side11.喧嘩
※二章28.
それぞれの靴音、重量によって異なる馬車の歯車の音、人々の息づく音がする。
中央広場の噴水の縁に腰をおろし、ロイは行き交う光景を眺め、微笑んでいた。貴族の多いメインストリートにも、平民の多い市場通りにも繋がるこの広場には様々な人の姿がある。身分・業種・年齢・性別などでひとりひとり違う。浮かべる表情からそれぞれの人生が伺え、ロイにはとても興味深い。
「イザーク君、遅いですね」
「そうだな」
いつもなら待ち合わせの時間より先に着いている庭師見習いの少年がきていない珍しさに、従者が首を傾げ、ロイもそれに同意した。
アーベントロート国の第一王子のロイは市井の様子を見るため、茶髪のカツラを被り、所有しているなかでは一番地味な服装をしている。それでも目立つため、これから会う予定の庭師見習いの少年の服を借りる段取りをしている。しかし、その相手が来ないのだ。
連絡手段がこちらから彼の父親宛に送る手紙か、会っている間に次の予定を立てるか、という事前のものばかりで、当日に状況確認する方法はない。もうしばらく待って現れないようであれば視察は中止にするべきか、とロイは思案する。
そこに雀ほどの大きさの小さな鳥がロイたちの元に飛んできた。風の魔法でできた半透明の小鳥だ。
形状は鳥の姿をしているが、眼などの細かな箇所はぼんやりとしている。魔力量の多い者がこの伝書用の鳥を形成すると、もっと大きな種類の鳥にもなり、造形も色以外で判別がつかないほど細やかになる。だから、この風魔法を使っている者がすぐに知れた。
小鳥はロイたちの周囲を数度回り、それから市場通りの方へ飛び、ロイたちの少し先で羽ばたきながら停滞した。
「どうやら、集合場所が変わったらしい」
動きだけで伝えようとする小鳥の意図を、ロイは正しく読み取り、行動を決める。小鳥の案内に従って、市場通りに入り、下町へと向かう。小鳥の案内する道のりも、向かう先も、ロイには随分見慣れたものになった。
きっと今回のように、ロイたちだけでも下町にくることは可能だろう。だが、ロイは不測の事態でもない限り、自分たちだけで訪れることはない。下町の人間の許可なく、彼らの居住区域に入るのは不審感を煽り、住民を不安にさせるだけだ。いくらかの人間と顔見知りになったところで、自分が余所者の立場であるとロイは理解をしていたし、きちんと線引きをしていた。
銀梅花の鉢植えがある家の前で、風の小鳥は霧のように溶け消えた。
ロイは、家のドアの前に立ち、ノックをする。家のなかから間延びした返事があり、しばらくしてドアが開いた。
「どちらさま?」
「こんにちは」
「あら、レオくん。こんにちは」
迎えた女性がこの場限りの名でロイを呼ぶ。お兄さんも、と挨拶する彼女に、従者も軽く頭を下げ、挨拶を返した。
「あの、イザークは……」
「ザクはまだ帰ってないわね。どうぞ、中で待ってて」
お茶でも出すわ、と中へ入れるよう開けたドア側に寄り、彼女は微笑んで促す。案内に従い、ロイたちは庭師見習いの少年が自宅へ戻るのを待つことにした。彼が戻れば、急に集合場所を変更した理由も知れることだろう。
ほどなくして、庭師見習いの少年が玄関のドアから帰ってきた。彼は帰宅の挨拶とともに、ロイたちの到着を母親に確認する。
「イザーク、集合場所を変えるなんてどうしたんだ?」
庭師見習いの少年の適性属性は水だ。だが、適性属性以下の魔法しか使えないと承知で他の属性も使う。その珍しさをひけらかすような性格をしていないので、人が多い場所で適性以外の魔法を使ったのはそれだけの理由があったのだろう。
一体何があったのかと訊かれ、庭師見習いの少年は不思議そうな顔をした。何故、そんな表情をするのかとロイが首を傾げると、彼の母親や従者の様子を確認して、庭師見習いの少年は納得したように呟いた。
「あー……、そうか」
面倒そうに、彼は何もない背後に声をかけ、空を掴んだ手を振りほどくような動作をした。振った手の先に、ロイの見覚えのある外套が現れ、庭師見習いの少年の背後にこれまた見覚えのある金糸の髪をした少女が忽然と現れた。
この場にいるはずのない人物を前に、ロイは蜂蜜色の瞳を見開く。
「フィル!! どうしてこんなところに!?」
妹のフィリーネは立場的にも年齢的にもおいそれと外には出られない身だ。自身で魔法を付与したので外套の効果を知っているロイは、何故妹が自分たちについてきたのか、と疑問に思う。庭師見習いの少年がつれてきたということは、途中ではぐれたのだろう。彼が偶然見つけてくれなかったら、今頃どうなっていたことか。
