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side05.夕陽

※三章37.以降



アーベントロート国、第二王妃、ジモーネ・クラリッサ・フォン・ローゼンハインは、城に戻るなり息子を探した。

愛する息子のクラウスに王位を継がせるべく、こちらの派閥の茶会に参加していた際、息子の従者から(しら)せが入った。第一王子が息子を連れていった、と。

主賓として呼ばれている以上、茶会を途中退出する訳にもゆかず、内心(はらわた)が煮えくり返る思いで派閥の支援を強化してきた。


母子(おやこ)揃って本当に忌々(いまいま)しい……!


爪を噛みたい心境だったが整えた爪を痛めてしまうので、代わりに歩調が自然と速くなる。

まずは息子が部屋に戻っているか確認しようと足を運ぶと、その部屋の前でクラウスの姿を見つけた。そして、第一王子とその従者の姿まで。


「クラウス」


「……っ母上」


「ジモーネ様、戻られたのですね。茶会はいかがでしたか」


ジモーネの声に跳ねるように振り向いたクラウスと、にこやかに迎えたロイの顔を見比べ、ジモーネは体面上一度ロイへ向いて返事をする。


「ロイ様、ごきげんよう。それなりに楽しめましたわ」


「それはよかった」


にこやかに微笑むロイに、ジモーネは白々しさを感じた。真意までは読み取れない笑顔に、こちらの全てを知った上での言葉ではないかと勘繰ってしまう。

侮れない相手ではあるが、子供相手に、と負の感情が表に出ないよう微笑みの下へ押し込め、息子の方へ向く。


「クラウス。ロイ様と一緒だったの?」


どうして共にいるのか、との疑問が伝わったのか、クラウスの肩がびくりと揺れた。


「それは……」


俯きそうになるクラウスの前に、盾になるようにロイが立った。


「兄弟が共にいることに何か問題でも?」


「いえ? ただ、お忙しいロイ様に迷惑をおかけしていないかと思いまして」


頬が引きつりそうになるのを堪え、ジモーネは努めて微笑みを保ち、ロイに相対する。彼女の言葉に、ロイは笑みを深くした。


「弟にかけられる迷惑が苦になることなどないですよ」


むしろかけてほしいくらいだ、と本心から返すロイに、ジモーネは閉口する。一体いつの間にこんなに親密になったのか。

兄の背がある視界に、クラウスは呆気に取られる。母と対峙し、言葉に詰まるほどの空気の薄さを感じたが、煌々(きらきら)しい金越しに見る自分と同じ髪色の母は圧迫感が薄らいでいた。ふと、楽に呼吸ができていることに気付く。

この機を逃せば、言えなくなるかもしれない。クラウスは、そう思い唾をこくりと飲んで、母の瞳を真っ向から見た。


「母上。わた……オレは、これからも兄上たちと歩んでいきたいと思います」


「クラウス……!?」


絶望したかのような声音で、ジモーネが息子の名前を口にする。悲鳴に近いそれに、クラウスは僅かに怯えた。

ジモーネは屈んで、息子の目線に合わせる。眼前に迫るような勢いで、息子に語りかけた。


「ロイ様は、貴方と王位を争う相手なのよ。あまり親しくして辛くなるのは、クラウスの方だわ。だから……」


その先に続く言葉を、クラウスは容易に想像できた。だから、ぐっと手に力を入れて、俯きかけた顔をあげた。


「オレは、王位を望んだことはありません」


決然とクラウスは言った。

息子の思わぬ言葉に、ジモーネは絶句する。息子は今何と言ったのか。幻聴かと疑ってしまう。


「オレはただ、母上に喜んでほしかっただけで……、けど、兄上たちのことを話すときの母上は……」


母の笑顔が見たかっただけだったのに、王位を目指せば目指すほどに母は第一王妃らを敵視し、非難する点を探した。(ののし)りと共に浮かべる母の笑みは、クラウスが見たかった笑顔と違った。

