第四話四部 酒場の新参者
夕焼けの空が湖面を赤く彩る時刻、ユーリンは胃に穴が空くような思いだった。
(まだかなぁ~)
すでに時刻は取引の二時間前までに迫っている。
特殊作戦仕様に改造されたアンドロイド歩兵達が偵察に出て、すでに三十分が過ぎようとしていた。
ユーリンは装甲車から降り、ブラックハウンド高機動車両の後部座席に移った。
「しっかし、ここはなんとも不気味な場所だねぇ~」
無線用のヘッドセットを頭部に装着したユーリンが、退屈そうにつぶやく。
「元々はミルタと同じ港町だったそうですが、前大戦で衛星軌道からの質量弾頭の攻撃を受けて、今は無人となっています。
犯罪集団が隠れ蓑にするにはうってつけかと」
カトレアはイェーガーに搭乗し、後部ハッチを開いた輸送機から各所をスリングで固定し、膝立ちの姿勢で荷電重粒子狙撃銃を構えていた。
遠くでカラスの鳴き声がするなか、ユーリンはひたすらアンドロイド歩兵からの連絡を待っている。
現在、第一分隊、第二分隊が偵察に出ているが、一向に連絡が来ない。
休む間もなくここまで来たユーリンがうたた寝を始めそうになると、ヘッドセットのスピーカーからカトレアの声が聞こえた。
「社長、確認しました。人質は中央の広場にある緑色の建物に監禁されているそうです」
「了解、敵は?」
「どうやら人質のいる建物に全員集合しているそうです。いかがなさいますか?」
それは好都合であった。
ユーリンはしばらく思案した後、液晶タブレットを手に取って操作し、タブレットの画面をカトレアとアンドロイド歩兵達の視界にリンクさせて指示を出した。
「とりあえず取引に応じるよ。
全分隊はこの建物の周囲に移動して待機。
ヘリは僕からの指示があったらカカド上空へ移動、必要に応じて火力支援と歩兵の回収をお願い。
装甲車も、僕からの指示があったら広場まで急行して人質を乗せて速やかに脱出。
高機動車両はこのままカカドの広場まで行って、僕からの指示の後に装甲車が来るまで人質を守り、装甲車が来たら全速力で戦域外に脱出。
イェーガーは必要に応じて火力支援をお願い」
「承知致しました」
「了解」
なんともまぁ、覇気のない淡泊な返事だったが、ユーリンは気にせずに高機動車両の運転手にカカドまで行くよう指示した。
カカドまで行く途中、ユーリンは液晶タブレットでカトレア宛にメッセージを送った。
すべてはこのメッセージがうまく伝わるかどうかにかかっていた。
カカドの入り口を通り、崩壊したコンクリートの建築群を通り抜けると、広場に出た。
「そこで止まれ!」
不意を突かれた形での大声に応え、ユーリンは運転手に停止を命じた。
高機動車両が停止して土煙が舞い上がり、辺りは砂塵の霧で覆われたが、ユーリンは構わずに周囲を見回した。
(あれか!)
砂塵の霧の向こう側に緑色の建物が現れ、そのベランダには数人の人影が見えた。
やがて砂塵が地面に落ちたり風で流されると、人影の正体が明らかになった。
「娘はどこだ?」
ベランダからこちらを見下ろしながら質問するリーダー格のオールバッグの髪形をした男性に対して、ユーリンは明るい調子で答える。
「心配しなくても、すぐに会えるよ」
実際は連れてきてもいないのだが、うまく切り抜けるのがプロってものです。
男性の手には拳銃が握られており、その銃口はマキナの母親と思われる女性に向けられている。
彼女は別の男に羽交い絞めにされていた。
「どこだっ!?」
語気を荒げて銃口を女性のこめかみに押し付ける男性に向かって、ユーリンはなおも明るく話しかける。
「ひとつだけ聞いてもいい? 彼女はマキナちゃんの母親なの?」
「ふん、当然だ。さぁ、さっさと娘を渡せ!」
女性は銃口を押し付けられて今にも倒れそうであり、リーダー格の男性と羽交い絞めにしている男性以外は人影が見当たらなかった。
ユーリンはヘッドセットのマイクに向かって小声で話した。
「準備は?」
「全分隊、所定の位置に到着。いつでも行けます」
ヘッドセットからカトレアの声が聞こえると、ユーリンはニヤリと笑った。
「ちっ、面倒だ! 攻撃開始!」
リーダー格の男性は広場全体に響き渡るような大声で攻撃の合図を出したが、辺りは無人の荒野のごとく静まり返っている。
「な、なにっ!?」
男性の慌てふためく様子を見て、ユーリンは確信した。
「助けて! ドラ〇もん~!」
ユーリンがそう叫んだ瞬間、複数の発砲音が聞こえ、女性を羽交い絞めにしていた男性は前のめりに倒れてそのままベランダから地面に落下し、リーダー格の男性の拳銃は弾き飛ばされた。
「バ、バカな、何が起こっている!?」
「簡単だよ。あんたのお仲間は僕らの部隊がとっくに殲滅したってこと」
