第七十六話 ランディ、ミナヅキと出会う
(ちくしょう……ちくしょおぉ……っ!)
ランディは走る。流れる涙を拭うこともせず、ただひたすら走っていた。そして気がついたら、誰もいない路地裏に、ポツンと一人で立っていた。
あれほどうるさかった人たちはどこへいったのか――そう思えてしまうくらいの静けさに、ランディはようやく我に返った。
「は、はは……」
漏れ出る笑い声とともに、頭が急速に冷えていく。それと同時に、あれほど悔しかった気持ちが、一気に凄まじい自己嫌悪の波と化した。
大きな波に呑み込まれていく感覚が、思考を徐々に低下させていく。
「惨めだな、僕って……」
ランディは再び歩き出す。溢れる涙を拭う気力もなく、ただフラフラと、あてもなく足を動かした。
まだ昼前だというのに薄暗い。遠くから聞こえる人々の喧騒が、まるで幻のようにも感じられる。
まるで自分だけが別の世界に来たみたいだ――そう思っていた時だった。
「うわっ!」
――どんっ。
角から出てきた誰かとぶつかってしまい、ランディは尻餅をついてしまう。
「っと、悪い。大丈夫か?」
紙袋を抱えた青年が、やや慌てた様子で声をかける。ランディは片手で尻をさすりながら、ゆっくりと立ち上がった。
「えぇ。大丈夫です。こちらこそすみません。ボーッとしてました」
「なら良かった……って、凄い泣いてるじゃないか。ホントに大丈夫なのか?」
心配そうに呼びかける青年の声で、自分がようやく涙を流しっぱなしであることにランディは気づく。
慌てて涙を手で拭いながら、ランディは必死に笑顔を作った。
「は、はいっ! 見てのとおり僕は大丈夫ですっ!」
「いや、あからさまに取り繕ったように言われてもなぁ」
青年は困惑した様子を見せる。心配させまいと取った行動が逆効果となり、ランディは余計に慌てふためいてしまう。
「いやいやいや、僕は健康の取り繕いで見てのとおりも何もありません!」
「……言ってることが普通にメチャクチャだぞ」
青年は後ろ頭をボリボリと掻きながら、呆れたようなため息をつく。
「とりあえずアレだ。これでも飲んで少しは落ち着け」
そしてベルトに下げている小さなポーチから、とても見合わない大きさの瓶をニョキっと取り出した。
知らない者が見れば、あからさまにおかしいことこの上ない現象だが、混乱しているランディにそこまでの判断能力は、残念ながらなかった。
「い、いただきます」
ランディは戸惑いながらも瓶を素直に受け取り、その中身を一気にあおる。そんなあまりにも素直過ぎる彼の行動に、青年は表情を引きつらせた。
(いや、こっちから渡しといてなんだが、少しは疑うぐらいのことはしようぜ?)
知らない人から物を受け取り、なおかつそれを使用する――保護者が子供に一度は言い聞かせるであろう、危険な行為の一つだ。
幸いなことに、青年は彼を陥れるつもりはなく、単に落ち着かせるためにポーションドリンクを渡したに過ぎない。しかしそれでも警戒はするべきだ。取り出し方からしても、一般人から見れば明らかに普通ではなかったのだから。
明らかに混乱している様子ではあったが、残念ながら言い訳にもならない。
それを考えもせずに、ランディは渡された瓶の中身を飲み干したのだ。そんな彼に対して、青年はより不安そうな表情を浮かべているのだが、当の本人は全くもって気づく素振りすら見せていない。
「――ぷはぁ! これ美味しいですね! ポーションみたいな味がするけど、なんか少し違う気もしますし」
さっきまでの混乱や泣き顔はどこへ消えたのやら。今度は新しい飲み物を発見した子供のような笑顔を見せてきた。
「そりゃポーションを元にしたジュースだからな。飲みやすくて当然だ」
「そうだったんですか」
ニコニコ笑顔で見上げてくるランディに、青年はため息をつく。色々と言いたいことはあるが、とりあえず最初の部分を聞いてみようと。
「あー、それで? お前さんは一体どうしたんだ? なんか泣いて……」
そう言いかけたところで、青年は気づいた。
(しまった……余計なこと聞かずに、このまま黙って立ち去れば良かったかな?)
