sideB.サンドイッチ
※一章10.以降
雪の降る日が多くなった頃、窓拭きを手伝っていたカトリンは溜め息を吐いた。
窓に向かって吐かれたそれにより、窓が雲って白くなる。曇りに気付いたカトリンは、慌てて拭き直した。
日頃から定期的な清掃をしているが、年の瀬が近付くとエルンスト家では邸全体の大掃除を行う。その際に修繕箇所がないかを点検するので、大工も呼ぶ。邸が広いので大掃除は使用人で手分けし、充分な日数を設けて行う。その手伝いに、カトリンもかり出されていた。
手を休めないように気を付けつつ、カトリンは考える。いかに主人に喜んでもらえるかを。
カトリンは、エルンスト公爵家の令嬢であるリュディア付きのメイドだ。五歳差と、メイドの中では一番リュディアと歳が近いこともあってか、友人のように親しくしている。
そんな主人の心残りをいかにして払うかが、カトリンの目下の悩みだった。数ヶ月前、主人であるリュディアは、友人の庭師見習いの少年から手作りのクッキーをもらったらしい。そのあと、自分にお茶請けの菓子が不要と言ったときの、彼女の悔しそうな表情をカトリンはよく覚えている。
後日、どうやら料理長にも交渉に向かったようだが、主人が肩を落として戻ったところからすると、結果は芳しくなかったようだ。
「溜め息なんて吐いちゃって、恋の悩み?」
「リアさん、いえ……」
先輩のメイドの問いに、カトリンが首を横に振ると、もう一方から疑問の声がかかる。
「どうして恋愛事だと思うのでしょう?」
「その方があたしが楽しいからよ」
「リアさんは、そういう話題が好きね」
「アンネマリーさんは、もっと関心持った方がいいですよ。じゃないと、婚期逃しますよ」
断言するリアに、のんびりとした調子でアンネマリーが返すと、リアから心配されてしまった。けれど、自身に向けられた心配を他所にカトリンへ視線を向けた。
「リアさんの予想が外れたのなら、どうされたんですか?」
「す、すみません。お二人の手を止めてしまい……」
「それは気にしなくていいんですよ」
「そうよ。手を動かしながら話せば問題ないでしょ、ほらっ」
「は……はいっ」
先輩二人に心配をかけたことに対して謝罪をするカトリンに、アンネマリーは微笑み、リアは作業を続ければよいと即座に行動に移す。リアに続いて、カトリン、アンネマリーの順で窓拭きの作業に戻った。
「あの……、料理をしたことはありますか?」
窓を拭きながら、カトリンは先輩二人に質問する。
「あるわよ、家の手伝い程度なら。あ、でも、お菓子は作ったことないわ」
「私はないですね」
商家の家の次女であるリアは平民ゆえに経験があるといい、伯爵家四女のアンネマリーは未経験だと答えた。菓子作りに関しては、貴族のカトリンたちが見たことのある繊細な菓子を作ったことがない、という意味でリアは補足した。
エルンスト家の使用人は、家に尽くせるかと能力を重視して採用しているため、身分に関係なく家令に認められれば就職できる。公爵付きの執事であるハインツも人事に関しては手伝っており、現在の家令が引退したあとは彼が家令を継ぐのだろうと使用人の誰もが思っていた。
「私も、ないんです」
先輩二人から、想定通りの回答を聞き、カトリンは弱ったように眉を下げた。
「何よ、紅茶だけじゃなく、お嬢様のためにお菓子職人も目指そうって訳?」
元々努力家だったカトリンは、主人であるリュディアと和解してから更に紅茶の腕をあげた。それを知っているリアは、今度はお茶請けまで手がけたくなったのかと思った。
「お菓子でなくてもいいんですが、何か簡単に作れるものはないか、と思いまして」
「刺繍なら私も教えられるのだけれど……」
アンネマリーが弱ったように眉を下げると、カトリンは仕方ないことだと首を横に振った。
「そんな都合のいいものありませんよね」
「あるわよ」
「え……」
簡単な料理、というものがあると思わなかったカトリンは、リアの言葉に眼を丸くする。
「あるものを使うだけだから、火も使わないし、カトリンたちでも作れるわ」
商家の娘のリアは、家が忙しいときによく作っていた、と即席料理の存在を語る。