その言葉を聞いて、体を震わせて怒りに燃える男性は、ベランダに落ちた拳銃をチラリと見つめると、素早く拳銃を拾おうとした。
「無理だって」
しかし、直後に男性の胸に一発の銃弾がめり込み、男性をベランダに倒した。
辺りが完全に制圧されたことを確認すると、ユーリンはアンドロイド歩兵達に指示を出した。
「第一分隊、人質を回収。装甲車、そのまま離脱していい。人質はこちらで引き受ける」
「了解」
緑色の建物から出てきた第一分隊のアンドロイド歩兵から人質の女性を預かると、ユーリンは優しい口調で尋ねた。
「やぁ、こんばんは。お名前は?」
「え、あ、私はアデーレ、と申します」
だいぶ憔悴しているようで、アデーレはか細い声を振り絞って答えた。
アデーレの安全を確認すると、ユーリンは運転手に戦線離脱を指示し、土煙を上げながらカカドの廃墟を後にした。
※
その日の夜。酒場では宴が催されていた。
「よう、アデーレさん! こっちにもビール四つだ!」
「はい! ただいま!」
「マキナちゃん、こっちにも!」
「は~い!」
酒場ではエプロン姿のマキナとアデーレがせわしなく走り回っており、酒や料理を運んでいる。
バーカウンターにはユーリンとカトレア、ゲンザンとレイカがおり、それぞれの手には好みの酒が入ったグラスが握られていた。
「いや~、今回はホント~に助かった! ここは俺のオゴリだ! じゃんじゃん飲めい!」
「あらあら、ゲンさんったら」
上機嫌になっているゲンザンと介抱するレイカの横で、ユーリンとカトレアは真剣な話をしていた。
「それで、なにかわかった?」
ブランデーエッグノッグを持つユーリンに対し、ウォッカミルクセーキを持つカトレアが答えた。
「はい。アデーレさんの話によれば、彼女達はハイド共和国からの難民です。
非正規で入国してきたのでまともな就職口がなく、ミルタまで流れ着いたそうなんですが、そこを我々が排除した者達が所属していた組織に発見され、アデーレさんは拘束されてしまい、マキナさんは二重扉になっているタンスの中に隠れていたおかげで拘束を免れたそうです。
その後、マキナさんはこの町に民間軍事会社があることを噂で聞いていたため、依頼を出そうとしたところ勘違いでこの酒場まで来てしまったようです」
むさくるしい男達のやかましい声に晒されながらも、一人の女性、一人の女の子は笑顔を絶やさずに料理を運んでいる。
「なるほど、それで今に至ると。でも、組織の方は大丈夫なの?」
「ご安心下さい。先程、ラルド首相から連絡がありました。
どのような手段を使ったのかは教えて頂けませんでしたが、ハイド共和国はもう二度とあの二人に関知しないとのことです」
「そう、良かった」
そこまで話して、ユーリンはエッグノッグのグラスを傾けた。
カトレアは、先日にユーリンが言っていたことを思い出した。
「社長」
「ん?」
グラスを置いて振り向くユーリンの顔は、淡い電気ろうそくに照らされて男性とは思えないほど妖艶な表情をしているような気がした。
自分の思考回路と心電分析回路に、今まで起きたことのない現象が発生したことに驚くカトレアは、その感情をユーリンに読み取られまいと努めて無表情に質問した。
「その、ミルタのインフラ整備がどうとかいうのは……」
「あ~あの件ならいいや」
「はい?」
「なんかさ、いいじゃない……こういう風景が見れるだけでも、命掛ける価値はあったと思うよ?」
後ろを向くユーリンの、普段感じることのない幼くも精悍な横顔を見て、カトレアはますますある感情を増幅させた。
「……えぇ、私もそう思います」
(そんなはずはない、私はアンドロイドだ。きっと電脳がオーバーヒートしてしまったに違いない)
カトレアの、あまりにも合理的であまりにも非現実的な考えをよそに、ユーリンはここぞとばかりに質問をした。
「ところでさ、カッチャン」
「はいっ!?」
思考の海を漂っていたカトレアは不意を突かれた形で反応してしまった。
「あの『雑費七千万アルク』ってなに?」
「私のプラズマ・リアクターの新品購入費と改造費ですが?」
「……そうですか」
そう言って、ユーリンはグラスに入ったエッグノッグを一気飲みした。
どうやら今夜はヤケ酒をするつもりらしい。
「お兄ちゃん!」
「へ?」
そのまま時は流れ、エッグノッグの八杯目に手を掛けたユーリンに、マキナが太陽のように眩しい笑顔で話しかけた。
「ママを助けてくれてありがとう!」
「え、あ……うん」
そう言って注文の品を運びに行ってしまったマキナを、ユーリンはどこか懐かしむような眼差しで見つめていた。
酒場に新しいメンバーが加わり、今後の活躍が楽しみです!