そもそも彼とは、見ず知らずの赤の他人。関わる義理はどこにもないのだ。故にこのままそっけなく別れても、全然良かったハズなのである。
しかし思わず問いかけてしまった。
少年のことを言えないほどの迂闊さに、青年は思わず頭を抱えたくなる。
「ぼ、僕は……うっ!」
そして問いかけられたランディは、再び涙を流し始める。やはり余計なことをしてしまったなと、青年は大きく後悔をしていた。
「おいおい泣くなよ。まるで俺がイジメてるみたいじゃないか」
「す、すみ、すみまぜっ……うぅっ!!」
もはや完全に泣き出しており、まともに話せる状態ですらない。ミナヅキは路地裏から見える狭い青空を見上げながら、腹を括った。
(しゃーない。こうなったらこのまま巻き込まれてやるか)
そう思いながら彼は、再びポーチから瓶をもう一本取り出す。
「ほれ。とりあえずもう一本飲んで落ち着け。泣いてても何も始まらないだろ」
「す、すびばぜん――っ!」
顔から出るモノを全部出しながら、ランディはポーションドリンクを飲む。そして青年がそっと差し出したちり紙を受け取り、思いっきり鼻をかんだ。
とりあえず泣き止んだところで、青年は改めて呼びかける。
「これも何かの縁だ。通りすがりの俺で良ければ、話くらいは聞いてやるぞ?」
「えっ?」
ランディは青年の言葉に目を見開いた。
「そ、そんな! ここまでしてもらって、これ以上の迷惑は……はっ! まさかその優しさに付け込んで、僕を罠に嵌めようとしている!?」
「……安心しろ。もし本当にそうなら、もうとっくに手遅れになってるから」
今更そこを考えるのかと呆れ果てた気分を味わいつつ、青年は言う。その言葉がやや投げやりになっているのは、致し方ないことかもしれない。
しかしランディは、青年に対して警戒を解かないでいた。
「すみません。ポーションジュースを二本もご馳走になっておいてアレですが、やはり見ず知らずの人に、色々と話すことはできません!」
「……あぁ。まぁ、それで正解だな。うん、その判断は正しいと思うよ」
キリッとした表情で、強くハッキリと言い放つランディ。さっきまでの泣き顔さえ見ていなければ完璧だった――青年は彼に対し、どことなく残念さを感じずにはいられなかった。
(とりあえず持ち直してくれて良かった……今はそう思ってくことにしよう)
青年はとりあえずそう自己完結する。同時にランディは、踵を返しながら軽く頭を下げてきた。
「それでは僕はこれで。行かなきゃならない場所がありますから」
「あぁ。じゃあな」
そっけなく答えた青年は、それ以降口を閉じる。そして二人は歩き出した――全く同じ方角に。
「……何で僕のあとをついてくるんですか?」
ランディが訝しげに振り向くと、青年は小さなため息をついた。
「別にあとをつけているつもりはないよ。生産工房へ行くには、表通りに出ないといけないからな。ここからだと、お前さんが向かおうとしていた道を、まっすぐ進んでいくしかないんだ」
そう言って肩をすくめる青年に、ランディは軽く目を見開いた。
「生産工房? あなたは生産職なんですか?」
「あぁ。そういえば、まだ自己紹介してなかったっけ」
改めてそのことに気づいた青年は苦笑し、そして名乗る。
「俺はミナヅキ。調合師だ。ちなみにさっきの、ポーションも俺の自作だ」
「そうだったんですか。僕はランディ。錬金術師をしています」
ランディの自己紹介を聞いた青年ことミナヅキは、彼の肩書きに注目する。
「錬金術師ってことは、ベアトリスと同じか」
「――っ!」
ミナヅキがそう言った瞬間、ランディは肩をビクッとさせる。あからさまに表情も強張っており、こりゃ何かあるなとミナヅキは感じた。
