第一話三部 お金を稼ぐのは命がけ
小鳥がさえずるほどに日が昇った早朝、ギルト共和国の首都から北の方角にあるガルムの拠点、そこから南に五キロ離れた森の中で、ユーリンはひたすらその時を待っていた。
アパートを出てこの森まで自前のランドポーターでクリーガーを運ぶこと四時間。
この森に着いてからはコクピットの中で何度か仮眠したが、クリーガーがランドポーターに仰向けで寝かせられているため、どうも居心地が悪い。
そのため、ユーリンの疲労は作戦前にも関わらず限界ギリギリだった。
「……眠い……」
声と認識することがやっと出来るほどの声量で、ユーリンはつぶやいた。
今の彼は旧世代のパイロットスーツに身を包み、大気圏内での活動を前提とした、戦車兵ヘルメットを参考に作られたヘルメットを被っていた。
ユーリンが再び仮眠しようとすると、ヘルメットのスピーカーから女性の声が聞こえた。
「社長、時間です」
それはカトレアの声だった。
彼女はユーリンと違い、高度六百メートルの輸送機の貨物室の中におり、彼女の搭乗するイェーガーは輸送機の左側搬入口から各所をスリングとロープで固定した前傾姿勢で、片膝をついたまま荷電重粒子狙撃銃を構えていた。
「今すっごく眠くて―」
「時間です!」
ユーリンの人権は消え失せた。
ユーリンは溜息をしながら中央の液晶パネルにある起動ボタンを押した。
動力部が稼働し、薄暗いコクピットの中に頭部のカメラが捉えた風景が広がる。
そして、クリーガーがランドポーターから立ち上がって直立状態となった。
「クリーガー起動完了。各部の調子は良好」
「了解しました。それでは歩兵部隊と戦車部隊を突撃させます」
「聞きたいんだけど、僕らの歩兵を僕が潰しちゃったりしたらどうするの?」
仮にも国家のキューブを介して手に入れたアンドロイド歩兵のため、ユーリン達がその歩兵を破壊すると、依頼主の心証を悪くする。
「問題ありません、社長が到着する前に撤退させます」
秘書の有能さに少しだけ不満の表情を浮かべるユーリンは、操縦桿を握る手に力を込めた。
その状態のまま、しばしの沈黙が流れた。
「社長、ご報告します」
「もういい?」
ここまでかなりの時間を過ごしたユーリンは、ちゃっちゃと依頼を完遂させたかった。
おまけにアンドロイド歩兵達に対する突撃命令をカトレアが発令してから、すでに二十分が過ぎていた。
「榴弾砲による砲撃は成功しました。
ですが、直後にガルムのバンツェルが出動したため、歩兵部隊は全滅しました。
戦車部隊がガルムの歩兵や装甲車両を撃破したようですが、そちらもただいま全滅しました」
「……え?」
あまりにも絶望的な状況に、思わずユーリンの反応は数秒、遅れてしまった。
「全滅―」
「それはいいんだよ! え、なに、僕一人であいつらの相手するの!? ムリムリ、死んじゃうから! ねぇ、どうする!? ど―」
「社長」
「へ?」
発狂寸前まで追い込まれたユーリンを、カトレアは肩書き一つで現世に引き戻した。
「頑張って下さい」
しかし、決して彼女は優しいワケではない。
ユーリンは瞳を潤ませて何も言わず、右の操縦桿を勢いよく前方に突き出した。
「……あれ?」
ユーリンの考えでは、その操作で機体後部に設けられたブースターで前方へ高速で移動するはずだった。
しかし、クリーガーは右手を上げただけで、その場を動くことはなかった。
「申し訳ありません。
言い忘れていましたが、コンピューターの不調で今回はマニュアル操作のみとなります」
「……調整は万全じゃなかったの?」
「……なんのことでしょう?」
ユーリンの目は完全に活力を失っていたが、一千万アルクへの執念が彼を動かした。
ユーリンは、足元の内側に設けられたフットペダルを巧みに操ってクリーガーの向きを変え、右側のタッチパネルで兵装覧の百ミリ突撃小銃を選択し、左側のタッチパネルでプラズマ焼尽式パラングを選択した。
クリーガーはその操作を受けて、突撃小銃の安全装置を外し、左の背中に設置されていた装備ラックからパラングを取り出した。
そして、左右の外側のフットペダルを限界近くまで踏み込んだ。
後部のブースターが轟音を立てて噴射し、草木を薙ぎ払いながらクリーガーを前方へ突進させた。
「ぐぅあ!」
「言い忘れていましたが、減重力システムも故障しております。