こんな表情をさせたかった訳ではない、とずっと胸の奥で不満が脈打っていた。

憎悪を笑みに乗せる今の母は、


「好きじゃありません」


言い辛そうに、だがしっかりとした声音で告げられた言葉に、ジモーネは心的衝撃を受け眩暈(めまい)でよろめいた。それを、追従してきたクラウスの従者が慌てて支える。


「そん、な……、クラウス、私は……」


息子のために、と思ってしてきたことだというのに、その息子に拒絶されるなんて。信じられない思いで、追い(すが)るようにクラウスを見つめるが、彼はふいと視線を逸らした。

とうとうジモーネは自身で立つ力を失った。

すぐさま、クラウスの従者が彼女の使用人を呼び、休ませるために彼女の部屋へと運んでいった。

それを見送り、胸を痛めながらクラウスはふっと息を吐いた。覚悟していたが、今まで母を傷付けるのを避けていた分、母の意見に対して否定を口にするのは緊張した。


「クラウス」


名前を呼ばれそちらを向くと、気遣わしげというよりは不思議そうな蜂蜜(はちみつ)色の瞳とかち合った。

状況にそぐわない兄の眼差しに、クラウスは首を傾げた。


「何だよ?」


クラウスが問うと、ロイは視線を下げることで答えた。疑問に思い、彼の落とした視線の先をクラウスも辿る。すると、彼の服の裾を掴んだままの自分の手が眼に入った。


「……っわ!?」


自身の無意識の行動に驚き、クラウスは慌てて手を離した。手に力を入れたときに、思わず掴んでしまっていたようだ。

母に嫌われることを覚悟せねばならず、寄る辺ない心持ちだったが、自分一人で言えずに兄を頼っていたなんて恥ずかしい。羞恥で顔が熱くなった。

悔しさにも近い感情を覚えながら、クラウスが恐る恐る兄の方へ視線を戻すと、満面の笑みが輝いていた。


「頼ってくれて嬉しい」


「たっ、たまたま近くにあったからで、別に……!」


クラウスが違うと否定するも、ロイの嬉しそうな笑みは消えない。それどころか、何故かロイは両腕を広げた。意図が判らないながらも、不穏なものを感じたクラウスは問う。


「……何の、つもりだ?」


「クラウスが頑張ったから、褒めようかと」


「フィルとオレを同列に扱うな!」


さあ、と腕の中に来るように待ち構える兄に、クラウスは激昂する。妹なら喜んで兄の胸に飛び込むだろうが、男の自分がいい歳してする訳がない。歳だって半年しか違わないというのに。いくら今までロクに交流をしてこなかったからといって、二歳離れた妹と同じ接し方を試みるのは止めてもらいたい。

クラウスの剣幕に、ロイは残念そうに腕を下した。


「ふむ、弟とは難しいものだな」


「極端すぎるんだよ……」


至極真面目な様子のロイに、クラウスはげんなりと脱力する。兄はこんな人間だったのか。彼の婚約者に対してもそうだが、彼は素を見せる相手に親愛の情を包み隠さない。それをたった一日で思い知ることになるとは思わなかった。

惜しげない好意を向けてくる兄にまともに付き合っていると、こちらが疲れる。


「では、これで」


疲れた溜め息を()くクラウスの頭に、ロイの手が乗せられ、そのまま撫でられる。


「よく頑張ったな、クラウス」


髪に触れる感触に驚いて、クラウスは金緑(きんりょく)の瞳を見開いた。その瞳に、誇らしげに笑う兄の顔が映る。

ただ自分の意見を母に伝えただけではないか。それだけのことに勇気を振り絞らないといけなかった自分は、情けない限りだ。なのに、触れられた先からじわじわと嬉しさが滲んだ。

