第10話 司祭様は酔っぱらって冒険者に甘える
「料理、美味しかった?」
「ああ……美味かったよ。特に七面鳥とケーキは良かった」
アレクサンデルは膨らんだお腹を摩りながら答えた。
少し食べ過ぎてしまった感がある。
「それは良かった! それと、ケーキはまだ残ってるから、腐らないうちに消費しないとね」
「そうだな」
料理自体の量が多かったこともあり、さすがに二人だけではホール一つ食べ切ることはできなかった。
そういうわけで今日二人が口にしたケーキは一切れずつである。
しばらくの間、デザートやおやつはケーキになるだろう。
「ところで、セリーヌ。その、最近巷で俺たちのことが少し噂になってるんだが……」
「噂? どんな噂?」
「あー、いや、俺たちが恋人だっていう……噂だ」
その噂にはやはりセリーヌも心当たりがあったらしい。
なるほどと、相槌を打った。
「どうする?」
「どうするって……放っておけば良いじゃない。否定しても、誰も信じてくれないわよ。……同棲しているのは事実だし」
同棲している男女が恋人同士ではない、というのは少し無理があるだろう。
無理に否定したとしても、照れているようにしか見えない。
「しかし……一応、お前は聖職者だろう? その辺は大丈夫なのか?」
「ぁぁ……アレクはそのことを心配してくれているのね」
セリーヌは儚げな笑みを浮かべた。
「まぁ……そうね。良いことではないわ」
「だろう?」
「でも、物凄く悪いことというわけでもないわ。……恋人や愛人がいる聖職者って、別に珍しくはないのよ? 私がアレクと同棲した過去があるからと言って、そのせいで私の出世が妨げられることはないわ」
どうやら男女関係を突くと、自身にブーメランが返ってくる者が多いらしく、その手の醜聞はよほど酷くない限りは、攻撃材料にはならないらしい。
「……まあ、それに、もう私の出世の道はもう、断たれちゃったしね」
セリーヌは悲しそうな表情を浮かべた。
そして葡萄酒を飲む。
元々セリーヌはかなり飲酒量が多い方だが、今日は祭りの日だけあってかいつも以上に多く、すでに葡萄酒のボトルを二本、一人で飲んでしまっている。
酒に強いセリーヌもさすがに顔が少し赤くなっている。
「……その、聞いて良いか? お前、どうして休職にさせられたんだ?」
「……言ったじゃない。嫉妬だって」
それはすでに、セリーヌと出会った日に聞いている。
だがアレクサンデルが聞きたいのはそういうことではない。
「いや、ほら! あるだろう? 表向きの理由、みたいなのがさ」
さすがに「お前のことが気にくわないから休職しろ」などと言う人はいない。
最低限の大義名分が必要だ。
そのことを尋ねると、セリーヌは黙ってしまった。
どうやら少し言い難いことのようだ。
「あー、嫌なら言わなくても……」
「病気って、言われたの」
セリーヌは落ち込んだ表情で言った。
「お前は少し頭がおかしい。精神に異常が見られる。仕事を休んで、治して来いって……別に私は健康なのに……」
「……」
アレクサンデルは思った。
あれ? 実はこいつの休職って、割と正当なものなんじゃないか? と。
セリーヌは自分のことを健康だと思っている。
が、アレクサンデルの目から見て、正直そこまで健康には見えない。
・自傷癖
・アルコール依存症
・睡眠薬依存症
少なくとも三つは抱え込んでいる。
ほかにも、もしかしたらアレクサンデルが知らないだけでいくつか問題を抱え込んでいるのかもしれない。
それを考えると……
休職して、体を治して来いというのはおかしなことではない。
「酷いと思わない? アレク」
「うーん、まあ……一方的に病気だって決めつけるような言い方は、あまり良い言い方じゃないな」
セリーヌの主観がかなり入っているようなので、あまり信用はできない。
しかしもう少し上手いやり方があったのでは? とアレクサンデルは思ってしまう。
「本当に、私はこんなに健康なのに……酷い……」
そんなことを言いながら、グビグビと葡萄酒を飲むセリーヌ。
そして三本目のボトル――ブルングント産十二年物――を開け始める。
「あー、セリーヌ。あまり飲み過ぎるなよ? ……それで終わりにしておけ」
「ええ!! だって、前夜祭よ? 前夜祭なら、これくらい飲んだって……」
「晩酌しないなら良いぞ」
セリーヌはいつも夕食の席では一本以上の葡萄酒を開けた上で、さらに晩酌までする。
夕食前の段階でもわずかにアルコールの匂いがすることを考えると、昼間もかなり飲んでいる。
「……別に良いじゃない。私がいくら飲もうと、あなたには関係ないでしょう?」
「関係ないわけないだろう? お前のことが心配なんだ」
「そ、そう……心配、してくれているのね」
するとセリーヌは少し嬉しそうに口元を緩めた。
もっとも、それでも葡萄酒を飲む速度は変わらないが。
「私はアルコールを魔力に変換できる神秘体質、【アルコール親和体質】だからそんなに心配する必要はないわよ?」
神秘体質。
魔術的な特異体質のことで、この体質を持っている人は常時、何らかの魔術を体に発動させている状態になる。
