第29話 冒険者は司祭様に薔薇を渡す
ガリア王国王都ルテティス市には、ウァレンティヌス祭前日の夕方までに帰ってくることができた。
「どうですか、兄さん。美味しいですか?」
ナタリアがアレクサンデルに尋ねた。
アレクサンデルが口にしているのは夕食のシチューである。
「……ん、美味いが、これは誰が作った?」
いつも食べ慣れているセリーヌの味……
に似ているが、若干違う。
はっきり言ってしまえば、数段味が落ちている気がする。
無論、それでも十分美味しいのは変わらないのだが。
「いつもと違う気がする?」
「ああ。どこか調子でも悪いのか?」
アレクサンデルが尋ねると、セリーヌは嬉しそうに笑った。
「違うわよ。……ふふ、ちゃんと私のいつもと違うのが分かるのね、アレク」
「それを作ったのは私です」
ナタリアはニヤニヤと笑みを浮かべて言った。
「お義姉さんに教わって作ったのですが、兄さんの舌は騙せなかったみたいですね」
「まあ、まだまだ修行が足りないということよ」
少し悔しそうに、しかしどこか揶揄うような口調で言うナタリアと、自慢気に、そして嬉しそうに胸を張るセリーヌ。
「仲が良さそうで結構なことだ」
アレクサンデルはホッとした。
自分が留守の間、セリーヌがアンナやナタリアと上手くやれるか心配だったが、ちゃんと仲良くやれているようだ。
むしろ今はアレクサンデルの方が疎外感を感じている。
……男一人だからだろうか?
(……そう言えば、この味は大元を辿るとシャルロットに行き着くんだよな?)
シャルロットがセリーヌに伝え、そのセリーヌがナタリアに伝えたわけだ。
そしてシャルロットもまさか生まれた時から料理ができたわけでもないので、誰かから教わったということになる。
技術の継承というのは面白いものだと、アレクサンデルは思った。
「ところで、セリーヌ」
「どうしたの?」
「……明日は何か、用事はあるか?」
その瞬間、どこか空気が変わるのをアレクサンデルは感じた。
ナタリアはニヤニヤと笑みを浮かべ……
アンナは「まぁまぁ」と言いながら少し驚いた表情を浮かべている。
一方セリーヌはどこか顔が赤い。
そして……アレクサンデルも自分の顔が熱を帯びてくるのを感じた。
「な、ないけど……そ、それが?」
「その、あれだ。以前は俺が知っているルテティス市をお前に案内しただろう? 今度は、お前の知っているルテティス市を案内して欲しいなと思って」
デートしよう。
とはさすがに言えなかったので少し遠まわしの表現になってしまったが、問題なく伝わったようで、セリーヌはもごもごとしてから頷いた。
「う、うん……分かった。案内、してあげる」
せっかくなので、互いに家を出るタイミングをズラして待ち合わせしよう。
そんな可愛らしい提案をされたアレクサンデルは即座にそれを承諾した。
(……不思議な気分だ)
ルテティス市の噴水広場でアレクサンデルはセリーヌを待っていた。
セリーヌを待つ、というシチュエーションは中々ないので少し新鮮な気持ちになる。
「アレク!」
「おお、セリーヌ」
アレクサンデルは軽く手を振った。
するとすぐに銀髪の女性が駆け寄ってきた。
「……その、待った?」
「いや、俺も今来たばかりだ」
無論、二人とも同じ場所に住んでいるし、わざと出発時間をズラしたのだから「待った」も何もない。
ただのおふざけである。
アレクサンデルはじっと、セリーヌの服を観察する。
デートということもあり、気合いを入れてきてくれたらしい。
普段はあまり化粧をしない――化粧をしないであの容姿というのは驚愕に値するものだが――というセリーヌだが、今日はしっかりしているようで、いつもより美しく見えた。
白いコートに、黒い短めのスカートを合わせている。
スカートから伸びる長い足には黒いタイツ、そして長い茶色のブーツを履いていた。
そして首元には赤いマフラー……これはセリーヌの手編みで、アレクサンデルとお揃いのものだ。
「今日も可愛いな」
「な、何を急に言っているのよ!」
バシッと、セリーヌはアレクサンデルを叩いた。
どうやら口に出ていたようだ。
「あ、アレクも……今日もカッコいいわよ」
「そうか? 一応、ナタリアに選んで貰ったんだが……」
「さすがは妹ね、アレクの魅力の引き出し方をよく分っているわ」
うんうんと頷くセリーヌ。
どうやらセリーヌとナタリアは“アレクサンデルの魅力”というものをよく分っているらしい。……ちなみにアレクサンデルはよく理解できていない。
「さあ、行こうか。セリーヌ」
「……うん。ついて来て」
二人は手を繋いだ。
セリーヌに案内される形で二人はルテティス市の中心部、つまり政治や経済、芸術の中心地となり、そして富裕層が住む地価が高い場所へと向かう。
セリーヌが選んだ場所は美術館だった。
その殆どは貴族たちのコレクションや家宝と言えるものだ。
(……正直、芸術って分からないんだよな)
そんなことを思いながら、何気なくセリーヌに話題を振る。
「この絵は何の絵なんだ?」
「ん? この絵はね……」
するとセリーヌはまるで読み上げるかのようにすらすらと絵の解説を始めた。
絵の名前、作者、表現されているもの、使われている技法、芸術的な価値、そしてその絵に関する面白いエピソードなどをアレクサンデルに教えてくれた。