流石にそれを口には出せず、クラウスは手を払い除けないものの顔を背けた。


「別に、これぐらいで……」


「僕が褒めたいんだ」


そんな風に言われては、ますます手を払い除けにくくなる。

もうしばらくだけいいか、とクラウスは兄の手を享受した。



翌日、ジモーネは自室のソファの肘掛けにもたれかかっていた。

一晩休んでも心痛が回復しておらず、気だるさが残っている。自分の息子が反抗的になったのは第一王子の差し金だと捉えたジモーネは、息子に突き放された悲しみを第一王妃側への憎しみと敵意へすり替え始める。

クラウスは素直な子なのだ。口先の上手い第一王子に丸め込まれてしまったのやもしれない。そう自身の理解しやすい解釈へと、事実をねじ曲げてゆく。

彼女の雰囲気が剣呑を帯び、控えている侍女数名が内心怯える。侍女の一人が、ジモーネへ気遣わしげに声をかけた。


「ジモーネ様、お茶でも用意いたしましょうか?」


「いらないわ」


気分ではない、とジモーネが突っぱねると、侍女は頭を下げてまた控えた。

悲しみが完全に苛立ちへすり替わった頃、控えめにノックの音がした。侍女の一人が来訪者を確認すると、慌てた様子でジモーネの元に報告にきた。気分の優れないときに一体誰だ、と怪訝な眼差しを侍女に向けると、彼女は既に青褪(あおざ)めており、祈るように胸の前で手を組んでいた。


「お見舞いにいらした方が……」


「誰?」


「ゲルトラウデ妃殿下です」


第一王妃、ゲルトラウデ・マヌエラ・フォン・ローゼンハインの名を聞き、ジモーネは耳を疑った。何故、彼女が直接自分を訪ねてくるのか。

どういうつもりか、と訝しみながらも、追い返す訳にゆかず、ゲルトラウデを通すように侍女へ指示する。通されたゲルトラウデは、長い白緑(びゃくろく)の髪を編み込んで結い上げており、琥珀(こはく)を思わせる蜂蜜(はちみつ)色の瞳をゆるく細めた。


「ジモーネ様、お加減はいかがかしら?」


「お気遣いいただき恐れ入りますわ。けれど、少し休んでもう治りましたので」


内心では余計気分が悪くなったと思いながら、ジモーネは微笑み返した。

侍女に茶の支度をさせ、ゲルトラウデがソファに座ったのを確認し、ジモーネも向かいのソファに座った。

息子のロイよりも真意の読めない悠然とした笑みを浮かべるゲルトラウデ。その髪はこの国では珍しい色だ。精霊信仰の強い隣国の王女だった彼女は、精霊の加護故の色だと言っていた。だが、ジモーネからすれば、常に悠然としている彼女から余計に人間味を奪う要因に見えた。彼女が訪ねてきた本当の理由が何なのか、とジモーネは勘繰(かんぐ)る。

ティーカップが目の前に置かれるのを見届け、ゲルトラウデはゆるりと微笑んだ。


「昨日、珍しくロイからクラウス様の話を聞きましたわ」


ぴくり、とジモーネがティーカップに伸ばした手が止まった。それは一瞬のことで、ジモーネは洗練された所作でティーカップを持ち上げた。


「まぁ、そうですの」


「ええ。その際に、ロイがジモーネ様の顔色が優れなかったと心配していたので、(わたくし)も気になってしまって」


「あら、昨日は少々貧血ぎみだっただけですのよ。お二人にご心配をかけて、申し訳ないですわ」


「では、少し余裕がありますわね。折角ですし、私とゆっくりお話しいたしませんか?」


もう大丈夫だから早く帰るように促したつもりが、逆に食いつかれる要因を作ってしまったようだ。ジモーネは舌打ちしたいのをぐっと堪える。

ゲルトラウデが、侍女らの方へ視線を投げると、意図を理解したジモーネは目配せをして侍女を下がらせた。ゲルトラウデに追従してきた侍女も共に下がり、部屋にはジモーネとゲルトラウデの王妃二人だけとなる。

