第11話 冒険者はある人物の来訪に少し驚く
翌日。
降臨祭だから朝食も豪華……ということはなく、朝食の内容はいつもとそこまで変わらなかった。
が、しかし雰囲気だけは違った。
「……」
「……」(気まずいな)
昨夜の「あーん」を思い出しながらアレクサンデルは思った。
妙に意識してしまい、話しかけにくい。
「……アレク」
「な、なんだ?」
最初に切り出したのはセリーヌだった。
どこか紅潮した顔でセリーヌは言った。
「き、昨日のこと……覚えてる?」
「い、いや……まあ、忘れてはいないが……」
嘘を言うのもどうかと思ったので、アレクサンデルは正直に言った。
それから頭を掻きながら、誤魔化すように言った。
「あ、安心しろ……大丈夫だから」
アレクサンデル自身、何が大丈夫なのか分からなかった。
「そ、そう……なら、良かったわ」
何が良かったんだろうか、とアレクサンデルは思ったがそれを聞いたら面倒なことになりそうだったので口には出さなかった。
「アレクサンデルは……今日の予定はある? 私は、朝は礼拝に行くけど」
「俺も礼拝に行くよ」
「あ、ちゃんと行くのね」
「そりゃあ、降臨祭の日くらいはな……」
最低、週に一度は礼拝に行くべし。
というのがイブラヒム教の教えであるが、アレクサンデルは年に数えるほどしか教会にはいかない。
面倒だからだ。
イブラヒム教徒もそのすべてが熱心な信者というわけではなく、半数くらいの人間はその程度である。
そんなアレクサンデルを含め、適当なイブラヒム教徒も、さすがに降臨祭の日くらいはちゃんと教会に行く。
「降臨祭の日だけではなく、週に一度は行きなさい」
「しかし半日が潰れるのはな……」
休みの日は家でゴロゴロするか、酒場で駄弁っていたい。
だからあまり教会には行く気になれない。
「現実生活が大切なのはわかるけどね。良い、アレク。人間はね、生きている時よりも死んだ後の方が長いのよ」
「それは……まあ、そうだな。お前がそんなに言うなら……考えておく」
アレクサンデルもイブラヒム教を信じていないわけではないし、死んだあとは天国に行きたい。
“セリーヌと一緒に”という条件付きなら、一月に一度くらいは行っても良い。
「じゃあ、食器を洗い終えたら行きましょう。時間的には丁度良いはずよ」
「ああ、分かった」
二人は揃ってアパートを出た。
三週間ほど一緒に生活しているが、一緒に出かけるのはこれが二回目――二日目の買い物以来――である。
「セリーヌ、これ、ありがとうな」
アレクサンデルはマフラーを指さして言った。
セリーヌに貰ったプレゼントを、アレクサンデルは早速身に着けていた。
「な、何よ、急に……」
セリーヌは恥ずかしそうに言った。
そして目を伏して言う。
「……昨晩、使うと言って、使えなかったわね、精油。今晩は、使うことにするわ」
「なら、酒で泥酔するわけにはいかないな」
「もう……その話はやめてよ」
セリーヌはそう言って、軽くアレクサンデルの胸をとん、と拳で叩いた。
そんなセリーヌの顔は恥ずかしさからか、真っ赤に染まっている。
赤い顔を隠すように、マフラーを上げるセリーヌ。
軽い気持ちで揶揄っただけだが、思ったよりも可愛らしい反応をされたため、アレクサンデルは少しドキッとした。
「おーい、アレクサンデル!」
見知った声を聞いたアレクサンデルは後ろを振り向いた。
そこにいたのはAランク冒険者、ダニエルだった。
アレクサンデルと同じ、雑な信者代表のダニエルではあるが、彼もまた降臨祭の日くらいは礼拝に来る。
「見せつけるようにイチャイチャしやがって! ……初めまして、アレクサンデルの恋人さん。俺はダニエル。こいつの友人で、同じ冒険者だ」
ダニエルはアレクサンデルの背中を強く叩いてからセリーヌに向き直り、そう挨拶した。
するとセリーヌは恥ずかしそうに目を逸らした。
「こ、恋人って……別に、そういうわけじゃないけど……」
そう言ってから、改めてダニエルに向き直る。
「セリーヌ・フォン・ブライフェスブルクと申します。アレクサンデルさんには、いつもお世話になっています。ふつつかものですが、よろしくお願い致します」
