 2話』
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「レディー・デルフィーとオフィーリア女王」
挿図/Ⓒ奄美剣星「ノスト大陸概略地図」
長い夢を見ていた。
市門から出撃し、一〇列になった敵陣を食い破って、大帝と一騎打ちに持ち込み、相討ちになった。それから百種に及ぶ獣人たちで構成される連合種族帝国の道士たちによって召喚され、本来、大帝のために用意された〈依り代〉に〈移し身〉され、猫象種族の少年になって二五年を生き、一介の診療所医師として病没した。
*
勇者ボルハイム卿が目を覚ましたところは、ふんわりとした天蓋付きベッドの上だった。そこは寝返りをするのに十分な幅があったが、何かにぶつかってままならない。抱き枕? いや、柔らかく温もりがある。
――なに?
隣に妙齢女性が横たわっている。ボルハイムは慌てて床に飛び退く。
すると同衾していた女性が寝ぼけ眼をこすって、やはり半身を起こした。
「ごきげんよう、オフィーリア様」
――オフィーリア?
そうだ、自分に〈依り代〉を提供してくれたのは人類最後の王国・ヒスカラの女王だった。記憶はボルハイム卿に書き換えられているが、身体は一五歳の女王そのままなのだ。このことは一部の臣下を除き伏せてある。……自分は今後、女王オフィーリア・ヒスカラ三世として振る舞わねばならない。
「しーっ、大きな声をお出しにならないで。中身がどなたであれ、今のあなた様はオフィーリア女王陛下なのですから」
寝台をともにしていた若い女性が後ろから腕を回した。
自分とおそろいのネグリジェ姿をした女性が何者かというと……、レディー・デルフィーと呼ばれる女性だ。ちょうど年齢、背格好、翡翠色の髪まで、ボルハイム卿が〈移し身〉したオフィーリア女王と同じだ。ただ、少し違う点といえば、オフィーリアの目は大きく、レディー・デルフィーは切れ長であるという点だ。
「それじゃ、ドレスにお召し替えなさって。お手伝いします」
女王顧問官デルフィー・エラツムは、レースのある薄緑のドレス、透かし彫りが施されたティアラまでオフィーリア女王と同じものを使っていた。彼女が女王に添い寝をしているのは単に〈百合〉の関係というだけではあるまい。
――つまるところは影武者だ!
*
灰色猫の正体は、護国卿職にある大賢者アンジェロ卿の〈依り代〉だ。
「レディー・デルフィーは姫様に似せて造られたヒューマノイドだ。影武者であり、非常時には卿……いや姫様の盾になってくれる。そして記憶が、ボルハイム卿の記憶に書き換えられてしまったことにより、忘れてしまっただろう宮中作法や宮廷言葉を再教育する」
「ヒューマノイドとは?」
「思考性自走式傀儡とでもいうべき存在」
*
王宮本館は白亜の壁に紺碧色の屋根を載せた左右対称・三層構造になっている。吹き抜けのホールになった正面玄関を出ると、広大な外苑になっていた。生垣のようなものはなく、シンプルな芝地だ。
灰色猫と妙齢淑女二人を出迎えたのは、黒い軍服を着た一団だった。軍人たちは褐色、黒色、白色の肌をした者たちからなり、かつての人類がノスト大陸の半分を生存圏としていたことを物語っている。侍従武官の将校が灰色猫に言った。
「アンジェロ卿、十年前に〈ゲート〉が開いたとき、迷い込んできた異界の学者どもです」
「ああ、憶えているとも、異界の工房都市で〈量子衝突〉なる実験をして事故を起こし、こちらに迷い込んで来た者たちだな……」
異界の学者たちは男女十人からなっていた。
ノスト大陸の随所には飛行石の鉱脈がある。異界の学者たちは水素やヘリュウムの代わりに、飛行石をつかった飛行船の一種・飛空艇を開発した。ヒューマノイドのレディー・デルフィーも彼らが製作したものだ。
