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黒点の上に立つ  作者: ああああ
日暮夕陽
7/18

日暮夕陽-2

(2/1)けっこう改稿しました。

(2/4)さらに手直ししました。



聞きたくない会話からの逃げ場として今日のぼくが選んだのは、部活棟の3階の端にある「文芸部」の部室だった。柳原高校の文芸部はぼくが1年のときに廃部になったが、スペースが余っているため部室はそのまま放置され、鍵も開けっ放しだ。


この部活棟の3階は、他の部もすべて実体のないものばかりで人と遭遇することは滅多にない。だからぼくはこの文芸部室に居座ることがよくある。もっとも、侑理はぼくの行動パターンをほぼ把握しているから、彼女にはもうバレているのだけれど。


ぼくが最初にこの部屋を訪れたのは1年生の春だった。その当時のぼくは入学して最初の『パーティー』に参加したあと、ひどく疲れてしまって人のいない場所を求めて校内をさまよい、結局ここを見つけたのだ。


正確に言えばそのときここにはとある女子生徒が独りで本を読んでいた。けれどぼくの疲れ切った様子を見ると、席を立って「ここ、あげる」とだけ告げてすたすたと去っていった。


それからも逃げ場を求めてここに来るたびに彼女は全く同じ位置、全く同じ向きで本を読んでいたのだが、やっぱり同じ科白とともに去っていき、ぼくはここに逃げ込むことができるようになった。


その女子生徒が当時3年生だったということを知ったのは、彼女が卒業間近になり、ようやくまともな会話を交わすようになってからだった。


そしてこの春、ぼく以外にこの部屋を使う人間はいなくなったのだ。


そのはずだったのだが。


前側のドアに手をかけて教室に入ろうとしたその時、ガラス窓からぽつんと椅子に座っている女子の後ろ姿が見えた。なんだかそわそわして落ち着きがないように見える。


ぼくは別の場所を探すことに決めたが、ドアから手を放す前に彼女が突然振り向いた。


思わぬ事態にぼくは硬直した。向こうもそれは同じようで、目を離せずにお互いを見つめあってしまう。と、彼女が勢いよく立ち上がり、ぼくのもとへぎくしゃくした様子でやってきて、ドアを開けるなり深々と頭を下げてこう言った。



「は、は、初めまして! わわ、わたし、日暮夕陽(ひぐらしゆうひ)という者です! どうか、どうか料理部に入部させてください!」



そして彼女は顔を上げた。制服のピンから彼女が1年生ということがわかる。身長がかなり低いので、自然とぼくを上目遣いで見つめる形になる。


ぼくはしばらく硬直していたが、眼をそらしてからどうにか口を開いた。



「えーっと、日暮、さん?」


「はい! お、OKですか? それともまさかNGですか?」


「……そのどっちでもない。ここは文芸部の部室なんだ。料理部はとなり」


「ええっ!?」


「さらに言えば、料理部は一昨年廃部してる」


「ええええっ!?」



いちいちリアクションが大げさな子だな、と思いながら改めて彼女を見やる。身長は高1女子の平均と比べてもかなり低いんじゃないだろうか。くりっとした大きな目が特徴的で、ふわふわした長い茶髪にはウェーブがかかっていて、なんというかもふもふしている。冬は暖かそうだが、夏は暑さで困りそうだ。それとも夏になると梳くか切るかするんだろうか。なんとなく小動物っぽい雰囲気をまとった子だった。


おろおろする彼女を見て、ぼくはため息をついた。あまり女子生徒には関わりたくないが、この場では仕方がない。



「とりあえず、腰掛けなよ。ぼくもそうするから」



そう言ってぼくは部室の中へ入り、手頃な椅子を彼女の方に押してよこした。





「へえー、それじゃあ、この階の部活は全部活動してないんですね……」


「うん。だから学校側も別の用途で使えないか考えてるところらしい」


「そうなんだ……。でもそうなったら、紫藤センパイは困らないんですか? ここが居場所なんですよね?」


「ぼくはほら、他にもいくつかアテがあるから」



まだ入学から2週間も経っていないので当然なのだが、彼女はこの学校のあらゆることに疎かった。そしてこの部室棟についての説明をしていたら、いつのまにかぼくは日暮さんに柳原高校(うち)についての雑多な知識――この学校は陸上部が強くて県大会常連だとか、国語の重原先生は昨年とほぼ同じ問題を試験で出すこととか、食堂の日替わりランチは実際は曜日別のメニューだとか――を解説するはめになってしまった。


すると彼女の方もお返しとばかりに、この高校に入学してからどんなことがあったか――正門前の桜並木が風に揺れるさまがきれいだったとか、中学までの知り合いに加えて新しい友達ができたこととか、風邪をひいて「親睦会」に出られなかったこととか――を矢継ぎ早に話した。


そして話がひと段落つくまでに、ぼくは彼女が最初の印象とはだいぶ違った子であることを知った。彼女は緊張しいというより元気で好奇心旺盛な子で、ぼくが話すたいしたことのない知識にも「へえ、そうなんですね!」と、それを知れたことが心底よろこばしい、という反応を無邪気な笑みと共に返してくるのだ。それは男子を前にして「元気で明るい気さくな子」を演じているものではない。彼女のうれしそうな表情には一切の飾りがないのだった。


ぼくはふとひとつの疑問が浮かんで、気づいた時にはそれが口をついて出ていた。



「にしてもさっきから、やけに自然体だね」


「? どういう意味ですか?」


「それは、ほら……。男子と一対一で喋る機会なんてものはすごく貴重なんだ。他の子ならもっと自分を良く見せようとしたり、逆にカチカチになってしゃべれなくなったりするからさ。きみは男子と喋るのが初めてじゃないのか? たとえば、異母兄弟がいたりする?」



