第六十三話 闇に堕ちゆく王子様
「くそぉっ!!」
ガンッ――と、大きな鈍い音が部屋に響き渡る。ロディオンが自室の壁に拳を思いっきり叩きつけたのだ。
決して小さくない痛みと痺れが広がり、それが余計に苛立ちを募らせる。
「何なんだよ……何でこんなに上手くいかねぇんだよ、くそぉっ!!」
そしてもう一度、壁に拳を勢いよく叩きつける。その音は当然、廊下にまで聞こえており――
「あの、どうされましたか、ロディオン王子?」
控えていたメイドにも聞こえていた。心配して扉をノックし、安否確認を兼ねて呼びかけるのは、至って当然の行為と言える。
しかし今のロディオンには、それすらも邪魔な行為にしか思えなかった。
「何でもない。気にするな」
あからさまに怒りを込めた口調で言うが、当然メイドはそれで納得しない。
「いや、明らかに何かありましたよね? 気にするなと言うのも――」
「うるせぇっ! 良いから黙って下がってろってんだよ!!」
「――――」
メイドは何も言わずに、パタパタと足音を立てて、部屋から遠ざかっていく。それと同時に、ロディオンの中でほんの少しだけ、頭が冷やされていった。
「……ちくしょぉ」
今度は情けない気持ちに駆られた。声を荒げただけでなく、乱暴な言葉で強引に追い返してしまった。
生まれ変わったと思ったのに。
どんな状況でも常に堂々と振る舞い、女性には優しい言葉で接する――そんな自分になれたハズだったのに。
さっきの自分は、明らかに幼い頃の自分そのもの。出来損ないと言われ、飾りの王族と呼ばれていた頃の自分に、戻ってしまったようではないか。
「リュドミラ……俺は……」
本来の一人称になっていることに、ロディオンは気づかない。それほどまでに、彼は己を失いつつあった。
光指す明るい道を歩いていたと思っていたら、いつの間にか暗い闇への道。戻ることはおろか、立ち止まるという意志すら出てこない。
ただ、闇に呑み込まれていく――それが今のロディオンの心であった。
「ちゃんと伝えた……紛れもない本心だったんだ! それなのに……」
幼い頃から想い続けてきた婚約者。彼女の顔を忘れたことなんてなかった。
そっけなくしていたのも、彼女に気にかけて欲しかったからだ。
強さと知識を磨くことに必死となっている、クールで孤高の存在こそが、男として最高の姿だと勝手に思い込んだ上で。
そして、振り向いてもらいたいがために、彼女の妹を利用した。
彼女の妹が、姉を陥れようとしていることも知っていた。あえて何も知らずに嵌められたことを装っていたのだ。
そうすれば彼女は、あらぬ疑いをかけられて容赦なく追い出される。
しかし、ただ何もしないままでは、確実な成果は得られない。だから自分も芝居として乗っかることにした。
それが婚約破棄を宣言することであった。
きっと彼女は追い出された後、途方に暮れて泣き出すに違いない。そこを自分が颯爽と見つけ、優しい言葉とともに手を差し伸べ、救い出す。
――全ては芝居だった。キミの妹の悪事を暴くために、仕方なくやったんだ。
そう呼びかけて彼女を振り向かせる。そして全ての罪を彼女の妹に奉げ、表舞台から消えてもらう。アレクサンドロフ家もただでは済まないが、ロディオンからすれば許容範囲の一部でしかない。
シナリオはとても順調に進んでいた。
目論見どおり彼女は追い出され、あと一歩のところまで来たと思っていた。
しかしそれは、いきなり破綻してしまう。まさか彼女が早々に、船で国を出てしまうとは思わなかった。
おかげで愛してもいない女を愛するフリを、しばらく続けなくてはいけなくなってしまった。
(この数ヶ月間はとても苦痛だった。何も知らないあの女は、王家の婚約者という立場を利用して、更に好き勝手やり出すようになった。俺が裏でどんな苦労をしていたのかも、全く考えようともせずにな!!)
更なる苛立ちが募り、ロディオンの表情を大きく歪ませる。
公式に発表されていない時点で、まだ堂々と振る舞うことは遠慮するべきだ。しかし彼女の妹は、それを全く理解しようとしない。
――ロディオン様と結ばれることは決まっているのですから、隠す必要なんてどこにもありませんわ♪
だからそういう問題ではない――どれだけ言っても聞かなかった。
神経をすり減らし続け、溜めてきた我慢に限界が訪れようとしてきた、まさにその時であった。
――長いこと彼女に仕えていた執事が、今の王家を陥れようとしている。
そんな情報が舞い込んできた。ロディオンは独自に調査し、その執事のことを徹底的に調べ上げた。
そしてロディオンは、前の王家に関わる人物が関係していることを知った。
自分の祖父が、前の王家を追いやったことは知っていたが、まさかそれを復讐しようとする者が現れるとは。
――チャンスだ!
