第六話二部 恐怖に駆られた戦い
ユーリンが銃を構えながらプラントに入ると、かつて軍人達が使っていたであろう宿舎が、すぐ左側に見えた。
宿舎は二階建てで、所々灰色の塗料が剥げ落ち、ひどい箇所は錆び付いた鉄筋が丸見えになっている。
右側の少し先に見える、戦闘艦艇が停泊するために作られたであろうドッグの横に設けられたコンクリート製の桟橋には、一隻の漁船が止まっていた。
(……ふ~ん)
ユーリンはその漁船に違和感を覚えた。
連絡が取れなくなったとはいえ、これほどの施設を運営維持していくには、ある程度人員も必要であろうことは想像できる。
しかし、見たところ他のドッグや桟橋にはその人員を運んできたであろう船の姿がなく、桟橋に停泊しているたった一隻の漁船も、あまり大きなサイズではなかった。
レイカから『連絡が取れなくなった』と聞いて、ユーリンが真っ先に思い浮かんだのは施設に人間がいなくなった可能性だ。
それならば、いくら連絡しようにも返信出来ないわけだから、連絡が取れなくなったと思われても仕方ない。
しかもここまで来るだけで、施設の人間がいなくなった可能性の高さを、ユーリンはまざまざと見せつけられた。
理由は分からないが、少なくともこの施設の守衛所で殺人が起きるほどの複数人による銃撃戦が起き、謎の武装勢力が無理やりこの海上プラントに押し入ったわけだ。
その武装勢力が、連絡役を含むこの施設の人間を皆殺しにしたとすれば、しばらく連絡が取れなくなった理由も納得がいく。
しかし、その武装勢力が乗ってきたのはあの漁船だろうか?
いや違う。漁船を使うならば、わざわざ守衛所であのような騒ぎを起こす必要はない。
ならば、あの漁船は誰の物で、なぜあそこでポツンと漂っているのだろうか?
そして、この施設を襲撃したであろう武装勢力は、今もこの海上プラントにいるのだろうか?
守衛所がひどく荒らされていた様子から、おそらく彼ら或いは彼女らはヘリでここに来たのだろう。
ならば、もうすでに撤収しているだろうか?
否、油断は禁物である。
そもそも、ユーリンにはその武装勢力の目的さえも分からないのだから……
それらの状況を踏まえ、ユーリンはその漁船を隅々まで調べたかったが、今はこの施設の人間に接触することを優先するために漁船の捜索を後回しにし、錆び付いた鉄板の道路を進んで宿舎の中に入った。
中は薄暗かったが広い空間になっており、空になったペットボトルやビールケース、イスなどが散乱していた。
しかし、さすがに人が出入りするためか、外よりかは綺麗に掃除されている様子だった。
一階は大衆居酒屋のような食堂になっているらしく、食堂の入り口から見て左側には、様々な酒が置かれたバーカウンターがあり、大人二人が余裕で通れる一本の通路を挟んだ右側には、複数人が座れる座敷が設けられていた。
ユーリンは割られた酒瓶が散乱するカウンターの中や、その裏の食糧庫の中に人がいないかを確認し、慎重に警戒しながら食堂の奥にある二階へと続く階段を上がった。
ギシギシと嫌な音を立てる木製の階段を上がると、複数の扉がある薄暗い廊下に出た。
ユーリンは左側にある一番近くの扉を慎重に開けながら中の様子を伺い、安全だと確信した後に一気に部屋の中へ突入した。
部屋の中は全体的に木製の壁と床で作られ、二つの簡素なベッドが窓際にあり、それ以外には服を入れるタンスや木製の机とイスだけだった。
どうやら二階は簡易的な宿泊施設になっているらしく、あくまで半日長くても一日だけ休む目的で使うような部屋だった。
ユーリンが安心したその時、ユーリンのいる部屋から四つほど離れた部屋から、大きな家具を倒すような物音がした。
「ひっ!」
ユーリンは思わず飛び上がってしまい、部屋の扉から体を半身だけ出して銃を構えた。
迂闊だった、とユーリンは思った。
この宿舎に入ってから人の気配を感じなかったため、武装勢力の存在をすっかり忘れていた。
もしその人間が複数で音のした部屋にいるとなると、向こうはおそらく完全装備、こちらは拳銃とナイフが一本……非常にマズい状況である。
ユーリンはしばらく銃を構えていたが、一向に部屋の方から変化が無いため、意を決して音のした部屋に突入することにした。
廊下を壁際にゆっくりと進み、扉の前まで来ると、ユーリンは銃を握る手に力を込めて扉に体当たりした。