そして……
空の彼方からブーンと音がしてきた。後部エンジン式のプロペラ機だった。幅一〇フットほどの主翼下部に格納されていたタイヤ付き両脚を出し、滑空して王宮外苑の芝地に着陸した。
着陸した飛行機を見た侍従武官が白い歯をのぞかせた。
「アンジェロ卿、僭越ながら小官は、これからの戦いの主役は飛空艇や飛行機になると愚考いたします」
侍従武官が言い終わらぬうちに、飛行機から飛び降りた若い操縦士が、オフィーリアの名を呼んで疾走してきた。操縦士の勢いは、盛りのついた雄猪のようで、その場にいた誰もが、彼を放置すれば一五歳になった華奢な女王を抱き上げ、口づけ攻めにするかのように思えた。
若い女王の横に控えていたレディー・デルフィーは、スカートの両裾をつまむお辞儀・カーテシーをしてから、長いスカートの内側・太腿にバンド留めしていた小型拳銃を引き抜き、至近距離から〈無礼者〉の心臓に、「ごめんあそばせ」とばかりに弾丸一発を食らわす。
撃たれた操縦士は芝生に突っ伏した。
「レディー・デルフィー、いくらなんでも、これはやりすぎだ」
若い女王は、玄関前の異界からきた学者や侍従武官と同様に目を丸くしていたのだが、アンジェロ卿は憮然と言った。
「馬鹿はなかなか死なない」
拳銃を撃った当人であるヒューマノイドの淑女は、灰色猫の言葉を聞いて、否定とも肯定ともとれる優雅な笑みをたたえて小首を傾げた。
やがて、
大賢者護国卿の言葉通り、操縦士はゴーグルを飛行帽に上げながら立ち上がった。
操縦士は飛行服の心臓を〈胸甲〉という鉄板で守っている。淑女が護身用につかう小型拳銃弾丸は貫通できないため、男は突っ伏しはしたものの、無傷で立ち上がることができたのだ。
操縦士は、ドン・ファン・デ・ガウディカ大尉という。二五年前、連合獣人帝国によって滅ぼされたガウディカ王国国王の息子だ。大尉の父王は、滅亡直前にヒスカラ王国に亡命してきて客分となり、亡国の国王はヒスカラ王族の娘を妃に迎えて彼が生まれた。つまるところオフェイリアの従兄で幼馴染、そして国は滅んでいるがガウディカ王太子の称号もある。
女王より二歳年長のドン・ファンは、「オフィーリアを嫁さんにして兵を借り、故国を奪還する」というのが口癖だ。
なんて他力本願な男なのだろう。立場というものをわきまえているのか? ガウディカ王族と遺臣たちは、あくまでヒスカラ王国の駒であって逆ではない。
ドン・ファンの要望に反して……
護国卿の灰色猫はシビアである。
「姫様は切り札だ。帝国との戦いに負けた場合は、講和条件としてユンリイ大帝に嫁いでもらうことになる」
「アンジェロ、おまえなあ、そんなことをオフィーリア女王にさせるために〈依り代〉にして、俺を〈移し身〉したのかよ?」
「そうだ。〈移し身〉前の女王陛下は繊細で、屈辱的境遇に耐えられない。だが卿……もとい姫様ならば、ユンリー大帝の子供を産み、さらには何食わぬ顔で寝首をかくことだろう」
――俺は人非人か!
確かにボルハイムは帝国の魔道士たちに〈移し身〉され、猫象種族獣人として二五年の捕囚生活を送ったことがある。しかし彼は獣人たちが人種族以上の文明人であることも十分に承知していた。
状況に応じ、早口なビジネス言葉とゆったりした宮廷言葉とを、機敏に使い分けるのが淑女の嗜みというものだ。とはいえ、勇者ボルハイム卿の魂魄に記憶を書き換えられたオフィーリア女王のそれは、ビジネス言葉で、しかもあからさまな男言葉だった。
早速、ヒューマノイドのレディー・デルフィーが、女王の言葉の乱れを正しにかかった。
ノート20200506
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「レディー・デルフィー」