「それは一体……」
「サンドイッチよ」
「サンドイッチ?」
知っている名前にカトリンは首を傾げる。アフタヌーンティーなどに添えられる軽食だ。薄めに切った食パンで胡瓜などを挟んで、さらに一口サイズに切ったものだと記憶している。
「刃物を使ったことがない私たちで、あんなに綺麗に切れるものかしら?」
カトリンが感じた疑問を、アンネマリーが口にした。すると、リアが笑い飛ばす。
「切らなくてもいいわ。あたしが言っているのは、もっと食べ応えのある方のことよ。好きなものを好きに挟めて楽しいわよ」
ライ麦パンなど、挟むパンも好きな食感のものを選んでよいのだと、リアは言う。パンと挟む材料さえあれば、好きに組み合わせるだけで完成するという。
挟んだままの大きさでそのまま口にする、というのはカトリンにはない感覚だが、庭師見習いの少年はきっと慣れていることだろう。それに、材料を選んで挟むだけならば、主人にもできそうだ。
「リアさん、ありがとうございます」
「こんなことで役に立ったなら、よかったわ」
「はい、とても」
嬉しそうに表情を綻ばせるカトリンを見て、リアとアンネマリーは微笑んだ。そして、今度私たちも一緒にやりましょう、とアンネマリーが提案し、二人は了承したのだった。
それから、カトリンは早速行動した。
料理長に用意する材料の相談をし、庭師に昼食を抜くか減らす日を設けられないか打診した。屈強な体躯の料理長や厳しい表情のままの庭師に、自分から話しかけることはカトリンにはとても勇気のいるものだった。だが、料理長は快く協力してくれ、庭師も言葉少なだが了承してくれた。
自身から踏み出すことで、これまで業務上で最低限のやり取りしかしてこなかった相手と交流ができ、準備の段階ですでにカトリンは充足感を得ていた。
いつものように温室のお茶の準備を頼まれたカトリンは、いつもと違い厨房に寄ってから温室へと向かった。あらかじめ頼んでおいた食材などをテーブルワゴンに乗せて運ぶ。
温室のテーブルに並び終えたあと、カトリンが紅茶の支度をしていると、足音と話し声が近付いてきた。音の方に振り返り、カトリンは静かに頭を下げる。
「カトリン、いつもありがと、う……?」
庭師見習いの少年をつれてきた主人のリュディアが、見慣れぬテーブルの様相に眼を見張った。庭師見習いの少年も、きょとんとしてリュディアの後ろからテーブルを覗き込んでいる。
テーブルの上には、薄く切ったハムや開いた海老、トマトやレタス、水にさらして辛味を除いた玉葱などが皿に適量乗っており、籠の中には一センチほどの厚さに切られた食パンやライ麦パンなどが入っていた。椅子の前にはフィンガボールやナプキンもあった。
カトリンは、顔をあげて主人たちに微笑みかける。
「本日は、イザークさんが昼食を忘れられたとのことで用意させていただきました」
「え。そうです、けど……」
どうして知っているのか、と庭師見習いの少年は不思議そうに頷いた。彼の肯定に、リュディアが振り返り、咎めるような眼差しを彼に向ける。
「わたくし、聞いてませんわ」
「や……、あとで厨房の賄い分けてもらおうと思ってたから」
庭師見習いの少年としては、父親に弁当を忘れたと聞いたからといって昼食抜きで済ませようと思っていた訳ではない。体力のいる仕事のため、リュディアとのお茶で食べられるであろうお菓子で足りない分は、後ほど補うつもりでいたのだ。
説明するも、自分に黙っていたことに剥れるリュディアを見て、庭師見習いの少年はごめんと一言謝罪をした。二人のやり取りに、小さく笑いそうになってカトリンは口元を手で押さえた。
カトリンが席へ促すと、まだ状況を理解しきれていないものの、二人は素直に席に着いた。
「ナイフやフォークがありませんけど?」
目の前の皿の左右に、リュディアが見慣れたものを探すがない。
「はい、必要ありませんから」
「え……」
「リュディア様にサンドイッチを作っていただこうと思いまして」
「わたくし、が……?」
自分が料理を作る、ということに驚き、リュディアは眼を大きく見開いた。その問うような眼差しに、カトリンは肯定の意味で微笑み返す。
