我流こそ人生
文芸社から本を出している私が成功したい理由を綴りました。
我流こそ人生
錬 集奈
僕は産まれてどれだけの人に迷惑をかけているのだろうか。「作家になりたい」そう言って会社を退職してから半年以上が経つ。自立し、ワンルームのマンションに移り住んでからもう一年以上が経つ。本当は何一つ変われてなどいないのだ。
「本気で作家を目指す。本気で作品と向き合う為、平日はしっかりと編集社で打ち合わせをする為に正社員から降りる」。半分本当で半分嘘だ。僕は会社に裏切られた。就職活動で八十社周って見つけた会社だ。恩はある。だけど今でも僕は「パワーハラスメントにあってリストラされたんだ」そう思っている。入社して直ぐに夏のアルバイトの現場の責任者になったし、大卒は会社内で数えられるだけ、新規事業も立ち上げた。どこか天狗になっていた社会人二年目、ドッペルゲンガーは全てを奪い去った。僕は異動になり、産まれて初めて心から尊敬できる先輩の下で働いていた日は終わりを告げた。親のコネだけで入ってきたそいつは、僕から全てを奪い去った。異動先ではやることが無かった。請求書や入札の担当も研修生だったから、正直僕がいるのも人出が余っていたくらいだが、高齢化が進む社内。僕が後釜のはずだった。全てが思い描くように進む毎日は終わりを告げた。地位も幸福も給料も全てを奪われた……。ああ、僕は何て不幸なのだろうと自らの運命を呪った。右耳はストレスで聞こえなくなり、食欲は全く無くなり塩と水だけで済ませた日もあった。無遅刻無欠席記録を初めてズル休みという形でぶち壊した。もう……限界だった。
世の中を舐めていた。夜勤の派遣の倉庫。過労で倒れて派遣切りにされた。次の派遣会社にも存在しない会社を案内され、就業できずに揉めた挙句辞めた。無職になった。
ようやく新たな扉を開く為に歩き始める決意をした。「人間こんなにどん底の状態でも上手い飯を食った時の感動は忘れられない。忘れぬものを護り、与え続けたいんだ」。そんな大層なことを思えていたかは分からぬが、沖縄料理店で働くことが出来た。しかし飲食店未経験。当然シフトが少ないのは当たり前だった。収入は良くて十三万円。暇な月は十万円前後だった。
当然これでは暮らしていけぬと掛け持ちのアルバイトを始めた。二か月で辞めた。「二か月ごとの契約期間が切れたから」。「飲食店と求められる求人がまるで違うから」。「前の会社と同業他社だが仕事の質が低いから」。「話しが合う人が居ない」。違うだろ?『掛け持ちしながら書く体力も気力もないから』結局自分が弱いからなんだ。だからこの頃の僕は人のせいにしてのうのうと生きていたんだ。結局僕は誰かのせいにするか世の中のせいにするかで強がっていただけなんだ。そういう人間が世の中で一番弱いというのに……。お店の人にも迷惑をかけた。お店のお客さんにも迷惑をかけた。家族にも友達にも迷惑をかけた。そうしてようやく、ようやく自分の弱さを認めてお客さんは悪くない。一緒に働く仲間も悪くない。『感謝』その二文字が込める意味の為に弱い僕なりに歩んできた。今でもまだまだ弱いけど、弱さを認められるようになったことで、アルバイトの時給も上がっていた。日雇いの派遣のアルバイトなのに僕を心から必要としてくれる現場、人を見つけた。
それなのに……僕はどうして身近な人に優しく出来ないんだろう。一番に僕を心配してくれる母に言ってはいけない決して言ってはいけないことを言ってしまい、お皿を散々割って現実から逃げるように実家に帰った僕を人生最高の誕生日で迎えてくれた姉に僕はどうして言えないんだろう。「迷惑かけてごめんなさい。そしてありがとう。愛しています」と……。
長い言いわけになります。照れくさいだけ、良い部分の自分を見せたいだけなのかも知れません。それで人を傷つけて良い言いわけになるはずがないのに、僕はきっと自分の弱さを受け止めて欲しいだけなんだろうに、何て情けないんだろう……。『人に優しくされたかったら人に優しくしなければならない』そんなあたりまえのことに気がつくのに僕は二十四年かかってしまいましたが、今からでも遅くないのなら『ありがとう』そう言わせて下さい。そしてこんな馬鹿な息子で、弟ですが、これからも家族の一員として隣で笑わせて下さい。今は僕を許せないとしても、馬鹿な息子で弟だとしても、いつか僕がお母さんを、お姉ちゃんを、お父さんを愛する資格を下さい。
我流こそ人生。これだけ迷惑をかけても僕はやっぱり作家になりたいと思います。けれど一つ約束をします。刊行が決定的になった処女作が世に出たら、その一カ月後に正社員を目指して就職活動します。年俸三百万を得るにも三万五千部。作家だけで食べて行くのは厳しいこと。一つのボーダーラインといわれている二十五歳になる前に、副業にするにも本業にするにも、どちらの道も選べるように正社員を目指します。これから先苦しいことも悲しいことも沢山待ってるでしょうが、「自らに与えられた仕事は、仕事をくれる全ての人、手伝ってくれる全ての人の為に最後まで全力で尽くす」それを学ぶことが出来た。それだけで前より勇気をもって一歩を踏み出せる。そんな気がするのです。
僕が初めて書いた恋愛以外のノンフィクション小説。この小説が僕が愛する家族と、自分の弱さで悩んでいる人、気持ちを素直に言えない人、今がつまらないと感じる人、そんな風に考える家族がいる全ての人に捧げます。
こんな風に小説の中でしか気持ちを綴ることが出来ないけど、生きる勇気もろくに持てなかった僕が「死んでしまいたい」と言った僕が誰かの笑顔を作る為に文を書き続けられるなら、僕は夢を与える作家になる。そして力強く歩んでいこう。叶うべき夢の先へ。そしていつかこう思われる人になろう「この人が産まれてきて沢山の笑顔が出来た。ありがとう」と……。
完