sideA.温室
※一章18.以降
最初はそんなことになるとは思っていなかった。
リュディアは後悔していた。
エルンスト公爵家の令嬢、リュディア・フォン・エルンストには歳の近い友人がいる。初対面こそ失礼な相手だと思ったが、平民ならではの口の悪さはあるものの、自分の話を聞いてくれる気安い存在だ。
だから、日頃の感謝の気持ちを彼に贈った。彼だけではなく、家族や親しいメイドにも同じものを贈ったが、彼だけは贈り方を変えた。貴族と平民では価値観などが異なるため、受け取れる形で渡すのに随分苦心した。
その甲斐もあって、無事彼は受け取った。当初、受け取らせることができた達成感でリュディアは満足していた。だが、致命的なことに後で気付く。
それはいつも通り、庭師見習いの彼が作業をしている庭に散歩にきたときのことだった。
冬の間は温室の作業を任されている彼は、リュディアとお茶をするのに合わせて温室に向かい、それから温室での作業に入ることが多い。その日も、リュディアが訪ねると木立紺菊や宿根亜麻の株分けという作業を彼の父親としていた。
リュディアが声をかけると、笑顔で迎えた庭師見習いの少年は、冬向けの革製の軍手を嵌めた手をあげて見せた。
「お嬢」
真冬の太陽の下、温度のある笑みを見て、リュディアは胸の辺りに温かさを感じた。
「土ごと掘り返して何をしていますの?」
「根っこが土の中で冬眠してるから、それごと引っ越しするんだよ」
土しかないように見えた花壇にも花が眠っているのだと、庭師見習いの少年は説明する。よくよく見てみると、株元だけは見えているものもある。だが、教えてもらわないとリュディアにはどちらが木立紺菊でどちらが宿根亜麻かも区別がつかなかった。
「まぁ、増えてきたから、花が窒息しないようにしてるだけだ」
彼の語彙力の問題もあるだろうが、簡易な説明でリュディアも何となく株分けの必要性が理解できた。メイドのカトリンが既にお茶の用意をしている旨を伝えると、庭師見習いの少年は父親に断り、リュディアとともに温室へと向かう。
温室に入ると、彼は着ていた防寒用の革のジャケットを脱いだ。その際に、チャリ、と幽かな音がしてリュディアは彼の方を見遣る。
そして、瞠目して彼の首元を凝視してしまう。
リュディアの視線に気付いた庭師見習いの少年は、彼女の視線の先をたどり要因に気付く。彼はその要因に軽く指をかけて、持ち上げた。
「コレ、いつも身に付けられていいな」
にかり、と嬉しそうに笑う庭師見習いの少年。リュディアはそれに即座に答えられない。
「……っそ、そうですの」
どうにか返事を絞り出し、リュディアは彼の首に下がるロケットから無理矢理、視線を引き剥がした。
彼を先に行かせ、後ろに回ることでロケットが視界に入らないようにした。だが、未だに心臓が煩く、リュディアは胸元をぎゅっと掴む。
ロケットを見た瞬間、思い出してしまった。中の四葉を見て彼が零した言葉も、そのときの表情も。
小さな四葉が自分のようだと言ったそれを、彼が常に身に付けている事態を眼にして、初めてとてつもなく居たたまれないものだとリュディアは自覚した。そんな状況は恥ずかしすぎる。
自分から贈ったものであり、既に彼のものにもかかわらず、返してほしい、と声に出そうになった。どうにか平静を装って、声を抑えたが、彼が歩く度に聴こえる金属音が心をざわつかせる。
リュディアたちが温室の中のテーブルにたどり着くと、支度を済ませたメイドのカトリンが静かに頭を下げた。カトリンが保温用のポットカバーを持ちあげると、かすかに紅茶の香りが漂った。
リュディアが席につくのに合わせて、カトリンが椅子を引く、庭師見習いの少年は自身で椅子を引き席についた。リュディアは正面の彼が視界に入らないように俯いており、庭師見習いの少年はテーブルの上の焼き菓子に眼を輝かせている。
