sideD.ドレス
※二章25.
「はい、終わりましたよ」
採寸が終わったとの声に、リュディアは上げていた腕を下ろす。
正確に測るため、薄い生地のワンピース型の下着程度しか身に付けていない状態だ。採寸が終わった途端、メイドたちがドレスを用意して彼女に着せ、髪を整える。その傍らで、採寸をした仕立屋の初老の女性は、結果を用紙に記入してゆく。
「リュディア様、大きくなられましたね」
採寸結果を書き終えた仕立屋が沁々と零した。
「そうかしら?」
以前の採寸からそう変わった実感のないリュディアは小首を傾げ、自身の身体を見下ろした。腕を伸ばして長さを見てみたり、後ろを振り返ったりしてみるが、やはり自分では成長具合が判らなかった。
「ええ」
だが、仕立屋はしっかりと首肯し、クローゼットに近付く。その動きに合わせてメイドたちが、クローゼットを開いてゆく。そして、仕立屋はクローゼットの端に掛かったドレスをとん、と指差し、そのままなぞるように数歩分横へ移動した。足を止めると、またそこでとん、と指を差した。
「この辺りはもう着れないでしょう」
そのときになって初めて、リュディアはサイズ順にドレスが並んでいることを知った。クローゼットを開いたとき、色とりどりの光景が広がるので、色で分けていないとは判っていたが、そんな基準があるとも知らなかった。
小さな新事実にリュディアは内心驚く。そして、眼に見える確かな成長の証にやっと自身の成長の実感を得た。
「ディアは成長したわねぇ」
沁々と母のオクタヴィアが頬に手を当て、感想を零す。娘を見つめるその眼には慈愛の色が滲んでいた。
「少し、背が伸びただけですわ」
「いえ、中身もよ。私たちに何か言われるより前に謝るようになったり、ね」
「む、蒸し返さないでください……っ」
母の眼差しに面映ゆさを感じていたリュディアだが、母が愉しげに眼を細めながら着れなくなったドレスを見遣ったことで、完全な羞恥に塗り変わった。着れなくなったドレスはいずれも原色に近い視覚に訴える色合いばかりだ。
過去の自分がありありと判る主張の強い色のドレスたちに、羞恥で頬を染めたリュディアは両手で顔を覆う。その様子を見て、オクタヴィアはふふ、と可笑しげに微笑んだ。
「奥様、リュディア様。ちょうどいいですし、処分なさいますか?」
それならば処分を引き受ける、と仕立屋が申し出る。
「そうね」
「構いませんわ。むしろ、お願いいたしますわ……っ」
ただ頷くオクタヴィアと違い、必死な様子で答えるリュディアに、仕立屋はくすくすと微笑みながら畏まりました、と不要なドレスの処分を了承した。オクタヴィアは空いた分だけ、また新しいドレスを新調しなくては、と愉しげだ。
「カトリン、ちょっと待って」
メイドたちが、処分対象のドレスを仕立屋の部下たちへ渡す様子を見守っていたリュディアは、ふと眼に入った赤を手にするメイドのカトリンを呼び止めた。制止がかかった理由が解らないながらも、カトリンは真っ赤なドレスを手に止まった。
リュディアが彼女の許に近付いて、その真っ赤なドレスに眼を落とす。リボンがたくさん付いたドレスも、赤いドレスも、当時はよく着ていた。しかし、これはその中で一番印象深い一着だった。
彼に初めて出会ったときに着ていた赤だ。
つまり、己の過ちに気付いたきっかけの赤。
「……これだけは、残してほしいですわ」
「はい」
ぎゅっと拳を握り、リュディアが頼むと、カトリンは一度瞠目したあと優しげに微笑んだ。
あのときがなければ、目の前の彼女の微笑みがなかったかもしれない、とリュディアは苦笑を滲ませる。自戒の意味も込めて、忘れてはならないと心に刻む。過去の自分が恥ずかしくないといえば嘘になる、だが、このドレスだけは捨ててはならないと感じた。
「ディア、こっちはいいのかしら?」
「え」
振り向くと、オクタヴィアは淡い桜色のドレスをひらめかせていた。気に入っていた一着なので見覚えはあるが、何故母が問うのかには心当たりがなかった。だから、リュディアは首を傾げる。