流暢で訛りのない、綺麗なゲルマニア語で丁寧にあいさつをした。
するとダニエルは目を見開いた。
「……もしかして、恋人さんって貴族か?」
「一応、ブライフェスブルク家に名を連ねる者です。……厳密に言えば、私は聖職者です。今は、休職中ですが」
セリーヌがそう答えると、ダニエルは強引にアレクサンデルの肩を抱いた。
そして耳元で小声で言う。
「すげぇじゃねえか、おい。玉の輿だぞ!」
「玉の輿って……まるで俺がヒモ狙いみたいじゃないか……」
まるで自分がセリーヌの財産や収入目当てかのような言われように、アレクサンデルは眉を顰めた。
まあ、そもそも恋人ですらないのだが。
「分かってるって……だけど、ブライフェスブルクって、かなりの名門じゃなかったか? 俺だって、少し聞いたことがあるぞ」
「それは……まあ、俺も名前は聞いたことはあるが」
アレクサンデルとダニエルが活動の拠点としているこの街、エンデアヴェント市は神聖ゲルマニア連邦の自由市の一つである。
エンデアヴェント市は自由市――市民による自治独立が維持されている街――だが、神聖ゲルマニア連邦の多くの街や村は、騎士や諸侯の領地である。
ブライフェスブルク家は数多ある神聖ゲルマニア連邦の貴族家の中でも、アレクサンデルたちのようなあまり貴族事情に詳しくない者たちですらも、名前くらいは耳にしたことがある程度の、名門貴族家だ。
「すごいのは、私ではなく、父ですよ」
アレクサンデルとダニエルの会話を聞いていたのか、セリーヌはそう言った。
「……そもそも私は――だし」
そして小声で何かを呟いた。
それから柔らかい笑みを浮かべる。
「そろそろ時間も押しています。教会に行きませんか?」
今までの会話を打ち切るように、セリーヌは言った。
正午となり、礼拝の時間が終わった。
帰り道、アレクサンデルは大きく伸びをしながら呟く。
「しかし……随分と込んでたな」
「降臨祭だからよ。普段はこんなに込んでない……全く、信心深さが足りないわ。この街の住民は」
やはり聖職者だからか、普段はあまり教会に赴かない住民に対して一言二言言いたいようだった。
アレクサンデルもそんな住民の一人なので、耳が痛い。
「昼はどうする?」
「作っておいたトマトソースがあるから、パスタを茹でる予定だけど?」
「あー、そういう意味じゃなくてだな。祭りに行くかって、ことだ」
するとセリーヌは眉を顰めた。
「ああいうのは、聖職者としては推奨できないわ」
エンデアヴェント市では、というよりもどこの街や村でも、降臨祭の日の夕方から夜にかけて祭りが開かれ、バカ騒ぎになる。
聖教会は「降臨祭の日は大切な人と、家庭で静かに過ごす」ことを奨励しているため、これは褒められたことではない。
が、みんな楽しいのでやっている。
アレクサンデルも毎年参加していた。
「……アレクは、参加したいの?」
「……まあ、楽しいし、な」
「そう……分かったわ。私も付き合う」
「別に無理に付き合う必要はないぞ?」
アレクサンデルがそう言うと、セリーヌは首を左右に振った。
「私も故郷では、幼い時はこういう催しに参加したことはあるし……嫌じゃないわよ? 聖職者の立場として、推奨できないというだけで。それに、今は休職中だしね」
そう言ってから、セリーヌは上目遣いでアレクサンデルを見上げた。
その瞳はいつもと同じようにあまり感情を移さない、死んだような色をしていたが……
しかし頬は紅潮している。
「アレクと一緒なら、きっと楽しいと思うし」
「そ、そうか……」
アレクサンデルは頬を掻きながら目を逸らす。
少し気恥ずかしい。
そんな会話をしながらアパートへ向かう。
「ん? 誰かいるわね」
「あれは……まさか!」
アパートの前では、一人の女の子が腕を組んで扉に凭れ掛かっていた。
その女の子と、アレクサンデルの目が合う。
「兄さん! 久しぶりで……」
女の子はアレクサンデルにそう声を掛けてから、アレクサンデルの隣を歩いているセリーヌに視線を向け、顔を硬直させた。
「に、兄さん!! ま、まさか、恋人ですか!!!」
キャーキャーと騒ぎながら駆け寄ってくる女の子。
アレクサンデルは思わず額に手を当てた。
「面倒なことになったな」