「それでは」
二人のティーカップに紅茶を淹れ終わったカトリンが、一礼をして辞する言葉を言った。
「……っま、待って!」
去ろうとするカトリンの裾を、焦った様子のリュディアが反射的に掴んだ。
「リュディア様?」
カトリンが振り返ると、必死な表情で見上げる主人と眼が合った。午前中のピアノの稽古が終わる頃まではいつも通りだったというのに、庭師見習いの少年を迎えに行っている間に、一体何があったというのだろう。しかし、彼の方はきょとんとしてカトリンとリュディアを見ている。
リュディアは、カトリンの裾を掴んだまま何と言って引きとめるべきか悩み、はくはくと口を動かすだけになってしまう。今の自身の状態で、庭師見習いの少年とだけの空間に残されては、リュディアはどうすればいいのか判らない。
「カトリンも一緒にお茶しましょう……っ」
「え、ですが……」
「お願い……!」
主人の急な誘いに、カトリンは面を食らう。主人と同席するなど、と言いかけたが、平民である庭師見習いの少年が既に席についているため、言葉を濁すだけとなった。躊躇うカトリンに、リュディアが懇願する。
しばらく逡巡したあと、主人の懇願の眼差しに負けたカトリンは頷いた。
「では、カップをもう一つ用意してまいります」
「え……」
一度は下がらねばならないとのカトリンの言葉が、リュディアには絶望的な響きで耳に届いた。彼女が戻るまで、自分は一体どうやって間を持たせればよいのだろうか。
「俺は、お菓子だけ食べれればいいんで、コレどうぞ」
リュディアが一向にカトリンの裾を掴んだまま放さない様子を見て、庭師見習いの少年がまだ手をつけていないティーカップを空いている席の前へと移動させた。彼の提案に、リュディアは内心、ほっと胸を撫で下ろす。これで、彼と二人だけになることはない。
「では、お言葉に甘えて……」
状況を把握しかねるカトリンが、多少戸惑いながらも空いている席についたの確認し、リュディアは満足げに笑った。そんな彼女を見て、庭師見習いの少年も表情を綻ばせていたが、カトリンの方を見ていたリュディアは気付いていなかった。
にこにこと笑顔で紅茶を口につけてから、リュディアははっと思い至る。
今しがたの誘い方はなかったのではないかと。以前より、温室でのお茶にカトリンも誘おうとは目論んでいた。だが、先程のような子供じみた懇願をするつもりはなかったのだ。
目的は達成したが、別の羞恥がリュディアを襲う。じわじわと頬が熱くなるのを誤魔化したい一心で、リュディアは話題を探す。
すると、紅茶を飲むカトリンの姿が眼に入った。
「そういえば、カトリンは自分で淹れた紅茶を飲むのは珍しいんじゃないですの?」
「あ、いえ。新しい茶葉が入った際などに、淹れ方を確認しているので、そのときに飲んでいます」
「そ、そうですの……」
ただ単に自分が眼にするのが珍しいだけで、特段珍しいことではなかったようだ。話題を発展させることができず、リュディアは少し気を落とす。
「へぇ、そんなに紅茶を淹れるの練習するんですね」
「はい。茶葉によって蒸らす時間などが違いますし、ブレンドした茶葉や、ハーブなどだとお湯の温度も変わります。やはり、リュディア様が口にされたときに美味しいと思っていただきたいですから」
「だから、お嬢はカトリンさんのお茶が一番好きなのか」
「そんな、先輩方の淹れる紅茶もとても上手で……」
主人のことを想ってはにかんだカトリンに、庭師見習いの少年が素直な感想を零すと、彼女の声は恥じ入ったように徐々に小さくなった。
そこまで多くは語っていないが、カトリンが懸命に茶葉ごとの淹れ方を試行錯誤していることは想像に難くない。そこまでの努力をしてくれていたと知り、リュディアはじわりと胸を熱くした。胸元に手を当てると、その熱が掌に伝わるようだ。