激しく音を立てて壊れる木製の扉を踏みしめ、ユーリンは部屋の中に突入した。
その時、ユーリンは自身の左側に殺気を感じた。
「っ!」
耳元で風切り音が聞こえる中、間一髪で床に転げて攻撃を避ける。
ユーリンは窓際で素早く膝立ちになって銃を構えた。
「動くなっ!!」
普段のおっとりとした口調とは違い、強烈な大声で襲撃者を威嚇した。
襲撃者はユーリンの姿を見ると、ビクッと体を震わせて立ち尽くしてしまった。
しかし、それはユーリンも同じだった。
「……社長さんかい?」
「ゲンザン!? どうしてあんたがここに?」
ユーリンは銃を腰にしまってゲンザンに近づいた。
よく見ると、ゲンザンには所々切り傷や擦り傷があり、顔はひどくやつれていて、目は血走っていた。
その浅黒いたくましい両腕の先には旧式のショットガンが握られており、その銃口は今もユーリンに向けられている。
しかし、ゲンザンは安心しきったのか、ショットガンを持つ両腕をダラリと下げて、床にその巨体をドスッと倒した。
「大丈夫?」
「見りゃあわかるだろ?」
近づくユーリンに対して、自嘲ぎみに微笑むと、目の前にいる民間軍事会社の経営者に向かって質問した。
「なぁ、あんたどうやってここに来た? もし帰れるんだったら連れてって欲しいんだが……」
「いいよ。でも、外の停泊所に漁船が無かった? アレで帰れないの?」
「あぁ、アレか。アレは俺の船なんだが、朝に確認するのを忘れちまって今は燃料が無いんだ。
仕方ねぇからこのプラントに立ち寄って燃料を入れようとしたんだが、給油タンクから油が全部漏れてやがった……
それで、無線で他の奴らに助けてもらおうとして管制塔に行ったら、肝心の無線機から何まで全部壊されてやがった!
しかもこの宿舎に戻る途中に頭のイカれた奴に追い回されてこのザマだ!」
話していくうちに、ゲンザンの顔には恐怖と怒りが入り混じったような表情が浮かんだ。
しばらく時間を置くと、ユーリンはもう少し情報を得ようと質問した。
「その……この施設にいる人達はどこにいるの?」
「……わかんねぇよ……いつもなら何人か顔見知りの奴らがいるんだが……
今日、このプラントで会ったのはあんたが初めてだ」
今にも消え入りそうな声で、ゲンザンは言葉を絞り出した。
「そう……もう一つ聞いていい? ここで働いている人達の船はどこにあるの?」
「あぁ、そんなもんはここには置いてねぇよ。
月に一度、連絡船が来て従業員を交代したり食い物なんかを運んでくるんだ」
ユーリンはゲンザンの答えに納得した。
それならば、あの桟橋に一隻しか漁船がないのも頷ける。
「ひょっとして、あんた、漁の帰り?」
「あぁ、まぁな。勘のいい奴ならすぐにここに来てくれると思うんだが……奴もいるし……」
「さっき言っていた『頭のイカれた奴』?」
「そうだ。奴は普通じゃねぇ。仮に迎えに来てくれたとしても、そん時に奴と鉢合わせしたらやべぇ」
ユーリンはゲンザンの瞳に恐怖が宿るのを見逃さなかった。
これほどの男に恐怖を植え付けるとは、よほどの人物なのだろう。
ユーリンはこの施設を襲撃したであろう武装勢力の情報も聞き出そうとしたが、喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
ゲンザンは先程、『今日プラントで出会ったのはあんたが初めてだ』と言っていた。
ならば、ゲンザンはその武装勢力には会っていないだろう。
この施設で起きた事や従業員がいなくなった事など、調べたいことは山ほどあったが、ユーリンは今はゲンザンを無事にミルタまで送り届けることを優先した。
「そう……わかった。脱出なんだけど、今はカトレアが応援を呼んでくれているだろうから、しばらくかかるけどいいよね?」
「あぁ、ありがてぇ!……すまん、あんたには借りを作りっぱなしだなぁ……」
ゲンザンが元の声色に戻るのを確認すると、ユーリンは安堵した。
二人はその後食堂の食糧庫に入り、食糧を漁った。
一応、人の出入りがあるためか、肉や魚などの生鮮食品や備蓄用の缶詰やパンが大量に手に入った。
二人はその物資を持ってゲンザンのいた部屋に戻った。
ちょうどベッドが二つあったのが救いだった。こんなおっさんとベッドを一つにしたくない。
