君に届け、錦松雪姫のスウィートイグニッション - 8
どうにかして夢を掴みたい!
彼女、錦松雪姫ちゃんの告白を受けた、我らが主人公、高橋椋丞くん。
ここで頑張らなきゃ男が廃る!
よね?
さぁ頑張れ男の子、
女の子が腹を括っているのに、ケツを捲っていられるか!
……んが?
何やらまた、雲行きが怪しいようで……?
簀巻きを解かれ、皆が待つ調整室へ戻った僕は、
「この不肖・高橋椋丞! 音響監督代理として、僭越ながら……」
まずは収録に参加する演者たちへ挨拶しようとしたら、
「あ、そういうのいいから」
軽~く出鼻を挫かれた。
(……か、かやにゃん????)
演者の一人、武田香弥菜さんに一蹴されてしまった。ノータイムで。食い気味に。
武田香弥菜といえば押しも押されぬトップ声優。
数々のメジャー作品出演歴を誇る彼女は、ベビーフェイスの愛されキャラとしてファンからも認知されているはず…………なのに、
なのに、
「あなたは、ただ録音してくれるだけで」
やんわりした口調で釘を差してくる。笑みは柔らかいが、目は笑っていない。
『分を弁えろ』
そう顔に書いてあった。
「優秀なオーケストラなら、指揮者が小学生だって演奏できるでしょ?」
素人が演技に口出しするな、門外漢が我が物顔で仕切るな、と朗らかな笑顔で圧を放つ。
(マジかよ……)
溢れる母性でファンを虜にする天使系声優……今の今まで信じて疑わなかったのに。
「ぶっちゃけ、あたしたちだけでも済ませられるから。余計なことはしないでね?」
素顔の武田香弥菜は――――相当に我の強い人だった。
浮ついた反論など聞く耳持たない、唯我独尊系。ちょっと会話しただけで分かる、気位の高さ。
「ちょっと聞いてる? ……修理屋サン?」
プライドと自尊心の塊みたいな、近寄り難いパーソナルの持ち主。
反論など許さない上から目線。まさにキングでありクイーンだ、この現場に君臨する女王だ。
周りの役者さんたちから「それ以上、波風立てるな」と、それとなく止められてるし……宮居さんたち(関係者)も、どうにか穏便に収めようと躍起になってる。
(ええええええ…………こんな人だったの????)
『紐』として優秀なのは間違いない。
彼女の演技はヲタクの琴線を何度も震わせてきた、信頼のアクトレス。
それに対しては、疑問を差し挟む余地など皆無なのだが、
(ファンからも同業者からも愛されるゆるふわ系声優じゃなかったの? 武田香弥菜って?)
メディアを通した姿とギャップが有りすぎる……いくら作品性と人間性は別物とは言っても……
ああ、
「好きな物こそ仕事にするな」。先達の金言が身に沁みる……
もはや後の祭りだけど。
「すいませんでした修理屋さん」
尊大な先輩の見ていないところで、僕へ頭を下げてくる錦松ちゃん。
彼女の責任じゃないのに、先輩の尻拭いを進んで買って出る。痛々しいほど健気に。
理不尽な。この世は、なんて理不尽な。
「ご気分を害されたかもしれませんが……修理屋さんの力添えが必要なんです……どうしても!」
それでも大局を見失わない錦松ちゃん(彼女)、夢への献身に一点の曇りなし。
「大丈夫」
だからこそ僕も請けたんだ。手を差し伸べるに値する、彼女の懸命さに。
些細な不愉快など気にしている場合じゃない。
「心配ご無用! 男に二言なし!」
高橋椋丞――やるならやらねば!
『通してテストするんで、モニターに絵を出して』
素人監督なんて要らない、とばかりにブースの中から武田さん、指示を飛ばしてくる。
確かに武田香弥菜(彼女)は殿堂入り間違いなしのプレイングマネージャー。
代打の修理屋なんてアウトオブ眼中でも仕方ない。
なので、彼女(武田香弥菜)から指示されるがまま、僕は録音機器の操作に徹する。
『みんなヨロシクね』
『『はぁ~い』』
今回の作品は『鬼界カルデラガールズコレクション』、累計一千万ダウンロードを誇る人気ソシャゲのアニメ、その第一話。
今をときめく覇権ゲームともなれば、集められた顔ぶれは、武田香弥菜、金沢華、早瀬美織、小松咲うきよ、江坂澄江……と錚々たるメンバー。声優誌の人気投票を上から順番に、みたいな有様。
こんだけの人気者が一堂に介するとか、一種の奇跡じゃない?
だからこそ現場の共有認識として、素人の監督を据えてでも録音を強行したかったんだ。
「…………ようやくですね」
「ええ、ようやく」
ヤレヤレな表情で関係者が呟く。
東奔西走した裏方(我々)の労苦も報われた、とでも言わんばかりの笑顔で。
「これで、もう大丈夫」
とか言い合ってるじゃないか!
(……節穴め!)
ほんとにこの人達は業界関係者なのか?
