side34.幼馴染
※二章26./コミカライズ22話以降
その日、庭を進むリュディアの足取りは軽やかに弾んでいた。
リュディアは公爵令嬢だ。普段はその自覚をもち礼節を重んじる彼女が、しずしずとではなく多少急いたような速度となっている。それだけ一分一秒でも早く知らせたいという気持ちの表れであった。
「ザクっ」
「お嬢?」
目的の人物をみつけて、リュディアはすかさず彼を呼んだ。呼ばれた庭師見習いの少年は、眼を丸くして振り向く。いつになく彼女の弾んだ声が珍しかったのだ。
振り向いた先には、蕾が綻ぶ瞬間のような笑顔が咲いていた。滲むどころか、喜びが溢れている。
「聞いてくださいな。実は……!」
「ちょ、タンマ。お嬢! いいコトなら、ちゃんと聞かないと」
リュディアが朗報を口にのせようとしたのを察知した彼は、あえて制止した。彼女がこれだけ嬉しそうなのだ。庭作業の傍ら、片耳を傾ける内容ではない。
小休憩をとるから、と庭師見習いの少年に断りを入れられ、リュディアも気が急いていたことに気付き、恥じ入る。しかし、自分の話をきくために時間をとってくれる彼の行動に、面映ゆさも感じた。そんな自身の感情の忙しなさに戸惑いつつ、そわそわとリュディアは彼を待ったのだった。
ほどなくして、師でもある庭師の父親から小休憩の許可をもらい、庭師見習いの少年が彼女の許へ舞い戻った。
ベンチが点在する遊歩道で彼は作業していたので、そのひとつに二人で腰を落ち着ける。
「で。どした?」
きく前から朗報と判っている彼は、すでに期待した様子で問いかけた。その期待に応えられるか、とリュディアは一瞬怯んでしまう。きいてほしい一心でここまできたが、自分の嬉しい話が彼に面白いものとは限らない。話す段になってから、その点に思い至ってしまった。
おず、と庭師見習いの少年を見遣ると、銅色の瞳がまっすぐにこちらをみていた。この彼が、自分の話を嗤う訳はない。リュディアはそれをよく知っていた。瞳の色に日向のあたかさを感じ取り、引き結んでいた唇を解く。
「先日のティーパーティーで、思いがけない再会がありましたの」
「ああ。兎の娘に誘われたヤツ、昨日だっけ」
はじめてできた友人からの誘いだと、彼女がとても楽しみにしていたのを、庭師見習いの少年はよく覚えていた。今回はそのときよりも、さらに頬が喜色で染まっている。
「ええっ、トルデ様が約束通り声をかけくださって、それだけでなくキア様ともお会いしましたの。ザクは覚えています? ロイ様の誕生日パーティーのときに、わたくしの次に踊ったあの方ですわ」
「えーっと、紅黄草の……?」
庭師見習いの少年は記憶をたどり、花の名前をひとつあげた。リュディアのダンスパートナー代理として参加した際に、彼女以外と踊ることになるとは思っていなかった。だから、踊った他の令嬢の名前を覚えることができず、そのときの印象からくる花の名前で呼ばせてもらったのだ。咄嗟のことだったが、令嬢たちには不評どころか好評だったのが意外だった。
紅黄草の令嬢は、リュディア以外と踊るきっかけとなった少女だ。
リュディアは肯き、彼と共通の認識を得られたことにより話を進める。
「キア様とまたお会いできたので、ご婚約のお祝いを直接お伝えできてよかったですわ。それに、ファニー様……、シュテファーニエ様というヴィッティング伯爵家の令嬢とも知り合いましたの」
「へぇ」
「それで、実は、そのお三方と愛称で呼び合うことになりましたの……!」
庭師見習いの少年は、リュディアが報告するより前に薄々気付いていた。すでに愛称呼びでその三人を呼称していたからだ。以前までは最初に親しくなったトルデリーゼも名前で呼んでいたと記憶している。だから、今日急に略称呼びに変わっていた点には、それだけの経緯があったのだと察せられた。
