第六話一部 そう、これが惨劇?の始まりだった
暗い……あれは……誰?……
寂しい……誰か……一緒に……
「暑いっ!」
「我慢してください。叫んだところでエアコンは直りません」
「むぅ~……」
海洋に面する港町ミルタの郊外にある一軒のアパート。
その一室はサウナ状態になっていた。
「だいたい、なんでこんな日に限ってエアコンが壊れるのさ!? おかしいでしょ!?
しかも、それを修理できないって何事!?」
ちなみに普段、ユーリンやカトレアはエアコンを使うことを控えている。
この辺りの、秘境と言っても過言ではないほどの地方になると、電気料金は家計を圧迫する主要な原因になり得る。
そのため、町の人間もエアコンを使うことはなく、日陰で涼んだり、海で泳いだりして暑さから逃れている。
ユーリン達も今まで我慢していたが、この日は観測史上最大級の猛暑日であり、その暑さに根負けしたユーリンがエアコンを使おうとしても反応せず、カトレアが調べた結果、何らかの電気的なトラブルによってエアコンが壊れていることが判明して今に至る。
ぶつけようのない怒りの感情を爆発させるユーリンを、カトレアが優しくなだめる。
「仕方ありません、我が社はただでさえ貧乏ですから」
「いや、最近受けた依頼でだいぶ金溜まったよね!? それでアパートをリフォームしようよ?」
「そのほとんどを調子に乗って競馬やカジノなどのギャンブルで散財したのは社長だと思いますが?」
「うぐっ! いや……それは命の洗濯的なことで、別に非難されるいわれは―」
ユーリンのトーンが下がったことで勝機と見たカトレアは、ここぞとばかりに言い放った。
「あなたはまがりなりにも企業の経営者なのですから、もう少し金銭感覚を養ってください」
「……はい」
勝者カトレア。
ユーリンはガクッとパイプイスにもたれかかると、魂の抜けたような声でカトレアに質問した。
「何か依頼ない?」
「一件ございます。レイカさんからです」
その言葉を聞いて、ユーリンはハッとした表情でカトレアを見上げた。
彼女はこの猛暑にも関わらず、汗一つ掻いていない。
「え? レイカさんから?」
本来、民間軍事会社は企業や国家などの組織からの依頼が大半である。
その内容も、現在の国家の官公庁では行うことが難しい荒事の処理や、単純に施設の建設などの大口契約である。
個人でも民間軍事会社を雇うことは出来るが、その費用は莫大なため、一部の富裕層に限られる。
それ故に、個人からの依頼は珍しい。ましてや、知人からの依頼となるとなおさらである。
そもそも、レイカが酒場の女将兼オーナーであることを考慮しても、ジークフリート社を雇うほどの資金力があるとは、ユーリンには思えなかった。
「はい。いかがなさいますか?」
「もちろん、行くよ!」
しかし、ユーリンはその考えを即座に払拭させ、白のタンクトップと紺の半ズボンのまま、外へ走り去ってしまった。
後からカトレアが追いかけるが、ユーリンはすでに町の入口まで差し掛かっていた。驚くべき脚力である。
カトレアがそのまま歩いて酒場まで行くと、すでにユーリンがレイカと話をしていた。
酒場にはマキナとアデーレもおり、テーブルを拭いたり料理の仕込みをしていた。
「それでさぁ、カッチャンときたら、よりによって僕にあんなこと言ってきて―」
「あら~それなら本人に直接言ってあげたら?」
「え? 本人?」
バーカウンターのいつもの席に座っていたユーリンは、カトレアのいる酒場の入口を見た。
「カ、カッチャン? いつからそこに?」
「たった今、着いたばかりです」
本人を見てあきらかに気まずくなったユーリンは、レイカから出されたコップに入っていた水をガブ飲みした。
カトレアはよりによってユーリンの隣の席に座り、今回の依頼主から依頼の内容を聞いた。
「それで、依頼の内容はなんでしょう?」
「この町から南に五十キロくらい海へ行った所に、漁師達なんかが休憩する廃棄された海洋プラントがあるでしょ?