扉の閉まる音が止んだ後、ゲルトラウデはすっと立ち上がり風属性の魔法を発動させる。ふわりと室内にそよ風が吹いたかと思った次の瞬間には、部屋が風の膜に覆われていた。


「これで外に音は一切洩れません」


「どういう、つもり……?」


猜疑心(さいぎしん)に満ちた橄欖石(かんらんせき)の眼差しを受け、ゲルトラウデは楽しそうに笑う。


「この防音の風が解けるまでの間のことは、一切咎めないと神に誓いますわ。ここまでしないと貴女は本性を見せないでしょう?」


()められていると受け取ったジモーネは、ぎり、と奥歯を噛んだ。神に誓うと宣誓した以上、彼女はこれから何があっても外に助けを求めない。その余裕があまりに腹立たしく、ジモーネは彼女を睨み付けた。


「貴女こそ、本性を見せたらどうなの!? いつも余裕ぶって笑って……!」


「この顔はもう癖ですの、そういう風に鍛えられたので。公爵家ではそういったことまではされないようで、羨ましい限りですわ」


「っ! 馬鹿にして!!」


パンッ、と乾いた音が部屋に響いた。ジモーネがあげた右手が、ゲルトラウデの左頬を()ったのだ。

ゲルトラウデより自分の方が感情が表に出やすいのは、王族と違って教養が足りないのか、そう見下された。それは、公爵家に生まれたジモーネの尊厳を傷付けるものだ。その逆鱗に触れられては、ジモーネは黙っていられない。

ジモーネは幼い頃から、国王の婚約者として教育を受けてきたのだ。それを、後から同盟のために婚姻した王女に第一王妃の座を奪われ、息子の王位継承権も彼女の息子より後に生まれたために優先順位が下がってしまった。これ以上、公爵家として、また王妃になるために生まれた者としての尊厳まで踏みにじられたくはない。

ジモーネの怒りに燃える瞳を受け、ゲルトラウデは口角を上げた。そして、右手を上げ、同じように彼女の左頬を打った。

打たれた左頬を手で押さえ、ジモーネは眼を見開く。


「咎めない、とは言いましたが、やり返さないとは言っていませんわ」


にっこりと微笑むゲルトラウデの瞳に、挑戦的な色を見つけた。ジモーネはわなわなと怒りに震える。


「貴女、王族の癖に野蛮よ!」


「先に手を出した貴女の方が野蛮では?」


「それは、そっちがいちいち(しゃく)(さわ)ることを言うからでしょう!?」


(わざ)と言いましたもの。怒ってくれないと困りますわ」


「はぁ!?」


何を言っているのだ、とゲルトラウデの意味の解らない発言に、ジモーネは怪訝な声をあげる。


「いい加減、貴女との腹の探り合いに付き合うのが面倒なんですの。不満があるなら、直接言ってくださらないかしら」


「あんたに文句がない訳ないでしょう!? 婚約者の私を差し置いて、先に陛下と結婚して! 子供だって私より先に産んだじゃない!」


「まぁ、凄い言いがかりですのね。私と陛下の婚姻は国同士で決まったことですし、子供に関しては陛下に言ってくださらない?」


「それぐらい、分かっているわよ! けど、尽くあんたが優先されるのがムカつくのよ!!」


ジモーネとて貴族だ。国益のための婚姻だから仕方ないと最初から理解している。ゲルトラウデとの婚姻前に、国王にもそう説得され、一応は頷いた。だが、頭では納得できていても感情では理解も納得もしたくなかった。その後も、王女と公爵令嬢という身分差もあり、必然的にゲルトラウデが優先され、それを笑顔で享受する彼女を憎らしく感じた。

はぁはぁ、と肩で息をして、一頻り文句を言い切ったジモーネは眉間に(しわ)を寄せた。


「……何が可笑しいのよ」


散々悪態を()かれたというのに、ゲルトラウデは口元に手を当て、笑いを堪えて打ち震えていた。感情的になる自分が滑稽だと馬鹿にしているとしか思えず、ジモーネの表情は険しくなる。