男子10人に対して、女子500人。『パーティー』では女子が男子と1対1で喋ることのできる時間は長くないし、放課後に男女で出かける場合でも基本は男子1に女子数人で出かける。


だからぼくには、日暮さんがあまりにも自然に自分に話しかけてくることに戸惑いと少しばかりの興味を覚えていた。



「さっきおたおたしていたきみとは別人みたいだ」


「ああ……そういうことですか」



彼女は合点がいった、という顔で言葉を続けた。



「異母兄弟はいません。お父さん以外だと、男の人と喋るのは紫藤先輩が初めてですね。わたしが緊張してないのは、まだ『婚約』についてよくわかってないからだと思います。この前の『親睦会』も風邪で休んじゃいましたし。


でも、中学の頃から高校で『婚約』することがどれだけ大事かはよく聞かされてました。3年生のころの担任の先生なんか、わたしがおっちょこちょいだからすごく心配してて、ことある毎に言ってきましたもん。人生を決めると言っても過言じゃないのよ、とかとか……。なのにわたし、いまだに何をすればいいのかぴんと来てないんです。だからあの先生の言葉を思い出したりすると不安になることもあります」



彼女はそこで言葉をいったん切った。ならどうして、とぼくが問う前に彼女はあの邪気のない笑みを浮かべて続ける。



「でも、きっとどうにかなると思ってます! 1番じゃなくても10番目でも20番目でも、80人もいればわたしを大切にしてくれるって()()が言ってくれると思います。それに、せっかくの高校生活で『婚約』みたいな将来のことばかり考えてるのも損じゃないですか? わたしはほかのこと、現在(いま)のこともめいっぱい楽しみたいんです!」


それは自身が明るい未来をつかみ取ることを一片も疑っていないゆえの言葉だった。それからちょっと残念そうに、苦笑しながら彼女は次の言葉を口にした。



「部活も高校で楽しみだったことのひとつで……料理部があれば1番良かったんですけど」


「そっか……。きみは料理が趣味なの?」


「はい! 6歳の頃からやってますし、もうライフワークみたいなものですね」


「へえ、それはすごいね」


「けっこう腕にも自信があるんですよ? お母さんは『料理なんて男の仕事だ、趣味にするもんじゃない』っていつも言いますけど、なんだかんだわたしのつくる料理を毎回平らげてますしね」



どうやら彼女は親に料理を作ってあげているらしい。男性が家事を担当する現在ではなかなか珍しいことだ。きらきらした顔で語る日暮さんの言葉は、彼女は料理が本当に好きなんだ、ということを確かな熱とともにぼくに伝えてきた。



「よかったら今度センパイにも振る舞いましょうか? あっ、でもセンパイたちは授業でちゃんとした料理人の人に習ってるんだっけ……。でもわたしの腕前が男の人から見てどうなのか、気になりますね」


「機会があればね」


「そうですか、ではぜひ振舞わせていただきます!」



その言葉が終わった直後に、昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。


彼女は鞄を引っ掴んで、嵐のように部屋から去って行こうとする。ぼくも足元の鞄を手に取る。と、彼女がドアの前で足を止めてくるりとこちらを振り返った。



「センパイ、ひとつ訊いていいですか?」


「なに?」


「紫藤センパイは、昼休みはいつもここにいるんですか?」



ぼくは彼女の質問の意図が掴めなかったが、とりあえず正直に答える。



「いつもではないかな。別の場所にいることもあるし、教室のこともある」


「わかりました! 次会うのはきっと『パーティー』ですね! もしわたしのことを気に入ってくれたら、センパイなら口説いてもいいですよ? それではまた!」



それは一切の嘘偽りのない、ありのままの意味なのだろう。彼女はその言葉を残して教室から出ていった。廊下を駆けていく足音がだんだんと小さくなっていく。


ぼくは背もたれに深く寄りかかり、大きく息を吐いた。料理の部分からは適当に相槌を打っていただけだったが、彼女は気がつかなかったようだ。


ぼくにはひとつの確信があった。


たぶん、このままでは彼女の天真爛漫さは煙のように消えてなくなってしまうだろう、ということだ。


『婚約』のせいで。

この高校のせいで。

そして、彼女が『婚約』するであろう男子生徒のせいで。


おそらく彼女は『婚約』自体は難しくない。容姿は悪くないし、愛嬌もある。この1学期だけでもどれかの男子から求められるんじゃないだろうか。


問題はその後だ。


「きっと誰かはわたしを大切にしてくれるはず」と考える「男子」という存在がどんなものなのか、彼女はまだ知らない。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう。


彼女は、日暮夕陽は、それを知ったときどうするのだろうか。


屈服して媚びへつらい、本来の自分を殺すか。

それとも意地を張って後ろ指を指される将来を選ぶか。


いずれにせよ、ぼくには関係がない。彼女と会うことは二度とないかもしれない。料理部はもうないのだし、ぼくはパーティーをはじめとしたイベントに出ることはない。たまたま道が交差しただけの、もう関わることのないふたり。


なのにどうして、もやもやした感情が胸に引っかかるのだろう。


ぼくはもう少しだけそこで考え込んでいたが、授業が始まることを思い出して教室へと向かった。


結局そのもやもやの正体はわからないままだった。





夕陽は廊下を駆けながら、初めての男子との遭遇に思いのほか緊張しなかったことに驚きと嬉しさを半分ずつ感じていた。


実秋との会話の一言一言を思い返していく。



(最初は全然愛想がなかったからびっくりしたけど、もともとそういうタイプだったみたいだし。最後の方は少し笑ってくれたりもしたし、うまくできたよね)



これなら「婚活」も大丈夫だろう――そう思いながら、夕陽は教室への道を急ぐのだった。

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