「イザーク君に初めて似合うって言ってもらったのは、これじゃなかったかしら」
「なっ!?」
その場にいなかったはずの母が何故知っているのか、と動揺しリュディアは頬を上気させた。
確かに、桜色のドレスはリュディアが初めて自分の好きな色合いで着たもので、庭師見習いの少年に似合うと保証をもらい安心したきっかけだ。自身に似合わないのではと感じていた不安を払拭されて、嬉しかったことをよく覚えている。だからこそ、お気に入りの一着だったのだ。
きっとそのすべてを母に把握されてしまっている、とリュディアは先程の指摘で悟った。わざわざ取沙汰にされてしまい大変恥ずかしかったが、オクタヴィアからの揶揄いの眼差しに対抗するため懸命に平静を装う。
「か、構いませんわ……!」
「あら、残念。私も気に入っていたのだけれど」
「そう、でしたの?」
「ええ、初めて着たときのディアが照れていて、とても可愛かったもの」
「お母様!」
恥ずかしがりながらも、庭師見習いの少年の言葉に背を押されて、自分に見せにきたときの娘は大変愛らしかったとオクタヴィアは幸せそうに微笑む。恥ずかしい話題ばかりを持ち出されたリュディアは、とうとう羞恥が極まり、母に怒りこれ以上の言及を止めさせた。
オクタヴィアはころころと笑うだけで、リュディアの気迫などどこ吹く風という様子であったが、呼ぶ名前に込められた懇願を受け、もう桜色のドレスの話題には触れなかった。
「それより、パーティーのドレスを決めないとね」
本日の採寸の目的を提示され、リュディアも気を取り直す。
アーベントロート国の第一王子の誕生日パーティー、彼の婚約者候補であるリュディアは当然招待を受けている。王族主催のパーティーに見合ったドレスを作らねば、と今回仕立屋を読んだのだ。
「リュディア様、何か希望はございますか?」
身に着けるのはリュディアなので、要望に沿ったものを作りたいと仕立屋は訊ねる。
当然の問いにリュディアは考え込む。今回の誕生日パーティーは、婚約者候補の優劣をつけないために第一王子のロイは誰とも踊らない。なので、ロイと踊ることを想定しなくてもよいが、かといって彼の婚約者候補の一人として、また公爵家の令嬢として立場に相応しい装いをしなければならない。
「アクセサリーに合わせて作ることもできるわよ」
悩むリュディアに、オクタヴィアがそう提案すると、メイドたちがリュディア用の装飾品をいくつか彼女の前に持ってきた。ネックレスもイヤリングも髪飾りも精緻な細工のされた貴金属で、王子のロイと対するに相応しい価値があるものばかりだ。
煌めく宝石の彩りは、リュディアの心を弾ませ公の場に立つ勇気を与えるに充分なものだった。だが、胸に引っかかるものがあり、決断することを押しとどめた。
自身を囲むアクセサリーを端から端まで眺めて、リュディアはここにはない装飾品の存在を思い出した。踵を返し、ドレッサーの近くまでゆく。ドレッサーのすぐ隣のサイドチェストの上には卵型のオルゴールを囲むようにいくつかの小物が置かれている。リュディアはその中から、ネックレスなどを入れるための宝石箱を手に取った。
宝石箱を開くと、青いリボンの中央で白いミニバラが咲きかけのまま時を止めていた。庭師見習いの少年が、お守りだと言ってくれたそれをじっと見つめる。
今回、ロイが誰とも踊らないのでリュディアのダンスの相手は彼だ。自分が無理を言って頼んだ。眩しいものが苦手な彼らしい、華やかだが光を反射するもののない贈り物にリュディアはふっと吐息のような笑みを零す。
「あの……、アクセサリーがなくてもいいドレスって作れます?」
「アクセサリーを付けられないのですか?」
「いえ、その……どちらかというと宝石など光輝くものを除きたいというか……」
「ということは、銀糸や金糸の刺繍や水晶、スパンコールの縫い付けも控えた方がよろしいですね……」