実は二日ぐらい前からそこと連絡が取れないのよ。
いつもの停電かと思ったんだけど、さすがにこんな長い間連絡がないのは初めてで……だからユー君達に見てきてもらいたいのよ。お願いできる?」
別に珍しい依頼ではない。
ユーリンの民間軍事会社は、純粋な軍事作戦以外に行方不明者の捜索から足腰の弱くなった老人の代わりにお使いに行ったりと、幅広く依頼を受けている。
「内容は理解しました。報酬はいかほど?」
「そうねぇ~、一人十万アルクでどうかしら? 別にドンパチするわけじゃないんだしさ」
カトレアは妥当な額だ、と判断した。
おそらく、今回の依頼における作戦はヘリを用いた航空偵察か、現地に着陸してからの徒歩による偵察になると予想できる。
であれば、一人十万アルク貰えればそこからヘリの燃料代を差し引いてもお釣りがくる。
「了解しました。今回の依頼は民間協力における偵察任務ということで受理します。
それでよろしいですね、社長?」
「……はい」
二人は酒場を後にし、本社兼自宅のアパートまで帰ると、さっそく準備に取り掛かった。
「今回は偵察ということですから、バンツェルは必要ありませんか?」
アパート一階の部屋の壁をくり抜いて作った広間で、ダッフルバッグに様々な道具を入れながらカトレアが聞いてきた。
「うん、そうだね。ヘリだけでいいよ」
「了解しました」
そう言ってカトレアは準備を終えて外に出てしまった。
「……なんだかなぁ~」
一人になって緊張から解放されたユーリンは、黙々と偵察の準備を始めた。
ユーリンが準備を終えて、先に即席で設置した重機関銃を装備したヘリの操縦席に乗っていたカトレアの隣に乗り込むと、カトレアはヘリを勢いよく上昇させて海洋プラントの方角へ向かった。
「……そう言えば聞いてなかったんだけど、レイカさんの言っていた海洋プラントって何?」
相変わらずポンコツのヘリに揺られながら、ユーリンはカトレアに質問した。
「元々は前大戦でギルト共和国海軍が建設した洋上基地だそうです。
戦闘艦艇の補給修理はもちろん、海中には潜水艦の整備が可能な施設が建設されています。
現在はミルタの漁師やこの海域を通行する船舶の船員の宿泊施設となっています」
「……そんなところ行って大丈夫かなぁ~」
漁師や船員が普段から使っていることから考えて有害物質の影響は無いと思うが、それでも前大戦の遺物というキーワードが、ユーリンに『なにがしかの危険があるんじゃないか』という恐怖を抱かせていた。
「状況が悪ければ撤退も視野に入れた方がいいかと」
「ま、そうだね」
結局いつもの軽いノリで、『なんとかなるだろう』と考えたユーリンであった。
ユーリン達が一面を青で彩られた海を進むと、やがて巨大な人工物が目の前に見えてきた。
「アレです、社長」
「うわぁ、大きい……」
その施設は海洋プラントというより、巨大な海上複合施設という表現の方が正しく思える程巨大だった。
メガフロートの上に建設された様々な建物は、ほとんどが経年劣化と整備不足のため錆び付いており、朝の日差しを受けて、いささか不気味に光っていた。
ここまで朽ちた施設で未だに人の出入りがあることが、ユーリンには信じられなかった。
カトレアは錆で見えにくくなったマークが描かれているヘリポートへ、慎重にヘリを着陸させた。
「私はここで待機しております」
「うん、わかった」
ユーリンは防弾チョッキを着込んで無線機を取ってヘリから降り、カトレアをヘリに残して目の前にある守衛所の中に入って行った。
比較的大きな守衛所の中に守衛の姿はなく、床には倒れた自動販売機やイス、テーブルなどが散乱しており、壁には血飛沫の跡が付着していた。
(……そう言えば、準備する時に胸騒ぎがして持ってきたんだっけ)
ユーリンは施設の様子にただならぬものを感じ、腰に携帯している隠匿所持用の拳銃と、軍用ズボンのポケットに入れていたカランビットナイフを取り出し、無線機を肩に取り付けてイヤホンを耳に入れ、カトレアに連絡をした。
「カッチャン、施設の中が荒らされてる。戻って攻撃ヘリと歩兵部隊を連れてきて」
「…了解…しました」
いささかノイズが混じっていたが、無線からそう声が聞こえると、守衛所の外に設置されているヘリポートに駐機していたヘリはミルタの方角へ飛び去って行った。
ユーリンは、再び守衛所の中を調査することにした。
(なんだ、これ?)
所々に飛沫血痕がある床を見ていたユーリンは、しゃがんで目についたものを拾った。
(これって……)
それは空薬莢だった。
しかも市販で売っているような安物ではなく、完全な軍用のものであり、その道のプロが念入りに手入れをした痕跡があった。
その空薬莢は他にも多数が散乱しており、壁には無数の弾痕があった。
空薬莢を戦闘服の肩ポケットにしまい、ユーリンは周りを見渡した。
よく見てみると、守衛所のプラント側の出入り口にバリケードが敷かれていた。
ユーリンがそのバリケードに使われているテーブルやイスをどかすと、その下には血だまりが出来ていた。
「うわぁ!?」
それは一人分が流す出血量を遥かに上回っており、おそらく複数の人間が致命的な負傷をしたと思われる。
ユーリンの鼻腔に鉄臭い匂いが充満した。
ユーリンは血だまりの上を歩いて守衛所を抜け出し、守衛所とプラント中央部を結ぶ階段を降り、プラントの中に入るための出入り口の前まで来た。
(これは……)
その出入り口でも、荒事の痕跡は容易に発見できた。
出入り口の横に設置された端末は叩き割られており、分厚い鉄製の扉は特殊な爆破技術で左右両方の蝶番を切り裂かれ、扉は中央がへこんだ状態で両方ともプラント側に倒れていた。
しかも、ここまでの道のりで分かったことだが、守衛所にあった血だまりはこの地点まで太い線となって伸びていた。
おそらく、血の主を何者かがここまで引きずってきたのだろう。理由は不明だが……
ユーリンは覚悟を決めて、すでに崩壊した入り口からプラントの中へ進んでいった。