2.承の章
「でも、愛犬とか愛猫の幽霊を見たって人も中には居るわよ」
「極少数でしょ。大半は、人間の幽霊のはずだよ」
「そこは比率的には問題にならないって?」
「なるって思う?」
「まあ、そうね。……だから、アンタは殆どの場合には、人間は人間の幽霊しか見えてないのかなって思ったんだ?」
「うん。そうなると猫は猫の幽霊しか見えないんじゃないのかなって……」
「なるほどね。そう思っても不思議じゃないって話か」
「でしょ?」
「……ん~……やっぱり、アンタ馬鹿でしょ」
「むぅ」
「まあ、百歩譲って猫が猫の幽霊を見てるとしましょうか」
「うん」
「猫は人間の幽霊も見てるんじゃない?」
「根拠は?」
「ないわ」
そうキッパリと答える女に、男は思わず吹き出してしまっていた。
「ないわりには随分と自信満々だね」
「だって、そんな可能性、考えたくないもの」
「どうして?」
「だって、その可能性を考え始めたら色々面倒くさいじゃないの」
「……」
「でも、まあ、面白い考え方だとは思うわ。それに、私は比較的、幽霊の存在については肯定的なのよ」
「そうなんだ」
「そうなのよ」
「でも、猫の幽霊とかは否定してるんだよね?」
「否定はしないわ。でも人間には見えない事が多いんじゃないかなって思ってるの」
「なぜ?」
「そうじゃなかったら人間以外の幽霊を見たって報告がもっと多いはずじゃない」
「だから、見えてない?」
「だと思うんだけど……」
最初からソレ以外は何も見えてないのかもしれない。あるいは、実際には見えてるのに、そのことに気がついてないせいで見えていないと思い込んでいる。もしくは、最初から見ようとすらしていないから見えているのに見えていないと思ってしまっているのか……。
「そのどれかだと思ってるわ」
「見ようとすらしてない、か……」
「でも、それは何も特別な事じゃないのよ。人間ってさ、あえて意識を一部分に集中させることで余計なことまで記憶しておかないで済むようにしてるって言うじゃない。だから、その時に気になってた事とかは比較的ちゃんと見えているし、あとで聞かれても細かい部分まで覚えてたりするけど、その時に興味すら持ってなかった部分とか事柄って、後で聞かれても全く覚えてなかったりするのよね」
それは短期的な記憶が長期に渡って記憶されるかどうかを自動的に判断している脳の機能、あるいは仕組みとも言うべきものであり、意識の集中や無意識に行われている意識の中のフィルタリング等といった事柄にも関する部分でもあったのだろう。
人間は意識を向けて集中していた部分と、それ以外の部分では、比較的に見えているのに見えていない、あるいは見えているのに認識していない、覚えていないといった事が意外に多い生き物なのだ。
「それ以外にも、自分の理解出来ないものは見えていても見えなかったことにしてしまう事が多いでしょ。認識とか、常識とか、意識って名前の枠の外に除外しちゃうんじゃない? それって、混乱を防ぐための自衛手段としては、そんなに珍しい話じゃないと思うわよ?」
それを聞いた男は苦笑にも似た不思議な笑みを浮かべていた。
「その理屈、昔の妖精の童話で見たことあるよ」
「妖精って、フェアリーとかの?」
「うん。妖精って大抵の場合に小さな子供にしか見えないんだって」
「大人には見えない?」
「大抵の場合には、そうらしいね。極稀に例外もいるらしいけど」
「幽霊の話に似てるわね」
「そういえば、そうだね」
「それで?」
「うん。妖精なんだけど、子供って先入観なしに物事をありのままに捉える能力が高いから、妖精なんて居るわけないとか、そんなのインチキだとか、そういった否定的な捉え方をしないから、不思議なモノは不思議なモノのまま捉えて、受け入れることが出来るんだって」
「だから、見える?」
「そういう子も結構多いんじゃないかって言ってる人はいるね」
「俗にいう、見えない友達ってヤツね」
「脳内幽霊?」
「可哀想な自閉症気味の子供が、寂しさに押しつぶされそうになってる自分を慰めるために創りだした自分にしか見えない"お友達"ってヤツ」
