第十話三部 コネクション
「それじゃ、また何かあったら呼んでね」
「うん、今日はありがとう。
あのままだったら、僕ら今頃警察に捕まってたよ」
夕暮れ時、全面ガラス張りの建物の中からユーリン、ニキータ、アンドレアは出てきた。
ユーリンの手にはバンツェルを購入した際の領収書とその他必要書類があり、大きめの茶封筒に入れられていた。
「ふふ、なんだったら、あたしが保釈金を出してお家で飼ってあげたのに」
「……遠慮しときます」
自分の頬を撫でるアンドレアの手をやんわりと振り払い、あらかじめ手配されていたであろうタクシーに乗り込んだ。
「じゃあね」
「えぇ、また」
ユーリンがタクシーの中からアンドレアとそう言い交わした後、タクシーはゆっくりと発進した。
トリストン地区を抜けてドロテア地区に入り、ヘリ発着所の付近まで来たとき、ニキータは後部座席から身を乗り出して、アンドロイドの運転手に話しかけた。
「目的地変更だ。
ヴァルヴォア地区の二十番地に向かってくれ」
「かしこまりました」
「え? どうして?」
「……まぁ、いいじゃねぇかよ」
そう言ったきり、ニキータは窓の方を向いて黙り込んでしまった。
やがてタクシーがヴァルヴォア地区の二十番地に着くと、ユーリンはクレジットカードで支払いを済ませて、先に降りて道を進むニキータの後を付いて行った。
「ねぇ、どうしたの?」
「……ちょっと借りるぜ」
「あ、ちょっと!」
ニキータは近くの薄汚れた現金自動預け払い機の前まで行くと、ユーリンから半ばぶんどる形でクレジットカードを手に入れ、画面の『引き出し』の項目を押して挿入口に入れた。
画面に数字を入力すると、しばらく機械音がして現金が引き出された。
「……それ、どうする気?」
「ま、ちょっとした事にな」
不満げなユーリンにクレジットカードを返すと、ニキータは再び歩き出した。
チラッとしか見えなかったが、ニキータの手には札束が握られており、その額は六百万アルクほどのように思えた。
それについても驚きを驚きを隠せなかったが、このようなスラム街で現金自動預け払い機が稼働していることに、ユーリンは驚愕した。
普通はこれほど荒廃したスラム街なら預け払い機など簡単に破壊され、中から現金を抜き取られる。
ニキータはそんなユーリンの思いも知らずに、そのまま自分の家の前を通り過ぎ、丘を下りてスラムのさらに奥へと向かっていった。
頭上に電線が違法に張り巡らされた路地を進み、ニキータはその路地の突き当りにある木造の建物に入っていった。
ユーリンもそれに続いて建物の中に入ったが、そこは酒場であった。
しかし、レイカが店主を努めていた『ジェーン・ドゥ』とは違って店には活気がなく、床には酔いつぶれた人間や何かのシミ、カウンターにも酔いつぶれた人間と酒類が放置されていた。
ニキータはバーカウンターの中にいたその酒場の店主らしい禿げ頭の男性に、いつの間にやったのか、ゴムで丸く束ねて小分けにした札束を渡した。
その後もニキータは酔いつぶれた人間の中から数人に小分けした札束を渡した。
驚くことに、それらの酔いつぶれた人間達はニキータが置いていった札束を見ずに懐に入れると、ヒラヒラと手だけを振ってまた動かなくなってしまった。
「よし、行こうぜ」
「う、うん」
なんだか、いつもよりなんとなくかっこいいニキータを見て、ユーリンはときめいてしまった。
その後もニキータは近くの自動現金預け払い機で金を下ろしては同じような酒場、あるいは道端に座り込んでいる人々に金を渡していった。
やがてヴァルヴォア地区の大半を歩き回った後、ニキータは自身の家まで行った。
ニキータはどこからか拾ってきたであろう冷蔵庫から缶ビールを二本取り出して、一本をユーリンに投げ渡した。
「結局、何をしてたの?」
しばらくビールを飲むと、ユーリンはニキータに質問した。
「ん? あぁ、あれか?
この前、アタイにコネがあるって話はしたよな?
あいつらはその内の一つさ。
アタイが金を渡して、あいつらはこの地区や他の地区の色々な情報をアタイに報告してくる。
さ、もう行こうぜ?
