魔王はつらいよ①
魔界の城「ヘル・キャッスル」の荘厳な扉が開く。深緋色のマントから見え隠れする、黒光りしたしなやかかつ強靭な肉体が、自身の強さと誇りを言葉よりも雄弁に物語っている。
そう、我こそ魔王に相応しい――コブラ・サタンは不敵な笑みを浮かべた。そして、とある部屋の前で足を止める。
魔王が扉を開けると、そこには険しい目で仁王立ちをする「モンスターズ・キャッスル」の案内人、ジータの姿があった。
「おはようございます、魔王様」
「うむ、おはよう」
「今、何時か分かってます?魔・王・様」ジータは皮肉たっぷりに言った。
「…9時26分」魔王は左腕に巻いた時計に目をやる。
「始業時間は?」
「…9時」
「何か言うことは?」ジータは魔王に冷徹な目を向ける。
「…すみません、遅刻しました」
ジータが大袈裟にため息をつく。「いいですか、これで今月三回目ですよ?立場上部下とはいえ、歳上にこんなこと言いたかないですけど、やることはちゃんとやりましょうよ。次はありませんからね」
「はい、気を付けます」魔王は、年下上司に頭を下げた。
「まあいいでしょう」ジータは手元の書類に目を落とす。「あ、そういえばコブさん、今日勇者との対決入ってますから、よろしく」コブさんとは、魔王「コブラ・サタン」のあだ名だ。
「本当ですか」魔王の声が弾む。
久しぶりの対決だ、腕が鳴る――魔王は自分の強さを見せつける機会に、胸の高鳴りが抑えきれなかった。
「負けて下さい」ジータが目線を書類に向けたまま告げた。
「えっ」
「聞こえませんでしたか。上手に負けて下さいね」
「いや、だから、どうして…」魔王は消え入りそうな声で訴えた。
「プレイヤーの父親が医者だからです。太客は上手いこと勝たせて、気分を良くする必要があります。そうすることで、次作も買ってくれるしグッズ収入も伸びる」ジータは淡々と喋った。
「でも、久しぶりの出番なんです」魔王は必死だった。
そう、魔王は最終局面にしか戦闘シーンがない。仕事はもっぱら、シナリオでの「その頃魔王は」的なシーンで高笑いするか、ゲーム外で事務作業をこなすかだった。戦いからはご無沙汰していたのだ。
「だから何なんです、気持ちよく暴れまわりたいと?」ジータが魔王を一瞥する。一つ息を吐くと、こう続けた。
「先日私の指示を無視して、太客相手に好き勝手暴れまわった中ボスがいましてね。そいつ今頃、城の外で物乞いやってますよ」薄ら笑いを浮かべる。
「コブさんがそうなりたいのなら止めませんが、あなたこの仕事も再就職でやっと見つけたんでしょう。大人しく従ったらどうです」
「…はい、分かりました」魔王は拳を握り締め、頷いた。そのまま部屋をあとにしようとする。
「そうそう、魔王の部屋で姫と勇者の邂逅シーンもありますから、姫に挨拶行っといてくださいね」ジータは思い出したように魔王に告げた。
扉を閉め、魔王は深くため息をついた。
「魔王」なんて言うと、悪の帝王、一番偉いような響きだが、現実は違う。
チーク姫が「囚われの身」であるならば、コブラ・サタンは「雇われの身」。「魔王」とは、会社法人モンスターズ・キャッスルの魔王職という一つのポストでしかない。そして、再就職で入社したコブラ・サタンは、案内人ジータの部下。教えを請い、指示を仰ぐ立場なのである。
やってらんねえよなあ――魔王はひとりごちる。ただ、投げ出すわけにはいかない。魔王は家で待っている妻と二人の子のことを思った。もっとも子どもは反抗期で私のことなんて相手にしてくれないが。