男女比1:1の世界
「ハーレム」と入ってますがひとりひとりのヒロインが出てくるまでに時間がかかりますし、一般的なハーレムものとは趣きが異なるものになると思います。あと、もしかしたら重いストーリーなのかもしれません。これが初めて書く小説で、勝手がよくわかっていないんですが。
数年前、まだぼくが物心ついて間もないころの出来事だ。
小学校からの帰り道にあるさびれた古本屋の店先で、「こちら、すべて100円」の紙を貼られたワゴンにふと目が留まった。そのときのぼくは読書にはとんと縁がない少年だったけれど、ぎっしりと並んだ種々の文庫本を眺めていると、こいつらはこれで売れなければ燃やされてしまうんだろうか、なんて妙な同情を覚えて、その中の煤けた緑色の表紙の小説を手に取った。理由はよく覚えていないけれど、確か詩的なタイトルに惹かれたとか、そんなような理由だったと思う。
家に帰り、ぼくは自分の部屋でその本を開いて読み始めた。後から知ったことだがその本は当時の女性向けのロマンス小説で、いたいけな少年だったぼくにとってはまったくといっていいほどおもしろくなかった。当然だ。
けれどぼくはその物語から目が離せなくなり、しまいには夜中の3時まで起きて一気に読み終えてしまった(これは必ず22時にはベッドに入る当時のぼくからすればたいへんな夜更かしだった)。
なぜか?
その物語には男性が複数人出てきたのだ。そしてなんと、弁護士、商社マン、政治家と、出てくる男のキャラクターがみんな働いている一方で、彼らに恋心を向けられる女性は働いていなかったのだ!
これはぼくの家の中のこともそうだし、ぼくがこれまで小学校で習っていたことと、さらにはニュースなどで見る世界の様相と全く異なっていた。女性は外に出て働き、男性は家庭の中で女性を支え、男子を作るために励む。それが「正しい」あり方なのだということは、ぼくの大好きな先生も言っていたことだった。
それからぼくは同じような数十年前の小説を読みふけるようになっていった。それはぼくと周囲をつなぐ地面にひび割れを作り、少しずつ、ほんとうに少しずつだけど、「当たり前」を共有できない周囲の人間たちとどういう距離をとればいいのか分からなくなっていった。さらにこの数年のことを思い返すと、ぼくの身に災害のように避けがたい出来事がおそいかかってきて、最初は小さなひび割れだったそれはいつのまにか飛び越えることのできないほどの地割れになっていたのだ。
そしてぼくがその周囲とのどうしようもない断絶に気づいたのは中学3年の秋、「進学先希望調査」と称して分厚い女子の名簿を配られたときのことだった。