【アルコール親和体質】というのは、セリーヌの言が正しければ、アルコールを無毒化し、そして魔力に変換するような魔術が常に働く体質、ということになる。
「だが完全に無害化できるわけでもないだろう?」
「それは……まあ、そうだけど」
セリーヌは少し考えてから、葡萄酒を突き出した。
「分かったわ、これで最後にする。……一緒に飲みましょう?」
「……仕方がないな」
アレクサンデルは決して弱い方ではないし、酒が嫌いなわけではない。
付き合うのはやぶさかではない。
それにブルングント産十二年物はアレクサンデルが購入したものだ。三分の一くらいは飲んでおきたい。
一緒になって酒を飲んでいると、アレクサンデルもだんだんと酔ってくる。
特にセリーヌはかなり酔っぱらってきているようだ。
「アレク、あーん」
突然、セリーヌはフォークを突き出してきた。
フォークに刺さっているのは、肴として今まで二人がつまんでいたポテトだ。
「え、いや……」
「あーん」
「……」
普段のアレクサンデルならば丁重にお断りするところだが……
しかしアレクサンデルもかなり酔ってきている。
口を開けて、セリーヌの「あーん」を受け入れた。
「どう? 美味しい?」
「ああ、美味しいよ」
「良かった」
嬉しそうに笑うセリーヌ。
アレクサンデルの心に悪戯心が湧いてきた。
「セリーヌ」
「なに?」
「お返しだ」
そう言ってアレクサンデルは自分のフォークに刺したソーセージを突き出した。
セリーヌは少し驚いた様子で目を見開く。
それから口を開けてソーセージを咥えた。
パリッという音がして、ソーセージが噛み切られる。
ソーセージの肉汁がセリーヌの艶やかな唇を濡らした。
「なんか、エロいな」
「な、なに急に言ってるのよ!」
アレクサンデルは慌てて口を塞ぐ。
心の中で呟いたはずが、口に出ていたようだ。
「あ、アレク……その、そっちに行って良い?」
「え? ああ、良いぞ」
隣に座りたいという意味だろう。
そう思ったアレクサンデルは頷いた。
するとセリーヌは……
何を勘違いしたのか、アレクサンデルの膝の上に登ってきた。
「お、おい!」
「良いって言ったじゃない」
「いや、それはそうだが……」
セリーヌはアレクサンデルの背中に手を回し、ギュッと抱き着いた。
「アレク……アレクぅ……」
「もう、仕方がないな」
アレクサンデルはセリーヌの頭を撫でる。
酔っているせいもあるのだろうか、アレクサンデルの目には、セリーヌがいつも以上に素敵に見えた。
「アレク…………す、きぃ……」
「寝やがった」
すやすやと寝息を立て始めるセリーヌ。
それからしばらくしてから、アレクサンデルはセリーヌが起きないように慎重に抱き上げ、ベッドへと運んだ。
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補足
・神秘
魔力みたいなもの。より正確に言えば、神秘のうちの一つが魔力である。
要するに不思議パワーである。
神秘には大きく分けて三種類存在する。
始めから世界に満ちていた混沌、原初の神秘が“母なる神秘”。
世界の外側に存在する神によって注ぎ込まれ、混沌を掻き混ぜて時間と空間を創造するに至った神秘が“父なる神秘。
“母”と“父”が混ぜ合わさることによってうまれた神秘が“子なる神秘”である。
魔力は人間を含めるすべての人間が擁している、“子なる神秘”の一種である。
尚イブラヒム教は、この“父なる神秘”を世界に注ぎ込んだ存在である『世界の外側に存在する神』を全ての創造主として扱い、信仰の対象としている。
体内の神秘である魔力を使い事象を引き起こす技術が“魔術”であり、この『世界の外側に存在する神』から神秘を受け取り事象を引き起こす技術が“神聖術”である。なお、治癒術は“神聖術”の一種であり、そのためこの世界の医療技術は聖職者及びイブラヒム聖教会に独占されている。
・神秘体質
体内に含まれる神秘が、先天的、または何かを切っ掛けとして後天的に、常に何らかの事象を引き起こし続けてしまう特異な体質のこと。訓練次第ではオンオフが効くようになる。
その神秘の濃さ、事象の有用性や希少性によってⅠからⅤのレベル段階によって区分けされる。
ただし通常ではⅣが最大値とされており、Ⅴに認定されるものはⅣをはるかに凌駕していると判断されたもののみである。
なお、そのレベル認定は聖教会に所属する聖職者によって行われる。
・アルコール親和体質
極めてアルコールとの親和性が高くなる体質。アルコールによる悪影響が緩和され、そして良い影響はより強くなる。体内に摂取されたアルコールの一部はアセトアルデヒドへと変わらず魔力へと直接変換されるため、二日酔いが軽減される。
尚、セリーヌのアルコール親和体質のレベルはⅣ相当。
体内に摂取されたアルコール分の九十九%は魔力へと変換される。
セリーヌは後天的にこの体質を身に着けた。
ちなみに身に着ける前はむしろ弱い方で、臭いだけで倒れるほどだったとか。
そんな人間がなぜアルコール親和体質を身に着けたのか……を聞いても、おそらくセリーヌは教えてくれないだろう。
ただし事実上の返答として、彼女はその質問をされた時は必ず、手首に爪を立てる。