第四十一話 ミリィは知っていた(前編)
ミリィはヴィンフリートの実の娘だ。しかし母親は紛れもなく、クリストファーの妻であるレオノーレであった。
早い話が不倫である。そしてそれこそが、十年前の事件の原因でもあった。
クリストファーは何も知らなかった。ミリィが生まれてからも五年間、全く気づくことすらなかった。ヴィンフリートもレオノーレも、このまま黙っていれば一生分からないのではとすら、思うようになっていたのだとか。
しかし遂に感づかれてしまった。それがミリィの五歳の誕生日だった。
街中では誰が聞き耳を立てているか分からない。余計な騒ぎを恐れたヴィンフリートは、クリストファーとレオノーレに偽のクエストを発注し、町の外で話す場を設けたのだった。
全ての真相を聞かされたクリストファーは絶望した。
ミリィが自分の本当の子供でない。まさかもう何年も前から、愛する妻と信頼していた友人に裏切られていたとは――そのショックが彼に膝をつかせた。
しかしそれでも、クリストファーは再び立ち上がった。そして必死に荒ぶる気持ちを抑えつつ、ヴィンフリートとレオノーレを説得しようとした。
――今からでもやり直そう。全て水に流すから、お前たちの関係もこれで終いにしてくれ。
クリストファーは必死の表情でそう訴えた。
しかし、その願いは叶わなかった。レオノーレもヴィンフリートも、完全に後戻りができなくなっていたのだ。
そしてヴィンフリートは、クリストファーにぬけぬけと打診してきた。レオノーレとミリィ、そして屋敷と貴族の立場全てを譲ってくれと。
――これも全てはミリィのためだ。
迷いなき表情で、ヴィンフリートはそう言った。
しかしクリストファーは見抜いていた。それは単に、彼自身の醜い野望に過ぎないことを。人の大切なモノを完全に自分のモノにしたいから奪う――そんな子供じみた考えに過ぎないということを。
ヴィンフリートが、フレッド王家という後ろ盾を持っていることは、クリストファーもなんとなく知っていた。それもあって、こうして強く出られているのだろうと予測した。
要するに彼は、お願いという名の脅しをしてきている。
そう判断したクリストファーは、絶対に屈してたまるかと強い意志を見せようとしていた。
しかし次の瞬間――彼を真の絶望に突き落とす言葉がかけられる。
――私はもう、ヴィンフリートなしでは生きていけません。
レオノーレがハッキリとそう告げてきた。ミリィが生まれてから、その気持ちが更に強くなったのだという。
クリストファーは頭が真っ白になった。ヴィンフリートの腕に抱き着きながら、涙目で見てくる妻の姿が、全くもって理解できなかった。
そしてヴィンフリートは――ニタッと笑った。
――もう諦めろ。
その呟きがクリストファーの耳に届いた瞬間、彼の顔から表情が消えた。
クリストファーは無言のまま、腰に携えていた長剣を抜いた。そしてそのままヴィンフリートに向かって突っ込んでいった。
この手で裏切者を葬るために。
しかし――その長剣が貫いたのは、レオノーレの体だった。
愛する人を死なせない――赤い血が流れ落ちる口でそう呟きながら、レオノーレはその場に倒れた。
貫いた剣がスルッと抜け、クリストファーの体を赤で染め上げる。
もうレオノーレはピクリとも動かない。もう一生、起き上がることはない。
◇ ◇ ◇
「なんてゆーか……」
話を聞いていたアヤメが、引きつった表情でため息をつく。
「不倫って聞いた瞬間、嫌な予感はしてたけど……想像以上の泥沼ね」
「エゲツなさ半端なさすぎだろ」
腕を組みながらミナヅキも頷く。そしてモーゼスが重々しい表情のまま、続きを口に出した。
「それから旦那様も、自ら命を絶たれ……その直後でしたな」
「えぇ。爺やたちが話しているのをわたしが聞いてしまい、ショックで屋敷を飛び出そうとしたのが運の尽きだった」
ミリィはその時のことを再び思い出し、そしてヴィンフリートを睨む。
「まさかクエストの事故で死んだっていう話自体が、オジサンが仕向けたでっち上げだったとはね。ホント驚いたよ」
最初は確かに、両親が魔物に襲われて死んだと聞いた。しかしそれはあくまで、作られた部分を聞いただけに過ぎなかったのだ。
「幽霊になってから十年――この透明な体のおかげで、情報を集めるのもそれほど苦労はしなかった。最初はまだ右も左も分からないおチビだったから、理解するのに結構時間はかかっちゃったけどね」
やれやれのポーズを取りながらミリィは語る。見た目が五歳のままなため、一瞬ミナヅキは、まだ立派なおチビだろうとツッコみそうになってしまった。
その気持ちを誤魔化しがてら、ミナヅキは軽く咳ばらいをしつつ問いかける。
