03 紅之蘭 著 擬態 『ガリア戦記 09』
【あらすじ】
出世に出遅れたローマ共和国キャリア官僚カエサルは、人妻にモテるということ以外さして取り柄がなかった。おまけに派手好きで家は破産寸前。だがそんな彼も四十を超えたところで転機を迎え、イベリア半島西部にある属州総督に抜擢された。財を得て帰国したカエサルは、実力者のポンペイオスやクラッススと組んで三頭政治を開始し、元老院派に対抗した。
挿図/Ⓒ 奄美剣星 「イミリケ」
第9話 擬態
ガリア商人の少年は、姉がカエサル総督の〈伽〉をしている間、ローマ軍宿営地で、百人隊のいくつかが鍛錬をしているのをぼんやりと眺めていた。
百人隊長が抜剣して号令すると、棒を持った麾下の兵士たちが続々と、竿棒を投げ、地面に突き刺した杭に木剣を突き立てていった。それを百人がやるので、杭はボコボコになる。そして最後に偉丈夫な百人隊長が白い歯を見せ、仕上げとばかりに木剣を一振りした。すると杭はポロリと地面に落ちて転がった。
少年が他の百人隊に目をやると、こんな訓練をしているのが目に入った。
ローマ軍の主力をなすのは歩兵だが、戦いのなかで大勢を決するのは重たい投げ槍ピルムだ。敵が十から十五メートル近づいたあたりで、一斉に投げ、敵部隊が混乱しているのに乗じ相手の懐に飛び込み、抜剣してとどめを刺す。
共和制末期のローマ軍では職業軍人も多くなったため、練度は究極に達していた。
そこにだ。
長い髪を青く染めた女が幕舎からでてきて、少年の後ろに立った。
「ウェル、あたしがカエサルとやってる間に、よーく、頭に叩き込んでおいたかい? あれがピルム戦術、ローマ軍の必殺技で、練度が高い歩兵部隊になると、ガリア騎兵をも壊滅ちまう」
「イミリケ姉御。すまない」
「気にするな、ウェル。あたしは禿げが好みだ。あのカエサルの子種をとるのもやぶさかじゃない」
イミリケと舎弟のウェルは、積み荷を降ろして空になった荷馬車に乗り込み、元来た道を戻って行った。途中、地元部族商人に車を売り、車から外した二頭の馬にまたがって出身部族の拠点に戻って行った。二人の行先は、ガリア人アルウェルニ族の領地・ゲルゴウィア都城だ。アルウェルニ族といえば、現在のフランスのオーヴェルニュ地方付近を指し、都城は現在のクレルモン=フェラン近郊にあった。
アルウェルニ族王子ウェルの本名は、ヴェルキンゲトリクス、ヴェルチンジェトリクス、ヴェルサンジェトリクスである。
イミリケはウェルの親族で養育係だ。彼女は舎弟のウェルに読み書きや剣、さらには〈夜〉の嗜みまでも教えた。
□スイス人ヘルヴェルディー族との決戦後、追い討ちもしないで麾下のローマ兵を休ませていたカエサル総督は、ただいたずらに時間を空費してはいなかった。周辺のガリア部族に早馬を送り、スイス人を助けた者は許さないと目回しをしていたのだ。このため、故地を捨てて、ブルターニュ半島に移動しようとしていたスイス人ヘルヴェルディー族は、敵となった諸部族中に孤立し、カエサルに無条件降伏することを余儀なくされた。
カエサルはローマの慣行に従って、最低限の条件をスイス人に提示して、降伏を承諾した。すなわち、既定の奴隷と人質を差し出させ、故地であるスイスへ帰還せよと要求した。民族淘汰などあたりまえだった古代において、その処遇はかなり寛大なものだったが、出発時に三十七万いたスイス人たちのうち、故郷にたどりついた者は三分の一以下である十一万だった。
つづく
【登場人物】
カエサル……後にローマの独裁官となる男。民衆に支持される。
クラッスス……カエサルの盟友。資産家。騎士階級に支持される。
ポンペイウス……カエサルの盟友。軍人に支持される。
ユリア……カエサルの愛娘。ポンペイウスに嫁ぐ。
オクタビアヌス……カエサルの姪アティアの長子で姉にはオクタビアがいる。
ブルータス……カエサルの腹心
ウェルとイミリケ……ガリア人アルウェルニ族王子と一門出自の養育係。