それは存在しないものを存在すると思い込んでいるという意味だった。
「これもきっとソレと同じなのかもしれないけどね。……でも、昔は結構、野原とかで"何か"と一緒に遊んでいるようにしか見えない子供とか大勢居たっていうよ」
「眉唾ものの話だけどね……」
「大昔に、そんな子供の姿を撮影したことがあるらしいんだ」
「ふーん」
「嘘か本当かは知らないけどね。そこには子供の周囲を飛んでいる"妖精"たちの姿が写ってたそうだよ」
それはコティングリー妖精事件と呼ばれるものであり、その事件を大々的に取り上げた著名人の中にはシャーロック・ホームズ・シリーズの著者としても有名な作家アーサー・コナン・ドイルも含まれていたという。しかし、多くの場合においてこの手のオカルト話には"捏造"が付き物であるのが世の常というもので、この場合も例外ではなかった。
結局の所は、少女達のしでかしたイタズラ、自作自演によるでっち上げの事件だったことが、後に年老いた本人達の口から告白されているので、現実には妖精が写真に捉えられたことはなかったのだが……。
その証言の中でさえ、年老いたかつての少女達は、それでも『自分達には妖精のお友達が居た』と口にしていたとされているのだが、果たして真相は何処にあるのだろうか……。
「うっさんくっさいわねぇ……」
「まあ、捏造された写真の話をもとにした逸話だからね」
「ま、そんな所でしょうね」
「でも、僕はね。それでも、その子達は実際に妖精を見てた可能性があると思うんだよ」
「見えないお友達の羽つき小人バージョン?」
「その可能性は高いけどね」
「その可能性しかないわよ」
そう切って捨てた女に、男は苦笑混じりに答えていた。
「大事なのは、ソコじゃないよ」
「どこよ」
「人間は、その気になれば自分の見たいと思ってるモノを、実際には何も見えていないにも関わらず、見えたように錯覚することが出来るって部分だよ」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花って?」
「そうだね。闇を恐れる本能に負けてしまった理性が、そこに居もしない怪物の姿を見てしまう。それがきっと人間というものなんだと思うんだ。恐怖心が妄想を刺激して、豊かな想像力が脳に偽りの映像を創りだしてしまう……。それはきっと本能からくる恐怖なんだけど、そういった類の恐怖への耐性が低い子ども程に顕著に表れる傾向とか特徴なんじゃなかって。そう思うんだ」
窓の外に広がる闇に目を向けながら。
「……実際には何も居なかったり、単なる風に揺れているカーテンだったりするものを、あたかも怪物や幽霊であるかのように、ね?」
それは思い込みによる錯覚という話だったのだろう。
「子供たちは自分というもの。いわゆる自我ってヤツなんだけど、それがまだしっかりと確立されてないせいで、空想や幻想……いわゆる妄想の世界ってヤツに頭を犯されていたんだと思う。だから、そこには居ない何かを見えたように錯覚してしまったんじゃないかな」
単なる光の屈折や反射によって創りだされた木の枝や葉の影。それをあたかも妖精の姿であるかのように捉えて、受け止めてしまうといった風にして。
「そのせいで錯覚でしかない代物を、現実のものだと思い込んだって?」
「うん。それが妄想と想像力の産物であるって事実に気がつけないままに、現実に起きている出来事であるかのように思い込んでしまって、そういった記憶が作られてしまったんじゃないかなって……ね」
「つまり、アンタは幽霊についても同じように考えてるのね」
その指摘に男は大きく頷いて答えていた。
「色々と考えていくうちに、そういう結論に達したんだよ」
「どれだけ他人が見えたとか見たことがあるとか言っていても、自分では何も見てないから、きっとそれは間違っていて、その人の嘘か妄想に違いないんじゃないかって?」
「まあ、それもあると思うけどね」
それを聞いた女は大きくため息をついていた。
「なに? ため息なんてついて……」
「……アンタって、ホンットに、駄目ねぇ」
「そう?」
