side08.一本道
ロイ・レオナルト・フォン・ローゼンハインは生まれながらの王子だ。
人は口々にそう言う。幼いながら文武どちらの面にも頭角を現し、また本人のたゆまぬ努力ゆえに。
ロイ自身が己の立場を理解し、周囲の期待に応えていたため、王子として見られることは当然のことだった。
初めは妹が生まれたときだった。
物心がつくかつかないかの頃だったが、自分に妹ができたことを純粋に喜んだ。初めて妹と会ったとき、その無垢な存在の小さな手に指を握られた瞬間の感動は、大きな衝撃だった。
ロイは、王子かどうかなど関係なく兄として自分を求める妹という存在が愛しいものだと知った。
次は、弟の存在を知ったときだった。
母親が異なるために会いたいと思ってもすぐには会えなかった。その分、会えたときは嬉しかった。しかし、第二王妃が庇うように弟との間に立ち、周囲の反応から王子として接することを求められていると悟った。初対面で、弟とは王子の立場を抜きに接することが難しいと、ロイは理解した。
王子の立場を放棄したいと思ったことはない。むしろ、ロイは自ら望んで自国に関する知識を学んだ。帝王学は周囲の人間と付き合うために役立ち、武術の稽古は勉強のいい気分転換になった。
ロイは王子の道を誤らない範囲で、自身の自由にする術を覚え始めた頃に、率直な意見が言える者を見つけ、従者に得た。
「本当に行くんですか?」
その従者が不安そうに眉を下げる。
「今更、何を言う。もう着いているんだぞ」
「今からでも引き返しましょうよ。いや、うん、あなたの行動力は自分が身をもって知っていますよ……、ええ」
王都の中央広場、そこから市場通りの方向を見据えて瞳を輝かせる主人を見て、従者のマテウスは諦観の溜め息を吐いた。
門兵の試用期間中だった自分と気まぐれに話したと思ったら、従者に勧誘され、一週間後には異動辞令を受けた。権力を持ち、その使い方を知っている子供って恐い、と心底思ったものだ。
だが、彼も子供であることには変わりない、と忘れそうになる前提を思い出し、マテウスは膝を突き、主人の眼の高さに合わせた。
「いいですか。何かあったら、この噴水で落ち合いましょう」
「マテウスから離れなければいいんだろう?」
真剣な眼差しを真っ向から見返して、ロイは不思議そうに首を傾げる。主人の様子を見て、溜め息を吐きたい気分になったが、マテウスはぐっと堪えた。
「あなたは、初めてたくさんの人の中を歩くことになります」
「そうだな」
事実に相違がないとロイは首肯した。
「だからです」
これ以上は口で説明をしても解らないだろうと、マテウスは気を付けるようにだけ改めて注意をした。
そして、彼の忠告をロイは身を持って知ることになる。
市場通りに踏み込むと、区域によって販売する商品が変わるが故に客層が異なり、様々な人がいた。広場に近い宝飾品店には裕福な商家の者と思われる女性や恰幅のよい男性が店員から接待を受けていた。鍛冶屋の区域に来ると、今度は冒険者や大工、工場関係者と思しき体躯の鍛えられた面々が鍛冶職人に注文をつけており、ちょっとした口喧嘩の様相だ。そこから雑貨店の区域までは歩くのに支障はない人の密度だったが、料理店の多い区域に差しかかると徐々に歩きづらくなり始めた。
「凄いな、前が見えないっ」
蜂蜜色の瞳を輝かせてロイが現状を述べる。人の多さで前方が確認できなくなるということが今までなかったロイにはとても新鮮な体験だった。昼前の食品区域は客が増え始める時間帯のため、人の密度が高く、子供のロイの身長では、景色は人だけになる。
「はぐれないように気を付けてくださいよ」
困るはずの状況で楽しそうな声をあげる主人に、マテウスは自分を見失わぬよう声をかける。見えないロイの代わりに、進行方向を確認しなければならず前方に視線を向けていないといけないためだ。
ロイは景色を見れないことを残念がりもせず、マテウスの背中を追いつつ通り過ぎる人の服装や体躯、顔を確認してゆく。肌の日焼け具合や、筋肉のつくところなどがそれぞれ違い、彼ら、彼女らがどういった職業の者かを推察するのが楽しかった。食材を売る店の呼び込みの声も聴いていて面白い。貴族は宣誓のときなどに声高く発声するが、それとは違う。静まり返った場ではなく、喧騒を貫くように力強く発せられる声は経験に鍛えられたものだ。
本などの資料や貴族から聞く情報だけでは知りえない光景に、ロイは胸を躍らせた。また来ようとロイは心の内で決める。
初めての経験で得る情報が多く、興奮していたロイはマテウスの背中を確認する間隔が少しずつ空いていった。そして、前方を確認し直したあるとき、あるはずの背中がそこになかった。
「マテ、ウス……?」
ほんの少し眼を見開いたロイは、現状を確認するために一度足を止めた。そして、ぐるりと周囲を見回す。視界は人だらけで、しかし、その中に従者の姿は見当たらない。