「俺たちみたいに、誰かに見えることもあったんじゃないのか?」
「うん、普通にあったよ。でも透明だから、目の錯覚とか見間違いとか、そんな感じで勝手に思い込んでくれてたかな。わたしがさっさと逃げたり隠れたりしたからっていうのもあったけど」
「……そうか」
ミナヅキは重々しい声で納得を示す。そしてミリィは言葉を続けた。
「何年か経って、いつのまにか見える状態と見えない状態を、好きなときに切り替えられるようになったんだよね」
「……何気に凄い特殊能力じゃないか?」
「かもね。理屈は未だに分かってないんだけど、便利だから気にしてないんだ」
ミナヅキの問いかけに、ミリィは苦笑する。
「まぁ、そんな感じで、ギルドに忍び込んでオジサンの話を盗み聞ぎするのも、そんなに苦労しなかったってワケ。五年くらい前には、もう全部知ってたよ」
「そ、そんなに前から……」
ヴィンフリートは完全に狼狽えていた。
無理もないだろう。知られていないと思っていたことが、実は全て知られていたのだから。
「でもあの母親も母親だよ。いくらオジサンに誑かされたとはいえ、おとーさんを裏切ったんだから」
そう言いながらミリィは、忌々しそうに舌打ちをする。それに対してヴィンフリートは、慌てた様子で吠えるように言った。
「そんなことを言うな! レオノーレはミリィ、キミのためを思って――」
「どうだかね」
しかしミリィには、全く言葉が届いている様子はない。
「あの母親は、母親より女を選んだんだよ。優秀な幼なじみの男二人だけじゃ飽き足らず、様々なステータスの高い色男に目移りしてたってね!」
「デタラメを言うんじゃない。一体誰がそんな――」
「町のオバサンたちの井戸端会議。たまたま通りかかったら聞こえたんだよ」
腰に手を当てながら憤慨するミリィ。それに対してヴィンフリートは、口を開けて体を震わせていた。
「そ、そんなバカなことが……彼女は私だけを愛してくれたんだぞ!」
「だからそれがあの母親の所業だっつってんの! いい加減認めなってば」
もはや怒りを通り越しているらしく、ミリィはやれやれと言わんばかりに首を左右に振る。何気にヴィンフリートもボロを出しているのだが、誰もが今更すぎると思っているのか、それを指摘する者はいない。
「オジサンも言い訳したいんならしても良いけど、どうせオジサンも自分の立場を守りたかっただけなんでしょ? そんなオジサンが本当の父親だなんて、全く反吐が出ちゃうってもんだよ」
もはやミリィは言いたい放題であった。しかしミナヅキもアヤメも、それを咎めることはできない。実際そうなんだろうなぁと思っているからだ。
一方、言われ放題となっているヴィンフリートは、悩ましげな表情を浮かべつつ反論を試みる。
「ミリィ……女の子であるキミが、そんなことを言うんじゃない」
「偉そうに言わないでよ。誰のせいだと思ってるの?」
「ぐっ――!」
そして再び押し黙ってしまう。一応、元凶という自覚はあるようであった。
「わたしを小さな子供だと思ったら大間違いだよ。そりゃ見た目はおチビかもしれないけど、もう死んでから十年も過ごしてるんだからね!」
見た目は子供、中身は大人――そんなフレーズがミナヅキの頭を過ぎる。実際はまだ十五歳なのだから、そこまで大人とも言い切れないが、少なくとも幼い子供でないことは確かだ。
そんなことをミナヅキが考えていると、アヤメが小声で話しかけてくる。
「ねぇ、最初に私たちと会った時には、あの子確か、でっち上げられた事実しか話してくれなかったわよね?」
「そりゃあアレだろ。まだ完全に信用されてなかったからじゃないか? 見ず知らずの人をいきなり信じるほど、ミリィもバカじゃないってことさ」
「なるほどね。それなら納得だわ」
ついでに言えば、その事実がどうであろうと、ミリィの未練を果たすのには何の関係もなかったりする。
あくまで一番のポイントは、誕生日プレゼントなのだ。
故にミリィも必要がないから話さなかった。その可能性もあるだろうと、ミナヅキは思っている。
「それにしてもさぁ、オジサンってばどこまでわたしを怒らせれば気が済むの?」
ミリィが力を込めた半目をヴィンフリートに向ける。
「まさか、おにーさんたちをも陥れようとしていたなんてね。洞窟を爆破して生き埋めにしようとしたなんて……流石にちょっと見過ごせないかなぁ」
「ピィピィーッ!!」
スライムも飛び跳ねながら訴える。自分の住処で酷い目にあったのだ。当然の反応と言えよう。
そんな彼女たちに対し、ヴィンフリートは冷静な表情のまま目を閉じる。
「……父親というのは、いつまでも子供が可愛いモノなのだよ」
◇ ◇ ◇