「そーなのよ。大体、夢ってモンがないわ。男なんだから、未だ見ぬロマンってヤツをもっと求めなさいよ」
「ロマンって言われてもねぇ……」
「居ても良いじゃないのよ。幽霊くらい」
「幽霊くらいって……」
「幽霊でも妖怪でも天使でも悪魔でも何だって良いわよ」
「……君って、もしかして天国とか地獄とかガチで信じてるクチ?」
「流石に、そこまではおめでたくないけどさぁ……」
「でも、あっても不思議じゃないって?」
「うん。あるかも知れないとは思ってる」
きっと、それが全くないと思うのは夢がないと思っているのだろう、と。恐らくは、あると信じているのではなく、あって欲しいと願っているのだ。女は、そう自分の中の気持ちなりスタンスを確認しながら答えていた。
「そんなの、この世の何処にあるって言うんだよ……」
「どこだって良いじゃないのよ。この世にないのなら、あの世にでもあるんでしょ」
「そんな投げやりな……」
「何処にあるとか、誰が確かめたとか、そんな細かい事なんて、どーでも良いのよ」
「良くないよ。それじゃあ、あの世って、何処にあるんだよって話でもしてみる?」
「絶・対・嫌・よ♪(ハート)」
「そうだろうと思ったよ」
そうため息をつく男に女はジト目を向けながら答える。
「……アンタ、どうせ神様なんて居ないとか思ってるんでしょ?」
「まあ、ね。でも、心の何処かでは居て欲しいと思ってるんだよ。だから、そんなの何処に居るのかとか、そんな都合の良い存在なんて居るはずないとか、そういう夢のない事は色々悲しくなってくるから、出来るだけ考えないようにしてるんだけど……」
「賢明じゃない」
「でも、まあ、そんな僕でも流石に幽霊については否定的にならざる得ないって事だよ」
そう、この議論における自分の立ち位置とでも言うべきモノを提示してみせる。
「そもそも人間が見てる人間の幽霊って何なんだろうね」
「幽霊なんじゃないの?」
「僕はソレを否定したい」
「なぜ?」
「人間の幽霊が見えるというのなら、猫や犬、昆虫や魚、牛や豚、鶏や鳥とかの幽霊が見えてないのは何故なんだろうね。そんなの、おかしいでしょ?」
「なるほど、ね」
「人間の幽霊しか見えない。他の幽霊なんて見えるはずがない。それならまだ分からないでもないんだ。実際には居るのに見えていないだけって可能性が残るから。でも、人間には何故か極稀にとはいえ、犬や猫などのペットの幽霊が見える事があるんだよね……」
「それが変なんじゃないかって?」
「実際に変じゃないか」
「ペットの幽霊は、さっきアンタが言ってた都合のいい妄想の代物だとしたら?」
「そうなると、人間の幽霊についても妄想の可能性が否定できないでしょ」
「そっちの方だけ現実の可能性は、まだ残るわ」
「なんでさ」
「アンタがさっき、自分で言ってたじゃない」
「目撃件数の比率の問題って?」
「そういうことよ。全てが妄想で片付けるにはちょっと件数が多すぎるでしょ?」
ごく少数だからこそ妄想で片付けても何とか納得も出来るのだろうが、それ以外も妄想で切って捨てるにはちょっとばかり件数が多すぎると言いたいのだろう。
「確かに、それはそうかも知れないけど……。でも、それは無理矢理過ぎないかな?」
「まあ、多分に都合が良すぎる捉え方ではあるわね」
そう苦笑で暴論であることを認めながら。
「肯定派の私としては、そこに一石を投げ入れたいわね」
「どうぞ?」
「じゃあ、遠慮無く」
コトッと目の前に冷めた紅茶の入ったカップを置いて。
「これは何?」
「紅茶だね」
「紅茶に見える?」
「見えるよ」
「私にも紅茶に見えるわ」
「だろうね」
「でも、人によってはこれを珈琲として捉える人も居るかも知れないわ」
「……こんな色をしてるのに?」
思わず苦笑交じりに答えた男に女も苦笑を浮かべて答えていた。
「そうよ? 確かに私達にとって、これは紅茶以外の何物でもないわ。でも、紅茶のことを珈琲と呼んでいる人達がいたら? その人達にとっては、そうなるんじゃないの?」
「ああ……そういう意味」
その言葉に男は何処か納得した様子を見せていた。