第24話 司祭様と冒険者はデートに向かう
アンナが目覚めたのは翌日のことだった。
「足は動きますか?」
「……ええ、動くわ」
アンナはそう言って両足をブラブラと動かしてみた。
「でも力が入りにくい気がするわ」
「再生したばかりですから。それは大丈夫です。一月もすれば、歩けるようになると思います」
そう言ってセリーヌは微笑んだ。
するとアンナもまた、嬉しそうに笑った。
「ありがとう……また自分の足で歩ける日が来るなんて! 夢みたいだわ」
それから少しだけ、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「……ごめんなさいね、無理をさせてしまって」
「無理?」
「苦手なんでしょう?」
何が、とは言わなかった。
ナタリアから聞いていたか、それとも少し距離を開けていたのを察せられてしまったのか。
そのどちらか、または両方だ。
「患者さんに気を使わせるわけにはいきませんから。それに……アンナさんの年齢なら、そこまで……」
「苦手な年齢とかがあるの?」
アンナが尋ねると、セリーヌは曖昧に頷いた。
「ええ、まあ……八歳くらいから十代前半までと、四十代後半から五十代前半くらい、ですかね?」
「私はもう四十超えているけれど……」
「そうなんですか? いえ、アンナさんはお若く見えるので……」
「嬉しいことを言ってくれるじゃない!」
お世辞ではないことが分かるせいか、アンナは上機嫌にセリーヌの肩を叩こうとして……
慌てて引っ込めた。
「まあ、無理はしないでね。何かあったら言って?」
「はい、お心遣い、感謝します」
セリーヌはそう言って頭を下げた。
「それと……あと一月ほど経過を見たいので、しばらくはこの街に滞在します。えっと……」
「泊っていって。アレクサンデルを含め、四人くらいは住めるはずだから」
「ありがとうございます」
「お礼を言わなければいけないのは、私の方よ」
そもそも街に滞在するのは、アンナのためである。
タダで治癒をしてもらったのだから、それくらいするのは当然だ。
「ああ、そうだ……お一つ、ご相談があるのですが」
「相談?」
「いえ……足をどうしようかと思いまして」
そう言ってセリーヌは保存しておいたアンナの足を取り出して見せた。
アンナは眉を顰める。
「なんか、変な気分になるわね……」
「お気持ち、お察しします。それで、どうしましょうか?」
「どうするって、具体的には?」
「捨てる方もいらっしゃいますし、記念に持っておく人もいます。……記念に持っておきたいならば、防腐処理を施します。また、もしよろしければ標本や実験のために売ってしまっても構いません」
セリーヌがそう言うと、後ろからシャルロットが笑顔を浮かべて言った。
「石化病の研究のために、ぜひ売ってください! 足一本、金貨一枚で買い取りますよ!」
するとアンナは苦笑いを浮かべて言った。
「まあ……そんなの持ってても仕方がないし、買い取って頂けないかしら?」
「ありがとうございます!」
するとシャルロットはセリーヌを押しのけて、金貨二枚をアンナの手に握らせた。
そして足を二本、布に包んで抱えた。
「ではでは……一先ず、私はこれで失礼します。何かあったら、呼んでください」
そう言って立ち去っていくシャルロット。
シャルロットが立ち去ってから、アンナはセリーヌに尋ねた。
「セリーヌさん、もしかしてあの人って、ラ・アリエ公爵?」
「はい、そうですよ」
「変わった人とは聞いていたけど、本当に変わった人なのね……」
アンナが感嘆の声を上げると、アレクサンデルが会話に割り込んできた。
「セリーヌ、シャルロットって公爵なのか?」
「ガリア王と封建契約を結ぶ貴族としてはラ・アリエ公爵、教皇と封建契約を結ぶ貴族としてはモンモランシ選教候よ。確か父方がラ・アリエで、母方がモンモランシだったような気がするわ」
するとアレクサンデルは驚きの表情を浮かべた。
「大貴族って聞いていたが、そんなに凄い奴だったのか……」
「確か、アルビオン王国からは伯爵位を貰っているとか、聞いたわ。メイドメイド言ってるけどね、あいつはああ見えて生粋のお姫様なのよ……羨ましい」
「羨ましいって、セリーヌも選教候の娘じゃないか」
「……そうね」
ガリッ。
セリーヌの左手首に、彼女の右手の爪が突き刺さった。
すると気を利かせたのか、アンナが明るい声で言った。
「せっかくだし、セリーヌさんとデートに行ってくれば? ほら、アレクサンデル。ルテティス市を案内してあげなさいよ」
アンナはセリーヌがゲルマニア貴族であり、そしてルテティス市のことをよく知らない体で言っているが……
シャルロットとセリーヌの話が正しければ、セリーヌはルテティス市にある「学校」に通ったことがあるので、ルテティス市のことは知っているはずだ。
