第5話 司祭様の睡眠事情
セリーヌを拾ってから、一週間が経過した。
「アレクサンデル、お前、女でもできたのか?」
迷宮の中で休息をとっている時、唐突に男がアレクサンデルに尋ねた。
男の名前はダニエル。Aランク冒険者で、時折アレクサンデルと組んで迷宮に潜っている。
「どうしてそう思う?」
「だって……手作り弁当なんて、おかしいだろ」
言われてみればそうだ。
アレクサンデルは自分の膝の上に置いたバスケットを見下ろす。
今朝、セリーヌがアレクサンデルに持たせてくれたものだ。
ここ一週間の間、セリーヌは毎日アレクサンデルに弁当を作ってくれている。
迷宮での休息時では、基本的に迷宮に入る前に購入したものを食べる。
手作りの弁当を持ってくる冒険者は少数派で、几帳面な女冒険者か、それとも世帯持ちくらいしかいない。
普段は既製品を持ってきている冒険者が、手作り弁当を持ってくる。
そんな珍事、冒険者に恋人ができた以外には考えられない。
「まあ……中らずと雖も遠からず、ってところだな。残念ながら、恋人ができたわけじゃない」
作ってくれたのは女性だが、セリーヌは恋人ではない。
アレクサンデル的には、拾った猫くらいの感覚だ。
「なんだ……ついに諦めたのかと思ったのに」
「諦めた?」
「お前の初恋の女だよ。ようやく初恋を振り切って、恋人を作ったと思ったんだが」
アレクサンデルの脳裏に二人の少女の顔が浮かぶ。
一人は初恋の相手、“セリーヌ”。
もう一人は同居人のセリーヌ・フォン・ブライフェスブルク。
「……余計なお世話だ」
アレクサンデルはダニエルの言葉をそう切り捨てて、バスケットを開けた。
「おぉ……相変わらず凄い」
アレクサンデルは思わず感嘆の声を上げた。
そこにはぎっしりと、サンドウィッチが詰め込まれていた。
ほかにも小さな箱にはいくつかのおかず。
そして水筒にはスープが入っている。
アレクサンデルはサンドウィッチの一つを手に取り、口に入れる。
「……旨い」
シャキシャキのレタスと、ハム、チーズ、トマト、ピクルス、そしてパンに塗られている何らかのソースが非常によく合っている。
弁当は手軽に手で食べられるものが良いというアレクサンデルの要望により、弁当箱のメインは常にサンドウィッチだが……
しかし中身は毎日変わるので飽きない。
「ふぅ……温まる」
続いて保温魔術の掛けられた水筒の中に入っているスープを飲む。
スープの中身も基本的に日替わりなので飽きない。
もっとも変わるのは中身だけで、その美味しさは常に変わらない。
スープにはたくさんの野菜と肉の旨味が溶け込んでいる。
毎日、長時間煮込んで作っているらしい。
もっと手を抜いてくれても良いのだが、セリーヌの辞書には妥協の二文字はないようだ。
「すげぇ豪華な弁当だな……それ、本当に恋人じゃないのか?」
「言っただろ。恋人じゃないと」
「ふーん……まあでも、その弁当を作った女がお前に気があるのは間違いないな」
うんうん、としたり顔で頷くダニエル。
アレクサンデルは内心でため息をついた。
(そんなわけないだろう……)
セリーヌがアレクサンデルに親身にしてくれているのは恩義を感じているからと、アレクサンデルの世話を焼くことで生きる意味を見出そうとしているからだ。
自然とセリーヌの心の傷が癒えれば、アレクサンデルは用済みになる。
(早く、立ち直って貰いたいものだが……)
しかしセリーヌと別れると考えると、少し寂しく思えてしまう。
そんな複雑な思いを抱くアレクサンデルだった。
日が落ちた頃。
帰ってきたアレクサンデルを出迎えてくれたのは、エプロンを付けたセリーヌだった。
何だか新婚夫婦にでもなったような気分になり、少しだけドキドキするアレクサンデル。
「おかえりなさいませ、ご主人様。ご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも……いえ、何でもないわ」
途中まで言いかけたセリーヌは、顔を赤くして最後の言葉を濁した。
「恥ずかしくなるくらいなら最初から言うなよ」
「……そうね。下手なことは言うもんじゃないわ」