ゲンザンはベッドに突っ伏すと、力のない声で言った。
「なぁ……俺、漁の後にこんなことになって疲れてんだ。しばらく寝かしちゃくれねぇか?」
「うん、いいよ」
その言葉を聞いて、ゲンザンはベッドに仰向けになってタオルケットですっぽりと巨体を覆うと、眠りについてしまった。
ユーリンはゲンザンの寝ているベッドと向い合せになっているベッドに腰掛けた。
しばらくぼーっとしていると外は日が沈んで暗くなってしまったが、一向にカトレアが来る気配がしない。
おそらく、応援の件で手間取っているのだろう。
今回の報酬は、いわば消耗費込みで一人十万アルクだ。
その報酬のためにアンドロイド歩兵や攻撃ヘリをレンタルするなど、現在のジークフリート社の経営状態を悪化させる要因にしかならない。
そう考えると、カトレアに応援を要請したのは失敗だったと、ユーリンは後悔した。
ユーリンが不安な気持ちになっていると、部屋に設置されているガラスが割れた大きな引き戸窓の外から、金属を引きずるような鈍い音が聞こえた。
一体何事かとユーリンが窓から外を見ると、向こう側に倉庫がある鉄板の敷かれた道路を、ゆっくりと歩く巨大な人影が見えた。
電灯はあるがまったく明かりが点く気配がないこの場所で、その人影の顔は確認できなかったが、その人影の手には何か巨大な物が握られており、金属を引きずる音はそれを道路に引きずりながら歩くために鳴っているようだった。
ユーリンは窓から顔を離すと、未だにグッスリと眠っているゲンザンを揺り起した。
「んぁ? なんだ、迎えが来たのか?」
「静かに。ちょっと来て」
ユーリンはゲンザンを窓の傍に連れて行き、その様子を確認させた。
「あいつに見覚えない?」
ユーリンの横で大きな体を丸めて外の様子を見たゲンザンは、人影を見た瞬間に目をカッと見開いて断言した。
「や、奴だ、間違いねぇ!」
ゲンザンの顔に再び怒りと恐怖が入り混じった表情が浮かんだ。
ユーリンがゲンザンを落ち着かせようとすると、不意に後ろから肩を叩かれた。
「っ!」
驚きのあまりにユーリンが銃を構えると、目の前に黒いロングコートの人影がいた。
ユーリンが本能的に銃の引き金を引こうとすると、人影は大きく揺らめいてユーリンの首を掴むと、その体を窓を叩き割って外に放り投げた。
「ぐあっ!」
無数のガラスの破片と共に鉄の道路に叩きつけられたユーリンの視界は衝撃でかすみ、息が詰まる。
薄れゆく意識の中で、ユーリンは外を歩いていた人影が自分の方へゆっくりと近づいてくるのが見えた。
ひょっとして助けてくれるのか、とも思ったがそれは違った。
ユーリンは確かに見た。
その人影が右手に持っていた巨大な金属は、大型のチェーンソーであった。
徐々に夜目がきいて暗闇に慣れてくると、巨大な人影の全身像が露わになった。
その人影は男だった。
男の顔はひどく焼け爛れており、裸の上に直接、食肉解体業者が着るような茶色の革エプロンを付けていた。
そのエプロンには所々血飛沫の跡が付いており、口からは獣のような唸り声が聞こえる。
ユーリンは本能的に体を起こし、銃を構えて男に全弾発射した。
薬莢が床に金属音の嵐を巻き起こし、硝煙がユーリンの体を包み込む。
しかし、男は胴体に銃弾が当たっても意に介さずにユーリンにゆっくりと近づいてきた。
男の背丈は二メートルを優に超えており、その肉体はボディビルダーのように鍛えられていた。
ユーリンは銃をしまい、ナイフを抜いて身構えた。
それは、この大男を戦闘不能にするか、その身体能力を欠如させ、その隙にゲンザンと共に逃げる時間を稼ぐためだ。
その時、ふっとユーリンの頭にゲンザンの事が思い浮かんだ。
彼は今、ロングコートの人影と一緒にいるはずだ。
老いてなお筋骨隆々の肉体を誇るとはいえ、あの人影を相手にどれほど持つか……
しかし、ユーリンはすぐにその憂いを断ち切った。
目の前の大男を見るにこれほど体格差があるとどうなるかわからないが、この異様な大男に一撃、もしくは致命傷を与えて逃げるほどの実力を、ユーリンは持っている。
しかし、ゲンザンの事で精神が乱れれば、その戦闘技術、身体能力は活用しきれず、一撃を加えられるかどうかも怪しくなってしまう。
