sideE.ティーカップ
※二章28.以降
馬車で揺られる帰り道、溜め息が一つ零れた。
「帰ったら、テレーゼのお説教が待ってますね……」
「テレーゼだけで済めばいいがな」
近い未来が憂鬱で呟くと、ロイ兄様は苦笑してみせる。いつもにこやかなロイ兄様の珍しい笑い方に、更に悪いことがあるのかと私は不安を煽られる。
「他に誰が……?」
「今回の件は、流石に父上の耳に入るだろうな」
「ひょえっ」
怒られる。テレーゼからのお説教も恐いが、父様からも叱られるなんて。想像しただけで身が竦んだ。これまで外出を許してくれなかった父様だ。無断外出なんてバレたら、王女の自覚があるのかと咎められるのは必至。
「い……言わない、という選択肢は……」
「報告しなければ、更に事態が悪くなるぞ。テレーゼたちの責として処遇がどうなるか」
「テレーゼがクビになるのは嫌です!」
それなら、私が叱られる方がマシだ。侍女たちがクビになる可能性を提示されて、私が脊髄反射で主張すると、ロイ兄様がふわりといつもの優しい微笑みに変わった。
「僕のせいだと、ちゃんと父上には説明するさ」
安心させるようにロイ兄様は、私の頭を撫でる。けど、ロイ兄様の言葉に安心などできない。
「いえっ、ロイ兄様は悪くありません。私が勝手についてきたんです!」
隠密の効果のある外套、という魔具を見つけて、ロイ兄様にこっそりついてきたのは私だ。そのうえ、勝手に迷子になった。ロイ兄様も、侍女のテレーゼすら知らないうちに、行方不明になりかけていたのは自業自得でしかない。
仮にもアーベントロート国の第三王女の行動として、軽率すぎる自覚はある。自分の失態に、ロイ兄様まで巻き込みたくない。
私が必死なのに反して、ロイ兄様は何故か誇らしげに眼を細める。場違いな微笑みに、私は虚を突かれ、言葉が止まる。
「うん。やっぱり僕も一緒に謝るよ」
「でも……っ」
「フィルは、父上に叱られるのは初めてだから、恐いだろう?」
「……とても恐い、です」
平気だと虚勢を張れたらいいが、恐いものは恐いから素直に認める。外出要望などで直談判に行ったときに正論でいつも言い負かす父様だ。怒ったときはどれだけか、とビビるのは仕方ないと思う。
「だから、一緒に叱られよう」
「ロイ兄様……っ」
怯える妹を一人で父に対峙させられない、というロイ兄様の頼もしさと優しさに、私は感極まる。なんてカッコいいんだろう。世界一の兄様だ。
思わず抱き着くと、ロイ兄様は抱きとめてくれて、背中をぽんぽんと撫でてくれた。
落ち着いてきた頃、ずっと膝に置いていた包みの存在を思い出す。
「あ」
「何だ?」
「コレ、今のうちに食べてしまいましょう」
「ナターリエさんは、何をくれたんだ?」
ロイ兄様の言葉で、イザークの母親の名前を知る。そうか、あの優しそうな女性はナターリエさんというのか。そして、イザークが本当にロイ兄様の視察を手伝っていると実感が湧いた。現在の兄と前世の兄が、私のあずかり知らぬところで知り合ってるなんて、変な話だ。
ほのかにいい香りを漂わせていた包みを開けると、クッキーが数枚入っていた。手作りと判るプレーンクッキーだ。
「美味しそう」
「ああ」
普段より歩き回ったあとで、しかもちょうどおやつの時間を過ぎた頃だ。香ばしい焼きたての香りと見た目に、素直な感想が零れる。ロイ兄様もそれに同意した。
「もう怒られることが分かっているんですっ。怒られる理由を減らしましょう」
「そうだな」
テレーゼにお菓子を食べ過ぎて何度も注意されている。王城まで持って帰ったら、夕食が入らなくなるとテレーゼに取り上げられるに決まっている。それに、まだほんのり温かいし、温かいうちに食べた方が絶対に美味しい。
馬車内で食べてしまおう、という私の提案に、ロイ兄様は可笑しげに頷いてくれた。そんなロイ兄様にクッキーを一枚手渡して、もう一枚を取る。
そして、対面の相手に差し出した。