二週間でセリーヌの精神状態はそこそこ回復したらしい。
たまに冗談を口にするようにはなってきた。
左手首を掻きむしるのも、少し減ってきている。
もっとも、あくまでアレクサンデルが見た限りでは、のことでありアレクサンデルが見ていない間のことは分からないが。
「それとさっきのやつの返答だが、飯の前に風呂が良いな」
今まで迷宮に潜っていたため、泥や魔物の血で体が汚れている。
食事の前に風呂に入り、体の汚れを落としたかった。
「そう言うと思って、すでに沸かしてあるわ」
「そうか、ありがとう」
アレクサンデルはセリーヌに軽くお礼を言って風呂場へと向かう。
この街――エンデアヴェント市――は上下水道が整備されているため、水の確保は容易である。
しかし温水を使う場合は薪を使って温めるか、もしくは専用の魔導具が必要となる。
幸いにもアレクサンデルが借りているアパートの部屋の風呂場には魔導具があるので、お湯を作り出すのは時間はかかるが容易だ。
アレクサンデルはまずセリーヌが沸かしてくれたお風呂のお湯を桶で汲み、体に掛けた。
それから石鹸を泡立て、まず髪を洗う。
そして体を洗おうとしたところで……
「……失礼します」
「おう……って、ど、どうした!」
なんと風呂場にセリーヌが入ってきた。
まさか全裸か? と思って後ろを振り向いたが、幸いにも服を着ていた。
ちょっぴり、アレクサンデルは残念に思った。
「いや……背中を流そうかなと」
「せ、背中って……」
「……やっぱり、服は脱いだ方が良かった?」
「いえ、服は着たままでお願いします」
アレクサンデルがそう言うとセリーヌは面白おかしそうに笑った。
どうやらアレクサンデルを揶揄うために、わざわざ風呂に入ってきたようだ。
「はぁ……揶揄わないでくれ」
「そう、ごめんなさい。お詫びに背中を流してあげるわ」
「お、おい……ちょっと……」
アレクサンデルが困惑している間に、セリーヌはいつの間にか泡立てたタオルを背中に当ててきた。
そしてゴシゴシと擦り始める。
「どう?」
「い、いや……悪くないよ」
中々上手で少し心地よかったため、アレクサンデルはセリーヌを追い払う気力を失ってしまった。
背中を流し終えた後、セリーヌはアレクサンデルにタオルを手渡した。
「…さすがに前は自分でやってね?」
「あ、当たり前だ!」
それからアレクサンデルはセリーヌが作ってくれた夕食を食べ終えた。
ここ二週間の間で夕食は日増しに豪華になった。
料理が六品以上あるのは当然で、さらにパンにつけるためのバターやジャムなどが数種類、常に食卓に並んでいた。
加えてセリーヌが漬け込んだピクルスなどの野菜の漬物もあった。
デザートはフルーツの日もあるが、時折セリーヌ手作りのお菓子だったりもする。
「今日も美味しかったよ」
食後にアレクサンデルがそんな簡単な言葉を投げかける。
するとセリーヌは僅かに笑みを浮かべて答えるのだ。
「そう……それは良かった」
アレクサンデルに喜んでもらえるのが、心の底から嬉しい。
そんな様子だった。
(なんか、申し訳ないような気持ちになるな……)
夕食後、武器の手入れをしながらアレクサンデルは思った。
セリーヌには家賃と食費を負担する代わりに家事をしてもらってはいるが、正直セリーヌの働きはアレクサンデルが負担している費用を超えるような気がしてならない。
しかしセリーヌは頑なにお金を受け取らないし、アレクサンデルもセリーヌに大金を支払えるほど豊かではないのだが。
「そろそろ、寝るか」
武器の手入れを終えたアレクサンデルは立ち上がった。
するとソファーで読書をしていたセリーヌは、本を閉じて立ち上がった。
「そうね、寝ましょう」
二人は就寝の準備を始める。
アレクサンデルは自分の寝室で寝て、セリーヌはリビングで簡易式のベッドを使って寝ている。
寝間着に着替え、寝室でベッドに入ったアレクサンデルだが……
まだ短剣の手入れをしていなかったことに気付き、起き上がった。
「……面倒だが、寝る前にやっておくか」
武器はリビングに置きっぱなしになっている。
アレクサンデルはセリーヌに申し訳ないと思いながらも、セリーヌが寝ているであろうリビングに向かった。
