第12話 冒険者は妹を司祭様に紹介する
「実の妹を見て、面倒とは何ですか、面倒とは!」
プンスカと頬を膨らませる女の子。
アレクサンデルはそんな少女の抗議を無視し、セリーヌに話しかける。
「あー、こいつは俺の妹のナタリアだ。……セリーヌ?」
なぜかセリーヌは後退り、アレクサンデルの後ろに隠れていた。
どこか、震えているように見える。
「どうした? セリーヌ」
するとセリーヌは小声でアレクサンデルの耳元で呟く。
「私、その……ちょっと、女性が、苦手というか、その怖いというか……ちょっとだけよ? ちょっと、ちょっとだけだから……」
「はぁ……なるほど」
よく分らないが、セリーヌは女性恐怖症らしい。
それも「ちょっとだけ」ではなく、かなり重度のようで少し震えている。
「あの……」
「お願い、近づかないで」
セリーヌはそう言ってナタリアを手で制した。
それから軽くナタリアに頭を下げた。
「……ご不快に思われたなら、申し訳ありません。ただ、あまり女性が得意ではないので」
「そうなんですか……すみません」
よく分らない……
という顔でナタリアは首を傾げた。
男性が怖い女性は見たことあるが、同性が怖い女性は珍しい。
「私は、セリーヌ・フォン・ブライフェスブルクと申します。アレクサンデルさんには日頃からお世話になっています。初めまして。ナタリアさん」
そう言ってセリーヌは改めて挨拶をした。
するとナタリアも一歩離れた位置で丁寧に頭を下げる。
「あ、これはご丁寧に……アレクサンデルの妹のナタリアです。いつも兄がお世話になっています」
「まあ、とりあえず寒いし中に入れ」
アレクサンデルはそう言ってドアの鍵を開けた。
「これ、凄く美味しいです! セリーヌお義姉さん!」
ナタリアはセリーヌの作ったパスタを食べながら言った。
するとセリーヌは照れたように頬を掻いた。
「そ、そう?」
「はい! レシピを教えてください!!」
「分かったわ。あとで用意しておくわね」
意外にも仲良く話すセリーヌとナタリア。
女性が苦手というセリーヌに対してあまり近づかずに話すナタリアと、苦手ではあるが仲良くしようという意思はあるセリーヌ。
そんな二人の相性は悪くはないようだ。
(お義姉さんって……何で、セリーヌは普通に受け入れてるんだよ)
このままセリーヌとナタリアが会話を続けると、さらに面倒なことになるような気配を感じたアレクサンデルは本題に入った。
「それで、ナタリア。何で急に来たんだ? 来るなら来ると、手紙でも書いてくれればいいのに」
「サプライズですよ、兄さん。というか、降臨祭の日くらいは顔を見せてください。アンナさん、寂しがってましたよ」
アンナ、とはアレクサンデルとナタリアの育ての親である。
ナタリアとアンナの二人は、アレクサンデルと離れた街で暮らしている。
「じゃあ、近いうちにそっちに行くと伝えてくれ」
「分かりました。……その時はセリーヌさんも連れてきてください」
「何でだよ」
「何でって……恋人でしょう? 連れてくるのは当たり前です。セリーヌさんも、ぜひ来てください。私はガリア王国のルテティス市に住んでますから」
「ええ、分かったわ。そのうち挨拶に伺う」
「おい!」
勝手に妙な約束をしてしまうセリーヌとナタリア。
埋まってはいけないものが埋まったような気がして、アレクサンデルは冷や汗を流す。
「ところで、お義姉さん!」
「どうしたの?」
「フォン・ブライフェスブルク、ってことはもしかして、もしかすると、貴族階級のお生まれですか?」
「…………ええ、まあ、そんな感じよ」
若干の間を開けてからセリーヌは答えた。
どこか、後ろめたそうな表情を浮かべている。
「ブライフェスブルクって、あのブライフェスブルクですか?」
「まあ……そうね」
「も、もしかして……」
ナタリアは少し緊張した面持ちで尋ねた。
「そ、宗家ですか?」
「……まあ、確かに私の父はブライフェスブルク家の当主だわ」
するとナタリアは目を丸くさせた。
そしてアレクサンデルの背中をバシバシと叩く。
「兄さん、どうやってブライフェスブルク宗家のお姫様を落としたんですか? まさか、誘拐とか、駆け落ちじゃないですよね?」