他にも寄らなきゃいけねぇ所もあるしな」
そう言ってニキータは缶ビールの残りを飲み干し、家を後にした。
ユーリンも急いでビールを飲み干すと、再びニキータの後に付いて行った。
「……家にある物は持って行かなくていいの?」
炭酸によるのどの痛みに耐えながら、ユーリンはニキータに問いかけた。
「まぁ、アパートまで送ってもらうさ。
もちろん、代金はその魔法のカード払いでな」
ニキータはユーリンのズボンのポケットを見て、ニヤリと笑いながら言い放った。
二人は再びドロテア地区まで行き、別の銀行でニキータがクレジットカードを使って銀行の受付から一つの札束を受け取ると、彼女は近くの公衆電話へ向かった。
「ここで待ってな」
そう言って、ニキータは公衆電話の番号を押して、誰かと話し始めた。
数分して電話を切ると、ニキータはユーリンを連れて近くの路地裏まで行った。
「ねぇ、ここでなにするの?」
「ま、ちょっと待っててくれ。
もうすぐ来るだろうからさ」
ニキータがそう言って十分ほど経った頃、路地裏に一人の男性がやってきた。
「よう、旦那。久しぶり」
「……あぁ、しばらくだな」
返事をした男性はヨレヨレの白のワイシャツに黒のスラックスという風貌で、くしゃくしゃのタバコをふかしていた。
「コイツで、また頼むよ」
そう言って、ニキータは銀行から下ろしてきた百万アルクの札束が入った茶封筒を男性に渡した。
男性はその茶封筒の中身を確認すると、二やついた笑みを浮かべた。
「確かに。じゃあな、ニキータ」
「あぁ、またな」
男性はそう言って路地から出て行ってしまった。
ニキータもしばらくその場にとどまった後、ユーリンと共に路地裏を出て、また別の銀行へ向かった。
「あの人もコネ?」
銀行の窓口まで来て行員に手続きをしてもらっている間、ユーリンはニキータに話しかけた。
「あぁ、あいつは警察官でな……
もっとも、普通のポリじゃない。
いわゆる汚職警官さ。
麻薬組織を検挙する傍ら、そいつらの金を横流しするような奴さ」
ニキータは吐き捨てるように言った。
やがて二人は銀行の奥にある応接室へと通されて、しばらく待たされることになった。
「でも、その割にはあの人の身なりはひどかったよね?」
再びユーリンがニキータに質問する。
「あいつはもう棺桶に片足突っ込んでる。
麻薬と酒でボロボロなのさ。
さっさと次のコネを見つけないとね」
ニキータのその言葉を聞いて、ユーリンは恐ろしくなった。
「なんか……ニキータ姉ちゃんの過ごしてきた世界って、すごいんだね」
ユーリンが歩んできた人生も壮絶なものだが、自分とはまったく違う世界を歩んできた者に、ユーリンは心の底から畏怖した。
「へへ、そうか?
アタイからしてみれば、お前の住んでいる世界もかなりのもんだぞ?」
「いや、僕は小さい頃からこんな感じだから……」
「へへ、アタイもさ」
その後は他愛もない世間話をしていると、応接室の扉が開いて二人の行員が大きな四つのアタッシュケースを持ってきた。
「お待たせいたしました。
こちらが四億アルクになります」
「あぁ、それじゃあな」
目を見開いて驚いているユーリンをしり目に、ニキータは二つのアタッシュケースを持って出て行ってしまった。
ユーリンも急いで残り二つのアタッシュケースを持ってニキータの後を追う。
やがて銀行の入り口まで来ると、銀行の前に黒のリムジンが止まっていた。
おそらく銀行側が手配したのだろう。
ユーリン達はリムジンに入り、ニキータはアタッシュケースを置いて車内電話でどこかに連絡した。
「お、アタイだ。先生いるかい?」
電話口から何事か言われた後、ニキータは電話を切った。
「またコネの所に行くの?」
「ああ。
だが今回のコネは飛びっきり大物だぜ?」
ニキータは悪い笑みを浮かべてシャンパンをグラスに注がず、ボトルに入ったままラッパ飲みした。
しばらくすると、リムジンは静かに停止した。
「ここはっ!?」
アタッシュケースを持ってリムジンから降りたユーリンは驚いた。
そこはギルト共和国議会の議員宿舎だった。
ニキータは気にせずにアタッシュケースを持って宿舎の中に入っていった。
ニキータ達は宿舎の中を進み、エレベーターで六階へ向かった。
二人は高級そうなカーペットが敷かれた廊下を進み、ニキータがある部屋の前で止まると、その扉を拳で強く叩いた。
どうやらノックのつもりらしい。
数秒ほどで、中から眼鏡をかけた青白い肌の男が出てきた。
「ニキータさんですね?
