side07.寝顔
デニス・バウムゲルトナーはさる公爵家専属の庭師だ。
彼には一人息子がいる。顔も性格も妻に似たようで、表情が乏しいデニス相手に生まれたときから笑いかけてくる。険しい顔立ちなこともあって眼が合うだけで子供に泣かれることが間々なデニスからすれば、息子は奇跡のような存在だった。
だから、息子の意志で将来を進ませようと、自分の仕事に就くよう強制することはなかった。デニス自身が、身体ができてきた頃、親に半ば強引に仕事を手伝わされた経験があるから余計だ。
外見で相手に怯えられ、自身から話すことが得意ではないデニスに、人と会話をすることが少ない庭師は適していた。植物を育てることも苦ではなかったので結果として天職だったが、幼い頃には少なからず反感を持っていた。同じ思いを自分の子供にさせたくはなかった。
だが、息子はデニスの思いに反して、身体もできあがっていない幼さで庭師になりたいと言い出した。
自分の仕事を見たことがない息子に見せてみたらどうか、と妻のすすめで祭日に向けた遊歩道の整備の仕事を期間限定で受けた。祭り当日、息子をその遊歩道につれて行くと、自分のような魔法使いになりたい、と眼を輝かせたのだ。庭師、という仕事を知らなかった息子には、魔法のように映ったらしい。
その言葉と表情が嬉しくなかった訳ではない。だが、自分が子供だったときより遥かに早く、息子は将来を決めようとしていた。どうしても時期尚早ではないか、と渋ってしまう。
妻から庭師の職業を教えてもらった息子は、自分も仕事につれて行ってほしいとせがむようになった。
ひたすらに駄目だと言い続け、張り付いてくるのを引き剥がした。だが、息子は一年以上主張を続け、渋々自分が折れるしかなくなった。了承したときの息子の喜び様と、解っていたかのような妻の微笑みは今でもよく覚えている。
息子を見習いとして公爵家につれてきた初日、デニスはやはり了承するのではなかったと後悔することになる。
偶然遭遇した公爵令嬢に暴言を吐いたのだ。
いや、本人は思ったことを言っただけだとは解っている。息子は妻に似て物怖じすることがなく、年相応の無遠慮さも加わって、率直すぎた。恐らく、息子にとっては公爵令嬢も近所の子供たちも同じ扱いなのだろう。
近所の子供たちに注意するのと同じそれで、息子は公爵令嬢の行動がよくないと言った。
表現に偏りがあるのは、言葉少なな自分に似たのか、素直な妻に似たのか判断がつきかねた。
職業柄直接の接触が少ないにしても、今後は身分の違いによる対応を覚えさせないといけないとデニスは拳で叱った。しかし、息子は納得しきれないようだった。公爵令嬢と口論になり、更に注意しようとしたところで制止がかかる。止めたのは公爵だった。
娘の教育に悩んでいたらしい公爵に、息子の対応は都合がよかったようで、実際それ以降、公爵令嬢の様子が改善したようだった。誤算だったのは、それをきっかけに公爵令嬢と息子の仲がよくなり、息子の言葉遣いを許容されてしまったことだ。
息子は大人相手には言葉遣いを丁寧にするよう努めるが、同年代だと同等に扱う。しかし、幼いからで邸内だけのことだと、公爵も公爵夫人も寛容に受け止めた。人となりを知ってはいるが、二人とも貴族にしては大らかすぎるとデニスは常々思っている。
友人ができたこともあってか、息子は地道な作業ばかりの庭作業に堪えることがない。身体ができていないことを考慮して作業を与えてはいるが、黙々と雑草抜きをするのは、幼い息子には楽しくなどないだろう。
そう思うのに、息子は隣で鼻歌を口ずさんでいる。
早々に嫌気がさすと踏んでいたデニスには、予想外だった。
「何?」
視線に気付いた息子が、きょとんとデニスを見上げた。その表情に、疲れなどの負の色はない。むしろ、木漏れ陽のような輝きが瞳にちらつく。
仕方がない、と内心呟き、デニスは嘆息した。そして、わしわしと息子の頭を撫でる。
息子が厭きるまでは好きにさせよう。
自分の仕事に憧れを持ってくれたことは嬉しいのだから。
そう、デニスは決める。せめて木漏れ陽が止むまでは、息子の寄せる憧憬を素直に喜ぼう。
ナターリエ・バウムゲルトナーには庭師の夫がいる。