「ちげぇよ……というか、ブライフェスブルク家ってそんなに凄いのか?」
ブライフェスブルク家が名門貴族家なのはアレクサンデルも知っている。
よく耳にする家名だからだ。
しかしなぜブライフェスブルク家が名門なのか、どのような一族なのかは知らない。
「当たり前です! ブライフェスブルク家の宗家は、あの選教候ですよ? ブライフェスブルク選教候。ゲルマニア連邦有数の大諸侯です!」
「せ、選教候? マジかよ……」
選教候は、教皇選挙での選挙権を持つ特別な爵位である。
この爵位は教皇から直接、授与されるものだ。
教皇はイブラヒム聖教会の最高権威・権力者であり、イブラヒム神聖同盟――イブラヒム聖教会を中核とした、イブラヒム教を信教とする国家・諸侯・都市・ギルド・その他政治権力による政治的・経済的な同盟関係によって成立する事実上の連邦国家――の頂点に君臨する。
教皇の次に来るのが、教皇を選出する権利、通称“選教権”を有する枢機卿、国王、そして選教候である。
つまりセリーヌの父親は国家規模ではなく、大陸規模の権力者ということになる。
「実家が凄いというだけよ。……そもそも私は―子だし」
後半はセリーヌの声が非常に小さかったため、聞き取ることができなかった。
「お、お義姉さん! 兄とは、どうやって知り合ったんですか?」
「……まあ、その、助けてもらったというか、拾ってもらったというか、そんな感じよ」
「……拾う?」
「こいつ、雪の日に、無一文で外で座ってたんだよ。それを家に上げて、以来は……まあ、なし崩しにって感じだな」
「雪の日! ロマンチックですね!!」
ナタリアはキラキラとした目で体を乗り出した。
ナタリアの向かい側にいたセリーヌは思わず身を引いた。
「あー、私からも質問を良いかしら?」
「ええ、良いですよ」
「その……ナタリアは何歳なの?」
「私ですか? 十二歳ですけど……」
するとセリーヌはなるほどと頷いた。
「……やっぱり、あの赤ちゃんか」
「何か言ったか? セリーヌ」
「いえ、何でもないわ」
そう言ってセリーヌは首を左右に振った。
「そう言えば……すみません、お義姉さん。せっかく、兄さんと二人っきりだったのに……」
ナタリアはセリーヌに頭を下げた。
するとセリーヌは首を左右に振る。
「いえ、私こそ……本当は家族水入らずになったところを、邪魔する形になってごめんなさい」
「そんな! 兄さんの恋人なら、家族も同然ですよ!」
ナタリアが笑みを浮かべて言うと、セリーヌは頬を紅潮させた。
「いや……まだ、恋人じゃないけど……」
「どうしましたか? セリーヌさん」
「い、いえ、そう言ってくれるとありがたいわ。……なら、あなたは私の妹も同然ね。これからアレクと一緒にお祭りに行く予定だったんだけど、あなたも来る?」
「はい! ぜひご一緒させてください」
「……」(なんか、俺抜きに取返しのつかないやり取りをしていないか?)
アレクサンデルの背中に冷たい汗が伝った。
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補足
・イブラヒム神聖同盟
イブラヒム聖教会を中核とした、イブラヒム教を信教とする国家・諸侯・都市・ギルド・その他政治権力による政治的・経済的な同盟関係によって成立する事実上の連邦国家。
EUより結束が固く、アメリカほど一枚岩ではないイメージ。
広さはローマ帝国の最大版図にライン川以東の東欧を加えた程度。
総人口は一億を超す。
イブラヒム聖教会がその同盟の中核であり、聖職者たちは神聖同盟においては官僚として実務を担っている。
・ゲルマニア連邦
イブラヒム神聖同盟に加盟している国家のうちの一つ。
元は皇帝がいたが、聖教会によって廃位され、諸侯による連邦共和制へ移行した。
国、ということになっているが国家としての体を成していない。
・教皇
イブラヒム聖教会の最高指導者。全司教たちのまとめ役。
教皇選挙によって選出される。
・選教権
教皇選挙において投票権を持つ特別な権利。
これを持つのは枢機卿団に属する枢機卿、各国の国王、選教候、各ギルド、自由都市の代表者のみ。
なお、選教権を持つ者の過半数以上は枢機卿であり、教皇選挙の主導権は聖職者たちが握っている。