「はい、マテウスの」
「えっ、自分もですか!?」
「ナターリエさんは、お兄さんたちと一緒にって言ってたでしょ」
一枚が大きいクッキーは三枚。ロイ兄様の従者のマテウスの分も含まれている。当たり前だと差し出したのに、マテウスに自身を指差してびっくりされた。
私がこてりと首を傾げると、マテウスは恐縮です、と言いながらクッキーを受け取った。それを確認して、私は自分の分を手にする。
「じゃあ、いただきまーすっ」
口に入る分だけ噛んで砕くと、軽い音がして割れる。咀嚼すると口のなかにバターの香りが広がって、手作りならではの素朴な味がした。お母さんの味って感じだ。
「んんー、美味しいですね。ロイ兄様」
クッキーの甘さで幸せいっぱいになりながら、ロイ兄様の方を向く。
「ああ。フィルと一緒だと美味しさが増すな」
そう言って、ロイ兄様が微笑むから、クッキーを頬張っていた私は眼差しで疑問を伝える。不思議がる私が可笑しいらしいロイ兄様は、くすくすと喉を鳴らした。
「フィルは、本当に美味しそうに食べるから」
「? だって、美味しいでしょう?」
ちゃんと二口目を咀嚼し終わってから、当然と返すと、ロイ兄様の笑みが深まった。
「うん、そうだね」
ロイ兄様が笑みを深めた理由はよく解らなかったが、美味しいからいいや、と私の意識はまたクッキーに戻った。そんな私をロイ兄様はにこにこと眺めていた。
無事、王城に着くまでにクッキーを食べきることができた。けれど、夕食が思ったより食べれなくて、結局テレーゼに間食したことがバレた。お説教された分だけお腹が空く算段だったのに、奇怪しい。
その日のお説教回数は、過去最高を記録した。
「テレーゼ、やっぱり駄目?」
少し首を傾げて見上げるけど、テレーゼの表情はぴくりとも動かない。それでも、じっと見つめ続けると、テレーゼは呆れたように長い溜め息を吐いた。
「……反省の証として一週間お菓子を食べないとおっしゃったのは、フィリーネ様ご自身でしょう」
「う……っ」
「それとも陛下に嘘を吐かれたのですか?」
「けど、今三時なんだもんっ」
時計の針は、長針が真上、短針が右に水平でちょうど三時を指し示している。いつもならお茶の時間で一緒にお菓子も出るはずだ。けれど、私の前にティーカップはあれど、お菓子の皿はない。ちなみに、紅茶に入れる砂糖もない。
「うぅー、香りはいいけど砂糖が入ってないと渋いよー」
子供の舌にストレートの紅茶は渋い。いつもなら砂糖を入れて、茶葉によってはミルクティーにしている。というか、前世でもあまりストレートでは飲んでいなかった。甘いもの好きは、魂に刻まれているのかもしれない。
自分で言い出したこととはいえ、辛い。
父様の叱責ことお説教は、がち正論なうえ、ちゃんとこちらが反省を示さないと逃げられないものだった。謝っていれば許してもらえると思ったのに、私の考えは甘かった。今後の対策をどうするか自分で考えろと言われて、ロイ兄様が魔具の施錠での管理徹底を示すから、勝手に外に出ないようにする、とだけ言っても父様が納得してくれないのでは、と思った。
そうして、一生懸命考えて絞りだしたのが、一週間のお菓子抜きだ。好きなもの断ちは辛いから、反省を示すにはいいと思ったんだけど、父様は数秒固まるし、ロイ兄様は可笑しげに震えていた。
紅茶の砂糖抜きは、テレーゼたち侍女にも迷惑をかけたから、お菓子断ちと同期間抜くと彼女たちに宣言したからだ。ごめんなさい、だけでは足りないような気がしたから言ったのに、テレーゼには長い溜め息を吐かれた。他の侍女たちは、気にしていませんと微笑んでくれた。
そして、今もテレーゼ以外の侍女たちは紅茶を渋がる私を見て、少し眉を下げて苦笑している。
「ミルクならお入れしますよ」
テレーゼのせめてもの情けに、私は紅茶の入ったティーカップを差し出した。それに、テレーゼは適量のミルクを入れる。ミルクでぬるくなっているかと思って口にすると、温かく甘くはないがほっとする味がした。どうやらミルクも温めてくれていたらしい。流石テレーゼだ。