厳しそうに見える顔立ちと寡黙さで誤解を受けやすいが、夫は温和な性格だ。そんな彼との間に子供ができた。息子だ。
夫のデニスは、息子が中身含めナターリエに似ていると言うが、ナターリエからすると息子は夫似だ。意思が強いところだったり、快活なようでいて本質は穏やかなところなどは、デニスにとてもよく似ている。ふとした仕草まであげだすと切りがないほどだ。
息子に物心がつくかつかないかの頃、ナターリエは気付いた。
どうやら息子は少し不思議らしい。
「たーきまっ」
「それ何?」
自分で食事ができるようになった息子は、教えた食前の祈りのあとに、手を合わせて声をあげるようになった。当たり前のようにするその仕草は、ナターリエが教えたものではない。
訊くと、息子は考えるように首を傾けてから、説明をした。
「ありがと、するっ」
「誰に?」
「かーさとか、ごはんとか、いっぱい」
「そっか。いいね、それ。お母さんにも教えてくれる?」
「うんっ」
国王に感謝するための食前の祈りとは別に、食事を作った自分や食材などに感謝を示す、という考えを初めから息子は持っていた。ナターリエは、面白い考えをするものだ、と息子と一緒にいただきますをするようにした。他にも、適性属性が判ったあと、なんで他の属性の魔法を使おうとしないのかと息子は疑問を持った。ナターリエ自身は、今までそんな疑問すら抱いたことすらなかった。自分がどんな魔法が使えるのか試行錯誤する息子を、ナターリエは相変わらず面白い考えをする、と眺めていた。
息子は、年相応に元気に遊びまわるかと思ったら、大人に諭されるより前に気付いて自身の行動を改める妙な冷静さを持っていた。自身で駄目だ、と思ったらそれを厳守するクセのようなものを持っていた。着眼点は不思議なものの、その頑固さは夫に似たのだと、ナターリエは納得した。
「損しそうよね」
「何がだ」
眠る息子の頭を撫でながら呟いたナターリエに、デニスが問う。
「ザク、気付いていないけど、すぐヒトのために動くでしょ」
息子は、自分たち両親や、親しい相手を優先して行動しがちだ。本人は自分のしたいようにしている、と主張するが、誰かが喜ぶ結果となることが多い。本質的に誰かの笑顔を望むのは、庭師の夫に似たのだろうか。無茶をしないかだけが、ナターリエは心配だ。
「……リエは損、したことあるか?」
「ないけど?」
問われてナターリエが答えると、デニスは深々と嘆息した。
「リエに似たから、仕方ない」
「えー、ザクはデニス似でしょ」
一体何を根拠に自分似だと断言するのか、ナターリエには解らなかった。だから、夫似だと主張すると、頑として譲らないデニスと言い合い、ならぬ視線での主張の応酬となり、しばらく膠着状態が続いた。
睨み合いのようになっていると、息子が小さく呻いて寝返りを打った。それを合図に、視線の応酬が解ける。
ナターリエはふ、と吐息を吐いて、息子に視線を戻す。
「まぁ、元気に育ってくれればいいわね」
「ああ」
放っておいても元気に育ちそうだ、とでも言うように、デニスは呆れた眼差しを息子の寝顔に向ける。しかし、その口元は笑んでいた。それに気付いていないだろうデニスが可笑しくて、ナターリエは小さく笑う。
子供の将来が幸多いものであるよう願うのは当たり前だと、二人はそれ以上を言葉にすることはなかった。
ナターリエたちは、ただ、息子の健やかな寝顔を眺めるのだった。
コミカライズ感謝記念です。
以前、読者様にバウムゲルトナー夫妻がザクをどう思っているのか気になる、とのお声をいただいたので書いてみました。
マンガUP!さんにて連載できたのは、読者様の応援あってこそなので、少しでも感謝を形にしたかったのです。
ささやかなものではありますが、読者様に喜んでいただければ幸いです。
改めて、読者様いつもモブすらを応援くださり、誠にありがとうございます。
□日芽野先生のコミカライズ記念イラスト
https://twitter.com/_himenomeno_/status/1252442851910156288?t=4JvBNxAg47Fd7GDOizNoFQ&s=19