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チェリー・デイズ

作者: QWERT

 もうすぐきっと、春が来る。

 教室の窓から見える、すっかり葉を落とした木を眺めながら、ヒカリはそのフレーズを頭の中で反芻していた。

 12月だから、春はまだ遠いけれど、春が来たら、そのときには、ヒカリは三重高校を卒業することになる。

「おーい、神田。授業ちゃんと聞いてるか」

 ハゲ頭の先生は、よそ見していたヒカリを見逃さなかった。

 それでハッと我に返ったヒカリに、教室中から笑い声が浴びせられる。

「それじゃ、神田。37ページの2段落目、作者は何を言おうとしていると思う?」

 ヒカリは慌てて、指定されたページを開いた。

「さ……」

 そこでヒカリは言葉に詰まる。くすくす笑いがいたるところから聞こえる。

「作者は、こ……、ここ……」

 また言葉に詰まり、しばらく教室が静かになる。そこでヒカリは、泣きたい気持ちに駆られる。

 ゆっくりと視線を上げれば、斜め前の席に座るタケと目が合った。タケはじっと、ヒカリのことを、笑うことなく見つめている。

 やめて、そんな真顔で見つめないで。恥ずかしいよ。いっそ笑ってよ。駄目な私を笑ってよ。

「先生、ヒカリは喋れないですよ」

 誰かの発言に、笑いがどっと起こる。

「そうだったな。まあ、仕方ない。じゃ、小宮、おまえはどう思う」

 先生は心なしか、意地の悪い笑みを口元に浮かべていた。自分が言語障害を抱えているのを知っていて、わざと発言させたのだろうか。ヒカリは悔しい気持ちでいっぱいで、力なく自分の席に座った。

 見れば、タケがまだ、心配そうにヒカリのことを見つめていた。

 もうこんなところ、はやく卒業したい。

 でも、タケしゃんと会えなくなるのは寂しい。

 ヒカリはタケのことが好きだった。でもタケは、背が高くて、サッカー部で、とても爽やかで、なにより女子に人気があった。それにタケは、いつもネネという女子とつるんでいた。もしかしたら、彼女とできてるかもしれない。そう思うとヒカリは切ない気持ちになった。

 タケしゃんが好きだけど、でもきっと、それも片思いで、あれもこれも卒業すればすべて終わりになる。

 もうすぐきっと、春が来る。

 またヒカリは、そのフレーズを思い浮かべ、机に顔を伏せた。


 昼休みになって、席に一人でポツンと座っているヒカリを、3人組の女子グループが取り囲んだ。グループの一人が定規でぺたぺたと、うつむいているヒカリの頭を叩く。

「ちゃんと発言しなきゃ、駄目なんだよー。わかるー、ヒカリちゃん」

 嫌味ったらしく間延びした声で、リーダー格のクルミが、ヒカリをからかう。

「や……、やめ……」

「え、なに? ちゃんと最後まで喋って」

 ヒカリは、ちゃんと自分の言いたいことがあるのに、言葉が鳥もちにくっついたみたいにのどで引っかかって、ちゃんと言えず、もどかしかった。言葉がうまく出ないだけで、自分の気持ちと外の世界が、うまくリンクせず、歯がゆさを覚える。