眉を寄せていたさっきと違い、気の抜けた表情をしていたからか、侍女たちは安堵したように微笑んだ。
「まだ三日目ですよ」
「わかってる。頑張る……」
すでに甘いもの不足で凹みそうになって情けない。
「テレーゼ、いつもありがとう」
テレーゼが止めてくれてよかった。まぁ、テレーゼが止めてくれると解っているから、つい弱音を口にしてしまったんだけど。私は一人で頑張ることが苦手だから、定期的に誰かに励ましてもらわないと挫けそうになる。
だから、感謝を伝えると、テレーゼは仕方ないとでもいうように嘆息した。
「いえ、いつものことですから」
それはいつも迷惑をかけている、ということだろうか。今の季節は外で昼寝するには寒いから、一人で庭には行かないし、割と大人しくしているつもりだったんだけど。他に何かしただろうか、と私はしきりに首を傾げた。
翌日から、風邪対策だとテレーゼが柑橘類や林檎の入ったホットフルーツティーを淹れてくれるようになった。
おかげで砂糖がなくても甘い紅茶が飲めて、私は反省の一週間を乗り切った。流石テレーゼだ。
新年を迎えて初めて雪が積もった日、ロイ兄様と庭を散歩し、東屋で一緒にお茶をした。
侍女に火属性の人がいるから、その場で紅茶を淹れてもらえる。外で淹れたての温かいお茶を飲めるなんて、ちょっと贅沢だ。
アーベントロート国では魔術的対処がとれるよう、王妃・王女の侍女には、光以外の属性持ちをすべて配属させる決まりらしい。お母様は隣国から嫁いできたから、そこに驚いたと前に教えてくれた。お母様の国では属性までは気にしていないそうだ。
テレーゼの淹れた紅茶を口にするロイ兄様を、私はじっと見守る。
「美味しいな」
「そうでしょうっ、しかも風邪予防にもなるんですって、凄いですよね」
ロイ兄様に同意を得られて、私ははしゃぐ。フルーツティーを温かいままで飲むという考えがなかったから、この感動をロイ兄様にも知ってもらいたかったのだ。
「リュディア嬢も、夏には果物入りの紅茶を飲むらしい。冬にもいいと、今度教えよう」
嬉しげなロイ兄様がさらりと口にした名前に私はぴくりと反応する。
「教えない方がいいか?」
「おすすめされるのはいいのです。ただ、リュディア様と婚約されたんだなぁって……」
新年を祝うパーティーでロイ兄様とエルンスト公爵家令嬢のリュディア様の婚約が発表された。まだパーティーに出席できない私は、後からそれを知らされた。二人の婚約は、君星のゲーム通りだ。私はそれを喜んでいいのかが判らない。
「フィルは、婚約に反対なのか?」
言葉を探す私に、ロイ兄様は問う。
「リュディア様の人となりを知らないので、反対も何もないのですが……」
訊かれて私はさらに考える。ルートによってロイ兄様はヒロインかリュディア様と結ばれる。けれど、ヒロインがロイ様ルートに入るまで、ロイ兄様が婚約者のリュディア様をどう思っていたのか私は知らない。王族だから、恋愛感情は必要ないと言われればそれまでのことだけど、気になる。
「ロイ兄様」
「ん?」
「私、欲張りみたいです」
唐突な呟きに、ロイ兄様は首を傾げた。
「ロイ兄様には王族とか関係なく好きな人と結ばれてほしいです。もちろん結ばれるだけじゃなく、幸せになってください。でも、ロイ兄様が次の王に相応しいとも思います。全部、叶ってほしいんです」
私の正直な思いを伝えたところ、ロイ兄様は目を丸くしたあと、笑い出した。
「僕たちは兄妹だなぁ」
「そうですけど??」
笑いながら零したロイ兄様の言葉の意味が、私にはさっぱり解らなかった。
とりあえず、王様になったロイ兄様は絶対にカッコいいと思う。
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