が、しかしセリーヌを労ってやるためにも、彼女のストレス解消にも、ルテティス市観光をするというのは悪い話ではない。
しかし、心配なのはアンナの容体である。
「兄さん、アンナさんは私が見ておきます。だから行ってきてください」
ナタリアが見てくれるのであれば、大丈夫だろう。
そう思ったアレクサンデルはガリガリと掻きむしるセリーヌの手を取った。
「出かけないか?」
「……そうね。うん、分かったわ」
セリーヌは素直に頷いた。
「なんか、強引に連れ出すみたいになってごめんな」
「別に良いわよ」
アレクサンデルが謝ると、何でもないという風にセリーヌは言った。
しかし何だかんだで誘ったのは正解だったようで、セリーヌは少し機嫌が良さそうだった。
「まずは……どこに行く?」
「そうね……そろそろお昼だし、まずは昼食を食べてからにしない? それから決めましょうよ」
「それもそうだな」
アレクサンデルは頷いた。
幸いにもこのあたり一帯の地理はある程度知っているので、美味しい店もいくつか知っている。
「じゃあ、来てくれ。こっちに良い店がある」
「うん」
セリーヌは頷いてから、おずおずと手を伸ばしてきた。
アレクサンデルは一瞬戸惑ったが、すぐにその手を取った。
「やっぱり、ルテティス市は食べ物が美味しいわね」
「気に入ってくれたみたいで嬉しいよ」
あまり値段が高い店ではないのでセリーヌの口に合うか少し心配だったが……
喜んでくれているようで、アレクサンデルは安心した。
「ね、ねぇ……アレク」
「どうした?」
「その……あなたの食べてる、牛肉の煮込み料理、一口くれない?」
「良いぞ。じゃあ取り皿を……」
「そ、そうじゃなくて……」
店員を呼び止めて、取り皿を頼もうとしたアレクサンデルを、セリーヌは制した。
そして上目遣いで言った。
「そ、そこまでしなくても良いわ。……あ、あなたが良ければ、だけど、嫌なら別に良いんだけど、その、ね?」
セリーヌが何を求めているのか察したアレクサンデルは思わず固まってしまった。
ここまで直接求められたことは初めてだ。
「……嫌だった?」
「そんなことないさ」
アレクサンデルは肉の一欠けらをスプーンで掬い、少し冷ましてからセリーヌの口元に運んだ。
セリーヌは身を乗り出して、口を開けた。
「ん……」
「どうだ?」
「美味しい……」
セリーヌはそう言って目を細めた。
顔が赤いのは偶然でも、そして赤葡萄酒のせいでもないだろう。
「……じゃあ、お返し」
セリーヌはそう言って自分のオニオングラタンスープを掬い、アレクサンデルの口元に運んだ。
アレクサンデルは意を決して、セリーヌのスプーンを口に含む。
「美味しい?」
「ああ、美味いよ」
今更ながら、これは「間接キスだな」などとアレクサンデルは思った。
今まで「あーん」は幾度かしてきたが、唾液の交換まで行ったのは今回が初めてだ。
「……」
「……」
それから沈黙が続いた。
二人は顔を赤くしながら、互いの出方を待った。
_______________________________________________補足
シャルロット・カリーヌ・ド・モンモランシ・ド・ラ・アリエ
母ナディア・カリーヌ・ド・モンモランシと父シャルル・ド・ラ・アリエの一人娘。
母からは世界で唯一“エリクサー”を錬成できる一族である、モンモランシ選教候の地位を、父からはガリア王国のラ・アリエ公爵の地位を相続している。
モンモランシ選教候は三千年続く女系の一族であり、預言者イブラヒムが降臨したのが二千年前であることを考えれば異例の長さである。
またラ・アリエ公爵は現ガリア王国王家の傍流であり、ガリア有数の大貴族である。
シャルロッテが誕生した時には、モンモランシ選教候一族には莫大な借金があったが、これはモンモランシ選教候の一族が錬金術の研究にしか興味がなく、得た知識を利用して金儲けを考えなかったためである。
現在では経済感覚に優れるシャルロットによりすべての借金は返済し終えており、逆に大陸中の諸侯や商人に金を貸すほどにもなっている。
聖教会もまた、シャルロットから莫大な借金や喜捨・寄進を受けている。
シャルロットの総資産について詳細な金額は不明であるが、セリーヌに言わせてみれば「間違いなく、今のガリア王よりは金持ち」であるらしい。
そんなモンモランシ家最高の秘宝は、代々継承し続けている世界最高峰の“神秘”を誇る“錬成釜”である。モンモランシ家がエリクサーを錬成できるのは、この“錬成釜”を保有しているからである。
その“錬成釜”の正体は謎に包まれている……
が、セリーヌはある程度、察しているらしい。
なお、結論から言うとその“錬成釜”の正体は『子宮』をメインに、『卵巣』をサブに、そして三十七兆二千億の『細胞』を補助として直列させた、有機釜である。