「いえ、本当に本音を言ってくださるので……っ」


「言えと言ったのは、貴女でしょう?」


ふざけているのかと血管が浮きそうになるジモーネに、ゲルトラウデは実に嬉しげに笑った。


「はい。ありがとうございます、ジモーネ様」


「は……?」


文句を言い返すどころか唐突に礼を言われ、ジモーネは固まる。新種の嫌味だろうか。


「私、実は陛下の妻が私だけではなくジモーネ様もいて、喜びましたの」


何故、敵がいることを喜ぶのか。ジモーネには理解不能だ。


「初めて同じ立場の相手ができましたから」


ゲルトラウデは人々に(かしず)かれるばかりの日々を送ってきた。母国に友人もいたが、彼女たちは貴族でどうしても王女の自分への敬いが働いていた。だから、国同士が決めた婚姻とはいえ、夫となる国王とは対等に向き合えるのではないかと期待した。

だが、それも期待外れだった。夫は同盟の証である自分を丁重に扱い、為政者として隙を妻にすら見せない男だった。

唯一、敵意を向けてきた第二王妃のジモーネだけが、対等な立場であり、対等に接してくれる人間だった。立場上、対立の形を取るしかできなかったが、彼女の挑むような眼がこちらに向くたび、内心胸が躍った。


「ジモーネ様は私のことお嫌いでしょうが、私はずっとこうしてお話ししたいと思っていましたの」


息子のロイによい機会をもらった、とゲルトラウデは微笑んだ。

理解できない思考に、ジモーネは呆気に取られる。十何年も争った相手に何を言っているのだ。しかし、幼い頃より既に王妃になることが決まっていたジモーネもまた、これまで対等に物を言える相手はいなかった。ほんの少しだけ、ゲルトラウデの気持ちが解らなくもない。敵意を向けられている相手に腹を立てない神経は疑うが。


「…………クラウスのことで口出しに来たのかと思ったわ」


「それは母子(おやこ)で話し合う問題でしょう? そんな野暮はしませんわ。ただ、ロイに、クラウス様と仲良くなったと自慢されて、羨ましくなりましたの」


ゲルトラウデが長年の確執を度外視した物言いをするので、ジモーネは、こんな相手を敵視していたのかと脱力感に襲われる。世の中の王女が全てこのような考え方をする訳がないので、ゲルトラウデが特殊なのだろう。直接喧嘩を売りにくる厄介な王女が、ほいほいといては困る。

不満を粗方吐き出した後なので、随分と気分がすっきりしていた。そのせいもあるのだろう、比較的冷静にゲルトラウデの反応を読み取れる。ジモーネが、これまでの思い込みを除いて彼女を見てみると随分と頭に花が咲いているように見えた。


「あんたのことは嫌いよ。仲良くするつもりもないわ」


「そうですか」


「けど、()れが引くまでの時間潰しには付き合ってもらうわ」


今、侍女らを招き入れては大事になる。王妃二人の顔が傷付いているなど前代未聞だ。表情筋に違和感がない程度に痛みが引かねば、化粧で隠しても知れてしまう。

ジモーネが少し乱暴な所作でソファに腰かける。ゲルトラウデは表情を綻ばせ、向かいに座り、改めてティーカップを手に取った。


「では、誰も聞いてませんし、夫の愚痴でも明かし合いませんか?」


「あるの?」


「勿論」


あって当然だと頷くゲルトラウデが意外で、ジモーネは眼を丸くする。そして、ティーカップを持ち上げ、ニヤリと笑って見せた。


「奇遇ね。私もよ」


ジモーネが口角を上げると、少しだけ頬がひりついた。ゲルトラウデも、同様に頬がひりつくだろうに微笑みを返す。

部屋の外では、何も知らない侍女たちが中で何が起きているのかと戦々恐々としていたのだった。



夕刻になり、ジモーネは秋薔薇の咲く薔薇園で落ちる夕陽を眺めていた。

秋咲きの薔薇は初夏より少なく、だが豪奢な花弁(はなびら)を持つ品種が多い。それでも、淋しさを感じるのは季節故か、今が陽が落ちる刻限だからか。

これまで、どんなに第一王妃や彼女の子供への非難を口にしても鬱屈した心地が完全に消えることはなかった。だが、ゲルトラウデの突然の来訪後は、これまでのように不満がまた湧きあがるようなことがない。今胸にあるのは、これまでの行為を馬鹿馬鹿しく感じるこの薔薇園のような閑散とした心地だけだ。


