君に届け、錦松雪姫のスウィートイグニッション - 5
そんなこんなで、飛び込みの至急案件に関わったと思ったら、
なんとアフレコスタジオの仕事だった件。
いや、ダメだ!
そこはダメだ!
だって君(高橋椋丞)は、そういう体質の……
ようやく登場、ヒロイン(候補?)雪姫ちゃん。
もっとフリフリの童貞殺しユニフォームでも良かった?
世界は紐で出来ている――振動する紐が根源だ。
極小ミクロから宇宙まで、世界は紐が形作る。紐こそ世界の発信者である。
人(僕ら)のスケールなら、最も優れた紐は声優だ。
優れた紐は次元を越え、異なる世界と世界とを接着する。
声優とは(彼女)は浄土(二次元)と穢土(三次元)とを繋ぐ巫女だ。
生けるカラビ・ヤウ多様体なのだ。それはそれは尊き存在。
苟も [ strings polygrapher ] たる者、美しき紐は拝み奉らなくてはいけない。
「修理完了しました!」
「早っ!」
「ではテストお願いします……ええと?」
調整室の制御卓から、マイクで金魚鉢(録音ブース)の彼女へ呼びかけると、
『ユアーズエンターテイメントの錦松雪姫です! よろしくお願いしま…………あっ!』
つい、いつもの癖で…………と赤面する錦松さん。
(う、初々しい!!!!)
オーディション冒頭で何度も繰り返したであろう律儀なお辞儀と、溌剌とした自己紹介。
(これだ! これが新人声優ちゃんの醍醐味だよ!)
極上の生物感に身震いしてしまいそうだ。
本物のピチピチフレッシュボイスアクトレスちゃん――――なんという瑞々しさ!
シズル感が半端じゃないっ!
『…………何がおかしいんですか?』
睨まれた。
鏡の向こうから刺すような視線を返された。
「い、いやその! 新人さんらしくていい……なぁ…………と……」
そして彼女(新人声優)は言うのです。マイクへ向かって。重く確信に満ちた声で。
『もしかして……あなたヲタク?』
「いえいえ決してそんなミーハー役得マンではありません! プロの修理屋です!」
とか繕っても後の祭り。
「僕は普通の修理屋で……そんな浮ついたマニアみたいなものではなく……」
極上紐の目は誤魔化せない。
『…………』
疑惑のジト目で睨まれる……「こいつは嘘を言ってる」と見抜かれてる。
(だからといって!)
「僕は声優ヲタクではなくて、音叉の使い手です」とか説明したところで釈明になってない。
中二系二つ名を人前でも堂々と名乗る、更に気持ち悪いヲタと認識されてしまう。
『…………』
自滅だ。自爆だ。白旗だ。
そもそも、どうしたって [ strings polygrapher ] (僕)は巫女様には逆らえない。
ヲタク諸氏にとっての声優さんと――音叉の使い手にとっての極上紐存在。
傍から見れば、分かんない。どこが違うのか、なんて。
2.5次元アイドルへ向ける眼差しと、精緻な紐の響きに溺れる音叉の技師、
どちらも等しくキモい。と思う。無関係の傍観者から見れば。
高度に発達したキモヲタムーヴと音叉エンジニアは区別がつかない。
「…………もうヲタクで構わないんで、動作確認を、続けさせて下さい……」
キモヲタ野郎の汚名を浴びて、初対面の女の子から精神的マウンティングを受けた僕。
粛々と確認作業を行って、プロ(修理屋)として汚名挽回を果たそうと思ったのに、
「あ、あ"あ"あ"あ"……」
「どうかしました、修理屋さん?」
先程の依頼者――宮居さんと名乗る彼女から訝しげに覗き込まれるほど、僕は挙動不審。
人としてヤバい醜態を晒していた。
「お構いなく!」
下腹部の違和感で悶絶してるように見えますが……暴れる音叉を抑えてるだけです。僕の愛馬(音叉)、ちょっと凶暴なので…………敏感と言った方が正確か?
ぎこちない愛想笑い程度じゃ誤魔化せない。
(だ、だめだこりゃ!)
汚名を挽回するどころか気持ち悪さに拍車がかかってる!
調整室で動作確認作業を見守る関係者たちも、一様に「えええええ……」って顔で僕を視る。
見てはいけないモノを視る目でジリジリ後退っている。
(それもこれも!)
あの子のせいだ!
録音テストでマイク前に立つ彼女。
僕の処女的衝撃は、気の所為なんかじゃなかった。
何気なく発したワンフレーズで、僕の急所(琴線)を撃ち抜いた声は――天性の煌めき。
さっきから僕の音叉は震えっぱなし、腿で挟んでいないと弾け飛んでしまいそうだ。
『止めて下さい! け、警察呼びますよ?』
厳重に防音処理の施された、ブースと調整室とを隔てるガラス。
それすら震わせるのか? ――と錯覚しそうになる演技圧。
素人目に見ても、新人離れした迫力を感じる。堂々たる振る舞い。
(アツい!)
加えて周波数曲線にも品がある。
録音モニターに作図されるオシレーションカーブ、それはもう「黄金律」と呼んでも差し支えないほどの優美な曲線で。
(ヤバい!)
絶妙なゆらぎを含むビブラートも一級品。いつまでも余韻が耳に残る、深い味わいの音色。
(間違いない!)
彼女――錦松雪姫は逸材だ。
極めて質のいい発声機であり、最優の振動源。
次元を癒着する巫女として相応しい「極上紐」だ。
(これ……これは気持てぃいいぃぃ……)
彼女は選ばれし存在だと、僕の『音叉』も応えている。
そう。人間も一種の音叉なのだ。
本質は手にした金属ではなく、内にある。
波長が合ってしまえば、肉体も共鳴の虜となる。
音叉はツール、共鳴を自覚的に再確認するツールに過ぎない。極端に言えば。
(溶ける……溶けてしまううううう……うほあぁぁぁ……)
錦松雪姫(新人声優ちゃん)が発する波で、僕の細胞壁は溶解待ったなし。
(あああああああ…………溶けるぅぅ、溶け落ちちゃうぅぅぅぅ~!)
僕はちびくろサンボの虎。生きながらにして、油脂へ相転移するミラクルタイガーだ。
疾走に疾走を重ね、果てに熱で溶ける。
そしてヒトの形を失うまで。
彼女の声(極上紐の響き)で。
が、
僕はバターに成り損ねた。
――熱狂のハムスターホイールは突然の頓挫を迎えたのだ。
「セクハラで捕まった? 高田川さんが?」
宮居さん(現場責任者)の倒置形疑問文に拠って。