先生がお待ちです」
「どうも」
そう言って、ニキータとユーリンは部屋に入った。
部屋の中には数人のスタッフがいたが、誰一人としてユーリン達の事を気にする者はいなかった。
というよりも、なるべく目を合わせないようにしているような気がユーリンにはしていた。
やがて部屋の奥まで行き、木製の二つ扉を開けて中に入ると、意外な人物がいた。
「よう、先生。元気でなによりだな」
「フン、見え透いた世辞はいい。
金は持ってきたか?」
「ああ、ここにな」
そう言って、ニキータはアタッシュケースをその人物の座っているデスクの横に置いた。
続いてユーリンもアタッシュケースを傍に置くと、その人物はハッとした顔でユーリンを見た。
「お、お前は!?」
「久しぶり、おっさん」
そう、その人物はユーリンがかつてラルドに救出を依頼された内務大臣であった。
相変わらず脂ぎった偏屈そうな顔に、でっぷりと太った体型をしている。
「なんだ、知り合いか?」
「うん、ちょっとね」
「フン! 今日は気分が悪い!
さっさと帰れ!」
内務大臣の顔はたちまち赤くなり、大声でまくしたてた。
部屋の中が緊張に包まれる。
「わかったよ、とにかく頼むぜ?」
「ああ! わかった、わかった!」
そう言って、ニキータは部屋を出て行った。
ユーリンはちっとも目を合わせようとしない内務大臣をジトッとした目つきで睨みながら部屋を出て行った。
その後、二人はヘリ発着所まで行き、自前のヘリでアパートまで戻った。
アパートのヘリポートにヘリを降ろす頃には空はすっかり暗くなっており、遠くの方でミルタの町の明かりが煌々と輝いていた。
二人がアパートのユーリンの部屋に行くと、そこには誰もいなかった。
「なんだよ、誰もいねぇのかよ。
じゃ、アタイも自分の部屋に帰るぜ、またな」
「うん、お休み」
ニキータが部屋から出ていくと、ユーリンは荷物を降ろしてソファに腰掛けたのだが、ソファに座った瞬間、ユーリンの尻の方からパキッと乾いた音がした。
「ん?」
ユーリンが尻のポケットをまさぐると、クレジットカードの破片が出てきた。
「ん~?」
ユーリンは破片をマジマジと見つめた後、カトレアの部屋へ行き、事の顛末を―
「なんだ、ただのゴミか」
え?
「まったく、どこで紛れ込んだのやら」
……ユーリンは、部屋のトイレにクレジットカードの破片を入れて流しちゃってるけど、果たしてこれで良いのかはユーリンの良心にのみわかることであり―
「え? 何のこと?
ゴミをトイレに流しただけだよ?」
……
「あ、そうだ!
カトレアにアパートの改築のこと聞いてこなくちゃ!
『そう言って、ユーリンは部屋を出てカトレアの元へ向かった』」
……覚えておくがいい
「カトレア、いる~?」
「はい、なんでしょうか?」
カトレアの部屋の前でノックをするユーリンの前に現れたのは、いつものスーツ姿ではなく熊のマスコットキャラクターが描かれたピンク色のパジャマ姿のカトレアだった。
ユーリンが普段のカトレアとのギャップに呆然自失としていると、
「とりあえず、ここではなんですから、どうぞお入りください」
そう言って、カトレアはユーリンを室内へ招いた。
「あ、うん。お邪魔します」
ユーリンが部屋の中に入ると、カトレアはユーリンの右隣に付いて回った。
「実は、アパートとかの改築の事で聞きたいことがあるんだけど……」
「その件でしたら問題ありません。
明日には業者が到着し、作業を開始するそうです」
「あ、そう! ならいいんだ!」
「……はぁ?」
そう言って、ユーリンは笑いながらカトレアの部屋を出て行った。
ユーリンが部屋を去った後、カトレアはなぜユーリンが自分の部屋に来たのか、なぜ早々に部屋を出て行ってしまったのか、その理由を延々と考えることになった。