「ベアトリスのこと、知ってるのか?」
「……幼なじみなんです。僕は昔、この王都に住んでまして、今日久々に訪れたところだったんです」
「へぇ、そうだったのか」
意外な事実にミナヅキは軽く驚きを見せる。そして軽く笑みを浮かべ、再び歩き出した。
「とりあえず工房へ行こうぜ。ランディもそこへ行くところだったんだろ?」
「え、えぇ、まぁ……」
「この町の工房の連中は、結構面白いヤツが多いからな。きっとランディも、すぐに馴染めると思うよ」
「はぁ」
ミナヅキの後をついていく形で、ランディも一緒に歩き出した。突然の展開について行けず、このままだと工房でベアトリスと鉢合わせるという可能性は、ランディの頭の中からスッポリと抜け落ちていたのだった。
◇ ◇ ◇
生産工房はいつものとおり、賑やかさで溢れかえっていた。そして新しい生産職の人間が来たことで、その盛り上がりは格段に増す。新しい生産職の仲間が増えたという知らせは、他の生産職の人々を大いに喜ばせていた。
「ほぅ、お前さんはこの王都の出身なのか。それで久々に帰ってきたとな?」
「えぇまぁ。そんなところです」
興味深そうに問いかける鍛冶師のガルトに、ランディがやや委縮しながらも頷きを返した。
「そうかそうか。まぁ、何か分かんないことがあれば、遠慮なく聞いてくれや。俺たちはお前さんを歓迎するぜ」
「は、はぁ。お気遣いありがとうございます」
「ハッハッハッ! そうかしこまるな。まぁ気楽に行こうぜ。気楽によ♪」
豪快に笑いながらバシバシと肩を叩き、ガルトは気分良く立ち上がり、そのまま鍛冶場へと戻っていく。
興味本位で、彼らの様子を近くで見ていた他の生産職の人々も、相変わらずガルトさんはガルトさんだなと呟きながら、それぞれ自分の作業場に戻っていった。
賑やかだった調合場が一気に静かとなり、ランディは軽く息を吐いた。そして隣で楽しそうに作業をしているミナヅキのほうを見る。
「何の薬草を調合してるんですか?」
ランディが尋ねると、ミナヅキがすり潰す前の草を一本持ち上げた。
「薬草じゃなくて魔力草だよ。さっき仕入れてきたところだ」
「え、魔力草? 確か手に入れるのが難しいんじゃ……」
「数ヶ月前はそうだったな。けどつい最近、他の町や国からも輸入されるようになってきたんだよ」
その輸入元は、主にクルーラの町やメドヴィー王国である。
魔力草の栽培にも力が注がれるようになり、その栽培も上手く進んでいた。それ故に他の薬草と同様に、安価での仕入れができるようになったのである。
それが通達したときには、工房の人々は大いに喜んだ。無論、調合師であるミナヅキもその一人である。
おかげで魔力草を使った調合がしやすくなっていた。
今日、ミナヅキが王都の路地裏にいたのも、その路地裏の先にある素材屋に訪れるためであった。
駆け出しの頃から世話になっている隠れ家的な店であり、目論見どおり、魔力草もしっかりと入荷されていたのだった。
魔力草を手に入れ、ホクホク顔で工房へ戻ろうとしたその矢先――ランディとぶつかって今に至るのである。
「いつかは俺も、自分で薬草や魔力草を育ててみたくってな。その為に今、少しずつ畑を作ってるところでもあるんだ」
「はぁ。それはまた、凄い入れ込みようですね」
若干引いた様子ではあったが、ランディは素直に凄いとは思っていた。
とても自分では真似できそうにない。それぐらいミナヅキが、生産職として高い土台に立っているように思えてならなかった。
「そういえばミナヅキさんって、結婚されてるんですよね。雑誌に出てましたよ」
「え、マジ? そんなことも書かれてんの?」
