君に届け、錦松雪姫のスウィートイグニッション - 11
果たして、僕(高橋椋丞)の反撃は、功を奏したのか?
百戦錬磨のプロへ、つうこんのいちげきを食らわすことができたのか?
いよいよ佳境です。
僕は煽る。
心を鬼にして煽っていく。言葉の追撃で彼女(武田さん)を追い込んでやる。
この場でエンターテイナーに資するのは無名の新人声優だけだ、とでも言わんばかりに。
「出来てます? 本当に出来てますか?」
我ながらゲスな煽りだと思うが、これも彼女(錦松雪姫ちゃん)のため。僕は悪にでもなる。
弁えてるさ。僕は、僕の役どころを!
「はぁ?」
売られた喧嘩は受けて立つ。
「あったまきた!」
遂に!
遂に武田香弥菜のプライドに火の着く音がした。
「よく聴いてなさい、素人監督! プロの実力、思い知らせてやるわ!」
こうなればしめたもの。
『自分のことを偉い人間だと思い込むようになったら終わりよ!』
喧嘩腰の武田香弥菜、先程とは見違える勢いで声が! 腹の底から声が出る!
(違う!)
音圧が違う!
迫力が違う!
佇まいが違う!
マイク前に陣取ったのは、手際よくスケジュールを消化することを最優先する、売れっ子声優なんかじゃない!
声の仕事という「職人芸の世界」でトップを張る、という強烈な自負心の権化だ!
『特に理由のない暴力に襲われればいいのよ! そういう奴は!』
プライドの高さは、負けず嫌いの証。
どんな世界でも、トップ級は「自分が一番」、驕りの塊。
金持ち同士は喧嘩しないが、アーティストは自己顕示しないと気が済まない。
なので必然、武田香弥菜以外の演者も、我も我もと能力を誇りだす、ひけらかす、認知を求む。
『酷い! 私の玩具、どうして捨てちゃったのよ?』
『素敵な女性との出会いに興味ない? 今なら修正なしのお見合い写真進呈!』
『ね、どうしてあたし怒ってるか? ……分かるよね?』
金沢さん、早瀬さん、江坂さんが示し合わせたかのようにギアを上げる。
小さな着火が誘爆を連鎖していく。
「「「「…………」」」」
一変したブースの空気に、調整室の面々も呆気に取られている。
「手加減なしの本物」は素人だって分かるんだよ。本物って、そういうもんだ。
気の抜けた無駄話も忘れて、製作委員会勢も録音ブースに釘付けだ。
あんたたちがネームバリューで適当に集めた人材は宝の山、
ちゃんと尻を叩ければ、これくらいはやってくれる超一流の「紐の巫女」たちなんだぞ!
――って、キメ顔で一席ぶってやりたいところだけど、
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”」
今や僕の音叉も、最強設定のマッサージチェア状態。
錦松さんの孤軍奮闘から一転、マイク四本全てから極上の響きが音叉を刺激してくる。
共鳴に次ぐ共鳴で、気を抜けば腿からスポーンと飛んでってしまいそうだ。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”」
傍から見ると、謎の痙攣に耐えるヤバい人にしか見えないかもしれないけど……
それでも僕は座っていられるだけマシ。
「(あ”あ”あ”あ”あ”あ”)」
女性声優さんたちは、音叉の振動に耐えながらマイク前に立たねばならないのだから。
何とか振動を抑えようと、自分の胸を抱きしめる彼女たち。
刺激に耐えながら蹌踉めく姿は、生理現象を我慢しているようにも見えなくもない。
隔離された部屋(録音ブース)でなかったら、羞恥に逃げ出したくなる格好かも。
頬は紅潮し、額には汗を浮かべて、悶え苦しむさま。
とても、ファンの皆様には見せられない。
これを仕組んだ奴とか、ゴッソリと『徳』ポイントを失っている気がしないでもないが……終わったら記憶から抹消するんで見逃してもらえませんか、ねぇ神様?
『いまどき、そんな分かりやすい悪役とか、いないわよ!』
そんな姿を晒しても、なお、私が一番上手いの! とでも言わんばかりのパフォーマンス合戦。
聴く人の意識を巻き込むグルーヴが、ハードディスクに記憶されていく。
『負けヒロインって何よ? 滑り台って何よ?』
プロだ、この声優さん(ヒト)たちは紛れもなくプロだ。
「(あ”あ”あ”あ”あ”あ”)」
――絶対にノイズを立ててはいけないアフレコスタジオ24時――
どんな理由であっても、ノイズはNG。収録中は無音でなくてはいけない。
それが業界、鉄の掟である。養成所の一時間目から叩き込まれたイロハのイだ。
「(あ”あ”あ”あ”あ”あ”)」
なのに自分の演技が引き鉄となって、新たな痺れを誘引する――自縄自縛のくすぐり地獄。
『あたし…………あたしは、火力全振りで行きます!』
それでも負けず嫌い女子たちは演技を止めない。
入れ代わり立ち代わりマイク前、見違える勢いで役者たちが動いていく。
ほぼほぼ即興に近い収録でも、コンフリクトすることなく機能する様、見惚れてしまいそう。
これが百戦錬磨の実力。トップ声優さんたちの呼吸は伊達じゃない!
が――――
快調にマイクワークが続いていくかに思えた、その時、
「えっ?」
突然口パクがズレた!
合わせるべき映像には印が、ボーダーで「ここで台詞」の合図が記してあるのに……
「小松咲さん!?」
音叉の痺れで足腰がヘロヘロの小松咲さん、マイクへ辿り着けず、
(しまったぁぁぁ!)
ここに来て僕の音叉が足を引っ張ってしまった! 文字通り、脚を!
息を呑む、調整室。金魚鉢の役者陣にも緊張が走る。
「!!!!」
普通なら一旦止めて、やり直すべきNGテイクのはずだ。
「こりゃあかん……」
調整室の面々は一様に、顔をしかめて首を振る。
「…………ッ!」
だけど……それでも彼女(小松咲さん)は必死に立ち上がり、
『セクハラなんかに……負けたりしない!』
「おお……」
関係者からも声が上がるほど、迫真の演技で彼女(小松咲さん)は演り切った。
愛しさと切なさと心強さを秘めた、彼女の台詞を。
(ならば!)
僕も応えなくてはいけない。
「続けて下さい! ボーダーなんて無視していい!」
トークバックで役者陣へアナウンスする!
(止められねぇよ!)
杓子定規のリテイクなど無粋の極み! 一期一会の奇跡、ドブに捨ててたまるか!
「監督! それ困ります!」
あからさまな職権乱用を見かねた宮居さん、僕を制止しようと実力行使に訴えてきた!




