第3話 冒険者は司祭様に初恋について語る
「……いろいろ買って貰って、ごめんなさい。お金は、後で払うわ」
一通り必要な物を買い終えた後、セリーヌはアレクサンデルに頭を下げた。
通帳の再発行には一週間ほどの時間が掛かるので、とりあえずアレクサンデルが一時的に建て替えることになった。
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
Sランク冒険者といえども、アレクサンデルは決して金持ちではない。
むしろ込み入った事情でお金が必要なので、貧困と言えるかもしれない。
「……アレク。ついでに昼食と夕食の具材も買おうと思うけど、何か食べたいものはある?」
「いや、特にないな」
「嫌いなものとか、食べられないものは?」
「そういうのも特にない」
アレクサンデルがそう答えると、セリーヌはなるほどと頷いた。
「じゃあ昼は……」
「ああ、待ってくれ。セリーヌ」
アレクサンデルはセリーヌの言葉を止めた。
セリーヌは首を傾げる。
「どうしたの?」
「もう時間も遅いし、昼は食べていこう。夕飯はよろしく頼むよ」
そう言ってアレクサンデルは空に浮かぶ太陽を指さした。
丁度太陽は真上に来ている。
今から作るとなると、できあがる頃には少し傾いてしまっているだろう。
アレクサンデルの意見ももっともだと思ったのか、セリーヌは小さく頷いた。
「分かった。えっと、お昼代は……」
「それくらいは奢るよ」
「……ありがとう」
アレクサンデルが選んだ店は、中流階級の人間がよく利用するレストランだ。
お金に余裕がないアレクサンデルはいつも格安店で食事を済ませてしまっているが……
セリーヌは貴族階級出身であり、そして(休職中とはいえ)聖職者である。
セリーヌが格安店の食事に文句を言うとは思えないが……
しかし(交際しているわけではないとはいえ)女の子との食事の場に、格安店を選ぶのも男としてはどうなのかと思ったので、そこそこの値段と味の場所を選んだ。
二人はそれぞれパスタと、シェアするためにピザを一枚頼んだ。
「どうだ?」
「普通に美味しいわ。……この値段でこの味なら、すごくいいと思う」
どうやらセリーヌは店の味を気に入ってくれたらしい。
アレクサンデルは胸を撫でおろした。
……実は女の子と二人っきりで、こういう場で食事するのは初めてなのだ。
「……どうしたの?」
「いや、なんでもない」
じっとセリーヌの食べる様子を眺めていたら、気付かれてしまった。
アレクサンデルは誤魔化すように、自身もフォークを動かしながら……しかしそれでも少しだけ、セリーヌの食べる様子を観察する。
さすが貴族階級と言うべきか、食べる所作は非常に美しく、洗練されている。
ついでに言うのであれば、食べ物を咀嚼するときに少しだけ動く唇が大変魅力的だ。
いつまでも眺めていたくなる。
「ねぇ……」
セリーヌが話しかけてきた。
セリーヌの唇を眺めていたのがバレたのかとアレクサンデルは内心で身構える。
「どうした?」
「……その、あなたの古い知り合いの、セリーヌさん? っていうのは……あなたにとって、どういう人だったの?」
つまり目の前にいるセリーヌ・フォン・ブライフェスブルクさんではなく、ガリアの農村でアレクサンデルが出会った“セリーヌ”のことだ。
アレクサンデルは少し悩んでから答えた。
「……初恋の人、かな」
「は、初恋!? す、好きだったの?」
「好きだったんじゃないな……今でも、好きだ。一目会いたいと思っているよ」
すると何故かセリーヌは顔を真っ赤にさせた。
どうやら目の前の聖職者さんは色恋沙汰にはあまり耐性がないらしい。
顔を夕日のように赤く染め、プルプルと震えている。
「す、好き……じゅ、十年以上も、お、思ってくれていたの……い、いや……私も、そうだけど、いや、でも……しかし……」