 そのときだった。

「おい、やめとけよ」

 女子3人組の間に、タケが割って入った。

「ヒカリは、喋りたくてもうまく言葉が出てこないんだよ。みんな知ってるだろ。それなのに、それをイジるなんてやめとけよ」

 え、タケしゃん……、と思わずヒカリは、背の高い彼を、潤んだ瞳で見上げた。

 女子3人はつまらなそうに口を尖らせている。

「なんでこの子の肩を持つのよ。好きなの?」

 クルミが意地の悪い笑みを浮かべながら聞いた。

 しばらくの沈黙。教室中の視線がタケの口元に集まる。

「うん、好きだよ。俺は」

 そう言ってタケはヒカリのことを見た。

「俺は、ヒカリのことが好きだ」

 教室がざわざわとする。

「ヒカリ、行こう。おれらんトコこいよ」

 そう言ってタケは、ヒカリの手を取り、離れたところにいる自分のグループに連れてきた。


 そのグループ内でちょっとした拍手が起こる。

「よ、男前!」

 ネネが、拍手しながらタケをはやし立てる。

「おまえ、唐突過ぎだろ」と笑いながら、男子のノッティーがタケの肩を叩く。

「今しかないと思った」とタケは胸を張っていた。

 ヒカリはタケとネネを見比べた。この二人はカップルじゃないのだろうか。

「でも、ヒカリの返事がまだじゃん」とネネがツッコミを入れる。

「あ、そう言えば」

 一斉に3人の視線がヒカリに集まる。

「ヒカリはタケのこと、どう思うの?」

 唐突な展開に、ヒカリは戸惑った。

「私、タケしゃんが、す……、す……」

 ヒカリはまた、うまく言葉が出てこなかった。慣れない3人の注目がじっと集まり、緊張で余計、言葉が空回りしている。言わなければ。でも言葉がのどに引っかかる。

「……」

 駄目だった。言葉が完全に詰まってしまった。一同が落胆する。

「ヒカリは、タケのこと、好き?」

 すかさずネネが聞く。

 ヒカリは頬を真っ赤にして、勢いよくうなずいた。

 ぷっとノッティーがふき出す。

「よかったじゃん、タケ」

「ああ」

 タケは照れ隠しなのか、クールを装って、それでもヒカリと目がばっちり合うと、爽やかにはにかんだ。


 それからヒカリは、タケ、ネネ、ノッティーの3人と仲良くなった。

 タケは女子から人気のある生徒だったから、ヒカリが告白されたとき、何名かの女子は落胆を隠せずにいた。

 しかしネネはまったく、タケには気がなく、いつも堂々とタケをいじり倒すのだった。ネネにはすでに七つ年上の彼氏がいた。彼氏は弁護士をやっていると聞いて、ヒカリはかなり驚いた。ネネは気が強く、バレー部のキャプテンを務めていた。

 ノッティーは帰宅部で、チャラかったが、まったくモテなかった。だからいつも、タケをひがんでばかりだった。しかしふざけっぷりに関してなら、クラスで肩を並べる者はなかった。

 ヒカリは、そんな三人のもとにいると、ともかく楽しくて、からかわれることも少なくなり、以前よりも笑顔が増えた。なにより、タケのそばにいられるのが、ヒカリは嬉しかった。タケは間近で見ると、やっぱりかっこよくて、自分が彼と付き合っているのが半ば信じがたいほどだった。

 受験シーズンでみんな忙しくて、遊べる時間はかぎられていたけれど、にもかかわらず日々は楽しく、時が過ぎるのは早かった。


 学校からの帰り道、タケとヒカリは家が同じ方向ということもあって、二人きりで歩いていた。積もるほどではないが、雪がちらちらと降っていた。粉雪が夕日を反射して煌めいていた。

 道は長い上り坂になっていて、タケが半歩先を歩く。その後をマフラーに口をうずめながら、ヒカリがついてゆく。二人とも、少しでもいっしょにいる時間を長くしたいのか、歩くペースがゆっくりだ。

 障害があるうえに、もともと極度の恥ずかしがり屋だったヒカリは、二人きりになると、幸せは感じるけれど、同時に何を話していいかわからず、戸惑いもあった。それを察してなのか、タケの方から積極的に、今日あったことなど話してくれるから、苦ではないけれど、自分ももっと、話したいとヒカリは思っていた。

 しかし今日は、タケはなぜか、口数が少なかった。ヒカリの頭の中では、あまりに奥手な自分に愛想をつかしたのだろうか、とネガティブな思いばかりぐるぐる巡っていた。

 タケはタケで、考えごとに囚われていた。昨日、クラスメートのクルミ、つまりヒカリをからかっていた主犯格の女子生徒に言われたことが、心に引っかかっていたのだ。


 クルミは言った。

「ヒカリは本当は、タケのこと、嫌いなんじゃないの?」

「おい、なんてこと言うんだよ。好きかって聞いたら、うなずいてくれるぜ」

「それはあれだよ。建前だよ。もともとヒカリって、何考えてるかわからない子だし」

「そんなことで建前を使うか? くだらねえこと言うんじゃねえよ」

「じゃあ、好きってちゃんと言われたことあるの?」

「それはしょうがないだろ。ヒカリは言葉がうまく出ないんだから」

「でも、そういうことよね」

「うるせえ。くだらねえ、付き合ってらんねえよ」

 そう言ってタケはクルミのもとを去った。

 クルミとしては、タケとヒカリがくっついていることが納得いかなかった。というのも、クルミはタケのことが好きだったからだ。だから、余計なことを言って、少しでも関係を悪くしようと策を練り、そのようなことを言ったのだった。