兄の心配を感じ取ったのか、フィリーネはうまく言葉を返せず弱った様子を見せ、所在なさげに周囲に視線を彷徨わせたあと、庭師見習いの少年を非難した。しかも、睨み付けて。
「ちょっと、私にも心の準備ってものがあるのよ!」
「お前のそれを待ってたら陽が暮れる。それまで俺の背後霊してるつもりか」
「でも、だって……、イザークのバカ!」
ロイは呆気に取られる。庭師見習いの少年が気安い態度なのは何も不思議ではない。彼の基準は、身分より年齢だ。だが、妹は天真爛漫な性質ではあるが、王女として育てられ丁寧な喋り方が常となっている。マナーの教師に指摘されて、母親や自分にまで喋り方を気を付けないといけない事実を寂しがっていたことがすでに懐かしい。だからこそ、砕けた話し方をどこで覚えたのか、とロイには心底不思議だった。
誰かを睨んだり、八つ当たりするのも初めて見た。ここに来るまでに、一体二人に何があったのだろう。
親しくなったのかと妹に問いかけると、引きつったぎこちない笑みが返った。どうやら親しい、と扱われたくはないらしい。庭師見習いの少年も微妙な表情を浮かべていた。
喧嘩友達というものだろうか、とロイは当て嵌りそうな名称を探す。誕生日パーティーをきっかけに将来の臣下に望ましい人物たちと知り合ったが、彼らは幼馴染ということもあってかよく口論をする。彼らの気の置けないやり取りは、今の二人と似ているように感じる。
そういえば、喧嘩とはどのようにするのだろう。
ロイには口論にまで発展するような、激情をぶつけてくる相手がいない。一番近いのは王位継承権で対立状態にある弟だろうが、それは喧嘩として買ってはならないものであり、ロイ自身が弟との対立を望んでいなかった。王位を継ぐには優位な資質だが、自身の冷静になりやすい性質は喧嘩に向かないとロイは自覚した。
喧嘩ができない自分と違い、感情の発露ができる妹がそれができる相手を見つけられたのは幸運なことだ。フィリーネが城外にいるとは許されない状況だと理解しつつも、城の中では得られない者に出会えたのはよいことだと感じた。
庭師見習いの少年に、自身の管理が杜撰だった点を指摘され、ロイは素直に認め、謝罪した。会ったばかりの相手に縋るほど気を許しているということは、それだけ不安な目に遭ったということだ。ロイは妹に申し訳なく思う。
「すまない。今回は僕の過失だな。僕の物を他の人間が使う可能性を考慮していなかった」
「勝手に……ごめんなさい、兄様。私も一緒に行きたくて……」
「いや、外に出たがっているフィルに視察の話をした僕の責任だ」
「そんな、私が……っ」
きっかけになるような物を放置した自分の責任だというのに、妹は軽率な行動をしたと自分を責める。ロイは、妹のフィリーネが年相応に好奇心をもって行動することを勧奨している。その様子を見て、微笑ましく感じるのはロイだけではない。母親も仕える侍女たちも、妹の愛しい長所と理解している。だからこそ、フィリーネの自身の長所を否定するような謝罪を受け取ることはできなかった。
お互いに非があると譲れずにいると、ロイとフィリーネは強制的に頭を下げさせられた。
「どっちも悪いってコトでいいだろ。今、ごめんなさいしたからもう終いにしろ」
ロイはこれを知っていた。この下町にはヨハンとマリヤという主張のしっかりした少年少女がいる。その二人はよく口論をし、どちらにも非があるにもかかわらずお互い引けなくなったときは庭師見習いの少年が今のように仲裁をするのだ。
つまり、彼にはただの兄妹喧嘩と判断された、ということだ。
謝り合うなんて喧嘩があるとは知らなかった。こんな喧嘩の仕方もあるのか、とロイは可笑しくて笑った。
フィルと初めて喧嘩をしたと、母上に伝えよう。母上はどう受け取るだろうか。
母親の反応を楽しみにしながら、ロイは脱出を自主報告をした妹が侍女から説教を受けるのを見守った。しかし、結局擁護したことで妹と一緒に説教を受けることになった。
説教の件は、フィルが頼むので母上には内緒にしようと思う。
本日(2020.11.10)、モブすらの小説2巻が発売となりました。
これも読者様のおかげです。誠にありがとうございます。
その感謝の気持ちを込めた番外編となります。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。
お礼を申し上げるしかできませんが、読者様、本当にいつもありがとうございます。
モブすらに出会ってくださった皆様に感謝を!!
2023年03月下旬にTOブックスとは契約満了しておりますので、どうぞご了承ください。
(コミカライズはスクウェア・エニックスとの契約なので、影響はありません)