御原侑理-0
ぼくが通い続けているこの高校には、東校舎の裏手、校門と反対側にちょっとした並木がある。正門前のいま丁度花をつけている桜並木とは違い、こちらは年中単調な緑色だ。博識で聡明なぼくの幼馴染は、あの樹はなんて名前で、この樹はいつ実をつける、なんていろいろ教えてくれるけれど、ぼくの興味はここに人がめったにやってこないことだけに向いている。
そういうわけで、今日もぼくはこの並木の陰に身を隠すようもたれかかり、何をするでもなくぼうっとしている。端的に言えばサボタージュだ。今日は新入生向けのイベントがある日で、(イベントの際はかならずそうなのだが)男子は全員出席ということになっている。
でもぼくは面倒だからサボっている。去年、ぼくが1年生のころはまだ先生たちは怒ったり悲しんだり、あの手この手で引っ張り出そうとしていたのだが、ぼくが頑として態度を変えないためにどうやらついに諦めてくれたらしい。
それでもぼくを放っておかない奇特な人間はいる。おそらくそろそろ現れる時分だろう。イベントの途中退出が許される時間になると彼女はいつもぼくを探しにくる。
誰かがだんだんと近づいてくるのが気配と土を踏みしめる音でわかる。すぐ後ろでその音は止み、女子にしては低めの、聞き慣れた声がした。
「いい加減別の場所に変えてくれないか、実秋。君を探すためにボクはいちいち靴に履き替えなくちゃならないんだ」
「きみがぼくを探さなけりゃいいじゃないか」
「断言してもいいけど、ボクが君を探さなくなったら君の未来は本当に終わりだよ」
ため息のあと、彼女が回り込んできてこちらの正面に現れた。いついかなる時でも飄々とした雰囲気を崩さない、女子にしては高めの背丈と綺麗な長い黒髪が特徴のぼくの幼馴染――御原侑理だ。
「それで、『パーティー』はどうだった? 今度こそきみのお眼鏡にかなう男は居た?」
ぼくはおどけた調子でそう口にしたが、彼女は至って平静を崩さないままだ。おもむろにぼくの横に腰かけ、下を向き、足元の草をいじりながら告げる。
「5人から声をかけられたよ」
「9人中5人か。なかなかじゃないか」
「そうだね。君も行けば何十人という女子から選び放題だろうに」
彼女は良くも悪くもいつも通りに、冷静沈着でドライな態度を保っているように見える。けれど表情や声色には出していないが、明確にこちらをなじる意思を持って言葉を投げかけている。15年の付き合いになるぼくには分かる。
ぼくはそれをあえて無視して続けた。
「もう1年が経ったんだぜ。高校生活の1/3だ。一説によれば、60%の女子は1年生で出会った男と『婚約』するらしい。きみもそろそろ準備が必要なんじゃないか?」
しばらくの沈黙が続いて、ぼくは今日の彼女がいつもとは違うことにようやく気づいた。ふざけた発言を後悔したが、もう後の祭りだ。
「……実秋、君がそれを本気で言っているなら、ボクは怒るよ」
侑理の声は氷河のように冷えきっていて、その言葉のナイフの切っ先はまっすぐにぼくに向けられていた。いつもならぼくがふざけた態度をとっても呆れた様子で話題を変えてくれるのだが、今日の彼女にどうやらその気は無いようだ。
「今日も『パーティー』に出なかったね。このままいくと君がどうなるのか本当に分かってるのかい?」
彼女はまっすぐにぼくの瞳を見つめながら続ける。ぼくはそこから逃げることができない。
「国が決めた相手との強制的な『結婚』。それも百人以上、普通の男より格段に多い人数とだ。僕が男だったら絶対にごめんだね。それが君の望む結末なんだとしたら、君は本物の馬鹿だ」
「……そうだな。ぼくは馬鹿だよ」
ぼくは嘘偽りない気持ちでそう返した。
彼女の言葉は圧倒的に正しい。このままぼくが何もしなければ、法律の義務がぼくをこれまで縁もゆかりもなかった女性たちとの「遺産造り」に生涯しばりつける。そしてぼくはそんなことを当然望んじゃいない。
どうせ同じ結末が待っているならば、こうしてしつらえられた場で出会う相手を選んだ方がマシ。それは確かだ。
けれど、ぼくはその選択肢をどうしても選べない。選びたくない。だからこうして緩やかな自殺に似た行為を繰り返している。
ぼくは彼女の言葉にそれ以上は返さずにいた。いや、返せずにいた、と言う方が正確かもしれない。
「それじゃあ、ボクは部活があるから」
しばらくの沈黙のあと侑理は立ち上がり、普段なら口にする「またね」すら言わずにぼくに背を向けて去っていった。
ぼくはそれからもしばらくそこでただ空をながめていた。
 