それほど、目の前のこの大男は強大な戦闘力を持っていると、ユーリンの第六感は警告していた。
何より、この大男がゲンザンの言っていた『頭のイカれた奴』なら、非常に危険だ。
見たところ、彼は防弾装備などは装着していない。
だが今も、ユーリンに向かって確かに歩みを進めている。
この上、ゲンザンの言っていた『頭のイカれた』という表現が、この大男が何らかの精神疾患を患っているという場面を目撃して言っているのなら、もはや普通に攻撃して何とかなる相手ではないだろう。
ユーリンがそんな事を考えていると、大男はチェーンソーに手を伸ばしてスイッチを入れ、チェーンソーのあの独特な、なんかこう、ゾワゾワするような音が暗闇の空間にこだました。
「がぁーっ!!」
すさまじい絶叫と共に、大男はユーリンに走り寄ってチェーンソーを大振りで振り下ろした。
ユーリンは真横に避けて鉄の道路に当たって火花を散らすチェーンソーをかいくぐり、大男の股間と脇腹、太ももの内側にナイフを突き立てた。
「がぅ!」
男はよろめき、膝を着いた。
ユーリンはここが勝機と見て、男の脇腹に一刺ししてから後ろに回り込み、大男の身体を踏み台に高くジャンプをして、その首筋を某漫画に出てくる巨人を退治する時と同じように切り裂こうとした。
しかし刃が届く瞬間に、ユーリンは大男に腕を掴まれて投げられてしまった。
空中で姿勢を整えて宿舎側に近い道路に着地すると、後ろから大きな物音が聞こえた。
ユーリンが振り向くと、先程のロングコートの人影がいた。
(ゲンザン! やられたのか!?)
さすがのユーリンでも、これほどの強敵を二体同時に相手にするのはキツい。
ユーリンが内心汗だくになっていると、あれだけユーリンの攻撃を受けても、なお倒れない皮エプロンの大男の方がロングコートの人影を見て、唸り声を上げながらユーリンに背を向けて後退していった。
(しめた!)
大男は倉庫の中に入って姿が見えなくなった。チェーンソーの音も聞こえない。
ユーリンは大男の気配が完全に消えるのを確認すると、体勢を変えてロングコートの人影に向かって全身全霊で突進した。
蹴り上げた鉄の道路が音を立ててへこみ、空気が鋭い刃に切り裂かれたような音を発するなか、ユーリンはもっとも単純かつ致命的な一撃を加えるため、ナイフを両手で持った。
しかし、人影にナイフが接触する瞬間にロングコートの隙間から両手がニュッと現れ、ユーリンのナイフを持つ両手を止めた。
「う……おーっ!!」
ユーリンは構わずに突進すると、人影をそのまま宿舎の壁に叩きつけた。
壁を陥没させ、コンクリートの破片が散らばり、人影からウッとうめき声が上がると、両手が離れた。
ユーリンは自由になった両手に再び力を込めて人影の足の付け根目掛けて、ナイフを全力で振りかぶった。
「よせ!」
不意にそう声が聞こえ、ユーリンは数ミリの差でナイフを止めた。
声がする方を見ると二階の、自分が放り出された部屋にゲンザンがいた。
「ゲンザン!? 生きてたのか……」
「ああ」
ゲンザンは気を付けろ、と言って窓に残ったガラスの破片を割ると、二階の窓から飛び降りてユーリンに状況を説明した。
「こいつは敵じゃねぇ。あんたを放り出した後、俺が『自分はミルタの漁師だ』って言ったら、あんたを助けなきゃって、飛び出したんだ」
ゲンザンのその言葉を聞いて、ユーリンはナイフをしまって改めて黒いロングコートの人物に向き直った。
「ふ~ん、それは悪いことしたね」
「……別に」
人影はぬっと動いた。
よく見ると、目深の黒いフードをかぶっており、黒い手袋をしていた。
「それで、あんたの名前は?」
「……テルール……」
それだけ言って、テルールはどこかへ行こうとした。
「待って! どこ行くの!?」
「……電気……直してこなきゃ……」
テルールはぼそっと呟くように言って、さらに進んでいった。
どうやら人と話すのは苦手らしい。
ユーリンにはすでにカトレアという先例があるためになんとも思わなかったが、ゲンザンの方は口をへの字に曲げて『なんでぇ、シケた奴だぜ』と言って、不快感を露わにした。
ユーリンは感じた。
あの人は何か知っている。
それが何なのかは分からないが、ユーリンにとって彼女は大切な情報源だ。
ユーリンはゲンザンを説得し、黙ってテルールに付いていくことにした。