 案の定、タケはクルミをあしらっておきながら、言われたことが気になってしまった。たしかに、ヒカリは今まで一度も、ちゃんと自分のことを好きだと言ってくれたことがない。言葉がうまく出ないことは知っていたけれど、それは少し悲しいことだった。

 それとタケにはもう一つ、ヒカリとの関係で悩み事があった。


 坂を登りきってしばらく歩くと、団地の中に小さな公園があった。「ちょっと、寄っていかね」とタケはヒカリを誘い、ベンチに肩を並べた。

 自販機があったので「何か飲む?」とタケが聞いたが、ヒカリは首を横にふった。そしてヒカリは水筒があることを示した。

 些細なことなのに、今のタケにはそれが少しショックだった。

 缶コーヒーを飲んで一息ついてから、タケは切りだした。

「俺さ、実は東京の大学に進学するつもりなんだよね」

 ヒカリは驚いてタケのことをまじまじと見た。

「ほんとだよ、そんな顔すんなって」

 ヒカリは地元の専門学校へ進学するつもりだったから、そうすると、二人は離ればなれになり、会うのは難しくなる。

 あの日のタケの告白も、さりげないものだったが、本当は残された時間の少なさから、切羽詰まって、思い切って最後に、自分の本心だけは伝えようとのことで為されたものだったのだ。


「なあ、ヒカリ。俺のこと、好き?」

 ヒカリは首を激しく縦にふる。

「なら、一度でいいから、言ってくれねえかな。好きって」

「す……、す……、すす……」

 タケの目に涙が光る。

「ごめん、ヒカリ。無理なこと頼んじゃって。おれ、知っちゃったんだよね。なんでヒカリがうまく喋れないのか。ヒカリ、幼い頃に両親のことで、トラウマがあるんだろ? それで喋れないのに、無理に話させるなんて、最低だな、俺」

 そんなことない、とヒカリは首を横にふる。

 タケはネネから、ヒカリの過去について聞いていた。何でも、ネネの彼氏の弁護士さんが、ヒカリの父親の弁護をしたことがあったそうだ。彼曰く、ヒカリの父は、妻とうまくいっておらず、口論の末、家に火を放ったそうだ。それでヒカリの母は焼け死に、ヒカリの父は殺人と放火の罪で、懲役に服しているそうだ。そのとき、ちょうど友達の家にいたヒカリは無事だったが、両親を失い、今はおじさんのところにいると言う。そのことがショックで、ヒカリはうまく喋れなくなってしまった。


「ごめん、俺、帰るわ。ごめんな、不快な思いさせちゃって」

 そう言ってタケは立ち上がり、数歩だけ歩いて立ちどまった。目の前で燃える夕日がきれいだったからだ。タケの目に、きらきらと夕日が輝く。心洗われるような光景に、タケは今の自分の言動が情けなく感じた。

 このまま、ヒカリのもとを離れたら、もう二度と、今までのような関係には戻れなくなるんじゃないか。そんな直感が働いた。でもタケは、うしろのベンチに座るヒカリのもとにふりむくことができなかった。

 そのまま、さらに数歩、歩こうとしたときだった。


 どんっと勢いよく、ヒカリがタケの背中に抱きついた。そしてぎゅっと強く抱きしめた。タケの背中に顔をうずめて、ヒカリが何か言っている。

「好き。タケしゃん、好き。だから行かないで」

 たしかにヒカリはそう言っていた。

 ヒカリは動悸が激しく、息を切らしていた。きっと精いっぱい、勇気を振り絞ったのだろう。目は潤んでいた。そして、どこにも手放さんとばかりに、強く、強くタケを抱き締めた。その力は健気だが、生命力に満ちていた。

「ヒカリ……」

 タケはゆっくりと、ヒカリの抱き締める手をほどき、振り向いた。ヒカリの潤った目と向かい合う。

 そして今度は、正面から、タケの方から、強くヒカリを抱き締めた。

「好きだよ、俺も」とタケはヒカリにささやいた。

 夕日を背景に、二人の長く伸びる影が一つになる。

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