ロディオンはそう思っていた。
その復讐劇を利用し、こんどこそ彼女を自分のモノにしてやる。
彼女が再び自分の元に戻ってきたところで、くだらない復讐劇を断ち切らせ、彼女の妹と一緒に、全て闇に葬ってしまえばいいだけの話。
そう思いながら再び計画を立てていった。
もうすぐ彼女を手に入れられる。その為ならば、もう少しだけあのバカ女のことも我慢できる。
ロディオンはほくそ笑みながら再会を楽しみにしていた。
そして遂に、その時は来た。
例の執事は何故か姿を消してしまっていた。しかしそれをロディオンは、気にも留めていなかった。
遂に目的が達成できる――もはや彼の頭の中に、そのことしかなかった。
しかし――
『あなたがあたしにハッキリと婚約破棄してくれて、本当に感謝しているわ♪』
彼女から笑顔でそう言われた。最初から好きでもなんでもないと。
強がりなどではない、本気の言葉であることは、愛する人物だからこそよく分かってしまう。
「あぁ、くそおぉーっ!!」
ロディオンは椅子を思いっきり蹴り飛ばす。壁に勢いよくぶつかった衝撃で、装飾の一部が取れてしまったが、そんなことを気にする余裕はない。
「これまでの修行は、一体何だったんだ! アイツのために死ぬ思いをして頑張ってきたのだから、報われるのが当然ではないのか!?」
頑張れば何かが得られる。それがロディオンにとって、当たり前のことだった。それが見事に覆されてしまった瞬間、彼の中の常識にもヒビが入った。
どうしてここまで目論見が外れに外れてしまうのか。
全ては彼の独りよがりによる結果なのだが、本人はそれに気づいていない。
「オマケにあのバカ女も追いかけてきやがったし……まぁ、用済みになったヤツを相手にする理由もないがな」
だからこそ、彼女の妹を手酷く突き飛ばしてやったのだ。
むしろ最後の引導を、王子であるこの自分が直接渡してやるのだから、感謝してほしいくらいだと思っていた。
「もうあのバカ女のことは忘れてしまおう。そんなことよりも――」
ロディオンはさっさと、一時的な婚約者のことを、記憶から除外する。そして、未だ想いを寄せる彼女について考え出した。
「リュドミラ……キミはきっと、誑かされているんだな。そうに違いない!」
完全なる自分勝手な解釈で、ロディオンはそう決めつける。そして彼は、港で彼女と一緒にいた、二人の男女の存在を思い出す。
「恐らくあの二人だな。俺のリュドミラに妄想を吹き込みやがって……これは捌きの鉄槌を下してやる必要があるな。だが――」
彼女は明らかに、あの二人を慕っている。だからこそ厄介だ。もしそのまま捌きの光を浴びせてしまえば、間違いなく彼女は怒り、自分に対して愛想を尽かせてしまうだろう。
ここで今までのロディオンならば、それだけは避けたいと思っていたのだが。
「フッ、そうだな……皆まとめて潰してしまうのも、良いかもしれんな」
もはやロディオンは、怒りと嫉妬と憎しみで我を失っていた。そして彼はそのまま歩き出し、人知れず部屋を出るのだった。
◇ ◇ ◇
王宮の地下へと通じる階段は、普段は厳重に警備されている。しかしその警備を担当しているのは、王宮騎士という人間に過ぎない。
メドヴィー王国に在籍している騎士たちは、皆揃って魔法のエキスパートだ。
魔法で攻撃することは勿論のこと、魔法に対する対策も万全であり、魔法で彼らに勝つのは至難の業である。
しかし――あくまで強い耐性は、相手が魔法に限る話でしかなかった。
「クックックッ、まさかこんな粉一発で、簡単に通れちまうとはな」
地下へと通じる長い階段をゆっくりと下りながら、ロディオンはポケットから包み紙を取り出す。
以前、修行の旅で得た特殊な粉で、吸い込めばたちまち眠りにつく代物だった。
当時は魔法以外の物を使うことをためらい、かといって突っぱねるのも良くないという判断から、もらっておいて使わないという選択をした。そしてロディオンの常備しているポーチの中で、そのまま何年も眠り続けていたのである。
――眠り続けていた粉が覚醒したことで、今度は仕掛けた相手が眠りについた。
そう考えたロディオンは、くだらなさ過ぎて面白いと噴き出していた。
(見張りはぐーすか眠っちまったから、しばらくは起きないだろう。その隙に、例の封印された魔物を探さなければ)
それこそが、ロディオンの狙いであった。
祖父が特殊な魔法具を使い、封印したと言われている魔物。それを解除して魔物を地上に飛び出させる。そうすればメドヴィー王都は、あっという間に瓦礫の山と化すだろう。当然、王都にいる者たちに、逃げる余裕など与えない。
「もうすぐだよリュドミラ。俺と一緒にこの王都で散るんだ。そしてあの世で二人仲良く暮らそう。俺たちは永遠に離れることはないぞ!」
あなたを殺して私も死ぬ――要はそれをやろうとしているのだ。
もはやロディオンの目に光は宿っていない。正気かどうかを疑う余地もない。ただ突き進むだけである。