「母上」


「クラウス……?」


かかった声の方に振り向くと、息子のクラウスがいた。夕陽を浴びた髪は金色(こんじき)に輝いて見える。自分と同じ(みどり)の瞳の中にすら、金色が光って見えた。

ああ、とジモーネは思い出す。自分と同じ髪と瞳を持って生まれた幼いクラウスに、父親が違うのではと心ないことを囁く者がおり、息子が悲しんだのだ。元々、第一王妃とは対立していたが、更に憎く思うようになったきっかけはそれだった。

自分が父の血を引いていないのでは、と悲しむ息子に、そんなことはないと言ってやりたかった。だから、クラウスが王位を継げば、証明になると躍起になったのだ。

王妃であることに固執していた自分は、それが息子のためになると思った。公爵家から離れ、夫からの愛情も占有できない状況で、ジモーネは王妃の座にしがみつくより他なかった。

そんな矜持で瞳を曇らせていたから突き放されたというのに、その突き放した息子が昨日の今日で声をかけてくれるのが、不思議だった。

不思議に思うのとは別のところで、やはり息子はあの人の子なのだ、と夕陽を浴びる我が子を見て、ジモーネは実感する。


「どうして」


「あの、ゲルトラウデ様が訪ねてきたと聞いて……、母上はゲルトラウデ様をあまり、よく思っていない、ので……」


「ええ。嫌いよ」


一度本人に言ったせいか、ジモーネはすんなりと認めることができた。初めて聞く率直な母の肯定に、クラウスはびっくりする。


「心配、してくれたの?」


不思議そうにジモーネが問うてくるので、クラウスは首を傾げた。


「勿論です」


母を心配することの何が変なのだろう。クラウスは、しない訳がないと頷いた。

当然と頷く息子に、ジモーネの方が驚く。


「嫌われたかと、思ったわ」


昨日の件で与えた誤解を知り、クラウスは母の手を取り、見上げた。


「オレは、母上の本当の笑顔が見たいだけです」


嫌いになった訳ではない、と真っ直ぐにクラウスに見つめられ、ジモーネはやっと息子の言葉を理解した。そして、気付く。自分がいつ楽しくて笑ったのか覚えていないことに。

クラウスが生まれた頃は、まだ娘もいて、赤子のクラウスが笑うと満ち足りた気持ちになり娘と微笑み合っていたような気がする。今は、それが遠い昔のようだ。

いかに息子を王位に就けるかにばかりに気を取られ、ちゃんと息子を見てやれなかった。そんな自分を、息子のクラウスは純粋に慕ってくれるというのか。

息子の望みに応えようとジモーネは笑おうと試みたが、心から笑うのは久しく、不器用な笑みしか浮かべられなかった。


「私ったら、駄目ね……」


「オレも最近は怒ってばかりでした。これから一緒に楽しいこともしましょう」


そう言う息子の笑顔は、満面とはいかないがジモーネよりずっと素直な笑顔だった。


「ええ。そうね」


栄誉のためではなく、これからはもう少し、息子のために、そして自分のために生きる道を探してみよう。

そっと胸中で思い、ジモーネは息子の手を握り返したのだった。



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[一言] …コレはイザーク君がきっかけだと王族全員に知られたら王城へ招聘させられそうな。主に清涼剤?として。 その時、お嬢と王女妹が気が気でなくなりそう。 …ザクはザクで、王城の庭園は気になるが庭いじ…
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