緩みきった談笑に、僕の苛立ちは増すばかり。
(こんなんじゃ駄目だ!)
どう聴いても【宝の持ち腐れ】じゃないか!
日本有数の才能の持ち主たちが、ポテンシャルを持て余している。
ほどほどの塩梅で流している。
そんなことも聴き分けられないのか? 関係者のくせに!
『医療行為ならいいんですね? いいんですね?』
先程は痛いほど音叉を刺激してきた錦松さんの演技も、響きが鈍い。
引っ張られているんだ、掛け合いを誘引とした負のシナジーに。
この金魚鉢(録音ブース)には深くて暗い川がある。
立場の違う役者と役者とを分断する川が。
具体的には、
オーバーナイトサクセスを目指す子と――――収録の完遂を優先する者たち。
両者の温度差は埋め難い。
後者の気持ちも理解は出来るが。
機材の故障で押しまくったスケジュール。このままこの収録が長引けば、売れっ子役者さんはロクに睡眠も採れず、明日の現場へ向かわなくてはならなくなる。
「明日の朝十、一緒だっけか?」
「あのディレクター、無駄に収録長いからホント大変」
錦松さんの涙ぐましい孤軍奮闘の裏で、出番を終えた演者たちが気の抜けた会話を交わしてる。
マイクには決して乗らない音量で。
ここだけに全力を注ぐ新人と、いくつも掛け持ち仕事を抱えた売れっ子さんたち。
「(過酷な収録で全力を出し尽くして)明日は野となれ山となれ」で構わない人と、構う人。
後者にとって、スケジュール厳守は自分の信用に関わる。
一定のクオリティを別け隔てなく発揮することがプロの為すべき態度であり、頑張りすぎの皺寄せが他所へ及ぶなど、職業倫理に反する行為なのだ。勝手な偏りは不誠実と謗られても仕方がない。
そもそも――
「完成度」も「納期」もプロの義務である。
どちらにも根差した「結果」こそ、プロフェッショナルの挟持と言える。
だが集団作業では、その調整役がいないと天秤が破綻する。
落とし所の意思統一は、ディレクターの存在意義に関わる仕事と言っても過言じゃない。
僕だ。
その妥協点を提示しないければいけないのは本来、僕(音響監督)だ。
曖昧な目標設定では鬼っ子が産み落とされてしまう。
今!
今まさに産み落とされようとしている!
これ見よがしの【 黒歴史 】が!
「あとは演者の皆さんにお任せ、で大丈夫ですな」
「いやはや、一時はどうなることかと……」
「想定外のトラブルが多すぎです。まさかこんな立て続けに……」
「お祓いでもしてもらいます? キャストに巫女コスプレでもして貰って……」
「お、パブリシティ案件ですねぇ? メディアさんにも協力してもらいますか!」
調整室の関係者たちは「いつも通りのアフレコ(光景)」に胸を撫で下ろしている。
沈みゆく船の気配など一切感じることなく。
(なんてこった!)
製作委員会ともなれば多少は「分かる」人が就いてるのかと思ってたのに、
(全っっ然、分かってない!)
悲しいほどに無理解。
こんな収録を「良シ」とするとか、審美眼が腐っている!
(駄目だコイツら!)
ユーザーを舐めるなよ!
こんな収録を世に出してしまったら即、SNSは酷評の嵐だ。
何の統制も取れず、各自バラバラのテンションで台詞を読み合っているだけの収録。
掛合いの妙などあったもんじゃない。
(誰かが止めなきゃいけない!)
危機感も問題意識もゼロの関係者たちには頼れない!
今からでも役者さんたちに明確な方向性を与え、意思統一を図らなきゃ。
それが出来るのはディレクター(僕)だけだ!
なのに……
なのに代理監督には許されない。
素人の言葉など馬耳東風。
高橋椋丞(僕)には与えられていないのだ――巫女のサンクチュアリへと踏み込む権限が!
(でも……このままじゃ!)
新人声優(錦松さん)は黒歴史の渦で溺れてしまう。
輝けるスターダムへの滝登りも果たせないまま、水泡に帰す。
関係者もファンも口を噤む、黒歴史として忘却の彼方へ……
(ダメだよ!)
ただ手をこまねいて、いられるか! 指を咥えたまま見殺しになど出来ない!
理不尽な大人の事情で前途ある若者の夢が潰されるとか、あってたまるか!
(なら、どうすれば?)
どうすれば彼女を助けられる?
退屈の沼へ片足突っ込んでる収録を、活況の運動体(名作)へと導ける?
プロの演技指導者でもない僕がスペシャリスト中のスペシャリストたちを率いて、
錦松雪姫がスポットライトを浴びるに足る、傑作の高みへと連れて行ってあげられる?
どうやって?
(考えろ!)
考えろ高橋椋丞……絡まるだけの「紐」の解き方を。
[ strings polygrapher ] の僕だからこそ出来ること……
「…………そうだ!」
今回ちょっと長めでした。
読んで下さった方、お疲れ様でした \(^o^)/
ちと、切りどころが難しかったので……