「そっか。渾名呼びって、ダチっぽくていいよな」
共感を得られ、リュディアはしかと頷いた。
「そうなんですの。わたくし、家族以外の方にディアと呼ばれるのは、はじめてですわ」
当初は照れ臭かったが、互いを愛称で呼ぶたびに親しみが深まるようで、リュディアはとても嬉しかった。トルデリーデたちと、それを許容できるだけの間柄になれたのも喜ばしい限りだ。
庭師見習いの少年の表情は、よかった、と物語っており、一緒に喜んでもらえてリュディアの笑みは深まるばかりだ。やはり、彼に報告したのは正解だった。
「だよな。俺もダメって言われたんだから、お嬢、兎の娘たちとすげぇ仲良くなったんだな」
それだけ親しくなった証拠だと、庭師見習いの少年に太鼓判を押される。だが、その比較対象が彼だったことにリュディアは瞠目した。
そうだ、彼にも許していなかった呼称だ。彼と知り合って間もない頃を思い出す。今となっては、お嬢、という彼独自の渾名で呼ばれることに慣れたが、その呼び方はリュディアが愛称呼びを拒否したのが理由だ。
あの頃はまだ頑なな態度しかとれなかった。彼よりあとに親しくなったトルデリーデたちに許可したのに、彼には許可しないのは不公平ではないだろうか。しかも、一方の自分は愛称呼びをしているというのに。
親しい友人が増えたことを純粋に喜んでいたリュディアだったが、葛藤が生まれる。
今さら、だろうか。一度拒否した手前、言い出しにくい。そもそも、彼だってただ例示しただけで自身が愛称呼びできないことを惜しんでいる様子は微塵もない。少しでもそんな気配をだしてくれれば、提案しやすいものを。
リュディアは自分からきっかけを作れず、多少八つ当たりのような思考になってしまった。ただ、そう考えてしまうと、彼が自分の愛称を呼びたがらないのはなんだか悔しくも感じる。自分の方が、彼より多く親しみを覚えているかのようだ。
むむぅ、と一変して剥れはじめたリュディアに、庭師見習いの少年は首を傾げる。なぜ睨まれているのか見当がつかない。
「お嬢?」
どうしたのか伺う彼に、リュディアも問おうとする。
「ザク、わたくしたちって……」
訊きかけて、止まる。どういう関係なのか。友人か、主従か、一体どう定義付ければよいのか。もちろん主従関係は最低限ある。なんせ彼は家に仕える使用人だ。けれど、それだけではない。この親しみある関係は、友人の枠に収めるだけでよいのだろうか。
友人といえば、まずトルデリーデたちが浮かぶ。彼は少し違う気がする。
一度、彼の顔をみる。彼の口から、関係を名付けられたところを想像すると、きゅっと口を噤んでしまった。
「……っな、なんでもありませんわ」
気にしないよう伝えると、庭師見習いの少年はきょとりとしながらも頷き、トルデリーデたちの話に耳を傾けた。
なんとなく、本当になんとなくだが、彼との関係を定義してしまいたくなかった。当て嵌まる適切な名前があったとしても、それが彼の口にのった瞬間固定され、それ以上にならなくなる気がする。
以上とは一体なんなのか、と考えそうになり、リュディアは頬を紅潮させ頭を横に振った。きっとこれは考えてはいけない雑念だ。
それに、彼から愛称で呼ばれるのを想像してはいけない気がする。
まだ名前を付けないままがいい……
リュディアはそう願ってしまった。いつか名が付くときに、二人はどのような関係になっているのだろうか。
遠い未来に思え想像すらできないが、そのときも傍らに彼がいたらいい。
2023.05.02にプレミアムチャプターで追加されてから、2025.04.01の通常更新で22話すべてマンガUP!の無料ポイントで読めるようになりました。
(経緯詳細は活動報告または下部をご参照ください)
約2年弱お待ちくださり、誠にありがとうございます。モブすらを愛しお待ちくださった読者様に感謝を。