光の届かない、暗闇の底へ。
「ふむ。広い場所に出たな。さしずめ闘技場といったところか」
狭い道を抜けたロディオンは、広い場所に出た。そしてその中央には、魔法具によって厳重に封印されている魔物がいた。
封印魔法が淡い光を放っており、その姿の凄まじさをより物語っていた。
「コイツか……またでっかい図体をしているな」
まるでほしかったオモチャを見つけたかのように、ワクワクしたような笑みを浮かべながら歩き出す。
魔物を縛り付けている魔法具に手を伸ばそうとしたその時――
「ロディオン王子!」
後ろから騎士の恰好をした男性が、数名の兵士とともに駆けつけてきた。そしてロディオンの様子を見て、騎士の男性は血相を変える。
「王子! あなたが何しようとしているか、理解しておいでですか!?」
「封印された魔物を解放する。この状況でそれ以外にないだろう」
何をバカなことを言っているんだ――そう言わんばかりに、ロディオンは騎士の男性に向かって呆れ果てたような視線を送る。
それを受けた騎士の男性は、一瞬だけ呆けた表情を見せるも、すぐに我に返る。そして再び血相を変え、ロディオンに向かって叫び出した。
「今すぐその魔法具を手放して、こちらに来てください。今ならまだ、一時の迷いということで、特別に見逃すこともできます!」
「その必要はない。何故なら俺は、迷ってなどいないからだ」
「――っ! お願いですから、どうか落ち着いて私の話を聞いてください!」
「だからこうしてちゃんと聞いてるじゃないか。お前のほうこそ、少しは落ち着いたらどうなんだ?」
「私のことなど、どうでもよろしい! 今は王子のことが最優先です!」
「そうか。ならばそこで、俺がやることを見ているがいい」
どこまでも通じない会話に、騎士の男性は絶句してしまう。そして覚悟を決めたかのように、目を閉じながら言った。
「こうなったら――私自らの手で、王子を止める他はありません」
騎士の男性は、腰に携える長剣を抜いた。
「メドヴィー王国騎士団長の名にかけて、ロディオン王子をお救いいたします!」
高らかに叫びながら、騎士の男性――もとい騎士団長は、長剣をロディオンに思いっきり突き出すように向ける。
同時に控えていた兵士たちも、次々と剣を抜き出した。
しかしロディオンは全く慌てる様子などなく、むしろ楽しそうに笑っていた。
「随分と威勢がいいことだな……まぁ、もうとっくに終わっているんだが」
「何を――ぐっ!?」
騎士団長が問いかけようとしたその瞬間、突如意識が揺らいだ。力が抜け、視界が揺れ動きながら倒れていく。
「ホントに効くもんだなぁ、この粉。下手な魔法よりも役に立つぞ」
そう言いながらロディオンは、手のひらを広げる。そこに忍ばされていた包み紙が披露され、粉がキラキラと光りながら、ふんわりとした風に乗って騎士団長と兵士たちの元に飛んでいく。
「俺だって魔法は使えるし、その対策もちゃんと考えている。バレずに粉を狙った場所に飛ばすなんざ、朝メシ前ってヤツだ」
「ぐ……無念!」
騎士団長はバタッとその場に倒れ、意識を失う。兵士たちも既に倒れ、立っている者はロディオンだけとなった。
「さーて、これで邪魔はなくなったな」
粉の包み紙を閉じ、ポーチにしまいながらロディオンは振り向く。そして魔法具に手を伸ばし、それを思いっきり掴んだ。
――パアアアァァァーーーッ!
魔法具から魔力が流れ出し、がんじがらめの封印に次々と行き渡る。封印にヒビが入り、それが全体に広がっていく。
そして遂に――封印魔法が完全に解かれた。
「ふっふっふっ、大成功ってヤツだな。これで――ぐっ!?」
不敵な笑みで魔物が動き出す様子を見上げていたその時、胸の奥を何かが握り潰す勢いで掴んだような感触がした。
痛さはなく、苦しみに等しい不快感がこみ上げる。ロディオンは思わず心臓の部分を押さえてみるが、体自体はなんともない。
「グルルルルォォオオオオ――――」
地の底から這い上がるような唸り声。同時に魔物が起き上がり、その姿がハッキリと分かるようになった。
動物がモチーフとなっているようではあるが、どの動物かは判断がつかない。恐らく四足歩行で、鋭く尖った耳と尻尾はとても堅そうであった。
ロディオンが確認できたのは、それだけであった。
胸の苦しみに加えて、体から何かが抜き取られるような感覚に陥り、既に立っているのが限界の状態となっていた。
「ぐぅ……がはぁっ!!」
そして遂に苦しみに耐えきれず、ロディオンはその場に倒れ、意識を失う。更にロディオンから魔物へ、淡い光が流れ込んでいき――
「グルルルル――グオオオオォォォーーーーッ!!」
魔物が急激に元気を取り戻し、凄まじい咆哮を上げるのだった。
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