「あ……、ありがとう」
「いえ、そんな……」
リュディアがぽつりと感謝の言葉を呟くと、カトリンも謙遜の言葉を返し、互いに手元に視線を落とす。
照れた二人が眼も合わせられない様子を眺めつつ、庭師見習いの少年は焼き菓子を咀嚼した。二人が仲が良いと彼は知っているが、いまだお互い距離を測るような素振りがあるのは主従だからというよりは、存外人見知りなリュディアと控えめなカトリンの性格が原因に思える。こうして、対面で話す機会を得れてよかったと、庭師見習いの少年は感じた。
「ごちそうさまでした」
ぱん、と手を合わせて、焼き菓子を食べ終わった庭師見習いの少年が言った。その音と声に、二人は弾かれたように顔をあげる。
「俺、作業に戻るからお嬢はカトリンさんとゆっくりしてな」
「あ、ちょ……」
リュディアが呼び止めようとするも、庭師見習いの少年はカトリンにも挨拶し、温室の手入れの作業に入ってしまった。
彼が席を立つとき、首元のロケットが揺れるのが眼に入り、リュディアはびくりとして硬直する。そのため、彼を呼び止めきれなかった。
庭師見習いの少年は視界から完全に消えることはなく、それでも会話ができないほどに遠のいたところで作業を始める。それまでの一連を見送って、やっとリュディアの硬直が解けた。
気を遣わせてしまったことが申し訳なく、リュディアは溜め息を吐く。
「私が同席するのは余計ではありませんでしたか……?」
「いえ、そんなことはありませんわっ」
カトリンに溜め息の意味を誤解させてしまい、リュディアは即座に否定した。今なら、彼に自分の声は届かないだろうと、リュディアは本心を吐露する。
「カトリンと一緒にお茶できるのは嬉しいですわ。けど……」
「はい」
カトリンが相槌を打って聞いていると示すと、リュディアは言い淀んだ続きを零す。
「その、温室だと見えてしまうから」
「何がでしょう?」
「……ロケットが」
顔を赤くして小さな声で呟く主人を見て、カトリンは事情を把握する。少し前から庭師見習いの少年がロケットを身に付けていることは、カトリンも気付いていた。やっと主人が渡せたのだと喜ばしく感じていたが、どうやら肝心の主人はそれが恥ずかしいらしい。
幸運の祈りを込めた四葉の押し花。それは、カトリンも栞の形で主人からもらった。リュディアの両親だけではなく、自分ももらえることを光栄だと思った。だが、栞は実際に使っている様子を眼にすることは少ないものだ。
送った相手が庭師見習いの少年だから、というのもあるだろうが、自分の贈り物を頻繁に眼にする状況に主人が弱っているのだと、カトリンは理解した。
「だから、温室だとザクを見れなくて……」
恥ずかしさの余り、相手を見れず、会話もままならないのだと弱るリュディアを微笑ましく感じてしまい、カトリンは申し訳なさが湧いた。
「きっとそのうち落ち着きますよ」
「それまで、カトリンも付き合ってくれます……?」
言葉をかけると、弱って眉を下げたリュディアがじっとカトリンを見つめた。主人の愛らしさを感じつつ、カトリンは安心させるように微笑んだ。
「はい」
カトリンの返事に、リュディアはほっと安堵の表情を浮かべた。
それからしばらく、温室ではカトリンの後ろに隠れるリュディアの姿が見られるのだった。
お嬢の誕生日なので。(コミカライズにて決定)
TOブックス書籍化時1巻の書き下ろしSS(2023.03に契約満了)
当時、お手に取ってくださった読者様、誠にありがとうございます。
※詳細は下記活動報告を参照ください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1465903/blogkey/3119864/








