君に届け、錦松雪姫のスウィートイグニッション - 4
さてさて我らが高橋椋丞くん、何やら今宵は【特別な夜】らしく。
そのためなら、あらゆる障害をブッチギって臨みたい所存。
はてさて、事態は彼の目論見通り動くのか?
世の中、そんなに甘く切り抜けられるのか?
【特別な夜】への干渉を排除するためなら、携帯の一台くらい……捧げ物にしたって……
「……いや」
そんなことしたら徳が減る。
ような気が、する。
社長の懇願案件とか、断ったら大幅に減るんじゃなかろうか?
というか、請けたら逆にポイントマシマシの予感。こんな突然の差し込み依頼なら、特に。
【困っている】状況が深刻であればあるほど、『徳』が上がりそうな気がする。たぶん。
証拠はないが確信はある。
「行くか」
どうせチョチョイのチョイでミッション(お仕事)クリアだし。
この――僕の音叉さえあれば!
メールの指示に従って、向かうは都内の……録音スタジオ?
既に、高校生とバレたら補導されてしまいそうな時間帯。職質に警戒しながら――現場へ到着。
「失礼しまーす、スリートップの方から来ま……」
重厚な防音扉を押し開けて挨拶すると、
「良かった! どこの修理屋さんも捉まらなくて!」
依頼者らしき女性、目の幅涙を流さんばかりの狼狽で僕を迎えた。
「急に録音できなくなってしまって……」
あのー……そういうことをされても迷惑なんです、僕としては。
ギュッと両手で僕の掌を握り、上目遣いで哀願してくる依頼者さん。
女性らしい身体をキュッと包み込むスーツ姿。ぴっちり目の服が豊かな胸元を強調する。
あくまで自然に――しかしながら性的に。
それなりの年齢っぽいけど、童顔で男心をくすぐるタイプだ。ジジイキラーとして、お偉いさんの覚えめでたい系の女性かもしれないな。
性的魅力で異性の歓心を惹くことに躊躇ない人。
好意と罪悪感をアメとムチにして異性を操縦できる人。
大概の男は勝てない。こういう凄腕セックステクニシャンを往なせはしない。
「…………直して頂けますか?」
だけどダメだ。僕には通用しない。多様な角度の上目遣いを駆使されても。
攻撃の効果が通らないよ。
どんだけ男好きするメイクやコーデに腐心したところで――――声がダメだもの。
紐として質が悪い。
喋り方に品がないし、滑舌も不明朗。単純に「音」として、ときめく部分が何一つない。
そんな粗悪「紐」で一体どの琴線を震わせられるの?
まるで食指が動かない。
[ strings polygrapher ] 相手には最も大切な訴求力が欠けている。
「そうですね……」
落第判定が顔に出てしまいそうになるところを、どうにか堪え、
「まずは状況を診ないと分かりませんが、部品の取り寄せにお時間を頂く場合も……」
感情を押し殺して粗悪紐(依頼者さん)へ作業方針を伝えようとしたら……
「困ります!」
――ビリビリッ!
「はぅあ!」
思わぬ【狙撃】に膝を屈す!
「どうかなさいました……修理屋さん?」
怪訝な顔で僕を窺ってくる依頼者の女性……違う、彼女じゃない。
(誰だ?)
慌てて立て直そうとしたところへ、
「直して貰わないと困るんです!」
「ぐはあああ!」
不意にスタンガンでも押し当てられたようなショック!
ライトニングボルトの衝撃が僕の音叉を貫く!
「絶対に、直して下さい!」
振り向けば奴(女の子)が居る。
若い。
僕と同級生くらいの――――彼女が【 音源 】だ! 間違いない!
(この子、まさか?)
芸能人ほど垢抜けていないが、確固とした演者の自意識を持ち、
売れない劇団員ほど浮世離れしていないが、一般人から逸脱してる気配もあり、
アナウンサーほど汎用知的美人の定形にハマっておらず、
それでいて芸能事務所から一本釣りされない程度の可愛い子。
「あなた修理のプロでしょ? 今すぐ直して下さい!」
ただ一点、卓越した腹式呼吸と小気味よい滑舌が耳を撃つ――――言葉の喋り手。
普通に喋るだけで音階を意識させられるような、独特の響きを喉から奏でる人種。
(この子――――声優だ!)
童貞殺しのフェミニンコーデといい、片結びのショートテイルヘアといい、ヲタク(お得意様)向け模範解答とも言うべきスタイルが雄弁に素性を物語る。
母性や少女性という幻想を、何の衒いもなくコーディネイトする世界の住人だ。
(てことは、ここ音楽関係の録音スタジオじゃなくて……アフレコスタジオか!)
「直しますッ!」
陰鬱な残業気分もかなぐり捨てて、ピンと伸びた背筋で彼女へ応えた。
もちろん謹んで修理させて頂きますとも!
喜んで!
喜んでこの高橋椋丞 [ strings polygrapher ] (ぼく)が!