顔を俯かせ、ブツブツと小さな声で呟くセリーヌ。
それからしばらくして混乱が収まったのか、セリーヌは真っ赤になった顔を上げてアレクサンデルに尋ねる。
「……どこが好きだったの?」
「どこが、か……」
アレクサンデルが“セリーヌ”のどこが好きだったのか、などということは目の前のセリーヌには全く関係ない。
どうしてそんなことを聞くのだろうと、アレクサンデルは少し困惑しつつも返答する。
「笑顔、かな」
「笑顔?」
「輝くような、周りが明るくなるような、太陽のような笑顔を浮かべる子だった。それに目がキラキラしていて……無邪気で、素直で、純粋で……そんなところが好きだった」
アレクサンデルがそう答えると、セリーヌの手が止まった。
そして小さな声で呟くように言う。
「……今の私とは、正反対ね」
するとセリーヌは暗い笑みを浮かべた。
「根暗で、俗物で、天邪鬼で、嘘つきで、薄汚れた精神の、本当に醜い……」
「そんなことはないだろう」
アレクサンデルはセリーヌの言葉を遮った。
「そんな風に自虐するな。君は十分、魅力的な人だ」
「それは……あなたが私のことを全然、知らないからよ。……この短い間で、私はあなたにたくさんのウソを……」
「ウソなんて、誰でも言うだろ。そんなことはお前が悪い人であることの理由にはならない」
「どうしてあなたは、私が悪い人じゃないって、言い切れるの?」
縋るような目でセリーヌはアレクサンデルを見た。
アレクサンデルは腕を組み、少し考え込んでから答える。
「……勘、かな? だが、俺は人を見る目には自信がある。お前は良い奴だよ、間違いない」
「……非科学的ね」
そう言いつつも、セリーヌは少し嬉しそうだった。
「そ、そういえば……アレクサンデルは何の仕事をしているの?」
唐突にセリーヌは話題を切り替えた。
「うん? ああ、言ってなかったな。冒険者をやってる。一応、Sランクだ」
アレクサンデルは自分が「Sランク」冒険者であることは誇りに思っている。
だが、しかしそれをセリーヌに自慢する気にはなれなかった。
EランクだろうがSランクだろうが、所詮冒険者だからだ。
聖職者であるセリーヌには自慢にならない。
そういう意味での「一応」である。
「へぇ、二十歳でSランクなんて、すごいのね」
「あれ、俺お前に二十歳だって言ったっけ?」
アレクサンデルは首を傾げた。
セリーヌに自分の年齢を言った覚えはないが……
「い、言ったわ。うん、昨日……言ってたような気がする」
「そうだったか? ああ、そうだ。……あまり女性に年齢を聞くのもアレだが、おまえはいくつなんだ?」
「私? 私は……十六歳よ」
「十六!? 十六で司祭なんて、すごいな!!」
そしてアレクサンデルはふと思った。
「十六か……十六となると、同じだな」
「……同じ?」
「十二年前に、ガリアの村でお前と同じ名前の、“セリーヌ”って子に会ったことがあった……ということは少し話したよな? その子は当時四歳だったから、今は十六歳だと思ってな」
もっとも、“セリーヌ”がセリーヌではないことは間違いない。
“セリーヌ”は貴族階級ではなく、農奴の出身だったし、加えてガリア出身だ。
一方セリーヌは貴族階級の出身で、そして“フォン”という定冠詞からゲルマニア出身であることが分かる。
加えて言うのであれば、“セリーヌ”はフォークやナイフなどを使えなかった。
その村にはまだそういったカトラリーは広まっていなかった。
「へ、へぇ……す、すごい偶然ね!」
「ああ……もしかして、お前の双子の姉か妹だったりしないか?」
アレクサンデルが冗談半分で言うと、セリーヌは首を大きく横に、何度も振った。
「そ……そんなわけないでしょう!」
「だよな。いや、冗談だよ。本気にしないでくれ」
その時……
セリーヌは右手で左手首に爪を立てていたことに、アレクサンデルは気付いていなかった。