パイロットスーツの減重力機能のみが頼りのいささかキツイ戦闘になると思われます」
「た、助け―」
「ですが、それは社長のこと。なんの問題もなく依頼を完遂すると私は信じております」
「がっ……う……」
そのまま意識を失ったパイロットを乗せたまま、クリーガーはガルムの本拠地である建物に突っ込んだ。
土煙と鉄筋を辺りにまき散らしながら建物を半壊させたクリーガーは、うつ伏せのまま停止した。
ガルムの使用するバンツェルの第一世代機ファイントのパイロット達が唖然とするなか、ユーリンは目を覚ました。
「社長? 大丈夫ですか?」
「……うん……ある程度は」
朦朧とする意識の中、ユーリンがクリーガーを立たせると、それまで事態を見守っていたファイント六機が一斉に襲いかかってきた。
しかし、後ろの二機は眼前に激しく輝く赤い光が現れた瞬間、頭部や胴部を融解させながら爆発炎上してしまった。カトレアの援護射撃である。
「敵のバンツェルは残り四機です、社長」
「わかった!」
ユーリンは右手の操縦桿を真ん中まで動かして人差し指のスイッチを押した。
クリーガーの右手が前を向き、百ミリ突撃小銃の引き金を引く。
突撃小銃と言っても弾丸は徹甲弾であり、前方の二機は瞬く間に穴だらけになった。
突撃小銃の弾丸を撃ち尽くすと、ユーリンは四つのフットペダルをゲームセンターのダンスゲームをするかのように高速かつ巧みに動かし、右側の一機に向かって突進し、刀身の片方から高熱の青い炎を噴き出すプラズマパラングで切り倒した。
左側の1機はその光景を見て頭に血が昇ったのか、クリーガーに向かってビームサーベルを構えながら一直線に突進してきた。
ユーリンは、右手の操縦桿を後ろから前に突き出しながら、右側のタッチパネルの兵装解除ボタンを押した。
クリーガーの右手から勢いよく百ミリ突撃小銃が放り出され、ファイントに激突した。
体勢を崩したファイントに向かって、ユーリンは外側のフットペダルを全力で踏み込み、プラズマパラングを薙ぎ払った。
ファイントの胴体にプラズマパラングが食い込み、激しい火花を散らせて機体を両断した。
「ふぅ、これで終わり?」
崩れ落ちるファイントを見下ろしながら、ユーリンは汗まみれで問いかけた。
「いえ、まだです。ギヨタンのバンツェルが見当たりません」
カトレアがそう言った瞬間、ユーリンの後ろにある倉庫の入り口が崩壊し、中から悪趣味な極彩色のファイントがクリーガーに向かって突進してきた。
「待ってたぜぇ!」
「出たな、クソ野郎!」
「うるせぇ! 俺は泣く子も黙るギヨタン様よぅ!」
この悪趣味なファイントを操っているパイロットこそ、ガルムのリーダー、ギヨタンである。
ギヨタンのファイントはそのままクリーガーを押し倒し、突起の付いた両手で殴り掛かる。
「ひゃははは! どうだ、ユーリン!? 俺様特製カスタムのファイントの性能は!?
『当たらなければどうということはない』?
それは機体を赤一色に染めてスラスターの推力を三倍にした奴のセリフだなぁ!?
ていうか、お前今ボコボコにされてるけどねー! ひゃははは!」
「くっ! カッチャン、お願い!」
コクピット周辺の風景を映し出すモニターが破損し破片が襲い掛かるなか、ユーリンは必死に援護を要請した。
すでにクリーガーの頭部は粉々に粉砕され、コクピット部分も潰されようとしていた。
「了解です」
ユーリンのヘルメットのスピーカーからその声が聞こえて数秒後、空から赤い光が降り注いできた。
閃光はファイントの左腕に命中し、腕部を融解、蒸発させていく。
突然起こった事態に、ギヨタンは慌ててファイントをクリーガーの上から退避させた。
「な、なんだ!? どこから撃たれた!?」
ユーリンはクリーガーを起き上がらせると、中央のタッチパネルを操作してコクピットハッチを開け、目視でファイントに殴り掛かった。
しかし、なぜかクリーガーの右肩から先が溶けて無くなっていた。
クリーガーの右手があるはずの部分はファイントのコクピットにゴツン、と音を立てるだけだった。
「……ん?」
「申し訳ありません、先程の狙撃でクリーガーの右腕も欠損したようで」
「ちょっとー!? 確かに『あれ? 右腕なくね?』とは思ったけど、そこは物語の進行的に僕がギヨタンを格好よくぶん殴るところでしょ!?」
「知りませんよ、そんなこと」
「え、なに、逆ギレですか!?