「お嬢、どんなの作るんだ?」
リュディアが料理に挑戦するのだ、と理解した庭師見習いの少年は、期待の眼差しを彼女に向ける。リュディアはその期待にわずかに怯む。そのような眼差しを向けられては、しないとは口に出せない。
「パンは何になさいますか?」
「えっと……、では、ライ麦パンを」
多少戸惑いながらも、リュディアは籠の中のパンを見て、比較的歯応えのあるライ麦パンを選んだ。カトリンは選んだライ麦パンを取り、卵黄を植物油と混ぜたものを塗って、彼女の皿の上に置いた。
次は何を挟むか、とカトリンが促すと、リュディアは食材を見回して、レタス・トマト・ベーコンを選んだ。カトリンが順にそれぞれの皿をリュディアの前に持ってゆき、リュディアは一度躊躇ったものの、それを手にとりパンの上に量を加減しながら乗せてゆく。そして、最後にライ麦パンを上に乗せ、具が零れないようにリュディアがぎゅっと押さえた。
「できましたわ……っ」
食材を挟んだだけではあるが、自身で選び作った料理にリュディアは、一瞬の感動を覚える。主人が喜色を浮かべて自分の方を見たので、カトリンも嬉しくなって笑みを滲ませる。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
リュディアの作ったサンドイッチを庭師見習いの少年の前に持ってゆくと、彼はカトリンに礼を言った。
「恵みに感謝を。いただきますっ」
庭師見習いの少年は、手を合わせたあと、サンドイッチを両手で持ち、大きく一口噛み頬張った。彼が咀嚼する様子を、リュディアは緊張の面持ちで見守る。
彼が口に含んだものを嚥下するのと、リュディアが握る両手に力を込めるのはほぼ同時だった。
「美味い。お嬢、ありがとな」
にかっと笑う庭師見習いの少年の言葉に、リュディアは安堵と嬉しさに頬を紅潮させる。そして、頬の熱に気付いたリュディアは慌てて、そっぽを向いた。
「当然ですわっ、エルンスト家の食材はどれも一級品ですもの」
「んで、お嬢セレクトなら最強だな」
自分以外に焦点をずらそうとしたのに、即座に戻されてしまい、リュディアは頬の熱をどう抑えればいいか判らなくなる。気を紛らわせるために、次のサンドイッチの組み合わせを選ぶ。今度は、切り目の入ったコッペパンに海老や玉葱、目箒をすり潰したソースをかけたものにした。
食欲がそそられるのか、自分の前に置かれたそれに庭師見習いの少年は眼を輝かせる。しかし、手を出さずに彼はリュディアに訊く。
「お嬢は食べないのか?」
「わたくしは、昼食を済ませましたから」
「そっか。一緒に食べた方が美味いと思ったんだけど……」
少し残念そうに呟く庭師見習いの少年に、リュディアは悪いことなどしていないのに罪悪感を覚える。湧いた罪悪感を払拭するために、リュディアは咳払いをした。
「す、少しだけなら付き合ってあげますわ」
「ほんとか!? さんきゅ、お嬢」
先程の憂いなどなかったかのように笑う彼に、リュディアは狡くないだろうかと内心で責めた。
ちょうど昼食はいつもより少なめで、サンドイッチ一つぐらいならば食べられそうだ。そこで、リュディアはすべてがカトリンの思惑であったことに気付く。彼女の方を見遣ると、カトリンはそっと目元を和らげたので、リュディアは感謝を込めて微笑み返した。
一番薄そうな食パンを選び、庭師見習いの少年の提案でその半面にサーモンやカッテージチーズを乗せて一枚だけで挟んだサンドイッチを、リュディアは食む。
「……美味しい」
「な。美味いよな」
普段食べる料理人たちが作る料理も美味しいが、こうしてお互い、ただ美味しいと感想を言い合って食べるのは嬉しさが増して、格別な味に感じた。食事の感想は、調理した料理人に礼として言うものだと思っていたが、食べているときに言い合うのもよいものだ、とリュディアは思った。
嬉しそうに笑う二人の食事風景を見守り、カトリンは主人に尽くせたことに満足するのだった。
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