変わった要望をしている自覚はある。だが、リュディアはダンスの代役を務める彼の負担を少しでも減らしたいと思った。
そもそもドレスの新調を母にも付き添ってもらったのは、その彼が自身への期待値を上げたことが原因ではある。普段より綺麗だろうと確定事項にされてしまい、王族主催のパーティーであることや公爵家だからよりも、着飾らなくてはとプレッシャーを感じた。
その彼の期待を裏切るのも居た堪れないが、彼が苦手とする場に同行してくれるのだ。せめて自分は、パーティーの場で彼の苦手な対象にならないようにしたい。
ぶつぶつと呟いて考え込む仕立屋を見て、リュディアはやはり無理な要望をしてしまっただろうかと眉を下げた。しかし、彼女が顔をあげたとき、まるで十年は若さを取り戻したように嬉々とした表情をしていた。
「では、コサージュや刺繍で華やかさを演出してみせましょう!」
レースを大きく使おうか、などと言いながら、仕立屋は助手の用意した用紙にドレスの案を描き始めた。使える素材を制限したことで、むしろ仕立屋の意欲を駆り立てるとは思っていなかったリュディアはその様子に呆気に取られる。
「このチョーカーに合わせてくれるかしら」
リュディアの両肩に手が置かれたと思ったら、オクタヴィアに前へと押され、そんな指定を追加された。母のいうチョーカーが、自身の手元の白いミニバラだと気付き、リュディアは慌てて振り返る。リュディアの動揺に気付いていないのか仕立屋は、お任せください、と意気揚々と返事をした。
「おっ、お母様……!」
「あら、当日着けていくんでしょう?」
抗議のために母を見上げると、当然のような微笑みが返った。自身の考えを読まれてしまい、リュディアはうっと言葉に詰まる。母は人の心を読む能力でもあるのだろうか、それとも自分はそんなに判りやすいのだろうか。後者だった場合、上位貴族として改善すべき課題だと感じた。
だが、もし表情を読ませない術を身に付けたとしても、母には隠せないような気がするのは何故だろう。
そんな脅威を感じつつ、リュディアは抗議の声をあげることを諦めた。オクタヴィアとソファに座り直し、仕立屋のデザイン画ができあがるのを待つ。
これは我儘だろうと感じつつも、リュディアはおそるおそる仕立屋に訊ねる。
「わたくしは、素敵になれるかしら……?」
宝石などの貴金属の力を借りず、誰にも見劣りのしない魅力を得たい、というのは傲慢な願いだろう。けれど、彼の期待に応えたいのもまた事実で、このままではパーティーに集まる着飾った他の令嬢たちに埋もれてしまう不安があった。
彼は自分のことを可愛いとも綺麗だとも言ってくれるが、それは他の令嬢を知らないからではないのか。パーティーでそれらの言葉を口にすることを禁じたが、思うことまでは規制できない。同行してほしいと願ったのは自分なのに、パーティーで他の令嬢の華麗さを目の当たりにして彼が自分に価値を感じなくなったらと思うと恐い。
彼の負担にならず、なおかつ彼の期待に応えるようなドレスを、なんて我儘が過ぎる。
「もちろんです」
自身の傲慢な願いに自嘲しそうになったリュディアに、確信を持った力強い肯定が降る。
仕立屋の顔を見ると、自信に満ち溢れた笑みがそこにあった。
「リュディア様に誰もが眼を奪われるようなドレスをお作りいたします」
デザインを描き終えたらしい仕立屋は、走らせていたペンを置いて、デザイン画を差しだした。受け取った用紙には、華やかと呼ぶに相応しいドレスが何通りも並んでいた。
デザイン画には色が付いており、言葉で補足をされずとも、どんな色になるかも判る。描いている途中に用紙を指で撫でていたが、どうやらパステルを使って色をのせていたようだ。メイドに用意されたフィンガーボールで仕立屋は手を洗い、渡されたナプキンで手を拭いている。
自分が着ることを想定されていることが判るそれらのデザインに、リュディアは眼を輝かせる。スカートのラインが花弁のようなものや、精緻な刺繍で高貴さを感じるものなど、リュディアのどちらの願望も叶えるデザインがそこにあった。
