伊勢原雛子の瑠璃色アクアリウム - 4
『人生とは抜け駆けである』、『恋と戦争に禁じ手なし』
を、地で行く彼女、
既成事実は作ったもん勝ちなのです、
後からクレームを入れても遅いのです。
気をつけて男子諸君。
赤ずきんちゃんには牙がある。
「惚れちゃった?」
耳朶をくすぐる巫女の吐息。
「わ!」
それを追いかけて、花の匂いと――フワリ垂れてくる後れ毛。
いつの間にか風呂から戻ってきた由綺佳さんが、背中から覆いかぶさってきてた!
忍者並みの神出鬼没でバックを獲られた!
「ちょ……由綺佳さん!」
風呂でお色直ししてきたのは、香りだけじゃない。
感触が!
背中の感触が!
体温を直に感じ取れそうな薄い布!
(浴衣か!)
「ねー、椋丞く~ん?」
「なんですか?」
「椋丞くんが良いならさ……結び直してもいいよ? 恋人契約」
「へ?」
「偽物から本物に昇格させちゃっても……私は構わないよ?」
とか誘ってくる。
ここぞとばかりに、耳元で巫女の『武器』を振るいながら。
「どうする?」
追撃は風呂上がりのつるつるタマゴ肌。ぷにゅっとした頬の感触で畳み掛けてくる。
「ほらほら~♪」
神様、あなたは何故、浴衣なる反則的な着衣を作り給ふたのか?
というか、これ、着衣じゃない!
女体という柔らかい桃を包む、薄い手拭いだ。
「さぁ召し上がれ」と、もぎたてフレッシュを薦めてくるエデンの蛇だ。
据え膳として、これ以上の御馳走などあるものか!
「そしたらさ、いつでも~こういう格好したげるけど?」
スルスル……二人羽織の要領でタッチパネルをスワイプし、由綺佳さんは自分をプレゼンする。
勝手知ったる自分のPC、いともたやすくベストショットを拾い上げ、
SNSには決して晒せぬポーズからオフショットまで、一般人にはお目にかかれない、秘蔵写真を惜しげもなくご開帳。
ああ…………もう何が何だか!
眼の前には世にも美しい声優さんの、あられもないショットを見せつけられながら、
その写真からは決して伝わらない肉の密着で、ほんのりと体臭まで漂わせてくる。
なんだ?
拷問か?
製作委員会の毒電波とは違った意味で、理不尽な奴隷契約を強いられてる?
「ねー? どうする? りょーすけくーん?」
もはや思考回路はショート寸前、万華鏡の心が千々に乱れまくり……
こんなにも心地よいことならわるいことでもなんでもないんじゃないの?
ただこのきもちよさにミヲマカセテシマッテモイイ……
ハフゥ……
――ガラッ!
「由綺佳ー!!!!」
かろうじて難を逃れた。
由綺佳さんの抜け駆けに気づいた春宵さんが、慌てて風呂から帰ってきてくれたお蔭で。
(危なかった……)
こんな場外乱闘反則攻撃まで繰り出してくるとは、
和風旅館のロケーションまで凶器に使ってくるとは、
抵抗虚しく布団でスリーカウント、
もはや言い訳の出来ない自撮りエビデンスを確保されるとこだった……
あぶない!
あぶなすぎるぞウキウキ隠密声優旅行!
「ええい! そこへ直れぃ!」
いくら年上でも限度がある!
オイタが過ぎる浴衣声優二人を正座で説教ですよ!
「なぜ、春宵(私)まで……私が由綺佳の毒牙から椋丞くんを救ってあげたのに……」
「そもそも! 春宵さんにも由綺佳さんにも同伴を頼んだ覚えはありません!」
一番最初の前提が間違ってます!
「この旅行は僕のプライベートです!」
「ごめんなさい」「さい」
「罰として、僕が風呂からあがるまで反省してて下さい」
「はぁい」「ぁぃ」
不貞腐れた態度で部屋を退出すると、襖を閉め切った瞬間――すかさずダッシュ!
「チャ~ンス……!」
ぷりぷり不機嫌なんて演技に過ぎない!
夜神月ばりのピカレスクスマイルを浮かべ、廊下を駆け抜ける!
(そうさ、この旅の目的は!)
男女仲を深める、ドキドキ☆大人の温泉旅行じゃない!
お客様は貴方だけの声優バスツアーなんかじゃない!
「よっしゃあぁ!」
今宵限りのスペシャルナイト!
この地で繰り広げられる【特別な夜】に馳せ参じるため!
ほっとくと、いつまでも付いてくる押しかけ声優’sを出し抜いて、いざ本懐を果たさん!
「今こそ! 本願成就! うぉぉぉぉぉぉ!」
お風呂セットなど放り捨て、旅館の外へ飛び出そうとしたら……
「待って、高橋くん!」
いるはずのない人が――――正面玄関で仁王立ちしていた。