「へぇ……面白いな」
解説を聞きながら見るというのは、案外面白いものだなとアレクサンデルは思い直す。
「でも、いろいろ語ったけどね? 正直、私は絵に金貨を何十枚、何百枚も積む人の気持ちが分からないわ。まあ、金貨一枚くらいだったら家に一つくらい飾りたいけど」
「気持ちは分かる。そんなものに金を費やすくらいなら、美味いもんでも食いたいし、何なら便利な魔導具でも揃えて暮らしを楽にしたい」
「分かる、分かる」
良くも悪くも、お互い価値観が庶民らしく、考えが一致してしまった。
「美味いものと言ったら、腹が減ったな。……食事はどうする?」
「ちょっと値は張るけど、美味しいお店があるから、そこに行きましょう」
「ん……いくらくらいだ? 情けない話だが、あまり財布に自信は……」
「今日は私が奢るわ」
普段は割り勘だが、今日はセリーヌが奢ってくれるらしい。
アレクサンデルは頭を掻いた。
「……一応、俺にも男としての意地があるんだが」
「あら、私にも聖職者としての意地があるのよ」
セリーヌの方が身分は高いのだから、奢るべきはセリーヌである。
と言われると、確かに道理である。
「ほら、行きましょう」
「ああ……今度、機会があったらその時は俺が奢るからな?」
「じゃあ、期待しているわ」
セリーヌは微笑み、アレクサンデルの腕に抱き着いた。
それから二人はレストランで食事を済ませ、そしてルテティス市の博物館や有名な観光スポットを巡った。
「ガリア王国の王宮……懐かしいわね」
観光名所の一つとなっている、王宮を眺めながらセリーヌは言った。
無論、眺めるといっても遠目に見るだけだ。
不用意に近づくことはできない。
「何か、縁でもあるのか?」
「今から四年前かしら。ガリア王が退位したのは知っているでしょう?」
「ああ……えっと、人体錬成に関与したかなんかで、聖教会に咎められたんだよな?」
「そうそう」
人間を錬成してはならない。
それはイブラヒム神聖同盟の統一法によって定められている禁止事項の一つである。
「その時に国王を拘束したのが私なのよ」
「拘束? お前が自ら、王宮に乗り込んだのか?」
「ええ、あの時は助祭で、まだ聖職者になりたてだったから、緊張したわ」
聖職者の中には武装神官と呼ばれる者たちがいる。
文字通り、武装した神官であり、一騎当千の実力を持つとされている。
現場において高度な政治的判断が必要となる場合にのみ派遣される。
どうやらセリーヌはその“武装神官”のようだった。
(まあ、薄々勘付いてはいたけれど)
アレクサンデルもそれなりに修羅場を潜ってきているので、その人物の強さは普段の動作を見ていればなんとなく分かる。
セリーヌは間違いなく、何らかの武術を習得しているし、そして非常に優れた武人であることは身のこなしからみて明らかだ。
「……今度、手合わせしてくれないか?」
「私、強いわよ? 打ちどころが悪かったら、死んじゃうかもしれないけど……」
「俺も強いぜ。一応、Sランク冒険者だ」
「昔、そうやってSランクであることを妙に自慢するやつをタコ殴りにしたことがあるわ。……まあアレクがやりたいって言うなら良いけど」
やりたい、ってなんかエロいな。
どうでも良いことを考えるアレクサンデルであった。
夕暮れ時、二人は噴水広場の前に戻ってきた。
真っ赤な夕日によって噴水が赤く染まり、とても綺麗だ。
「あ、あの……アレク。その、実は渡したい……」
「悪い、セリーヌ。少し待っててくれ。雉を撃ちに行ってくる」
アレクサンデルは一方的にそう言うと、少しその場から離れる。
そして噴水広場から少しだけ離れた場所に設定した待ち合わせ場所へと向かう。
そこには薔薇の花を持ったシャルロットがいた。
「トイレに行ってくる、はないでしょう? いくら何でも」
「うるさい。上手い言い訳が思いつかなかったんだ。……良いから寄越せ」
「はいはい」
アレクサンデルはシャルロットから薔薇の花を受け取った。
それから急いで噴水の前に戻る。
「あ、アレク! その……」
「その前に、俺から渡したいものがあるんだ。……良いかな?」
アレクサンデルは薔薇の花を背中で隠しながら言った。
とはいえ、九十九本の花束なのでさすがにはみ出してしまう。だからアレクサンデルが何を自分に渡そうとしているのか、丸わかりだ。
そして……今日は何の日かを考えれば、それが何を意味するかを予想するのはさほど難しいことではない。
「は、はい……大丈夫、です」
なぜかセリーヌは敬語になった。
顔が真っ赤なのは夕日に染まっているから……だけではないだろう。
アレクサンデルもまだ冬だというのに、顔が妙に熱かった。
「その、セリーヌ。受け取ってくれ」
アレクサンデルはそう言って花束をセリーヌに突き出した。
「……九十九本、ある」
「そ、それは!」
アレクサンデルが目を少し反らし、頬を掻きながら言うとセリーヌは目を見開いた。
やはり意味を知っているらしい。
アレクサンデルは一度大きく深呼吸をした。
「セリーヌ、ずっと好きだった。お前のことが、ずっと、ずっと、好きだった!」
セリーヌは薔薇のように頬を真っ赤に染めた。
そして真紅の唇を震わせる。
「わ、私は……」