「あ……」
幸いにもセリーヌはまだ起きていた。
(こ、これは……凄い破壊力だな)
ネグリジェは大人っぽく、少し露出が多いものだ。
普段は隠れているセリーヌの美しい肢体が少しだけ、露わになっている。
シャワーを浴びてからそんなに時間が経っていないためか、肌はほんのりと薔薇色に染まっている。
薄いネグリジェはセリーヌの凹凸のある体をゆったりと包み込み、否応なしに彼女の美しい肢体を脳裏に想像させる。
少しだけ見える胸の谷間や、白い二の腕、スカートから伸びている美しい脚が非常に官能的だ。
だがまあ、そんなことはどうでも良いのだ。
アレクサンデルが驚愕したのは、そんな色っぽい十六歳の少女が持っている瓶だ。
ぎっしりと白い錠剤が詰め込まれた瓶を右手に持っており、そして左手には少し山になる程度の錠剤が乗せられている。
そしてそんなセリーヌの前のテーブルには、水の入ったコップが置かれていた。
ぱっと見、二十粒以上はある。
真っ白い錠剤を飲もうとしている最中のようであった。
「こ、これは……」
見つかってしまった。
セリーヌは少し気まずそうに錠剤を背中の後ろに隠した。
「……」
やっぱり面倒な拾い物をしてしまったのかもしれない。
アレクサンデルは内心でため息をつきながら、頭を掻いた。
しかし見てしまったからには、無視するわけにはいかない。
「……何か、持病でもあるのか?」
「いや……別に病気ってほどのことじゃないわ。至って健康よ」
「健康なのに、そんなに薬を飲むのか?」
「ちょっと、ほんの少しだけ、寝つきが悪いのよ」
どうやらセリーヌが手にしている薬は睡眠薬らしい。
……だが量がおかしい。
「多すぎないか?」
「気のせいよ」
絶対に気のせいではない。
「飲まないと、寝れないのか?」
「……不安で」
小さな声で呟いた。
量がおかしいことは自覚しているようだ。
アレクサンデルはゆっくりとセリーヌの右手に手を伸ばし、錠剤の入った瓶を手に取った。
それから左手を誘導して、山のように積まれた錠剤を戻す。
それからラベルに書かれている用量通り、三つの錠剤をセリーヌの両手に落とした。
「これだけにしておけ」
「……でも」
弱弱しい手で錠剤の入った瓶を求めるセリーヌ。
アレクサンデルはそんなセリーヌの手を取り、握りしめた。
(……なんて、言えばいいんだろうか)
頑張って?
それではまるでセリーヌが頑張っていないと、責めているようだ。
応援しているから?
それではまるで他人事だ。
結局、アレクサンデルにはセリーヌの気持ちは分からない。
「ねぇ……」
「どうした?」
「……申し訳ないって、言ってたわよね? 何でもかんでも家事をして貰うの」
「ああ、そうだけど……」
唐突にそんなことを言い始めたセリーヌに対し、アレクサンデルは怪訝そうな表情を浮かべた。
セリーヌの意図するところが分からない。
「……寝るとき、側にいて」
「え?」
「だから……家事してあげる代わりに、側にいて。私が……怖い夢を見ないように」
そう言ってセリーヌは上目遣いでアレクサンデルを見た。
アレクサンデルの心臓が跳ねる。
セリーヌと“セリーヌ”の顔が重なる。
「お願い、アレクサンデル」
――アレク、お願い――
声が重なった。
「そんなことなら、お安い御用だ」
自然と口が開いてしまった。
(……何してるんだろう)
気付くと、アレクサンデルはセリーヌと同じベッドで眠っていた。
アレクサンデルの手はセリーヌの手と繋がっている。
隣には寝息を立て始めた、美少女が寝ている。
気になって気になって仕方がない。
「……ぅ」
セリーヌが小さな声で呻き始めた。
アレクサンデルは手を強く握り、悪夢に魘されているセリーヌの髪を撫でる。
「……側にいる」
セリーヌが起きないように、聞こえないように、それでもちゃんと夢の中のセリーヌに伝わるように、アレクサンデルは囁きかけた。
すると不思議とセリーヌの表情が安らかになった。
(……俺も寝るか)
アレクサンデルは目を閉じた。
そして……
「……ありがとう、アレク」
夢か現か幻か。
“セリーヌ”の声が聞こえたような気がした。