十年前、ミリィが死んだと聞いて絶望したヴィンフリート。一時期は娘の後を追いかけるべく、自ら命を断とうと考えていたほどだった。
しかしそこに光が差した。ミリィが幽霊として、現世に留まっていることを知ったのだ。ヴィンフリートは屋敷に向かうと、確かに半透明の姿となっているミリィの存在を見つけた。
しかし、直接顔を合わせることはできなかった。父親として死なせてしまったことを負い目に感じていたのだ。
そして彼は、ミリィがいつか成仏することを恐れ始めた。
ミリィが本当にいなくなってしまうのが、父親として耐えられなかった。故に彼女を成仏させまいと、策を講じた。
ヴィンフリートからしてみれば、この時点ではミリィの実の父親について、ミリィを含めて町の誰もが知らない事実のハズであった。
もし下手なことを言ってバレたら、ミリィにも伝わってしまい、何かの拍子で成仏してしまうかもしれない――そう考えたヴィンフリートは恐怖に駆られ、自然と強く決意した。
ならばこの事実を、徹底的に隠し通せばいいと。
ミリィは屋敷に憑りついており、外には出てこれない――そう思い込んだヴィンフリートは、屋敷の所有権を買い取った。そして務めていた執事とメイドを根こそぎ追い出してしまった。
もしそのまま残しておいたら、誰かがミリィを成仏させてしまうと、恐れを抱いたからだ。
そして町には、幽霊屋敷の話を広め、近づかないようお触れを出した。
町で一番の発言力を持っていたヴィンフリートの言葉に、町民は疑問を抱きながらも従う他はなかった。
それからあっという間に、十年の時が過ぎた。
年に数回、他の町から来た冒険者に指名依頼を出し、屋敷を調査させた。ヴィンフリートが足を運べば、何かあると勘ぐられるのは当然だからだ。
幽霊となったミリィは人には見えない。しかし現象は確認できるため、本当に幽霊屋敷だと信じられるようになった。
一時期は町の人々も不安を覚えていたが、数年かけて特に何も悪いことが起こってないと分かるなり、ある種、町のシンボルと化していった。
このまま何事もなく時が過ぎる――ヴィンフリートは安心していた時だった。
ミナヅキとアヤメが、夏のバカンスで町を訪れた。
しかも王都のギルドマスターことソウイチから、わざわざ紹介のコメントまで送付されてきた。
――折角だから彼らを利用しよう。
王都へのパイプをより強固にするべく、ゼラを通して二人を呼び出した。そして恒例の調査を依頼した。
まさか新しい発見を報告してくるとは想像もしておらず、ヴィンフリートは更に彼らを利用できないかと考え出していたのだった。
しかし――ここで予想外のことが起きた。
ミナヅキとアヤメがミリィと出会い、それなりに仲良くなってしまったのだ。そしてこともあろうに、最後の誕生日プレゼントを贈る約束までしていた。
ヴィンフリートは苛立ちを覚えた。
どうして赤の他人であるお前たちが、娘と仲良くしているのだと。
そして恐れた。このままではミリィの未練が果たされてしまい、近いうちに成仏してこの世から消えてしまうと。
そう考えた瞬間、ヴィンフリートはミリィの存在を否定する言葉をかけ、二人に町から出ていくよう言った。
――十年も保ち続けてきたことを、キサマらに断ち切られてなるモノか!
そんな気持ちを込め、ヴィンフリートはミナヅキたちの邪魔をした。しかし全く諦めることなく、遂にここまで来てしまった。
「お前たちがしていることは冒涜だ! 子のいないお前たちに、娘を失いたくない父親の気持ちなど分かるまい!」
ヴィンフリートは怒り狂った表情で叫ぶ。しかしミナヅキもアヤメも、実に覚めた表情を浮かべていた。
「むなしいってのは、こーゆーことを言うんだろうかね?」
「聞いてて呆れた以外の感想が思い浮かばないわ」
「なんだと?」
恐ろしく低い声を出すヴィンフリートだったが、それでも構うことなく、ミナヅキは語り掛ける。
「まぁ、アンタの気持ちも分からんではないが、だからと言って、ミリィをこの世に縛り付けて良い理由には――」
「口を慎め若造が!」
「……ダメだ、もう聞く耳持ってないや」
ミナヅキは軽く項垂れ、言葉をかける気力を失った。どうやらアヤメも同じ思いらしく、小さなため息をついている。
「ねぇオジサン、とりあえずこれだけは言っておきたいんだけど……」
そこにミリィが口を開き、決して感情的ではない、確固たる意志を持っての冷静な口調で、ハッキリとヴィンフリートに告げた。
「わたしはあなたを、父親だとは思わない。今までも……そしてこれからもね」
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