あなたはいいよね、お空の上からバキュンバキュン撃ってるだけだもんね!?
僕なんかさっきからギリギリの戦闘ばっかで胃の調子が―」
「黙れぇ!」
ユーリン君とカトレアさんのやりとりを見ていたギヨタン君がとうとうキレました。
「こちとらてめぇに子分共殺されてブチ切れてんだよ! さっさと成仏しろやぁ!」
ファイントがクリーガーに向かって再び突進した時、空からまた赤い光が降り注いだ。
「ぐぉ!」
「させません」
カトレアの援護射撃のおかげで、背中のバックパックとスラスター、右足を破壊されたファイントは大きく体勢を崩して地面に倒れた。
そのスキに、クリーガーはプラズマパラングを左手で拾い、ファイントに向かって振り下ろした。
「バ、バカな、俺様が―」
「ギヨタン、最後に教えてやる。クリーガーの推力は普通だが、お前への恨みは通常の三倍だ!」
「ふ、ふざけ―」
ファイントのコクピットに大上段から振り下ろされたパラングが直撃し、火花を激しく散らせながら完全に融解させてしまった。
黒煙を上げながら機能を停止させたファイントを、ユーリンは真正面からしっかりと見届けた。
「ファイントの動力部停止を確認。敵残存勢力いません」
「了解、これより帰投する」
「社長、これから他の拠点も制圧しますか?」
そう、ガルムとの戦いがこれで終わったわけではない。
これからギルト共和国内に存在するガルムの拠点を次々に制圧していかなければならない。
「うん、だけど今は戦力の補充をしてからだね」
「了解しました」
機体の中心が熱で赤く染まる極彩色のファイントを背に、ユーリンの搭乗するクリーガーはランドポーターの元へ、気絶しない程度に加速して戻っていった。
※
アパートの二階にある部屋のパイプイスに座るユーリンに、カトレアは熱湯風呂と同じぐらいの温度のコーヒーを差し出した。
「どうぞ」
「あぁ、ありがとう」
ユーリンはカトレアからコーヒーを受け取り、チャールズ・ブロンソンばりの渋さでコーヒーを啜った。
「ぶらぁっ!? あ、熱い! なにこれ?」
「アツアツのコーヒーですが?」
「ヒヤヒヤのコーヒーを持ってきてって言ったでしょ!?」
キッチンの方へ駆け寄り、水道の蛇口に口をつけて水を飲むユーリンに向かって、カトレアは何事も無かったかのように報告した。
「さっき確認しましたが、ギルト共和国から一千万アルクの支払いを確認しました。
ラルド首相も社長に『ありがとうございました』と言っておりました」
「あっそ」
本拠地を破壊した後、二人はギルト共和国内のすべてのガルム構成員が点在する拠点に強襲をかけ、そのことごとくを破壊していった。
リーダーを失い、武装警官達との協力もあって、壊滅にはさほど時間がかからなかった。
キッチンから戻り、再びパイプイスに座ってコポコポと沸騰するアツアツのコーヒーを見ながら、ユーリンはそっと目を閉じた。
すでに外は暗闇に包まれており、パイプイスの置いてある部屋の窓からは月明かりが差し込んでいる。
「社長」
「うん?」
カトレアに呼ばれてジークは窓際の傍にいるカトレアを見た。
「我々の保有していた兵器が全滅させられた件ですが……ギヨタンは何の関係もないかもしれません」
「え? どういうこと?」
ユーリンは、当然であるが、驚愕の表情を浮かべていた。
「あれから私は、ギヨタンが我々に指示した時の内容をあらゆる観点から調査しました。
すると、あの時のギヨタンの声は加工された別人の声である可能性が出てきました。
間違いありません」
「それじゃ、誰の声だったの?」
「……申し訳ありません、現時点では不明です」
珍しく、シュンとした態度を見せるカトレアに、ユーリンは明るく応える。
「ま、しょうがないよ! ギルトからの依頼で当分の生活費も入ったしね!」
「……そう言ってくださると助かります」
そのまましばし沈黙が流れた後、不意にカトレアが口を開いた。
「お疲れ様です、社長」
疲れているのか、光の加減のせいか、普段は無表情のカトレアが笑いながらそう言った。
「……うん!」
これで当分は餓死せずに済む。
そんな二人を労うかのように、月明かりが煌々と輝いていた。
カトレアとユーリンはどのように出会ったのか?
そこが気になる所でもあります。