「魔法のようですわ」
庭師見習いの少年は自身のことをあまり語らない。だが、こと園芸に関することだけは饒舌に語る。彼が熱く語る話のなかで、初めて父親の仕事を見たときの感想を思い出した。
魔法を使わない魔法使いだ、と。
そう口にする銅色の瞳が輝いていた理由を、あのときは解らなかったが、今なら意味が解る。確かに、魔力を用いていないのに魔法のようだ。
「最上級のお褒めに預かり、光栄です」
リュディアの感嘆に、仕立屋は、それは満足げに笑みを湛えた。
仕立屋の描いたデザインを見比べ、オクタヴィアの意見を参考にしつつパーティーのドレスを決める。仕立屋たちが下がるのを見送ったあとも、リュディアは期待に胸が高鳴っていた。
「できあがるのが、楽しみね」
「はいっ」
オクタヴィアの言葉に、リュディアは満面の笑みで肯定する。娘の高揚した様子に、オクタヴィアは柔らかに微笑み返したのだった。
そのあと、ドレスに合う髪型と髪飾りも母子で相談して決め、リュディアは想像以上に楽しい時間を過ごした。
第一王子ロイの誕生日パーティー当日、エルンスト公爵邸の正面玄関に出発の馬車が停まる。父のジェラルドにエスコートされ、精緻な刺繍のドレスを纏ったリュディアが馬車へと向かう。
馬車の前で歩みを止め、リュディアは周囲を見回す。
「ディア、どうしたんだい?」
「いえ、まだザクの姿が見えないので」
同行者のはずの庭師見習いの少年の姿が見当たらず、リュディアは心配そうに眉を下げる。
「イザークは引き受けたことを反故にするような子じゃないよ。先に乗っていよう」
「そうですけど……」
「お嬢様、どうぞ」
父に促され、使用人に馬車の扉を開けられ、リュディアは不安が残るものの仕方なく乗り込むことにする。
「ありが……」
が、馬車を乗る際に、手を借りた使用人が思いの外自分と背が近いことに気付き、動きを止めた。エルンスト家の使用人は十歳以上の者がほとんどのため、リュディアの背に近い者は一人しかいない。思わず、手を借りた相手を凝視する。
「ザク……!?」
「はい」
そこにいたのは、普段とは違う静かな表情をして、正装をした彼がいた。外にハネやすい髪も整えられており、ここまできちんと身なりを整えた彼を見るのは初めてだった。
やっと彼の存在に気付いて眼を丸くしているリュディアに、最初から気付いていたジェラルドは可笑しげにくすくすと笑う。
「よくここまで仕上げたな、ハインツ」
執事のハインツは黙しつつ、恭しく頭を下げ称賛を受け取った。
「……師匠、顔がつりそうです」
「気を抜かない」
「はい」
一瞬気を抜き、いつもの表情に戻ったが、ハインツに指摘され彼はすぐさま表情を引き締めた。それを見て、本当に彼だと実感したリュディアは改めて変わりように驚く。
「リュディア様、このように至らない点もありますのでお気を付けて」
「わかりましたわ」
ハインツに頼まれ、リュディアはきちんと眼を光らせる旨を約束した。
「何故、私ではなくディアに頼むんだい?」
「ジェラルド様は面白がっていらっしゃるからです」
そんなことはないさ、と言いつつジェラルドの瞳は楽しげに輝いていた。ハインツは内心、呆れて嘆息を零す。
出発前から驚きを受けつつ、リュディアは馬車に乗り込んだ。移動の馬車の中で、普段と見違えた様子の彼が気になって、ちらちらと隣を盗み見てしまう。そんな娘の様子の愛らしさに、ジェラルドは始終微笑んでいた。
リュディアはこのとき知らなかった、パーティーでさらに心臓に悪い思いをすることになるとは。
そして、最後まで彼の言動に驚かされることになるとも。
その日の夕刻、感情の起伏に疲れ切って眠ってしまった娘を抱き抱えて、ジェラルドは帰宅したのだった。
TOブックス書籍化時2巻の書き下ろしSS(2023.03に契約満了)
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