何故見失ったのか考えてみる。従者の背中を確認する間隔が空いたのは自覚していたが、周囲の人を見ることに気がいき思ったより歩く速度が落ちていたらしい。
「となると、先に行ったか」
しかし、進行方向を彼の背中を頼りにしていたロイは、ほとんどが自分より背の高い大人で構成された人混みの中ではどちらが進んでいた方向かも定かではない。
ふむ、と一考したロイは、道で立っていては通行の邪魔になると判断し、道の端に避けることにした。
人混みの中を縫って歩き、どうにか料理店と思しき建物の壁に到達した。入り口付近では店の邪魔になると、ロイは建物と建物の境へ寄る。道は一本道だというのにどちらに進めばいいのか判らないので、従者が見つける可能性を考慮してしばらく待機することに決めた。
行き交う人を観察しながら、壁を背に立っているとちらちらとこちらに視線を向ける者がいることに気付く。
そういえば、金髪の者が少ないな。
いても赤みがかった金髪で、自分のような金髪を持つ者が平民に少ないとロイは気付いた。幼少から臣下によく金の髪を王族の証と称えられていたが、親族に金髪が多く、そこまで珍しいものだと思っていなかった。平民には珍しい外見だと、ロイは体験することで、真に理解をした。
ロイは少しばかり弱る。人々の観察をするのは楽しいため、この場に待機していても苦ではないが、ここに立っていたからといって、従者のマテウスが見つける確証は何もない。しかし、踏み出すにも人混みは増える一方でどれぐらい待てば方向が判るほどに空くか、ロイには見当もつかなかった。
今後の対策を考えあぐねているところに、声がかかった。
「お前、迷子?」
声の方を向くと、鳶色の髪をした少年がいた。
最初、何を訊かれているのかと困惑した。歳の近い子供に直接声をかけられるなんて初めてだったから驚いた。
そんなこちらの心境を知らず、更に訊ねてくる彼は、困っていたロイには光明だった。
彼は、自分の状況を確認すると躊躇いなく手を引いて歩きだす。簡単に貴族の身分とアタリをつけて、人混みの中を迷いなく進む。集合場所が噴水のある広場だと伝えると、すぐに方向を修正した。
道中、彼と話していて自分が思ったよりも平民らしい様相ができていなかったと知った。そして、貴族だろうと思われる子供に話しかける平民は、年齢に関係なく希少だと解った。遠巻きに見られることはあっても、彼が声をかけるまで、誰も自分に話しかける者はいなかった。
彼は、なかなかに面白い人物だった。ありふれた外見ながら洞察力と判断力がある。しかし、それを利用する気はない、というより本人は気付いていないようだ。しかも、会ったばかりの自分に年相応の経験もしろとまで助言をするほどに人がよい。
少しの時間を共にしただけだったが、信頼できる人物だとロイは判断した。合流したマテウスからの礼も断りつつも自身の身許を明示したところからも、歳の割には賢いと判った。
「……失敗した」
「だから、言ったでしょう。もうこんな寿命縮むようなこと御免ですからね」
少年が去ったあと、呟くロイに対して、マテウスは盛大な溜め息を吐いた。
ふくっ、と抑えきれないように、ロイが急に喉を鳴らして笑い始める。何が可笑しいのかとマテウスが主人の方を見遣ると、楽しそうな蜂蜜色の瞳とかち合った。
「どうやら、僕は思っていたより子供だったらしい」
よほど子供らしい科白とは思えない、と感じつつ、当たり前のことを言う主人にマテウスは首を傾げる。随分と賢いが、主人は幼い子供だ。
ただの事実を述べる主人に、どう返せばいいのか、マテウスは判らなかった。
マテウスの応えは不要だったようで、ひとしきり笑ったあと、ロイはひとつ頷いた。
「うん、そうだな。子供らしくしてみよう」
平民に紛れての視察は失敗に終わった。だが、ロイには実りある失敗だった。
その後、少年以外にも自分自身を見て接する者が増えることをこのときのロイはまだ知らなかった。また、彼の子供らしく、がどれだけ自分の肝を冷やすか、マテウスは知る由もなかった。
小説1巻発売感謝SSです。
読者様の応援のおかげで書籍化することができました。
誠にありがとうございます。
気持ちばかりのものではございますが、少しでも読者様へのお返しになれば幸いです。
皆様、モブすらに出会ってくださり、本当にありがとうございます。
□日芽野先生からいただいた小説1巻発売祝いイラスト
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2023年03月下旬にTOブックスとは契約満了しておりますので、どうぞご了承ください。
(コミカライズはスクウェア・エニックスとの契約なので、影響はありません)