まさかの情報にミナヅキは驚きを隠せない。ちなみにゴシップ雑誌の類は全く興味がなく、読んだこともないのだった。
「奥さんも冒険者なんですよね? 今はギルドですか?」
「あぁ。なんか頼みたいことがあるって言われたらしくてな。折角だから俺も、ここで魔力草の調合を研究していこうと思ってよ」
「なるほど。僕も錬金術師として、魔力草については興味がありますね」
ランディがワクワクしたような笑みを浮かべる。ようやくここで、自然な明るい表情を見せるようになってきた。
それを少し安心しつつ、ミナヅキも小さな笑みを浮かべる。
その時――
「聞いたかよ? なんか今、強い冒険者パーティが来てるらしいぞ」
「あぁ。リーダーが若い男の剣士で、その連れが全員女ってウワサなら聞いたな」
「そうそう。まさにそれだよ! 羨ましい限りだよなぁ!」
「まさにハーレムパーティってヤツか。リーダーの名前、なんつったっけ?」
「タツノリじゃなかったか?」
「おぉ、確かそれだ」
後ろからそんな会話が、ミナヅキとランディの耳に入ってきた。普段から当たり前のようにある、なんてことない雑談に過ぎなかったが――
「…………」
ランディは聞きたくなかったと言わんばかりに、顔をしかめていた。
流石にミナヅキも気になり、魔力草をすり潰す手を止め、彼のほうを向きながら問いかける。
「何かあったのか? そのタツノリってヤツと」
「えぇ、まぁ……」
厳しい表情のままランディが頷く。そのまま彼は俯き、黙ってしまった。
「もしかして、さっき――」
路地裏での出来事と何か関係があるのか――ミナヅキが尋ねようとしたその時、工房の扉が開かれた。
「よぉ、ベアトリスにリゼッタ。随分と長い買い出しだったな」
「――っ!」
たまたま扉の近くにいた生産職の男性が、帰ってきた二人に声をかける。しかし二人の反応はない。顔が紅潮としていて、明らかにボーッとしていた。
「ねぇ、ちょっと? アンタたちなんか、様子が変よ?」
近くにいた生産職の女性が、慌てて駆け寄りながら声をかける。熱でもあるのかと疑ったのだ。
しかしベアトリスとリゼッタは、目をトロンとさせたままニッコリと笑う。
「別に変なんかじゃないよ。タツノリさんに心を奪われただけだから♪」
「ねー♪」
明るい声で言い放つ二人だったが、その姿はどうにも異様であった。他の生産職の人々も、思わず手を止めて呆然としてしまっている。
「ど、どうなってるんだ?」
「ベアトリスちゃんがメロメロ状態だと?」
「あの服飾にしか興味がないリゼッタまでもが、だって!?」
「ウソでしょ? 何かの間違いじゃ……」
生産職の人々によるどよめきが広がり、工房の空気は異様なそれと変わる。それにもかかわらず、ベアトリスとリゼッタはポヤーッとしていた。
まるでその場でフワフワと浮かび上がっているかのような笑みとともに。
「やっぱりベア姉は、もうタツノリさんの虜に……」
ランディが肩を落としながら力なく笑う。その隣でミナヅキが、腕を組みながら首を傾げていた。
(うーん。俺にはどうにも、あの二人が正常な状態には見えないんだがな。まるで変な魔法にでもかけられたみたい……魔法か!)
そのキーワードから、ミナヅキはある調合薬の存在を思い出す。そしてそれを作るための素材は、今しがたすり潰していたモノでもあった。
(試してみる価値はある。あの二人にコイツを飲ませてみよう!)
そう考えながらミナヅキは、調合に取り掛かる。手に取ったのは、十分にすり潰してペースト状になった、魔力草であった。
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